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【10】
「……そんなに状況悪かったんだ」
「できることはやったんですがね」
「だとしても……私に言われても借金はなあ」
デパートの屋上。どんよりとした鈍色の雲が視界いっぱいに広がる中、染野と亮子は同じベンチに並んで座っていた。思い悩む亮子に彼が話している内容は何一つとして真実ではないが、彼女がそれに気が付く理由はない。
梅雨が終わり夏が始まろうとしているというのに、今日は肌寒かった。
「このままじゃ……姉さんの学費が払えないんです」
「……」
「亮子さんなら、何か良い稼ぎ方知りませんか?」
「まともじゃない稼ぎ方ならね……友達に話せはしないよ」
彼女がやっていることはただの末端の売人だ。例え友人の弟だとしても、話すことは身の危険に繋がってしまう。真実は決して明かせない。だがしかし、亮子が今目の前にしているのはあの染野なのだ。
ここで半日以上前に遡る。
『地域の監視カメラの記録と、例のウェブサイトのアーカイブ集めたよ』
『進捗は?』
『何とか連中の大麻畑らしき拠点、二つ特定したー』
釣り堀にて、新聞紙を読むふりをしているシルバー7に対して染野は釣り竿を握っていた。まだ陽が昇っていない早朝に、彼らは偶然を装って情報交換を行っている。彼女は間抜けなようで実際のところは頭脳派であった。
『連中、データセンターと温水プールで栽培してるね』
『よくやった。本拠地はまだ不明か?』
『そいつは無理……奴ら考えて設営してるわあ』
『そうか……俺に考えがある』
『……考え?』
栽培の拠点を抑え、そこで従事している人間を逮捕することは重要だ。しかし、それでも逮捕できるのは中心人物ではない。重要な拠点の管理を行う彼らはそれなりに信頼されているのだろうが、替えは利くのだろう。
『島亮子に本拠地まで案内させる……』
『行けんの?末端にそこまで手札を明かす?』
『彼女は末端じゃない。恐らく、組織内で売人をまとめてる』
『……確かに、一つの組織に長期間属してる。珍しい』
犯罪者というのは長期間同じ環境に留まることができない。それができるのであればここまで落ちぶれることもないのだ。だが、島亮子は何年も組織に属して違法薬物を販売している。そこに鍵がある。
『本拠地は俺が単独で制圧。同時に、お前と希代で畑を制圧』
『まーた荒事か。まっ、別にいいけどね』
『日時については追って連絡する』
『隊長、女たぶらかすの上手いけど、組織で習ったの?』
証拠隠滅をさせない為に、畑と本拠地の両方をいっぺんに制圧する。司祭や法術使いを雇うほどに警備に気合いを入れている連中なのだ。抵抗については既に想像できている。ならば、彼らも手は抜けない。
彼女の舐めた質問にも彼は真面目に答える。
『諜報部門に在籍していた。研修はやった』
『あんまりやり過ぎると自分を見失うよ。気にしてないだろうけど』
『……自分を?』
『あと……島亮子の兄の調査結果だけど』
「お願いします!姉さんのこれまでを無駄にしたくない……」
「……でも」
卑劣な戦術が亮子を襲う。彼女の好意を利用した悪辣な手段に、亮子の判断力が低下していく。ここで見捨てれば友人とその弟は金銭的な問題を抱え、彼女の下を去るであろう。それは彼女が望んだことではない。
「……強盗の手伝いをしないかって誘われてるんです」
「なっ何でそうなるの!」
「親父の知り合いの半グレがとにかくしつこくて……」
だが、それは全て嘘である。染野が彼女に説明した内容はでたらめでしかなく、亮子の感情を揺さぶる為の毒であった。彼は着実に駒を前へと進めて行き、彼女をゆっくりと取り囲むわけだ。
少し間を置いてから彼が話を再開する。
「やっぱり……もう姉と逃げるべきなんですかね」
「えっ?」
「全部捨てて……関西で隠れ住むしか……」
その時、彼女が染野の腕を掴む。強く頼んだ後に敢えて引くことによって相手を誘導する手法。カビが生えたような古い手法だが、亮子にはこれが有効であった。これが硬直した状況を変えるわけだ。
「わ、分かった!……私の仕事、紹介する」
「……本当ですか?」
「碌なもんじゃないよ……後悔するって言っても、無駄だよね」
【11】
「一緒に働いてる人はどんな人ですか?」
「悪魔みたいな売人……でも、私の相手してくれるのは奴らくらい」
入り組んだ路地を二人が進む。何度も開発されたであろう場所は階段があり、路地裏だというのに小さな橋が重なったりもしていた。空は沢山の電線が塞ぎ、まるで網のように線を結んでいる。
亮子は目線を下げ、いつもと違う寂しげな声で話す。
「死ぬほど嫌い……でも、居場所はあそこにしかなかった」
「……」
「本当にいいの?……儲かるからって」
「……背に腹は代えられませんし、やりますよ」
彼を犯罪組織に引き込んでしまったという罪悪感が、亮子の中に残っている。流され続け、それでもどうしようもない状況で兄を救おうとした結果が彼女の顛末だ。だが、彼女は決して自分から離れることができない。
彼らは通路の更に奥へと進んで行く。
「……君を巻き込みたくなかった」
「乗りかかった船です。最後まで付き合いますよ」
「こんな風になっちゃ駄目って……言っても無駄だったかな」
染野が無理に言い寄ったからではあるが、亮子は当初彼を引き込むつもりはなかった。単なる友人として、ただ心の内を明かせる人物として彼のことを扱っていた。だが、今はより深い場所に居る。
暫く歩いて地上に出た後、目的地に着いたのか彼女が足を止めた。
「ここが拠点だよ。当たり前だけど人に言わないでね」
「ええ、『到着』ですね」
染野の耳元にある無線機は正常に動作している。その音声はマイクから拾われ、別の場所に居る誰かに届くことになる。その結果どうなるかについては、染野達しか知らないだろう。
二人が寂れた工場の前に立つ。外見からでは稼働しているかどうか分からないが、看板はまだ下げられていない。亮子がインターホンを押すと、暫くして誰かが応答した。
「はい、田無印刷所です」
「どうも、青いインク余ってたら貰えますか」
「はい……横の子供は?」
「リーダーに話した新人……紹介に来た」
そう返した後、相手からの返事が来ることなく暫くして扉の鍵が開錠される。最初は普通の印刷所を装っていたというのに、染野を見た途端にこの反応だ。組織を維持する為に警戒を怠らない方針を、最後まで維持できれば結末は変わったかもしれない。
二人が廊下を進む。
「付いて来て。はぐれちゃダメだよ」
「分かってます」
廊下を抜けた扉の向こう側では、エプロンを着た何人かの開発担当がスポイト片手にシャーレと睨み合っている。新しい薬物の開発に追われているのか、ピアスやタトゥーが入った小うるさい見た目の人物が静かに作業をしていた。
男達が彼女を見る。
「よお島、こっちに来るなんて珍しいなあ」
「うるせえ、積もる話があんだよ」
「丁度、こんなに勤めてるのはお前くらいだって話してたんだ」
話しかける彼らを適当にあしらい、彼女は二階へ進んでいく。階段を上る途中、見下ろした染野は男達が大麻を弄って加工しているのを確認する。とんでもない犯罪が現在進行形で行われているのだ。
亮子が小声で囁く。
「こいつらは薬の成分を調整してんの。安全になるように」
「安全ねえ……」
階段を上り切った二人はすぐそばにある部署の入り口に立つ。亮子が壁を軽くノックすると、奥に立っていたいかにも主犯格といった出で立ちの男が反応した。その部屋には他にもパソコンに向かう半グレ達が居り、壁際には用心棒風の男が立っている。
「ほら、話してた子だよ」
「ああ!亮子じゃないか!久しぶりだなあ」
「奴が?」
「うん、リーダー」
その笑顔は詐欺師特有のものなのか、それとも性根からイカれているからなのか。心底歓迎しているような態度のリーダーは二人の下に向かい、遅れて用心棒も付いて行く。彼は今、竜の胃袋に居るのだ。
「新人を紹介したいけど、今日は先に兄の話を……」
「彼かあ……最近忙しそうでね。電話に出る時間もないんだ」
「休日くらいはできるでしょ……!」
「ウチと、あっちの部門じゃ状況が違うからねえ」
平行線の会話をする中、用心棒がゆっくりと近付いていく。染野は彼から目を逸らさず、相手も染野から目を逸らさない。他の誰もが染野を疑っていないが、その鋭い眼光は彼の中の残虐性を見抜いている。
そして、確信に至る。
「……始めるか」
「大将!こいつ司さッ……!?」
先に動いたのは染野であった。相手が司祭だと見抜いた彼は即座に用心棒を蹴り飛ばし、窓を突き破って外に落ちていく。パソコンを弄っていた半グレ達も驚き立ち上がるが、反応が終わるよりも先に染野が頭を殴り昏倒させる。
一人が逃げようとするも、漁火のワイヤーで首を掴んで引き寄せ殴った。簡単なお仕事のように見えるが、力の加減は非常に繊細だ。
亮子は目の前で起きていることを理解できない。
「えっ?……えっ?」
「間違いない……こいつは!」
『祭具奉納、啜り捧ぐは露の盃』
「司祭だ!」
『削身噛身切』
染野が祝詞を唄い上げ、その手に白い手袋の祭具が嵌めれる。リーダーの男は懐から銃を引き抜くと即座に彼へ発砲するが、彼は避けずに全て顔で受け止めた。司祭に通常兵器が通用しないということは常識だが、それでも恐怖から人は撃ってしまうものだ。
錯乱した亮子が撃ち続ける彼の腕を掴む。
「止めて!?」
「君はどっちの味方だい!」
「ここで撃つな……跳弾するとマズい」
どこでも撃つべきではないということはさておき、染野の権能が発動するとリーダーの持つ銃が破損する。銃の『骨』である銃身の部分は壊れていないものの、その他の部位が消えて機能しなくなったのだ。彼の手から銃が落ちる中、染野の弱点により首元が反動で傷付く。
それと同時に、火かき棒を持った用心棒が窓から飛び込んでくる。その反対からは妙な老人が現れ、この状況でも何も気にしていないようで平静そのものだった。染野は彼らが只者ではないと既に理解している。
「そいつは司祭だ!生かせたら生かしとけ」
「司祭は高く売れるからな……まあ、この状況じゃ殺すが」
「ほほほ、しくじったな若造」
「司祭と……法術使いか。全員逮捕する」
蓮向かいは組織の方針的に殺人を行うことはなく、基本的に全員を活かして捕縛する方針である。その為、染野も重傷を負わせることはあれど殺人は行っていない。だが、相手はそんなことなどお構いなしだ。手加減を強いられる染野は不利だろう。
「司祭第二形態!」
司祭が一線を越える。赤い結晶が体を突き破る中、本来の身体能力を凌駕して彼が進む。染野は老人に漁火を投擲しつつ、反対から迫る司祭に対し手から層展乱雷を放つ。
だが、司祭はそれぞれが『権能』を持つものだ。
「(このまま漁火を光らせて……)」
『亡失』
彼がそう唱えた瞬間、染野は自分が直前に何をしようとしていたのかを忘れる。漁火とそのワイヤーは光ることなく一直線で進み、老人の法術使いはそれを簡単に回避すると染野へ迫る。司祭の方は層展乱雷の電撃を容易く躱し、思い切り火かき棒で殴る。
「(?……今何をしようとしてた?)」
「曖昧だろ!自分が!」
打たれた染野が怯むもすぐに動き、反撃の拳を打ち込むがそれは火かき棒で受け止められる。瞬きをする間に打ち合いが続き、彼のカウンターの手刀が忘却の司祭の腹を斬った。染野はそのまま権能で彼の足の肉を噛み千切り、反動効果で額から出血するものの戦う。
だが、そこで背後から老人が迫る。
「(こいつ何かあるな……直接攻撃は避けるか)」
染野がそう判断した時、忘却の司祭の権能が発動する。彼の意識が一瞬だけ無となって硬直した直後、彼は反射的に至近距離の老人へ拳を繰り出した。だが、直撃しても老人にダメージはなく、異様な強度の彼は法術を発動する。
「呼縛散宣!」
「あッ?」
刹那、染野の体を大きな鉄の輪が縛り上げると、忘却の司祭が火かき棒で思い切り殴る。息の合った連撃が強力だというのは言うまでもないが、問題は忘却の司祭の権能にある。染野は自分を縛る鉄の輪に権能を使って芯以外を削ると、気合でそのまま引き千切った。
「(俺の権能『夢舞台』は直近の記憶を一時的に消す)」
「(相手は格上。でも、こいつの権能があれば問題ない)」
「……また、面倒な奴ってことか」




