EP 4
ブロンズの切先(理不尽な火力の提示)
ギギギギギィィィィッ!!
深夜の森に、ブロックタイヤが泥と草を削る甲高いブレーキ音が響き渡る。
横腹に激突されたバルバロス伯爵の馬車は、凄まじい衝撃で斜めに傾き、巨大な大木にぶつかってようやく停止した。
「ヒィィッ! お、おのれ! なんだこの鉄の箱はァッ!!」
ひっくり返った馬車の中で、豚のように肥えた伯爵が悲鳴を上げる。
生き残った五名の高位魔法使いと重装甲の護衛たちは、即座に馬車を庇うように陣形を組み直し、持てる限りの魔力を注ぎ込んで防壁を展開した。
『絶対魔力防壁』。
鋼鉄の数倍の強度を持ち、物理打撃も魔法攻撃も完全に弾き返す、ファンタジー世界における最高峰の防御結界。蒼白い光のドームが、彼らをすっぽりと覆い隠す。
「……マズいな」
木の上からナイトビジョン越しに見ていた鮫島が、舌打ちをした。
「ユーゴ、ありゃあ上物の障壁だぜ。戦車砲でも持ってこねえと抜けねえ」
「ああ。俺のSCAR-Hでも、同じ箇所にマガジン一個分の徹甲弾をフルオートで叩き込んで、ようやく亀裂が入るかどうかだ。……あのイカれた運転手、轢き殺せなかったのは計算違いだったな」
プロの暗殺者である鮫島たちが『手こずる』と判断した絶対防壁。
だが。
バタン、と重厚な音を立てて、ランクルの運転席のドアが開いた。
開け放たれたドアから、ベートーヴェンの『交響曲 第7番 第2楽章』の重低音が、夜の森へ荘厳に漏れ出していく。
その悲壮な旋律を背負うようにして、190センチの巨躯が、ぬかるんだ土の上に降り立った。
ワインレッドのタートルネックに、漆黒のレザージャケット。
龍魔呂は、怒号を上げる護衛たちや分厚い魔法障壁を一瞥すらせず、左手首の『TUDOR ブラックベイ 58 ブロンズ』の文字盤を静かに確認した。
「……少し、時間をかけすぎたな」
独り言のように呟き、龍魔呂は右手でレザージャケットのポケットを探る。
「き、貴様! 何者だ! ここにいる方をどなたと心得るッ!!」
護衛の騎士が障壁の内側から剣を向け、威嚇する。
龍魔呂はその声に答えることなく、ポケットから『一本の黒い筒』を取り出した。
アメリカ・マイクロテック社製。
法執行機関や特殊部隊で愛用される、最高峰のOTF(飛び出し式)オートマチックナイフ。
【Combat Troodon】。
龍魔呂の親指が、側面のスイッチを強くスライドさせる。
ジャキィィィッ!!
鋭く、そして重い金属音が森に響いた。
射出されたのは、鈍い黄金色を放つブロンズ・フィニッシュの両刃。
その刃が姿を現した瞬間、龍魔呂の右手に嵌められた『鬼王の指輪』が脈動し、赤黒い闘気が刀身に高密度でまとわりつき始めた。
魔力を無効化する、絶対的虚無のオーラ。
ブロンズのナイフは、触れるものすべてを次元ごと切断する【超高熱のレーザーブレード】のような極限の暗器へと変貌していた。
「な、なんだあの禍々しい気配は……ッ!」
「構えろ! 絶対防壁の内側にいる限り、剣も魔法も届か――」
騎士が叫び終わるより早く。
龍魔呂の姿が、揺らいだ。
エンジニアブーツが泥を踏む音すらない。シラット特有の、重心を極限まで低くした『滑り歩き』。
次の瞬間、彼は蒼白い光を放つ絶対魔力防壁の、文字通り『目の前』に立っていた。
「シッ!」
鋭い呼気。
龍魔呂の右手が、何の造作もなく、ブロンズのナイフを障壁に向かって横一文字に振るった。
――ヌルッ。
激突音など、存在しなかった。
鋼鉄の数倍の硬度を誇るはずの絶対防壁が、熱したナイフでバターを切るように、あるいは柔らかい豆腐を包丁で撫でるように、音もなく上下にズレて『切断』されたのだ。
「……は?」
障壁の内側にいた護衛たちが、理解の及ばない現象に間抜けな声を漏らす。
だが、龍魔呂の動きは止まらない。
防壁を切り裂いた勢いのまま、八極拳の『靠(体当たり)』で踏み込み、護衛たちの懐に潜り込む。
刃渡りわずか数インチのタクティカルナイフが、C.A.R.システム(極近接戦闘術)の流れるような円運動で閃いた。
ザシュッ! ズバァァァッ!
「ガ、アァッ!?」
防壁の切断からコンマ数秒。
二人の高位魔法使いの首筋から鮮血が噴き出し、重装甲の騎士の首が、兜ごと胴体から滑り落ちた。
「ひ、ヒィィィィッ! バケモノォォォッ!!」
残った二名の傭兵がパニックになり、大剣を振り下ろす。
龍魔呂はそれを一瞥もせず、左手の甲で大剣の側面を軽く叩いて軌道を逸らし(古流柔術)、そのままスッと相手の脇をすり抜けた。
すれ違いざま、逆手に持ったブロンズの刃が、二人の頸動脈を正確に切断する。
ドサリ、ドサリ。
ベートーヴェンの重厚な旋律だけが響く中、五名の精鋭が、一瞬にしてただの肉塊へと変わった。
「……な、なんだ、あいつの動きは……」
木の上からスコープで一部始終を見ていた鮫島の背筋に、冷たい汗が流れた。
魔法を無効化するデタラメな闘気も恐ろしいが、鮫島が何より戦慄したのは、龍魔呂の【動き】だった。
剣と魔法のファンタジー世界で培われた動きではない。
極限の狭所戦闘を想定し、銃火器とナイフを組み合わせた、地球の『特殊部隊(Tier1オペレーター)』のそれだ。
(あのバーの優男……! なんでこの世界に、あんなCQBのバケモノがいやがる……!?)
驚愕に固まる鮫島たちをよそに、龍魔呂は無言でナイフの血を振り払い、スイッチを引いて刃を収納した。
チャキッ。
静かな金属音。
龍魔呂は、ひっくり返った馬車の中で恐怖に震えるターゲット――バルバロス伯爵の首根っこを掴み、泥の中へ乱暴に引きずり出した。
「ひっ……! 命ッ、命だけは……!! 金ならあるんだァァァッ!!」
豚のように喚く悪徳貴族。
龍魔呂の顔には、一切の感情がない。
彼はレザージャケットの奥、タクティカル・ホルスターに手を伸ばし、愛銃『Korth NXS』を引き抜いた。
漆黒の銃口が、バルバロス伯爵の眉間にピタリと押し当てられる。
「俺の村に、ゴミを持ち込んだな」
静かな死刑宣告。
龍魔呂は空いた左手で、真鍮製のオイルライターを取り出した。
処刑の合図。
カチッ、と硬質な音が鳴り響こうとした、まさにその瞬間だった。
『――オギャアアアアッ! オギャアアアッ!』
横転した馬車の奥、壊れた木箱の陰から。
火のついたように泣き叫ぶ『幼い子供の声』が、夜の森に響き渡った。




