第十話
風紀委員としての活動を始めてからというもの、アステリアは来る日も来る日も、うきうきで朝練に勤しんでいた。
誰よりも早く学園へ来て鍛錬をし、その後は委員会の雑務も行い、もちろん授業でも精力的に勉学に取り組んだ。実に満ち足りた学園生活を送るアステリアの一方で、つまらなさそうにしている男がいる。
「はぁー……」
学園の二階の広々としたテラスで、ベンチに座り一人黄昏れる男……第二王子のシリウスだ。
今頃は婚約者と共に生徒会に入り、先輩の指導の元、二人で仲良く生徒会活動に励んでいたはずだった。それがどうだ。蓋を開けてみたら生徒会どころか、昼食や授業後の空き時間ですら――。
「え? お昼ですか……申し訳ございません。わたくし、今日は風紀委員の先輩とご一緒することになっておりまして」
と、何かにつけて風紀委員の先輩を引き合いに断られるのである。シリウスの頭の中では、『浮気』の二文字がむくむくと成長を続けていた。
……時に。風紀委員というのは、その委員会の特色から男子生徒しか居ない代があるほど女性が少ない。シリウスの頭の中の『風紀委員の先輩』が男の姿なのも無理からぬことではある。
婚約者に浮気をされているのでは……。そんな懸念から、ついにはアステリアをこのテラスへ呼びつけてしまった。
授業の終わった夕方。こうして一人で彼女を待っていると、なんとも虚しく情けない。王太子ではないとは言え、王族としてこうも器が小さくて良いものだろうか。
「はぁ……」
「殿下。お待たせして申し訳ございません」
もう何度目か分からないため息を吐いてすぐ、後方のテラス出入り口から待ちかねた人の声が聞こえた。シリウスは情けないところは見せまいと、しゃんと背筋を正してアステリアを笑顔で出迎える。
「ステラ。来てくれて嬉しいよ。こちらこそ、忙しいだろうに呼び立ててすまない」
「そんなこと。最近は落ち着いてきましたし……」
「そうか、それは良かった」
二人の仲ともなれば、隣に座るのに会話も不要だった。シリウスは少し横にずれ、空いたスペースにアステリアが腰を下ろす。
「ふふ、殿下には悪いのですけど……隠れずに剣を振れるのがとても楽しいのですわ。ですから、つい時間を忘れて演習場に引きこもってしまうのです」
「あ、ああ……。君が風紀委員会に入ったのは、それが目的なのだったね」
アステリアが嬉しそうに言うものだから、シリウスはつい本音を隠して彼女の話に相槌を打ってしまった。彼女の目がきらりと輝いて、いかに毎日が楽しいのか、まくし立てる様に語りだす。
「ええ。副委員長もわたくしと同じで、女性でありながら剣が――いえ、武芸全般がお好きなのですって! ですから、わたくしつい暇さえあれば彼女に試合を挑んでしまいまして。あ! あのモンテクレール子爵家の御息女ですのよ。御父君がわたくしの剣の先生と門下が同じなのです。だから、わたしく彼女と……殿下?」
待ったと言わんばかりに、シリウスが右手のひらを顔の前へ突き出す。そして彼は実に真剣な面持ちで、きょとんとするアステリアに尋ねた。
「話を遮ってすまない。ステラのよく言う、『風紀委員の先輩』と言うのは……?」
「モンテクレール副委員長のことですわ」
「あぁ……そうだったのか……」
「……あっ。申し訳ございません。わたくし、相手が女性だとお伝えしておりませんでしたのね?」
「うん……」
シリウスの恋心なぞ毛ほども気にしていないアステリアだが、さすがの彼女でも現状を把握したらしい。口元に手を当てて、気まずそうな態度を見せる。
二人の間に少しの静寂が訪れ……、事態の収拾を図ったアステリアがパンッと両手のひらを叩き合わせた。
「そうですわ、殿下。今度ご一緒に、学園の裏山へ狩りに出ませんか?」
「狩り?」
怪訝そうな顔で繰り返すシリウス。
「最近、二人の時間もございませんでしたし。わたくしも殿下とゆっくりお話する時間が欲しいと思っておりましたの」
「……へー。随分と楽しそうに、毎朝演習場へ直行してた気がするけど……」
「おほほほ、それはその。新生活ともなりますと、何かと忙しいものですわ。環境に馴染む努力をせねばなりませんから」
シリウスのじとーっとした湿度の高い視線を躱し、アステリアは説得を続けた。
そもそもだ。アステリアはいつかは彼のビビリ癖、甘え癖をどうにかしたいと考えていた。
婚約関係にある以上は、どうせいつかは生活を共にすることになる。にも関わらず、シリウスはアステリアを王都に留めさせ、何かと呼び出しては、他愛もない話をするのを好んだ。
――この世界には、電話こそないけれども、魔力による遠距離通信機は存在しているのに! 顔を見て話さないと満たされぬからと、お前は女か? それも面倒なタイプの女か!? と常日頃から、口にしないだけで思ってはいた。
そしてアステリアには、旧アステリアと交わした約束がある。彼女が大事な人を大事にし、彼女の後悔をなかった事にしなければならない。
それが何なのかはさっぱり分からないが、だからこそシリウスには強くなっていただき、アステリアなしでも自立できる力をつけてもらわねば。公爵令嬢と冒険者の二足わらじでもキツイのだから、そこに第二王子のお守りまで入れてくれるな――とは、口が裂けても言わないけれど。
「ねえ殿下? 最近、体は動かされてます? プロキオンも、学園の裏くらいなら文句など言いませんわよ。大した魔物は出ませんから」
「……まあ、君がそこまで言うのなら」
「本当? ありがとうございますわ。早速、先生に許可を貰いに行きませんと」
シリウスが頷くまでの間など気にせず、単純に彼が頷いたことを喜ぶアステリア。
惚れた弱みとはよく言うが、どうして自分は彼女の欠点さえも愛しく思えてしまうのだろう……。と、夕日か婚約者か、眩しいものを見るように目を細めるシリウス。
もし彼らの従者がこの場に居たのなら、どうでも良さそうにしていた違いない。




