第二十六話
――夏季休暇。
この国は比較的温暖な緯度に位置しており、冬らしい冬はない。夏も日本のそれと比べればましな方で、日本人の感覚からすれば過ごしやすい国だと言える。
その割には学園の夏季休暇は長く、七月頭~八月末と日本の大学と同程度だ。
オリオン・ロワ王立学園にも、そんな夏季休暇が迫っていた。
「舞踏会のこと本当にありがとう。生徒会の皆から随分と有難がられて、迷惑をかけていたと思い知ったよ……」
と受話器の向こうでシリウスがしみじみと言う。
アステリアが前世で馴染んでいた電話とは違い、音波を風魔法の応用で魔力波に変換した『通話機』だ。間違っても電話ではない。
「私が殿下を頼りすぎたのですわ。少し反省しております」
そう申しなさ気に言うアステリアも受話器を耳に当て、ゆったりとした寝間着姿でくつろいでいる。
現在の時刻は夜の二十一時頃。就寝前のリラックスタイムにシリウスからの通信が入ったため、寝る準備は万端の様相だ。
私室の一人掛けチェアにゆったりと腰を掛ける姿は、前世を思わせぬ立派な貴族のそれだった。
「ふふ、君の期待に答えられていると嬉しいけどね。……あ、そうだ。明日からの夏季休暇の予定は決まっている?」
「夏季休暇ですか? はっきりとは言えませんけれど、各ギルドの要請に応じて魔物退治の予定ですわね」
少なくとも明日から数日は西の端のギルドからの依頼で、群れをなして手に負えない牛型の魔物を討伐しに行く予定だ。
というのも……。国内の冒険者を王都に招集したことで、必然的に人手の足りない地域が出ている。アステリアはハヤトとして、その穴を埋めることをギルドと契約しているのだ。
まあ前世では単独パーティで四天王だの魔七将だのを殲滅して回っていたので、ハヤトにとってはさほど苦ではない。
ルナのおかげで王都の魔物は一時的に減少したが、だからといって王都の冒険者をまた地方に分散させるわけにはいかない。実際、アステリアが対応するレベルではなくなっただけで、他地方に比べて凶悪な魔物が多いのが現状だ。
そして地方の魔物は魔の森由来ではない、自然発生型。聖結界の重ねがけの影響などあるはずもなく……。
アステリアには王都での仕事が減っただけで、それ以外での仕事は微塵も減っていないのであった。
「殿下はやはりルナさんと聖女教育ですの?」
「ああ、いや……。実は私は聖女教育をもう修了していてね」
アステリアが忙しいと聞き、シリウスはどこか気落ちした様子で答える。
聖魔法の習得が目的のルナと違い、王族が受ける聖女教育は、魔の森の脅威を正しく後世に伝承していくのが目的だ。故に学習範囲が異なるのだろう。
ということは、ルナだけが夏季休暇中も学園で聖女教育を受けるのだな。アステリアがそう尋ねると、意外にも帰ってきたのは否定であった。
「いや、ルナも王城に滞在するよ。宮廷魔術師から直接聖魔法の指導を受けるそうだ。ノーマンとレオが面倒を見るとか……」
「あら、殿下だけ仲間外れですのね」
「う……私だって公務があるさ。アステリアほど忙しくはないけど……」
学生と言えど王族は王族。何かと仕事はあるものだ。
王立学園には休暇中の課題はないが、それでも貴族の子女は何かと忙しい。特に七月いっぱいは学生特権で参加していなかった社交行事に忙殺されるのが通常だ。
尚、アステリアは冒険者活動があるため、今年は一切の行事に参加していない。苦手な社交界よりも、魔物相手に剣を振っている方がよっぽど楽しいので、正直助かっている。
しかし社交界と違い、魔物の出現は予測できないため、実際のところ夏季休暇が潰れるかどうかは不明だ。
「わたくしも分かりませんわ。現時点では明日から用事が入っているだけですから」
「そっか。じゃあ……もしまとまった時間ができたら連絡してほしい。久々に二人で外出がしたいな」
「承知しましたわ。では明日も早いのでそろそろ……」
シリウスは名残惜しそうだったが、半ば無理やり話を切らせた。どうせしょっちゅう連絡してくるのだから、せめて一度の時間を短くしていただきたいものだ。
受話器を置いて、ふぅと気の抜けた息を吐く。
どうせ貴族の娘として生まれた以上、誰かと結婚しなければいけないのは決まっている。だからシリウスとの婚約は受け入れているし、別にいい。
しかし彼のストレートな愛情表現は、こちらが弟のようにしか思っていないから、どうも心苦しいのだよなあ……。
婚約者にそう思われているとはつゆ知らず、アステリアとのデートを想像しながら就寝するシリウスであった。
***
驚いた。本当に暇ができた。
とハヤトはとあるギルドの依頼掲示板の前で腕を組む。
ハヤト宛の依頼は各地方のギルドから直接来るようになっているが、あまりに連絡がないのでパトロールも兼ねて出向くことにしたのだ。しかしどのギルドのボードを見ても、冒険者のキャパを超えるような依頼は溜まっていない。
(聖結界の影響はないはずだが、かと言ってタイミング的に原因はあれしかないよな……)
この世界では、一定量の瘴気と魔力が結びつくことで魔物が誕生する――というのが定説だ。魔物を倒している当事者としても、瘴気や魔力の質、量は感じ取れるため、その説に違和感はない。問題なのは瘴気と魔力は、それぞれどこから生まれているかという話。
これは学問によって意見が分かれるところで、宗教学的に言えば瘴気は邪神が、魔力は女神ソレイユが生むものとされている。
一方、生物学的に瘴気は生命が魔力を消費する際に生成され、呼吸で排出されるもの。魔力は属性に応じて自然(陸地、海)から生成されるものとされている。
現代日本人としては後者の説を推したいが、この世界ではソレイユ聖教の聖典が割と強い。
そして本題。
魔の森には瘴気を吸収する何かがある。
魔物の死体から魔石を抜くと死体が残存し、魔石には瘴気と魔力が結びついたままになる。聖魔法の使い手が魔石を浄化することで、瘴気がなくなり魔石は純粋な魔力の塊となる。
魔石を抜かないと瘴気と魔力は分離し、形を保てなくなった魔物の死体は、そのまま気体(?)となり空気中に霧散してしまう。
瘴気は何れ魔力と再結合し、それが一定の量に達すると、また魔物が生まれる。そんなサイクルがこの世界にはある。
――が、魔の森の付近では、その放出された瘴気が、魔の森に吸い込まれてしまうのだ。
だから王都近郊では自然にポップする魔物はほぼ居らず、聖結界を抜けられる程度の雑魚魔物しか居ない。
以上の情報からしても、他地方では聖結界の影響はないはずなのだが、実際には魔物の減少が観測されている……。ということは、結果から逆算すると……瘴気もしくは魔力の総量が減り、魔物が発生するほどの結合ができない状態……。
でもそれが聖結界と魔の森にどう関係があるのか? そもそもこの魔物発生のサイクルは、国外でも同一なのか?? この国特有の現象なのか???
「……わからん!」
考えても結論が出るはずもない。魔物の討伐数はギルドで記録されているから、王室の研究機関が調べてくれることだろう。
「――という事情で、想定外に暇をしております」
「うーん。嵐の前の静けさと言う気もするし……聖結界の良い相乗効果な気もするし……」
「まったく分かりませんわ。魔法省と魔環研究院に調査依頼を出しておきましたから、そのうち結論が出るでしょう」
「……そうだね。でも私の方でも専門家に意見をあおいでみるよ」
「よろしくお願いいたしますわ」
何にせよ魔物の実害が出ていない以上はハヤトの仕事はない。牛型魔物の群れの討伐とパトロールを終え、アステリアは約束通りシリウスに連絡するのだった。
しかし間の悪いことにシリウスは……。
「はぁ……悲しいな。せっかく君に余裕ができたのに、私は国外に居るだなんて」
本人の言う通り、友好国に外交官として出向いており、国を不在にしていた。ちょっと前までは「ステラが一緒じゃないと私は耐えられない!」とか平気で言っていたが、随分とまあ成長したものである。
「わたくしは殿下が立派に公務を勤めていらして嬉しいですわよ?」
「でも、もう少し早くステラからの連絡があれば、一緒に行くこともできたのに……。あ、君も来たことのある国だから魔法で来れるんじゃないか?」
「こらこら」
まったく手のかかる王子だ。
シリウスとの通信を終えたアステリアは、受話器を置きながら考える。せっかく時間ができたのだ。修行や勉強に集中してもいいが、どうせなら夏季休暇しか出来ないことをしたい。
「あ、そういえば……」




