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ガランドゥ『仮想現代戦記』  作者: 扇屋
赤の火鼠 第5話『水面は今も穏やかで』

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201/211

5-3

【5】


「はあっはあっ……逃げ切ったあ!」

「島さんが逃げる必要ありました?」

「いいじゃん話したかったんだし!あと苗字で呼ばないで」

 繁華街の端で染野そめの亮子りょうこが足を止め息を切らす。人がまばらになった通りに警察の姿はなく、二人は上手く逃げ切ったようだ。彼女は笑顔のまま呼吸を整え、路地の入り口で壁にもたれ掛かる。通りの明かりが差し込む路地は光と影の境界線、彼らはその合間に居た。

「じゃあ……亮子りょうこさん」

「そういうこと。日折ひおりちゃんより素直だね!」

「あの人、相当頑固ですから……」

「でしょ!筋金入りだよホント」

 日折が頑固という点だけは彼も本心で言っていたのかもしれない。とはいえ彼女は本来そこまで頑固な性格ではないのだが、こうなっている原因の半分は彼にあるだろう。しかし、彼はそれを分かっているのかいないのか……全ては曖昧である。

飾身かざみ君は何の仕事してんの?」

「まあ……色々です。説明難しいですけど、一応ブルーカラーかな」

「ブルー……青?よく分かんないけどやましいやつ?」

「そういうわけじゃ……でも、夜も朝も駆け回ってます」

「……私も似たようなもんかな」

 染野に定時の概念はない。深夜の業務は手当てが付くが、いつも決まった時間に仕事を終えられるような仕様ではない。彼はどんな状況でも仕事を投げ出すことができず、厚い福利厚生の代わりに常に不安定な生活を送っていた。

「自分に裁量があるって言っても、結局は稼がなきゃいけないし」

「儲かってます?」

「どうかな……殆どは『支払い』に持ってかれるけど」

 それはまるで賽の河原のように。積み上げても積み上げても崩され、彼女はこうして毎日稼いでいく。いつまでも稼げるわけではないが、それでもできることはどうせ限られていた。

 染野が彼女の隣にあるゴミ箱の蓋に腰掛ける。

「日折ちゃん、よく働くの認めたね?」

「認められてはいませんけど……勝手にやってます」

「ははっ!怒られるぞー」

「実際、小言まみれですよ」

 それでも染野は彼女同様、止まらない。認められもせず怒られ、それでも彼はこうして任務に身を投じ報酬を受け取る。誰に頼まれたわけでもなく、歯車として組織の中で回り続けていた。

 とはいえ、少し前の彼とは違うのかもしれない。

「でもお姉ちゃん女子校なのに、良いとこの出じゃないの?」

「良いとこって……二人暮らしで親戚もゼロですよ」

「あー……想像できる。昔も私はそうだったし」

「……昔?」

「いやまあ、よくある話だよ」

 この世界で不幸話というのはありふれたもので、人には人の地獄がある。わざわざ話すことでもないし、かと言って細かく問いただすほどのものでもない。特にこんな町では吐いて捨てるほど多いだろう。

 亮子が路地の奥にある自動販売機の前に立つ。

「何か意外だなあ……割と身近な存在だったとは」

 小銭を入れた彼女が炭酸飲料のボタンを押す。しかし、音が鳴ることはなく飲み物が出てくることもない。亮子は不審に思いつつボタンを連打するが反応がなく、別のボタンを押しても反応がない。最終的に彼女は取り消そうとレバーを上げ下げするも、入れた小銭は返ってこなかった。

 染野が彼女の隣に立つ。

「飲まれました?小銭」

「やられた……よく見たらこの自販機すごい古いや」

「ちょっと待っててください」

 そう言うと彼は自販機の取り出し口を覗き込み、状態を一通り確認してから片手を自販機に近付ける。そして目にも留まらぬ速度で小突いたかと思うと、大きな自販機が衝撃で揺れた。人間の目ではほんの一瞬軽く小突いたようにしか見えなかっただろうが、司祭の一撃は弾丸のように重い。

 途端に自販機が正常に稼働し、購入していた炭酸飲料が出てきた。

「わおっ、何したの?」

「これしかないでしょ」

 だが、力加減が悪かったのか頼んでいない飲み物が落ちて来てしまい、続けて二本三本と飲み物が並ぶ。流石の染野も予想外だったのか口を開けて啞然とし、ツボに入った亮子は大笑いをしている。

「ぎゃははは!ブッ壊れた!」

「あー……持って帰ります?」

「欲しいけど流石に駄目だよ」

「そういうとこは意外と律儀なんですね……」




【6】


「対象の家に着いた。そっちは?」

『こちらも待機中。いつでも行けます、隊長』

 強い日差しの中、染野が塀に寄り掛かったまま耳元の無線に話しかける。交信相手の希代きだいの準備はできているようで、これから始まる作戦の首尾は上々のようだった。

 六月の熱気と、雨上がりの湿気が大気に充満している。

「もしもの時は俺の話に合わせろ。何とかする」

『了かあ~い』

『頼むからそろそろやる気になってくれ……』

 シルバー7と希代の呑気な会話がマイクの向こうから聞こえた後、染野は亮子の住むアパートへ歩き始める。これから始まるのは遊びではなく公的機関による捜査だ。それがどんなに意地の悪く卑怯なものであっても、彼らは躊躇などしない。

 彼がエレベーターに乗って最上階に向かい、迷うことなく角部屋へ進んでいく。そしてインターホンを押すと、すぐに家主の女は扉を開いた。

「不用心ですよ……」

「ちゃんと覗いて確認したもん。入って!」

 亮子は不用心に彼を招き入れ、上がり込んだ染野は居間に向かう。一人暮らしらしく物が散らかった室内は床の面積が少なく、まず部屋の掃除から取り掛かる必要があるかもしれない。だが、彼が今日来訪した理由はそこではない。

「いやー助かるよ、税金に詳しい友達が居て」

「歳下に確定申告のこと聞くのはどうなんですかね」

「細かいのはいいの!今年はトラブらずにやりたいし」

「はいはい……五階は眺めが良いですね」

 老朽化しつつあるアパートの上層階からの眺めは、灰色の街並みと遠くの川が占めていた。どんな場所だろうと、高ければ眺めが良いと思ってしまうのは人間の本能なのかどうなのか。

 亮子がカーテンを開けてより見やすくなる。

「最初はいいけど後は飽きるよ。あと問題だらけだし」

「問題?」

「お湯が出にくいの!上の階って水圧が弱いから!」

「ああそういう……」

「それより、早くやり方教えてよ」



 そして、二時間程度が経った。机の上にはいくつもの用紙や税金に関する資料が散らばっており、亮子はあまり納得していなさそうな表情をしながら、用紙と睨めっこをしている。染野の方も教え疲れたのか椅子の背もたれに寄り掛かっていた。

 彼女が指を鳴らす。

「つまり、これは契約の記録を保管しないといけないってこと?」

「そういうことです……」

「よし!これで全部理解できた!」

「わあもう二時間経ってる……」

 亮子が凝った体をほぐそうと伸びをする。長時間こんな話をずっとしていれば凝りもするだろう。よく投げ出さずに耐えられたものである。染野の方も長話がようやく終わったことで立ち上がり背を伸ばす。

 その時、不意にインターホンが鳴る。

「あれ、何か来ちゃった」

 玄関に向かう彼女の背を染野が追う。唐突な来訪者の素性を亮子は知らず、知っている染野は素知らぬふりをしつつ離れた場所で見守る。彼女がドアスコープで外を確認すると扉を開いた。

 そこに居たのは作業着を着た希代とシルバー7だった。

「どうも、マルハシ水道です。水圧の検査に参りました」

「ああそうだった……入ってどうぞ」

「失礼しまーす」

 二人は工具を持って室内に上がり、亮子は扉を閉じて彼らを案内する。染野を横切る彼らは反応を一切示さず、仕事として他人のふりを突き通していた。染野も同様によそ行きの演技を続けたままであった。

 亮子が水道業者に説明をした後、彼の下に駆け寄る。

「やばい。水道業者来ちゃった……ウチ、やけに水圧低いから」

「作業長そうですか?」

「さあ……それよりさっき話してた切手買って来るね」

「えっ?今からですか?」

「今日中に手続き進めたいし。業者の相手お願い!」

 この家の家主ではない上に、初めて来たばかりに染野に頼むのは彼の予想の斜め上であった。普通、こういう状況では来客の彼に切手を買わせに行かせるのが正しい選択だが、彼女の思考は普通ではない。

 亮子が靴を履き始める。

「初めて家に来た人に頼むことですか!」

「まー何とかなるでしょ!」

「気楽だなあ!」

「んじゃ!」

 そう言って彼女は外に飛び出していく。近所のコンビニで切手を買ってすぐ戻ってくるつもりなのだろう。取り残された三人は無言で顔を見合わせ、首を傾げつつもすぐに持ち場に着いた。何も言わずとも分かっているのだ。

 亮子が戻って来るまでの間に彼らは部屋を調べ上げ、棚の裏や物陰に何かがないかを確認する。手早く大体の物を確認し終えたところで染野が口を開く。

「盗聴器はない。家を空けたのは誤算だがこの機会に調べるぞ」

「了解!」

「ウチと散らかり具合が一緒なんだよね……一人暮らしの女だ」

「要らない情報どーも……」

 染野が部屋の隅にあった古いパソコンを立ち上げ、耳元の無線に話しかける。

黄月こうげつ、PCを起動した。バックドアで行ける」

『待ってた!やっと仕込んだ罠が使える』

「九分で全部の記録を取れ。『足跡』も消してな」

『毎度無茶を言うボスだぜ』

 パソコンが起動しログイン画面が表示されると、モニターの表示が崩れた次の瞬間にデスクトップへ移動する。ログインをすっ飛ばし、事前に亮子のパソコンに仕込まれていたバックドアによって遠隔操作が始まったのだ。

 希代の方はと言うと普通に水圧の検査を行っている。

「ハッキングってもっとスムーズだと思ってた」

『馬鹿言え、相手が罠に掛かるまでひたすら待つんだよ』

「……今回は掛かるまで長かったな」

『殆どの罠は未然に防がれた。唯一掛かったのがこれだぜ』

 パソコンの画面が高速で切り替わり続ける。複数のウィンドウが消えては現われを繰り返し、操作している黄月にしか状況は分からない。染野は後は彼に任せることにして机の引き出しの中身を漁り始める。

 その頃、シルバー7は亮子の通帳を財布から取り出して中を見る。

「わあ、貯金が常に一万か二万円くらいしかないや」

「その口座は組織も把握してない。だが結局はすっからかんか」

「麻薬組織の人間の疑惑ですし、やっぱり派手に使ったり?」

「私の所感だと……毎回定額を降ろしてる辺り、借金だね」

 欲望のままに何かを買っているのであれば、引き落としはランダムな物になる。決まった額ではなく、必要な分の金を降ろすことだろう。しかし、彼女は規則性のあるタイミングで決まった金額を降ろす。答えはそこにあった。

「可能性はあるな」

「……本当に水圧低いな。ここ住みたくないですよ」

「真面目に調べてどうすんの」

「適当にやると疑われるだろ」

 希代が持ち前の真面目さを活かして水圧を調べる中、彼らは手早く捜査を進めほぼ全てを調べ終えていた。残るはパソコンの中身というところまで来ている。

 その時、無線から仲間の職員からの報告が入った。

『染野隊長、対象が接近中。残り四分程度で戻ります』

「了解。黄月、まだ記録し切れないのか?」

『あと三分ってとこだ。片付け頼む』

「隊長、元に戻すから手伝ってー」

「ああ。ついでに盗聴器も仕掛ける」

 制限時間が刻一刻と迫る中、染野とシルバー7は動かした物を元の位置に戻していく。その中で彼は盗聴器を仕込んだ二股プラグを本物の二股プラグとすり替え、いつでも亮子を盗聴できるように準備を整える。

 時計の針は残り一分を切っていた。

「一分切ったぞ」

『もう少しだ』

「ヤバい……奴が来るよ」

 最早、猶予はない。黄月が人間離れした速度で情報を処理し、仕込んだバックドアを操作する。そんな中、亮子はアパートのエレベーターに乗り込んだ。もう家主がすぐそこまで来ている状況で、彼らは命がけで任務に挑んでいる。

 残り十秒を切り、パソコンの画面が正常に戻った。

『終わった!』

「電源を落とす」

 即座に電源ボタンが押され、明るかった画面は黒一色に変わる。シルバー7と染野は持ち場に戻り、亮子が玄関ドアを開けた時には彼女が家を出る前と同じ状況に戻っていた。これが訓練を受けた怪物達の動きだ。

「ただいまー」

「どうも、検査終わりましたよ」

 希代がただの水道業者のように振る舞い、検査結果を報告する。

「あっ、どうでした?水圧弱いと思うんですけど」

「はい、弱いです。でも配管の問題じゃないですね」

「やっぱりポンプが?」

「仕様上、水圧が弱くなるので加圧ポンプを設置すべきかと」

 一体どこでそんなことを習ったのかとツッコミたくなるシルバー7であったが、亮子の前でそう言うわけにもいかず黙っている。あらゆる捜査を終えた彼らはただの水道業者として完璧な擬態をし、彼女に少しの違和感も感じさせない。

「管理会社に調査結果を報告しておきます」

「ああ、ありがとうございます」

「それでは、本日はこれにて以上です」

 そう言うと二人は礼をして工具を持つと玄関に向かい、彼女に見送られながら退室する。嵐の後の静けさという風に室内が静まり返った後、亮子は染野の方に踵を返した。

「対応ありがと。何とかなったでしょ?」

「もう勘弁ですよ?」

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