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ガランドゥ『仮想現代戦記』  作者: 扇屋
赤の火鼠 第6話『男は分かれ道に立ち』

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208/211

6-4

【5】


 屋上に駆け上った希代は、屋上の縁に立ち尽くす犯人と向き合う。もう逃げ場はない。

 男は希代を一瞥すると、迷いなく助走をつけて飛び出し隣の建物の屋上に着地する。特撮もビックリのアクションだが、安全性の保証はまるでない。動物の生存本能で無茶をする犯人に呆れつつ、希代は司祭の身体能力で相手を追う。

「ったく!無茶するぜ」

 普通の警察相手ならまけたのかもしれないが、今回は相手が悪かった。命がけで跳んだ犯人に対し、希代はスキップするような感覚で隣の建物に移る。更に別の建物へ行こうとする犯人へ距離を詰め、事件を終わらせようとしていた。

「幕引きなんだよ、こっちも暇じゃねえんだ」

 遂に逃げられないと観念した犯人が地を蹴って彼へ距離を詰める。掴んだ少年を放り投げたのと同じ手が、今度は希代の喉元に伸びる。だが、希代の体はそれよりも早く沈み、男の腕の下を潜り抜けていた。

「は……速っ」

「そりゃお前と比べればな」

 体勢を崩した男の足を、希代が軽く払う。たったそれだけで男の体は浮き、コンクリートの上に背中から落ちた。骨が軋む音がしたが、希代の力加減は正確だった。別に死なせない、立てなくする。その境界線の上を彼は迷わず踏んでいる。

「がっ……あ」

「殺人未遂、現行犯ね。余罪については後で」

「……」

「あと、落とし物届けてやれなかったみたいで悪いな」

 希代が淡々と告げながら、手錠を取り出す。男は何が起きたのか分からないという顔のまま、抵抗する力すら残っていなかった。だが、力では敵わないということだけを理解すればいいとすぐに切り替える。

 そして、男の表情が変わったのはその直後だった。

「……は」

 手錠が掛けられる寸前、男は薄く笑う。それは余裕からくる笑みではない。何かを諦めた人間特有の、空虚な笑みだった。

「あー……もう、いいわ」

「えっ?」

 男が体を捻り、転がって希代の腕をすり抜ける。司祭の速度に抗えるはずがないが、希代の意識は手錠と犯人確保の方に向いていた。一瞬の隙。そっちに行けば落ちてしまうという常識的な考えの甘さ。

 男は勢いのまま建物の屋上から転がり落ちる。

「ちょっ……!」

 逃走ではなかった。男はそのまま何の躊躇もなく身を投げる。このまま勝ち逃げするつもりなのだ。負けるくらいならばこのままゲーム機の電源を落とし、何もかもを中断させる。そして、もう二度と目覚めるつもりはない。

「待っ……!」

 希代が伸ばした手は空を切る。男の体は屋上の縁を越え、何もない夏の空へと落ちていった。

 地上で少年を抱えていた染野は、その光景を黙って見上げている。特に何の感慨もなくただポカンしながら見つめて、無抵抗の犯人が地面に直撃するのを待っていた。染野が手出しすることではないからだ。

「……」

 落ちてくる男を、染野はただ目で追っている。助けに動く気配はない。それは彼の中で当然の判断だった。

「(このままなら死ぬな)」

 マニュアルにこの状況の対処が載っていないからなのか、それとも彼が試しているのか。だが、もし仮にマニュアルに載っていないのならば、それは彼の中で選ぶ必要がないということでもある。染野にとって、これは単純な引き算だ。一人が死に、事件が終わる。それ以上の意味を、彼は見出していない。

「ざけんなッ!」

 その声と共に、何かを蹴る音がした。とっくに飛び降りていた希代は壁と電信柱を蹴って加速する。重力に従って落ちていく犯人よりも速く、希代の体は加速し遂に追いついた。彼は着地すると取り押さえた犯人を鮮やかに地面に倒し、後ろ手に手錠を掛ける。

「逃がしゃしねえよ、楽な方には」

「……はあ」

 地面に降ろされた男にはもう、抵抗する気力も逃げる気力も残っていないようだった。早かれ遅かれ同じ結末になるというのに、希代は犯人を死なせない道を選んだのだ。染野は被害者の少年から離れると、希代の方へ少し不思議そうな表情で近寄っていく。

「……良かったのか?見捨てなくて」

「ああ、隊長」

「そいつは既に死刑のラインを超えてるんだぞ」

「……まあ、今までの罪状的にはそうですね」

 少年を殺せなかったからと言って犯罪を一度もしていないわけではない。今までの積み重ねからは逃れることができず、法の下で平等に裁かれる。その犯人はとっくに一線を越えてしまっていたのだ。

 染野の問いに、希代は淡々と答える。

「お前が救おうと救うまいと、そいつは死ぬ」

「……でも、せめて人の手であって欲しいと思います」

「慈悲には見えないな」

「そりゃ、正しさを求めてるだけですから」

 希代は男を担いでから、ふと染野を見た。彼は犯人を憐れんでこんなことをしたわけではない。ただ純粋に、彼の遵法精神がそうさせたのだ。こんな化け物が闊歩する時代だからこそ、希代は正しさを捨てようとは思わない。

 同じ死でも、それは正義を守ろうとする人の手によるものであって欲しい。死刑台のスイッチが人の手で押される理由も、きっとそこにあるのかもしれない。

「隊長、止める気なかったんですか?」

「ない」

「……あっ!俺を試しましたね!?」

「良い機会だったしな。勉強になった」

 即答だった。希代は一瞬だけ不満そうにするが、それ以上は何も言わない。聞くまでもなく、彼がそういう人間であると分かっていたからだ。染野が追っているホシをみすみす逃す筈がない。希代の出方を伺っていただけだったのだ。

「(まあ、こういう人か……)」




【6】


 その日の夜、蓮向かい本部のオフィスはいつも通り無機質な静寂に包まれていた。地下数キロという深さにあることは理由ではない。ただ純粋に、希代しかその場所に居ないからだ。希代は報告書の作成を終え、椅子の背にもたれて伸びをする。

「……はあ、やっと終わった」

「そうか」

「うわっ!?……隊長、いつからそこに」

 振り返ると、扉の前に染野が立っていた。手にはコンビニの袋を提げている。中身は分からないが、今日の彼にしては珍しい行動だ。ビニール袋には、蓮向かいの基地内にある売店のマークが印刷されていた。希代は身構えるように椅子から立ち上がる。

「何か……問題でも」

「捜査の方は警察が引き取るそうだ。今日の働きは評価する」

「あ、ありがとうございます」

「それと」

 言葉を探すように、染野の視線が一瞬だけ床に落ちる。普段、彼が何かを言い渋ることなど無い。希代はその僅かな違和感に気付いたが、口を挟まずに待った。

 冷蔵庫へと歩き出すとようやく彼が喋り出す。

「……お前が組織で何をしたいのか、聞いてなかった」

「えっ」

「お前を部隊に編入した時は、経歴を軽くしか見てなかった」

 染野は袋から業務用の麺を冷蔵庫に詰めた後、ペットボトルを二本取り出すと片方を希代に渡す。お茶だった。気遣いというよりは、何か形式が必要だと思っての行動なのだろう。粳部に言われて色々と考えた結果がこれなのか。

「……今、ですか?」

「都合が悪いなら言わずともいい」

「いえ……大丈夫ですけど」

 希代は受け取ったペットボトルの蓋を開けながら、少し笑った。隊長が部下のことを、こんな風に真正面から聞いてくることがあるとは思わなかったのだ。それも、データではなく本人の言葉で。

 染野がソファの縁に腰掛ける。

「学生時代の話からで良いですか」

「構わない」

 希代が息を吐く。窓のない部屋の蛍光灯の下、二人だけの時間が静かに始まった。本来であれば息苦しくなりそうな状況だが、そうならないのは染野の姿勢が普段と少し違うからだろう。希代の方もそれを感じ取っていたらしい。

「……昔は今とは違って、真面目とは言えませんでしたね」

「……」

「口答えするし狡賢かったですし」

 希代は最初から今のように真面目だったわけではない。様々な変遷を経てこうありたいと選んだのだ。それが正解なのかは誰にも分からないが、彼は今日も自分の道を信じて犯人を死から救った。

「でも漠然と、正しさを考えるようになった。友達の影響ですがね」

「友達?」

「高校の頃からそいつと話してたんです。正義について」

「高校生はそういうものなのか?」

「俺達が変なだけで……ああ、隊長学校行ってませんでしたね」

 染野に学生のあれこれは分からない。一度たりとも学校に行ったことのない彼は、希代の思い出を思い浮かべることは叶わないだろう。幸い、女子校については姉のおかげで何となく概要を理解できているが。

「悪意と建前だらけの世の中で、正義を考える奴なんて俺達くらいです」

「……前職の交番勤務はそれが理由か?」

「それもありますね。給料の話もありますが……」

 世界情勢や景気も関係するのだろうが、インターネットの登場は悪意の拡散と驚くほど相性が良かった。人が一生に振りまける悪意の範囲には限りがあるが、ネットはその限りではない。正に悪夢だ。

「でも、世界が悪意だらけでも……従いたくはなかった」

「……せめて自分だけは折れずにいたい、か」

「ええ、それで蓮向かいに賛同したんです」

「……そういうものか」

 染野は本心では、希代の心の一割も理解できていないのかもしれない。白紙に近い彼の心には鮮烈過ぎる色をしているのだ。だが、何となくでも漠然と理解できるものはあるのだろう。例え人間の模倣をするだけの彼でも、真似る内に学ぶことは往々にしてある。

 染野が天井を見上げた。

「お前を真似たら、立派な人間と認められるかな」

「えっ?あー……俺融通が利かないこともありますよ?」

「そうか。言ってみただけだ」

「……でも、真似ただけじゃ解決にならないのでは?」

 鋭い言葉が染野の胸に突き刺さる。ソファから立ち上がった彼は自分のオフィスの出口へと向かって歩き出した。希代に背中を向けたまま。

「だから厄介なんだ」

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