第十一話
学園の裏山とは、そのまま王都の北の端から続く山や森を指す。元々学園は王都の北側に広大な土地を有しており、生徒たちの実地訓練に利用されていた。
王都の北側に位置する森には強い魔物が出現することがなく、まだ未熟な者の戦闘訓練にはちょうど良いのだ。だからこそ王都には冒険者が居ない。稼げないし、初心者の成長の妨げになるから。
そんな訳で、シリウスの弱気克服にもうってつけの場なのである。
装備を整えたアステリアは、やる気満々といった様子で森の入口付近で仁王立ちしていた。片やシリウスは、王家直属の近衛騎士にして、彼専属の護衛であるプロキオンの背にひっそりと隠れている。
「殿下、今日は貴方の実戦不足の克服に来たのですよ! 最初からそれでは、何も始まりませんわ!」
「私と二人の時間を作ってくれるという話じゃ……?」
「作っているではないですか。だからわたくしに、かっこいい所をお見せくださいませ」
「……」
暗にかっこ悪いとまで言われれば、さすがのシリウスも前に出ざるを得ない。おずおずと他の二人よりも森の奥に立った(たった数十センチ)シリウスに、アステリアはにっこりと笑みを浮かべる。
「貴重な第一歩ですわね。その調子ですわ!」
アステリアの賛辞をシリウスは素直に受け取った。実際、彼女は特に裏もなくストレートに思ったことを伝えている。シリウスにとって本当に勇気を出して、努力した結果だと理解しているからだ。
護衛騎士のプロキオンなどは、
(ステラ様も器が大きいねぇ……)
などと敬意も何もないことを考えているが。それを微塵も表に出さないのが、彼の美点である。
「さ、殿下。剣を抜いてくださいませ。このまま殿下が先頭で進みましょう」
「は?」
突拍子もない指示に、二人が揃って口をあんぐりと開け放った。こうしていると似たもの主従だな、などとアステリアはのん気に考える。
今日のアステリアは、シリウスに自信をつけさせるためにやって来ていた。
というのも、シリウスは気弱故に実戦から逃れてきただけで、既に剣さばきは熟練者クラスなのだ。それもそのはず、彼はアステリアよりも早く剣を始め、文句を言いながらも欠かさず鍛錬を続けている。
王家に来るような家庭教師が、そこら辺の素人にちょっと毛が生えた程度の剣士なわけもない。シリウスは国一番の剣士に、十年以上師事を受けた、才能も努力も足りている男だ。
……と、本人に言うと全力で否定されるのは、きっと悪い比較対象が側にいるからだろう。
「わ、私が前か? 確実にこの中で一番弱い私が?」
「ご自身を卑下されすぎでは……。プロキオンが居りますし、何かあればわたくしも出ますから」
「うぅ……」
渋るシリウスの背を押し、無理やり森の奥へ進んで行く。やがて諦めたのか、アステリアに押されずとも自分の足で進むようになった。
――ガサッ。
「ひっ」
ちょっとした物音……。風で葉が擦れる音であるとか、木の実が落ちた音だとか。その程度で逐一びっくりできるのは、ある意味では生存本能が強いという才能かもしれない。
驚いて足を止めたシリウスの背をぽんぽんと叩き、進行の再開を促す。嫌そうなシリウスだったが、アステリアの笑顔に負けて、またへっぴり腰で歩き始めた。
そんな事を何度か繰り返し、ようやくその時はやって来た。
「殿下、剣を構えてください」
特に生き物の気配はなかったが、アステリアに指示されて大人しく剣の構えを取るシリウス。
彼女は本気で戦闘に加わる気がないようで、剣の柄に手をかけてすらいない。なんだったら、背後のプロキオンにまで、手を出さないよう言い含めている。
(彼女は本気なのか? 実戦自体が初めての私に、すべて任せる気か?)
シリウスの額に冷や汗がにじむ。
今までも機会がなかった訳じゃない。しかしそのすべてを彼は避けて生きてきた。王族が危険を回避したいと言えば、それに逆らう者など存在しなかったのだ。それを彼女は……。
「剣を振って!」
考え事に思考を割いて居たため、魔物の急襲にシリウスは気付けなかった。既に眼の前に、四つ足の猪のような魔物が、草木をかき分けて迫ってきている。
回避の発想もなく、ただアステリアの声に従い、無我夢中で剣を振るった。そして来るだろう衝撃への恐怖心から、ぎゅっと強く目を瞑る。
(私が一太刀加えた所で、魔物が死ぬわけがない! そら見ろ、魔物の突進が…………?)
思った通りの衝撃が来ず、恐る恐る目を開いた。シリウスの前には……何も居ない。ぱちぱちと目を瞬かせ、視線をそのまま下におろすと、地面には魔物の死体が転がっていた。
死体には、まるでシリウスの攻撃の痕のような、袈裟斬りの太刀筋……。そんな馬鹿な、手応えなんかこれっぽっちもなかった。
シリウスは唖然として、自分が握る剣を見つめる。確かに、剣には魔物の血が残っているが……。
「素敵ですわ殿下」
そしてたおやかな拍手の音と、白々しい称賛の声で現実に戻された。
シリウスは思わずアステリアの剣を確認したが、先ほどと変わらず彼女の剣は鞘に収まっている。抜いた素振りはない。
「さ、殿下。時間が惜しいですわ。サクサク行きましょう」
と、魔物の死体を置いて、アステリアの誘導の元さらに奥へ進んだ。
それから数時間かけ、三人は出会った魔物を次々と倒していった。次第にシリウスの動きも良くなり、体を動かす楽しさと言うものを掴んできたように見える。
最終的にシリウスは、野犬の様な魔物の群れと対峙し、その内の三体を自力で討ち取った。討ち漏らしはプロキオンが片付けたが……。
魔物の気配がなくなった所で、アステリアは緊張が解けない様子のシリウスに声をかけた。
「お疲れ様です。水分補給はいかがですか?」
「ああ……ありがとう。ステラ」
アステリアの差し出した水筒を受け取り、上がった息を落ち着かせながら水を飲む。シリウスは野犬型の魔物を見下ろして、つい先程の戦闘の様子を頭の中でリプレイした。……今回は、確実に手応えがあった。
不要になった水筒を受け取ろうと手を伸ばすアステリア。シリウスが思わず彼女に疑惑の目を向けると、視線に気づいたアステリアはいたずらっぽく笑う。
「気づかれましたか。殿下、先ほどから本当にご自身で魔物を倒しておられますわよ」
「やはりか……」
実はシリウスのへっぴり腰が直るまでは、貴方の攻撃にタイミングを合わせて魔物を倒していた。最後はもう手出しはしなかった――と。アステリアは悪びれもせずに語る。
「プロキオン。お前には彼女の動きが見えたのか? 私には何も分からなかった……」
「……まあ、多少は」
シリウスに尋ねられ、プロキオンは少々歯切れの悪い答えを返す。普段ははっきりと物を言う男だから、本当に多少しか見えなかったのかもしれない。
それはそうだろう。だって最初から最後まで、シリウスにはアステリアが剣を抜いた瞬間など認識すらできなかったのだから。
「ステラ、君……。実は父君の言いつけなんか守ってなかったな?」
「おほほ、何のことでしょう」
そう言えばアステリアはこの前、「隠れずに剣を振れるのがとても楽しい」と言っていた。という事はつまり、今まで隠れて剣を振り続けていたのだ。そうでなければ、プロの騎士でも見きれないほどの剣が振れるものか。
……それにしても、その道を極めすぎている気はするが。何にせよ証拠もないし、レグルス公爵閣下には内緒にしてやろう。
シリウスは苦笑する。
完璧な淑女に育ったかのように見えた我が婚約者様は、どうやら昔と何も変わっていないらしい。




