第十五話
「聖結界の魔力は数値化できるものではありませんから、曖昧な言い方になりますが……。たしかにここ一月ほど、聖結界の力が弱まっている兆候は記録されております」
宮廷魔術師の報告に、王がぴくりと片眉を吊り上げる。
「ほう? 私の元まで報告が届いていないようだが……」
「ももも申し訳ございませんっ! その、元々聖結界は女神の力が弱まると言われる五月は、結界の効力も弱まるものでして……。此度のキマイラもそれが原因の可能性も……」
確かに宮廷魔術師の言う通り、五月は昔から聖結界が弱まる傾向にある。だが例年の弱り方と、今回の弱り方では明らかに異なる点があった。
というのも、例年は五月になると聖結界の一部に小さな穴が開くのだ。そしてその穴を通れるサイズの魔物が、結界を越えてなだれ込んでくる。そのため穴のサイズ以上の魔物は変わらず結界を通れない。
もし今回のキマイラが、例年のように穴を通ってきたのだとしたら……。
「――お言葉ですけど。貴方の仰る通りであれば、今頃はキマイラ並みの魔物が北の森に溢れかえっていることになりますわね」
「それは……」
腐っても専門家ということか、アステリアの発言の意図は理解できるらしい。反論が見つからないようで、長い思案の後に間違いを認めて頭を下げた。
「陛下。わたくしどもで聖結界の詳しい調査を行ってまいります。それで聖結界の崩壊の兆候が認められるようでしたら、近くこの国に聖女が現れるかと……」
「おお。ついに聖女が」
王は噂の聖女の誕生に目を輝かせている。
聖なる結界が弱るとき、聖なる乙女もまた現れん……。聖結界と聖女にまつわる伝承だ。
それが本当かどうかはさて置き、調査以外にもとるべき対応は山ほどある。
王都が国土の北部に位置し、その北に広がる魔の森と聖結界という立地。おかげで王都は他国からの侵略も、魔物の脅威もない――つまり冒険者には仕事がない。
この国の冒険者のほとんどは、魔物の弱い王都周辺で経験を積んだら、さっさと仕事の多い他地方に出てしまう。だから聖結界が弱り魔物が増えても、対応できる冒険者が居ないのだ。
しかし地方から急に冒険者を呼び寄せては、仕事のバランスが崩れ困窮する者が出てくる。あと王都にある宿屋や武器防具が不足するし、取り寄せるにしても道中の警護にも冒険者は必要だし。
例えば教会を整備して宿を確保させたとして、その資金はどこから出るのかとなり。とにかく何をするにしても金がかかる。
こんなのん気に、聖女に期待をかけていられる状況ではないのだ。
「陛下! 僭越ながら、ひとつ進言をお許しいただけますか」
アステリアは和やかな空気を壊すことを恐れず、声を張り上げる。
分かったのだ。旧アステリアが、後悔しただろうことが。
彼女はここで何かを仕出かし、それが原因で王都が――いや、きっと国が滅びた。対応を見誤れば、今のアステリアも国を滅ぼすことになる。
本当に居るかどうか定かじゃない聖女なんかどうでもいい。今、王都に必要なのは腕の立つ冒険者!
――この後。アステリアの主張を、宮廷魔術師と財務大臣まで加わり、その対応が本当に必要なのか精査される。
主張の正当性は認められたものの、問題の財源はそんなに簡単には出てこないものであり……。
「うーむ、埒が明かんな! よし、レグルス。各大臣を招集せよ! 不在ならば副大臣で構わん!」
「う、承知いたしました……。しかし今からですか」
「そうも言ってられん状況だろう」
膝を打って立ち上がる王に付き従いながら、レグルスがうんざりした顔をしている。それもそうだろう。キマイラ出現の報からアステリアが王城に到着するだけでも時間がかかっているのに、話し合いが始まってからも、もう随分経っている。
これはお父様は当分帰ってこなさそうだ。などとアステリアが考えていると、その父に恐ろしい顔で睨まれてしまった。後で覚えてろよと言わんばかりだ。
(お~怖……)
「シリウス。お前はステラを送り届けてやりなさい」
「は、はいっ!」
王が息子のシリウスに向かって命じる。対応策の詳細は上層部のみで詰めるため、目撃者は帰って良いということか。
シリウスがエスコートするように手のひらを差し出したので、アステリアは大人しくその手を取った。
***
公爵家にアステリアを送り届ける馬車の中。並んで同乗するシリウスが、どことなく落ち込んだ声音で喋りだす。
「ステラ……。君は私の知らない所で、多くの人々の助けになっていたんだね」
せっかく午前の狩りで前向きになれたかと思ったのに、キマイラの一件でむしろ普段よりナイーブになっていそうだ。
アステリアにとって冒険者活動は、趣味と実益を兼ねたものであり、決してこの国の平和のためだとか高尚な理由ではない。しかしそう言ったところで、今の彼が納得するかは微妙だ。
「そう言ってくださるのは嬉しいですけれど、わたくしの行動は褒められたものではございませんわ」
「確かにね。けど、君に隠れて活動させたのは、周囲の頭の硬い大人だろう?」
シリウスが好意的に解釈してくれるのは結構なことだ。どうせ否定したところで無駄だろうと、アステリアは彼の考えを改めさせることはやめた。
その代わり――と、そっと座席の上のシリウスの手を取る。驚いて引かれる手を無理やり押し留め、彼の手のひらをじっくりと見た。
努力家の手だ。
タコに塗れていて、傷もいくつかあって、とても王族のものとは思えない無骨な手だ。こんな手の持ち主が、なぜこうも弱気なのかまったく理解できない。
「あ、え? 何をっ……ステラ?」
「殿下。わたくしと貴方、行動力を足して割ったらちょうど良いと思いませんこと?」
「……へ?」
「昔から、わたくしは無茶苦茶しますし、殿下は後ろをついて回るだけでしたわね」
「うん……そうだったね」
何が楽しいのだか、幼い頃からシリウスはアステリアが仕出かす何かを見守ることを好んだ。今思えばシリウスがやってみたかったアレやコレを、アステリアがやってしまう様が面白かったのかもしれない。
子供の頃はそれで良くとも、大人になってまで、ただ見ているだけでは困るのだ。むしろアステリアを引っ張り回すくらいの大物になっていただかなくては。
「これからは、わたくしと一緒に殿下も挑戦してみるというのはいかが? 一人だと勇気が出ないことも、二人ならばきっと楽しいですわ」
「ああ……。いいな、それは。とても楽しそうだ」
実際は、王族と貴族の男女が共に楽しめることなど限られている。それでもシリウスは彼女の言葉を否定せず、ただ嬉しそうにへにゃりと破顔した。




