第二十話
――魔の森と人間の生息域を隔てる壁。聖結界。
「これが聖結界……」
ルナがそっと聖結界に手を触れながら呟く。
聖結界は突き詰めれば魔法障壁の一種でしかない。そうだとしても眼の前のそれが、高度な魔法技術で構築されたものだと、ひと目で理解できた。
神聖な力と魔力に満ちていて、とても経年劣化で崩壊しかかっているようには思えない……。
こんな物を自分が構築できるのか? 今更ながらプレッシャーを覚え、ルナの背にじっとりとした嫌な汗が滲む。
緊張で強張った彼女の肩に、ぽんっと人のぬくもりが触れた。
「あんま気負わないでくださいよ。聖女様」
「ハヤトさん……」
驚いて振り向くと、ルナを励ますように笑うハヤトの姿があった。
「まあ殿下や聖女様が、俺たちを気遣ってくれたのは分かってるんですよ? でも別に戦ってる場所が違うだけで、聖女様含め、みんな頑張ってますからね」
今回の遠征のきっかけがシリウスのわがままなのは、もちろん伏せられている。表向きの主な理由は『魔物の流出を抑え、冒険者の負担を減らすこと』だ。
故にルナが失敗しようと現状維持なだけで、特に問題はない。ハヤトとしては気楽に挑んでほしいところだ。
しかしシリウスの段取り、ハヤトの護衛、騎士の一団と、多くの人手を借りてここに立つルナは、中々その境地へ至ることができないでいた。彼女はぐわっと、何だか気合のから回ったような勢いで声を上げる。
「で、でも! 私、最前線で戦ってくださってる皆さんの力になりたいんです!」
「それは俺も一緒。他の誰にもできない事を頑張ってる、聖女様の力になりたいし、国民のみんなを守りたい。ええと、だから、結論としては……」
今の状態のルナになんと声をかけるべきか? ハヤトは考える素振りを見せ、少しして良いことを思いついたと言わんばかりに、再度ルナの肩を軽く叩く。そして珍しくはにかんだように笑った。
「責任は、君みたいな可憐なお嬢さんの肩ひとつにはかかってない。ってこと!」
「かっ、可憐!?」
ルナの緊張をほぐそうとしての冗談だろう。頭では理解できるが、急にこそばゆい物言いをされ、ルナの顔がカッと熱くなる。
そして不穏な空気を察したシリウスが、ハヤトとは反対側の肩に手を置いた。驚いたルナは真っ赤な顔のままシリウスを見る。
事情を知らない者からは、単なる励ましにしか見えないだろう。常にシリウスの側に居るプロキオンには、主人がルナの意識を逸らそうと必死な光景にしか見えないが……。
「そうだよルナ。私たちは国のため、一丸となって目的に向かっている。ルナもその一人だ。皆で一緒に背負っていこう」
「殿下……。はいっ! 頑張ります!」
二人の励ましにより、ルナの不安とプレッシャーで染まっていた瞳が、力強い決意を秘めたものに変化した。彼女は改めて聖結界に両手を触れ、魔法の行使に集中するべく目を閉じる。
ルナが祝詞のような呪文を唱え始めると、内包する聖なる魔力が膨れ上がる。強い魔力は物理法則にも影響を及ぼし、彼女の髪や衣服の裾は踊るように浮き上がった。
とてもじゃないが、学園に編入して一ヶ月そこらの習熟度には見えない。やはりシリウスにルナのサポートをぶん投げたのは正解だった、とハヤトは満足げに頷いた。
「……終わり、ました!」
しばらくして、達成感に満ちた表情でルナが宣言した。それと同時に彼女の魔力は落ち着きを見せ、聖結界の様子も少し変わる。
先ほどまででも充分に力を感じたが、明らかに力強さを増し、神聖な雰囲気も強くなっていた。
「お、すごい。ちゃんと強くなってますよ。頑張りましたね、聖女様」
「へへへ……」
「!?」
ハヤトはごくごく自然な態度でルナの頭を撫ぜ、撫でられた当人も当然のように受け入れている。その光景をシリウス一人だけが、ぎょっとした顔で睨み――見つめていた。
思わず二人の間に割って入りかけたシリウスだったが、なんとか一呼吸置いて冷静さを取り戻す。
あまりに演技が堂に入っているが、アステリアは女性だ。つまりルナ相手にも同性として接しているはずで、だからスキンシップが多くなるだけ。そうだ、そうに違いない。
必死に自分の心に言い聞かせるシリウスであったが、実はハヤトの天然ジゴロは前世からの事であり、両想いだった魔法使いにもそれでよく責められていた……。なんてことは彼には知る由もない。
***
さて、用事も終わったし帰ろう! ……と意気込んだところで、半日以上かけて歩いてきた道中をそのまま戻ることはできない。
野営はきちんと計画に織り込まれており、一同は日の暮れないうちに予定の野営地を目指した。
「……」
行きと同じ様に先導していたハヤトが、ふと何かに気がついたようにバッとあらぬ方向を見つめる。そして剣の柄に手をかけ、シリウスへ振り向いた。
「殿下。近くに遭遇の可能性がある魔物が居るんで、俺行ってきます。先に野営地行っててください」
「ああ。気をつけて」
「ご安心を。魔物一匹逃しませんよ」
ハヤトは自信満々に笑う。
そっちじゃなくて、自分の身の安全に気をつけてほしいんだが? とシリウスが言う間もなく、彼は駆け出そうとした。
「あっ、ハヤトさん! どうかご無事で……」
思わずといった様子でそう告げたルナに、ハヤトはバチッとウインクを返して、右手で剣を抜き森の奥へ駆けてゆく。深い森の木々によって、ハヤトの背中が見えなくなるのは一瞬のことだった。
毎度のことながら、よくもまあこんな未開拓の森の中で全力疾走できるものだ。シリウスは、ハヤトの代わりに前へ出てきたプロキオンへ話しかける。
「あの速度で森を駆けたら、普通は枝に阻まれて大怪我するよね? どうなってるんだ?」
「……見た感じ、凄まじい速さで切り払いながら走っているようですが。それはそれで動体視力が人間離れしていますね」
アステリアが自分の強さの理由を有耶無耶にしているため、どういう原理で人間離れした動きをしているのか、彼らにはまったくの謎だ。
今のところ無理に聞き出そうとする人物は居ないが、いつか彼女から真実を語る日が来るのだろうか?
頭を捻りつつ彼らは進行を再開した。
ハヤトを除いた一同は野営地に到着し、日が暮れる前に野営の準備を進める。時折遠くからは獣の咆哮が響き渡り、強い魔力反応が発生しているのが、野営地からでも感じ取れた。
ハヤトの強さの実感がないルナは、ハラハラと落ち着かない様子で、野営の設営の完了とハヤトの帰りを待っている。
……尚、彼女は設営を手伝おうとしたが、ハヤトが心配で集中できず逆に周囲に迷惑をかけてしまい。見かねたプロキオンにより「顔色が悪いですよ。(邪魔だから)どうぞお先に休まれてください」と隅に追いやられたのであった。
「や、いい匂いだね」
「ハヤトさん!」
しばらくして、日も暮れかかった頃にハヤトは野営地に到着した。抱きつかんばかりの勢いで出迎えるルナを、ハヤトは慌てて押し留める。
「ダメですよ。今返り血ですごいことなってるんで」
「じゃあ浄化魔法をかけます!」
「いや立て続けに魔法障壁を張ってお疲れでしょう」
「浄化魔法くらい平気です!!」
「あ、じゃあそれなら……お言葉に甘えて……」
推しの強いルナにハヤトは根負けしてしまう。元々ルナは性根の純真な少女であるし、ハヤトの優しさと強さに触れて、最初の不信感はすっかり消えたのだろう。
野営地もルナの魔法障壁により安全が保証されており、目覚めて間もないにも関わらず優秀な聖女だ。このまま上手く行けば、聖結界の完全な張り直しも予定より早く終わるかもしれない。……などと浄化魔法を受けながら、ハヤトはのん気に考えていた。
ルナがとんでもない事を言い出す前までは。
「じゃ、装備脱いでください。傷を見ますから」
「!? えっ、いやいや、あった所で痣とかなんでそんな……」
「ってことは攻撃は受けたんですよね? 確認しましょう! 傷を放置しては危険ですよ!」
「いやいやいや……」
あまり強く拒否できず、ジリジリと迫るルナから後ずさるハヤト。そんな二人を複雑な気持ちで見ている男が居た。言わずもがなシリウスである。
(女の子同士なんだけど、絵面がなあ……)
これで迫られているのがアステリアであれば、シリウスも全力で止めに入るだろう。しかしハヤトの姿だと止めに入る理由がなさすぎて、なんと声をかけたら良いものか……。
ズズ、と部下の入れたお茶をすすって考えてみる。……あのアステリアだぞ? 本気で嫌ならば、例え相手が聖女でも従うわけがない。
まあいいか。と止めに入るのはやめて、ルナ相手にタジタジなハヤトを見守ることにした。あれはあれで珍しい姿で、少しおもしろい。
これでアステリアの負担は減り、ルナは本物に触れたり実践したりで良い経験になった。今日でやる気も増したようだし、王都に帰ってもいっそう聖女教育を頑張ることだろう。
(やっぱりステラはすごいな……)
シリウスは嬉しそうに目を細める。
傍から見れば男相手に熱い視線を送る図なのだが、そんな事にも、周囲からの目にも気づいた様子はない。
そうこうして、王都近郊での夜の野営は賑やかに更けていくのであった――。




