第二十九話
観劇に出かけてから数日後の夜のこと。
リリリリリン。とアステリアの部屋の通話器がベルを鳴らす。
本来であれば貴族令嬢直通の通話器などあるはずないが、ハヤトの業務のために急遽設置させたものだ。
通話相手は場所がアステリアの私室だとは知る由もないため、魔法でハヤトの姿に変化してから出る。
「もしもし? ……ああ、分かった。……気にしないでくれ、大変なのは皆一緒だ」
受話器を置いてから、クローゼットの中の武器と道具を取る。
シェイプシフトは一度記憶した相手に服装込で変身できる魔法だ。だから防具は前世で使っていた物が毎回リセットされて出てくるのだが、武器道具は服装判定ではないらしく出てこない。
余談だがハヤトの姿で服を着替えると、魔法を解いた時に脱いだ服のほうが、元々着ていた服に戻ったりする。
と、言うわけでギルドから手に負えない魔物出現の連絡を受けたので、夜分遅くではあるが出発しよう。
どうやらいつでも対応できるよう、見張り塔やギルドには誰かしらが常駐しているらしい。転移魔法があるから……とぬくぬくお布団に包まっている身分としては、彼らには本当に頭の下がる思いである。
さあワープを……と思ったとことで、トントントンという控えめなノックの音に気づく。ハヤトは音を立てないようドアを開きに行った。
「マイアか。相変わらず勘が鋭いな」
「……通話器の魔力をほんの少し感じるのです」
「なるほど。それでどうした? 見送りか?」
すでに寝間着に着替えたマイアの姿がそこにはあった。それほど夜遅い時間なのだ。
マイアは不思議そうなハヤトに向かって、そっと手を差し出す。
「眠気覚ましの丸薬です。もし長丁場になったら、奥歯で噛み砕いてお飲みください」
「ああ……あのマズい奴ね……。ありがとう」
「いえ。差し出がましいようですが、どうかお気をつけて」
丸薬の入った袋を受け取りながら、あの不味さを思い出して苦い顔をしてしまう。だがマイアの心遣いが嬉しくて、ハヤトは静かな微笑みを浮かべて礼を述べた。
地面に伏した巨大な魔物に剣を突き刺し、とどめを刺す。断末魔を耳に入れながら、ふとハヤトは空を見上げた。……気づけば朝日とは言いづらい高さまで日が上っている。
「どーりで眠いわけだよ……」
剣の持ち手を支えにして、がっくりうなだれるハヤト。
ギルドの職員から聞いた情報では、数匹の猿型の魔物が出たという話だった。魔物と言っても何だかんだ昼行性のものが多いので、夜に出現するものは限られてくる。だからギルドも『このタイプの魔物だと数匹では済まない可能性がある』と予測して、最初からハヤトに連絡してきたのだ。
そしてその予測は大当たりし、報告の倍以上の魔物と、さらに群れをまとめていた巨大な魔物まで出てきた。
時刻は夜中。付近には監視塔もあるし、王都まで一日かかる距離とは言え道中には民家もある。つまり強い閃光や音を発する魔法は使いづらい。
そんな事情で地道に始末すること十時間弱――。
「こんな時に死体の始末をしなくて良いのは楽だな」
本来であればこの魔物の毛皮は防寒や防御力に優れた素材だが、いかんせん魔石を抜いて毛皮を剥いで、とする暇が無い。最後の巨大猿だけは魔石を抜いておいて、素材の回収や始末は他の冒険者に任せることにする。
そうこうして、ハヤトは眠たい目をこすりながら王都のギルドへ赴き、魔石を提出し、事後処理を依頼して……。
「お腹空いたぁ……ねむーい……」
言いながらバタンと自室の床に倒れ込む。さすがにこの返り血、土埃塗れの状態でベッドに横たわるわけにはいかない。
魔法を解けば服装はキレイになるが、髪や肌はそのままだ。本当は腹ごしらえもしたいし、汚れも落としたい。しかし何よりも先に仮眠を取りたい。
たしか今日はルナが王城に帰る日だ。出発は朝の予定だったから、どうせアステリアが帰り着くまでに屋敷を出てしまっている。
最後に挨拶ができなかった事を寂しがっているだろうか……。そんなことを考えているうちに、アステリアの瞼は完全に閉じきった。
「……! ……ま! お嬢様!」
「……?」
体を強く揺すられる感覚と、聞き慣れた呼び声によりアステリアの意識は徐々に浮上する。しかし長時間の戦闘による疲労も相まって、覚醒にまでは至らない。
「っ……申し訳ございません。お嬢様」
マイアはこのままではアステリアの目が覚めないと理解し、主人の服からこぼれ落ちていた小袋を手に取った。そう、あのまず~い眠気覚ましの丸薬である。
本来であれば一粒もあれば充分だが、事態が事態であるため適当に掴んだ数粒を、主人の薄く開いた口内へねじ込む。そして顎を掴み、無理やり数度開閉させた。
――みるみる内にアステリアの目が見開き、苦悶の表情に歪む。
「ああぁあ! まっずい!!」
「お嬢様! 緊急事態です。我慢なさってください!」
あまりの不味さに床から飛び上がるアステリア。
しかし真剣な表情で床に膝をつくマイアにそう言われては、大人しく話を聞くしかない。落ち着いた主人を見てマイアは続けた。
「ルナ様が誘拐されました」
「……! どういうこと?」
「ご存知の通りルナ様は今朝、王都の迎えの馬車で帰られました。しかし領地を出たところで何者かに馬車が襲われ、ルナ様が攫われたと……。護衛のうち一人が意識不明。もう一人が時間を稼ぎ、御者が意識不明の護衛を連れて関所まで逃げ切ったようです。話を聞いた門番から報告を受けたのが、つい先刻でございます」
迎えの護衛が意識不明か……。まさか学生であるレオとノーマンではあるまい。
何にせよ聖女の抹殺が目的であれば、攫われたなんて報告ではないはずだ。まだ命があると考えて良い。
アステリアは剣帯に差しっぱなしの剣の柄に手を添える。装備を外す間もなく気絶していて良かった。
「ならば、まだ間に合うということね。わかりました」
「……お嬢様。ルナ様の跡を追えるのですか?」
マイアが不安げな表情でアステリアを見上げる。
アステリアはハヤトの姿に変化して答えた。
「この姿なら大丈夫だ」




