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【8】
ラジオカセットから昔の名曲が流れる。扇風機がぬるい風を掻き回す中、染野は部屋の窓辺に腰掛けていた。任務と任務の合間、夏らしい日差しが降り注ぐ中で彼と日折は過ごしている。日折の方は課題を進めているらしく、椅子に座って机に向かっていた。
「……飾身、仕事のこと考えてるでしょ」
「それだと、何か不都合が?」
「……どうせ数時間で次の仕事でしょ。休んだら」
珍しく日折の言っていることの方が合理的であった。隊長格である染野は多忙であり、生活の殆どは仮眠と仕事に殆どを割かれる状況にある。思考をリセットする為には、考える時間と休む時間を分けるのが一番だろう。
「腑に落ちない点が多過ぎる」
「それ、今考えて解決することなの」
「……少しは」
「……そう」
頑固にならず、日折の方から会話を終える。今までは埒が明かないとやむを得ず会話を終了していたものの、今回は早めに話が終わった。これは何らかの心境の変化があったからか、それとも染野の扱い方が分かってきたからか。
日折が課題を終えたようで紙をクリアファイルにしまう。
「……飾身って、考え事する時はいつも窓辺に居る」
「外のごちゃついた景色を眺めてると、捗るんだ」
「どういう理屈かは知らないけど……昔からそうだった」
そう言って回顧する日折によって時計の針が巻き戻される。染野がまだ組織に、蓮向かいに加入する前の物語。およそ九年前のことであった。
薄曇りの空の下、白い内装は陰りで灰色に変わる。当時九歳から十歳程度の染野は窓際に腰掛け、少しも動かずに外の様子を観察していた。廊下や外からはかすかに子供がはしゃぐ声が聞こえるが、彼がそれに反応することはない。
ふと、彼が手元の手鏡の角度を変える。
『……』
軍隊で習うように鏡を用いて視認し辛い角度を確認する。それは単なる子供の遊びというよりは訓練、日常的な業務。染野はミスをすることなく、誰に言われたわけでもなくそれを実行する。そこに意味はあるのか、果たしてないのか。
ふと染野が手鏡を傾ける角度を変えると、そこには姉の日折が写る。部屋に入って彼を見つけた彼女は十二歳程度。今と異なり髪は短い。
『飾身、教室行こうよ』
『……持ち場を離れるわけにはいかない』
『持ち場って何。飾身、ここで勉強したことないでしょ』
『指示もないから』
露骨に不満そうな顔をする日折に対し、染野は彼女を直接見ることもなく監視を続けている。それは余りにも失礼な対応だが、彼からすればやるべきことをやっているだけだった。不機嫌そうな足音を奏でつつ、日折が彼の側に立つ。
『もうお父さんは居ないんだよ』
『だから待機してる』
『……しなくていいのに』
『……機嫌が悪い時は』
染野がズボンのポケットを漁る。現在の彼よりもずっと機械的な彼でも日折が不機嫌であることは分かるらしく、彼なりに何かをして解決しようとしているようだ。だが、それが効果的なのかはやってみないと分からない。
染野がポケットから二枚の千円札を取り出す。
『これで何か買えばいい』
『私を何だと思ってるの?』
『……今月の手持ちはこれだけなんだけど』
『額の話なんてしてない』
染野は策が失敗したことを分析しながらお札をポケットにしまい、表情を変えずに外を眺める。外のグラウンドでは施設の子供がボールを持って走っていた。染野や日折と同じ諸事情で親の居ない子供達。しかし、その差は雲泥であった。
『……俺は何をすればいいんだ』
『好きにすればいい……でも、これは違う』
『この施設で腐ることは……多分、俺の望みじゃない』
グラウンドの少年達がボールを交互に蹴る。彼と同い年くらいの子供達が活発に振る舞う中、染野はただ何をすべきかを考えていた。本来なら、あの中に混ざっても良いというのに。
『……私は……私達が幸せならそれでいい』
その言葉を聞いて、彼が何かを思い付いたのか顔を上げる。それが良い考えである可能性は低い。人間性に欠け、あり方が人間と言うよりも虫やウイルスに近い染野が名案を出すとは思えない。
それでも、彼にとってはそれが唯一の名案だったのだ。
『それだ』
そう言って染野が腰掛けていた。窓辺から降りる。日折の方は彼が何を考えているのか分からず、彼を引き留めることも叶わない。自身の名案に従う染野は部屋の外に向かう。
『どこ行くの?』
『試したいことがある』
染野と日折の生活する養護施設、その屋上。一人の羽織を着た青年が染野の前に立っている。彼の放つ威圧感は相当のものであったが、染野がそれを意に介すことはない。関心がないからだ。
故に、物怖じせずに話す。
『条件付きでお前の組織に入る。取引だ』
『……正気か?』
彼がそう言うのも当然のことだろう。彼の目の前に居るのは正真正銘の司祭だ。しかし、それでもまだ十歳程度の子供でしかないのだ。羽織を着た青年が難色を示すのも無理はない。
『姉さんの新しい経歴の用意と、俺の選んだ学校に入学させること』
『いや……どういう発想だそれ』
『俺は司祭だ。それなりに戦える……稼ぎたいんだ』
染野はまだ余りにも幼い。しかし、既に一国を滅ぼせるだけの力を所持している。司祭はなった瞬間から規格外の力を与えられ、同じ司祭くらいしか止められない。人手不足の蓮向かいからすれば喉から手が出る程に欲しい戦力だ。
だが、羽織の男は納得していない。
『何て馬鹿なことを……お前はいつか、それを後悔するんだぞ』
『……稼ぐことを?』
『違う!何の為にもならないことに、時間を使うことだ!』
『……いや、あの人の為になる』
染野は表情を一切変えずにそう言い切る。日折の為に、彼女が幸せでまともな人生を送れるようにできる限りの物を贈る。それが彼の選択だった。自分の為ではなく他人の為に、精一杯の望みを伝えたのだ。
余りにも堂々とした彼の姿に、羽織の男は呆れてしまう。
『普通に、幸せになるべきなんだ。姉さんは』
彼は無表情でそう言った。
『……それもまた人間、か』
『ん?』
『こっちの話だ。いいぞ、取引成立だ』
商談が成功する。彼の長い沈黙が思考の難しさを示していた。組織からすれば喉が手が出る程に欲しい戦力。しかし、『普通の』人間であれば彼を加入させることには抵抗がある。それは妥当な躊躇であった。
羽織の男が頭を掻く。
『俺は藍川、藍川鈴。今日から俺がお前の師匠だ』
『そうか』
『……とはいえ、俺も師匠から一人立ちしたばかりなんだが』
そう藍川がぼやく。例えるならば社会人二年目に入って、入社した後輩の面倒を見させられるような気分。教えられる程の実力がない状態で指導をやらされるのは悲劇だ。しかしそれでも、一応彼は師から学び終えたのだ。
『まあ……助けた以上、これも縁か』
『……』
『組織最強の男の一番弟子。損はしないぜ』
まだ粳部音夏が組織に加入していなかった時代。交代前の『最強』がそう告げる。彼は唯一、二人の最強と共に過ごし弟子となった時代の証人なのだ。最強の戦いをその目で見届けている。
時間は現在に戻り、風が生ぬるい空気を掻き回す。大きな雲が通過したからか自然と大きな影が生まれ、常人からすれば気が遠くなるような暑さが緩和された。しかし、それは司祭からすればどうでもいい話だ。
「……結末がどうだろうと後悔しない。俺は選んだ」
「……」
「あの時はそれが最善だった。そこに嘘はないから」
染野が過去を振り返り終えてそう断言する。彼は事実だけを認識して判断する都合上、後悔というものを基本的にしない。全てはただ『起きた』ことであり、それ以外に価値はないと認識しているからだ。
日折がようやく口を開く。
「……どうして、誰かの為にしか生きられないの?」
それは余りにも重い問いであった。彼のそもそもの動機の、更に根幹の部分。不器用な染野がそれに気が付くことはまだできない。これから先、更なる経験を積んだ彼であれば答えられるのかもしれない。
しかし、それは今ではなかった。
「だって……それしか」
言い淀む。
「思いつかなかったんだ」




