第二十一話
聖結界の重ねがけから数日後……。シリウスの目論見通り、一時的に聖結界が万全の状態となり、上位の魔物が結界を越えてくることはなくなった。
まあそれはそれで冒険者の配置変更であるとか、他の問題が出てくる。それでもアステリアの仕事は随分と落ち着いた。
おかげで学園にも久々に登校できている。朝練中の演習場に顔を出しに行くと、風紀委員の仲間は暖かく迎えてくれた。
「この度は家庭の事情で長らくお休みをいただき、ご迷惑をおかけいたしました」
アステリアが丁寧に頭を下げると、委員長のアイゼンベルクは軽い調子でそれを受け入れる。
「いやいや、公爵家ともなれば色々あるだろう。気にしないでくれ」
「家庭の方は落ち着いたの?」
「ええ。お兄様が復帰なされたので、当分は大丈夫なはずですわ」
副委員長のモンテクレールに尋ねられ、アステリアはあらかじめ用意した嘘を答えた。
いくら家庭の事情といっても限度があるので、『兄が体調を崩し寝込んでいるため、領地運営の代理をしに領地に戻る』という筋書きを立てておいたのだ。
もちろん実際には兄はピンピンしているし、王都生まれ王都育ちのアステリアは、中々領地に帰る機会がない。仮に機会ができたとしても、シリウスがあの手この手でアステリアを王都に留めさせるので、振り切るのが面倒で帰らないのだが……。
というような、第二王子シリウスの婚約者の溺愛っぷりは、貴族の間では有名な話であった。そして今回のアステリアの動き(領地に帰る)は、貴族たちにこのような噂を広げさせるには、充分なインパクトだったのだ。
曰く、シリウス殿下は聖女に鞍替えし、ショックを受けたアステリアは領地に帰った――。
「実はレグリオさんの耳に入れておきたい話があって……」
モンテクレールが何とも言いづらそうに話を切り出す。
風紀委員として信憑性の低い噂の流布は、風紀を乱す行為に他ならない。だから耳にする度に注意はしていたが、やはり人の口に戸は立てられぬものだ。
どうせアステリアも噂に気づくことになるのだから、その前にやんわりと教えておこうという優しさだった。
委員たちの説明を一通り聞き終えたアステリアはきょとんとして言う。
「殿下ならたまにお会いしておりましたが、相変わらずでしたわ」
「なんだ。お会いできる機会があったのか?」
「常に領地に居たわけではなくて、お父様と領地の橋渡しのようなこともしておりましたの。ほら、お父様も魔の森の件で、王都の屋敷にすら帰れない状況ですので……」
これは本当のことだ。アステリアは転移魔法を使えるため、兄の作成した書類を一瞬で父に渡しに行くなどのサポートを行っている。
便利な半面、待ち時間がなくて仕事をせざるを得ないな……。とは兄の談。
まあそんな事はもちろん関係なく、本当は冒険者ギルドと魔の森に根付いている状態なのだが。
ギルドには独自の連絡網があり、監視塔からの情報がいち早く入ってくる。そのためギルド併設の宿の一室はハヤト専用となり、そこではアステリアの姿で過ごし、呼び出しがかかればハヤトとなり部屋を出る。
シリウスもルナの世話や公務で忙しいはずだが、合間を縫って宿に顔を出してくれていた。
最初はアステリアがとても貴族令嬢とは思えない服装、部屋でくつろぐものだから。それはもうギョッとされたが……。
ハヤトに充てがわれた部屋は一般基準では広いものだ。それに、ほとんどのギルド職員はハヤトの正体を知らず、侍女のマイアを連れ込むわけにはいかない。だから服装も一人で着脱できるシンプルなものになる。
シリウスはそんな説明を受け入れた後は、アステリアに合うたび『心配する』→『労る』→『弱音を吐く』→『ご機嫌で帰る』のワンループをこなして帰るようになった。
「まあですから、噂は噂と言いますか……。わたくしルナさんのことも存じていますが、殿下にルナさんのお世話を押し付け……いえ、託したのもわたくしですから」
「そ、そうだったのか。それなら良かったよ」
アイゼンベルクはハハハと乾いた笑いをこぼす。
つまりシリウスが学園で聖女に付きっきりなのは、アステリアが彼に命じたからだと……。
もし、万が一シリウス殿下が王位についたとて、アステリアが王妃ならばこの国は安泰だな。と風紀委員たちは思ったとかなんとか。
***
アステリアが久しぶりに教室へ入ると、それに気づいた生徒たちは大いにざわめいた。
(こいつら、いつも人の顔見て変なリアクションするな……)
と内心で思いつつ、アステリアはシリウスとルナを探す。
学園でシリウスを探すのであれば、プロキオンを探すのが手っ取り早い。彼は近衛騎士の制服に身を包んでおり、絶妙な距離感で突っ立っているのでよく目立つ。
「ルナ、昨日言ってたところ分かったか?」
「はい! ノーマンが教えてくれた資料のおかげで、ちゃんと理解できました!」
「それは良かった。彼の著は分かりやすい物が多いので、覚えておくといいですよ」
「くそ~。俺は勉強だけはコイツに勝てねーからなあ」
「ふん。勉強『も』の間違いでは?」
「なんっだと!」
「あははっ!」
ルナ、レオ、ノーマンの愉快なやり取りに、シリウスが楽しそうに笑い声をあげている。
四人ともすっかり友人として馴染んだようだ。アステリアが微笑ましい光景に和んでいると、偶然こちらを見たシリウスと目が合ってしまった。瞬時にお留守番をしていた犬の勢いで寄ってくる。
「ステラ! おはよう。そんなところで立ってないで、どうぞ座って」
満面の笑みでアステリアの手を引き、有無を言わせず椅子に座らせた。自然と席順はルナ、アステリア、シリウスの並びとなる。その一段上にレオとノーマンという形だ。
教室中に「シリウスを巡った女の戦いが起きるのでは?」という好奇が満ちていたが、極力気にせずルナに話しかけた。
「ルナさん。ごきげんよう。殿下から聖女教育を頑張っていると伺っていますわ。ご無理はなさってない?」
「ご、ごご、ごきげんようっ。おきっ、お気遣い、ありがとうございます!」
アステリアの認識では、ルナに合うのは数日振り。しかしルナにとっては、まともに話すのが二度目である。緊張するのも無理はないが、それにしても怯えられているような……。
「ルナはまだ、丁寧な言葉遣いに慣れていないんだ」
「商人ならまだしも、一般的な平民の家庭であれば、使わない言葉遣いですからね」
「うぅ……」
シリウスとノーマンのフォローが入るが、ルナは恥ずかしそうに俯いていた。これでは事情を知らない生徒に話しかけるにも苦労するだろう。
……まずいのでは?
ルナのお供たちは「長い目で見ようね」と朗らかに笑い合っているが、実際にはそんな悠長にしている時間はない。なんせ彼女は既に、小規模ながら既存の聖結界に小規模な聖結界を重ねがけできるのだ。
聖女の資質というのは女神ソレイユに与えられるものであり、聖女ごとの差はほぼないらしい。つまり順当に成長していけば、ルナは完璧な聖女となるのが確約されている。
聖女はソレイユ聖教と王室の奪い合いになるから、王室は早い内に重役の息子と婚姻させて取り込むだろう。というかレオとノーマンが多分それ。
聖女はこのセレスティア王国では何かと特別な存在であり、平民であろうと貴族と同等。場合によっては、貴族よりも格上の立場となる。
そう。つまりルナには、貴族社会に対応できる教養が必須なのである――!
そして学園には、ルナの貴族としての教養を試す場として、ちょうど良いイベントが差し迫っていた。
「そういえば……月末に学園主催の舞踏会がありますわね」
「ああ、そうだね。私達は聖女教育でそれどころではないけど……」
アステリアが急に思い出したかのように切り出すと、シリウスはそう言って苦笑する。
学園は来月から夏季休暇に入るわけだが、その目前に開かれるのが舞踏会だ。
新入生も学園生活に馴染んだだろうから、この機会に貴族として上下別け隔てなく顔を売っておけ、という学園からの気遣いにして試練である。新入生はこの舞踏会で上手く立ち回れるか否かで、学園どころか今後の人生の成否が占われるという。
将来の確約されているシリウスとルナには関係ない、と言えばそうだ。しかしそれぞれ立場に応じて、資質を試される場なのは間違いないし、何より……。
「なにをおっしゃいますの。殿下は運営側でしょう?」
シリウスはアステリアの言葉に、「あっ」と気まずそうな顔をする。
聖女教育にかかりっきりで、まともに生徒会活動に参加していないシリウス。だが舞踏会の主役は、その生徒会に他ならないのだ。
舞踏会では、最高学年の生徒会役員が段取りや手配を主導し、当日も司会進行を行う。生徒会役員としての集大成の場であり、すでに準備を始めているだろう。本当はシリウスにも手伝って欲しいだろうに、彼が忙しいと分かっているから、声をかけられないのだ。
「せっかく魔の森の件が落ち着きましたし、聖女教育も進みが早いと伺っています。ここは殿下は生徒会に顔を出しておくべきですわ。王族の沽券に関わりますわよ」
「う、それは……確かに」
アステリアがスパッと指摘すると、シリウスは図星を突かれたかのように頷く。自覚はあったが、忙しさを言い訳に生徒会から遠ざかってきたのだろう。
どれだけ嫌いな剣術でも嫌々取り組んできたシリウスだが、意外な一面もあったものだな……。と思いつつ、今度はルナの顔を見るアステリア。
「それとルナさん! 一応聞いておきますが、貴方はダンスの経験はございませんわね?」
「へぁ!? それはっ、はい。平民なので……」
まさか自分に飛び火してくるとは想定しておらず、ルナは肩を飛び跳ねさせて何度も頷く。そんな彼女をさらに脅かすように、アステリアは真剣な面持ちで告げた。
「貴方……舞踏会までにダンスを習得しておきませんと、一生後悔しますわよ」
「……へ?」
「新入生にとって舞踏会は最初の関門にして、最後の失敗が許される機会なんですのよ。他の方々は既に社交界デビューを果たしていますが、ルナさんはこれが最初で最後のチャンスです! 月末までに、何としてでもダンスを覚えていただきますわ」
「いやでも、私平民ですよ? ダンスなんて覚える必要ないですよ」
アステリアの勢いの良さにたじろぎつつも、ルナはきっぱりと否定してみせた。まったく押しに弱い少女というわけではないらしい。それはいい。それはいいが……。
ぎろり、とアステリアに睨まれ今度は男組三人がたじろぐ。
「ねえ皆さん、説明して差し上げませんでしたの? 聖女は確実に貴族社会に取り込まれると運命だと」
「んん……法律で決まっているわけじゃないし……本人が望めば平民としても生きていけるし……」
「ええそうですわね、殿下。で? レオはともかく、ノーマンはご自身の立場を理解なさっていますね?」
レオは「俺はともかくって何ですか!?」などと騒いでいるが、ノーマンはほんのり頬を赤らめて押し黙っている。ご両親からルナを射止めるよう、仰せつかっているのだろう。
「お分かりであれば、もっとルナさんの将来を考えて差し上げて! 長い目で見ることが優しさではありませんのよ!」
「そうだよね……。すまないルナ、実はステラの言う通りなんだ」
「え、つまり私、絶対に貴族の方と結婚するんですか?」
恐る恐る尋ねたルナに、シリウスが無言で頷く。彼女はサァーッと顔色を悪くして頭を抱えた。
「わ、わた、私が貴族? 平民の最下層の私が? へあぁぁあ???」
「本当にすまない……。考えてもみない様子だったから言いづらくて……」
奇っ怪な声を上げ混乱するルナを、男衆が慰めにかかる。彼女が落ち着くには時間がかかり、場の混迷は教師が授業の開始を宣告するまで続いたという。




