4-5
【9】
日折が彼の腕を掴む力は強い。だが、染野に振りほどけない筈がない。目の前で起きる戦闘に介入することは元の世界に戻るということになる。彼を普通の社会に溶け込ませることは日折の願いであった。だが、彼の願いは彼女と違う。
上に跳ぶ希代に法術の火球が直撃し、墜落した彼が屋根を突き破る。その墜落した場所からは悲鳴が挙がった。
「聞かなかった……見なかったことにして」
「だが……あいつは」
「ただ家に帰ればいい」
一般人は必ずそうする。ここで加勢しようと飛び出すことなど絶対にない。だが、彼にはそれができるのだ。それができるからといってやらなくてはいけないという道理はない。それでも、割り切れるわけでもない。
彼の脳裏にここ数日の生活が過ぎる。
『……何読んでるの?』
『求人。今日、調べに行った』
『……今度、服買いに行こっか』
『……おかえり』
『飾身は明日の天気だけ気にしてればいいの』
あの、のどかな時間を手放してまで手にしようとする物なのか。染野の壊れた天秤が指し示す物は何なのか、彼にも答えは分からない。それがすぐに分かるようなら、彼の人生はここまでこじれることはなかった。
「……」
戦闘の音は依然として止まない。腕を掴まれた染野は脳を全力で回し、答えを出そうと必死になる。彼は何の為に戦っていたのか、何を求めるのか。
彼が日折の腕を振り解いた。
「ごめん」
それだけ言って、染野はその場から消える。予備動作もなく加速した彼は音のする方に駆けて行き、飛び出した標的を捕捉した。ダウンジャケットの袖から飛び出した漁火とワイヤーが敵の首に巻き付けられ、思い切り地面に叩き付けた直後に染野が蹴り飛ばす。
希代が加勢に気が付いた。
「隊長!?」
「説明は後だ」
ワイヤーが自動的に巻き取られると染野の手に漁火が戻る。四人の追っ手が二人を取り囲み、数では明らかに彼らが不利だった。だが実際は、染野という圧倒的な戦力により天秤は彼らに傾いていたのだ。
希代が数日前の出来事を思い出す。
『要するに、闇の物品の不正販売闇市ですか?』
『そういうこと!麻薬や免許の要る薬品までな』
アーガス・ジェットスターと希代が、組織のデータベースがある場所で会話をしている。二人が見ている画面にはある犯罪組織の捜査記録が映っており、証拠の物品が写真として残されていた。
希代が怪訝そうな顔をする。
『そいつらを捕まえると……シンプルそうですが』
『法術使いの集団を雇ってる。対抗組織を暗殺するのさ!』
『……簡単にとはいきませんね』
闇社会で生きるには狡猾さだけでなく力も必要だ。そうなれば数を確保できる法術使いの需要は大きい。彼らは莫大な金を吸い上げ、組織に安定をもたらすことだろう。偶然生まれる司祭と異なり、彼らは訓練で簡単に作れるのだから。
アーガスは椅子に座る彼の顔を覗き込む。
『まあ、死ぬほどは苦労しねーだろ』
『実際に戦うのは俺ですよ?』
『飾身が居なくても、やって見せろよ希代』
「(って……言われたんだけどな)」
希代は染野と背中合わせの状況で自分の力不足を嘆く。彼の権能は炎を祭具の手斧から出すことだが、建物が密集する都市では不向きであり封じられている。彼が弱いというわけではないが、それに頼っている面もあった。
希代が駆け出すと同時に、染野も合わせて動き出す。
「ガキが増えたところで……!」
一人の戦力の増加を気にもしない法術使い二人が染野に応戦する。
「蝶層」
「夢鬼火」
敵の手のひらから無数の蝶の群れが放たれる。幻覚作用のある鱗粉を振り撒くそれらは法術によって作られた物であり、吸えば被害は甚大だ。しかし、染野が放つ夢鬼火がそれに直撃すると爆散し、飛び散る炎が鱗粉を燃やす。
炎の中を染野が突っ切った。
「こいつ……!?」
刹那、もう一人が重光結鎖を発動し複数の光の鎖が染野を襲う。それは複数の鎖で相手の動きを完全に封じる技であったが、彼はそれを華麗に躱すと漁火のワイヤーを伸ばす。それが敵の腕に絡みつくとそのまま引っ張り、重光結鎖の中に引きずり込むと染野は姿を消す。
結果、敵は自分の力で縛られるわけだ。
「なっ!?ぐげっ!?」
縛られたことに気が付いた法術使いが術式を解除しようとしたその時、染野が相手をタコ殴りにすると足を払われ地面に伸びる。もう一人の法術使いが彼を助けようとするも、タイミングが悪かった。
「流光!」
光の玉が集まり、高出力の光線が染野に向かう。直撃すれば火傷では済まない一撃だったが、彼は地面に伸びている男の鎖を引っ張って立たせると盾にして耐える。法術使いは硬化法術で体の強度を上げていたがそれでも限界があった。
男が恐怖して攻撃を止めるが、その隙に距離を詰めた染野が懐に潜る。
「はやっ……!」
瞬間、染野の手元の漁火が激しい光を放ち敵の目を眩ませる。何もできなくなった相手に彼は何度も拳を叩き込み、顎に加えたアッパーカットが決め手となった。
敵が地面に倒れる中、一つの光輪が空を切り裂いて染野を狙う。しかし、そこに割り込んだ希代が光輪を祭具の手斧で叩き割った。
「ご無事で!」
「ああ、そっちも片付ける」
「ほざけ……!」
強化法術で身体能力を強化した二人の法術使いが、人間離れした速度で染野らを襲う。だが、希代の振った手斧から噴き出す炎が視界を覆った途端、姿勢を低くして足下から狙う染野の攻撃を受ける。姿勢を崩した敵の足を染野が掴み振りかざすと、タイミング良く希代の手斧が腹を斬った。
「ラスト!」
振り向き様に希代が敵へ手斧を振う。背後からの攻撃を狙った敵は手の中の光輪を押し付け、手斧と衝突し火花を散らす。チェーンソーのように高速で歯が動き威力は互角だった。
そこに染野の漁火が飛ぶ。
「既に見た!」
敵は片手で漁火を上空に弾き飛ばし、目くらましの閃光が空を彩る。そして、カウンターを狙って漁火が来た方向とは真逆の方向を光線で撃ち抜く。だがそこに染野の姿はなく、彼が必死に目で追うと足下を這うようにして迫る染野の姿が見えた。
「まじ……?」
その低い姿勢からスムーズに繰り出される卍蹴りが敵に直撃し、胴体ががら空きのまま宙を舞う彼を希代の手斧が切り裂いた。これで、四人全員を戦闘不能にしたわけだ。瓦礫が崩れる音が遠くから鳴る中、周囲は自然と静かになる。
「隊長……どうしてです?」
「……さあ、関わらずに帰ることもできた」
目の前の凄まじい光景は、彼にはもう見慣れた非日常という名の日常。その光景に対して特段の感想はない。日折を置き去りにしてここまで来た彼が何を思うのか、この混沌の中に答えはあるのか。
湿気た夜風はいつの間にか渇き、冷えていた。
「ここ、近所なんだ」
「……えっ?」
「……もし、身内がここに居たらと考えたら」
染野の脳内にはあの悲鳴が蘇る。希代が天井を突き破って落ちた時に響いた、あの悲鳴。もしもあれが彼の身内、日折だったら。そんなことを考えた時にはもう、結論は出ていた。
「もうここに居た。これは……人間らしいか?」
彼の間抜けな問いに、希代は間を置いてから苦笑いで答える。
「らしいかは分かりませんが……自分は好きですよ」
「……そうか」
【10】
「釣れてます?おじき」
「目当ての奴以外はな」
雨蓋町のある河川にて、釣り堀に希代とシルバー7がやって来る。既に待っていた黄月は釣竿を手に水面を見つめていた。釣果は微妙なようで、バケツの中で泳ぐ魚の数は少ない。
周囲には新聞紙を被って寝る釣り人が一人居るだけであった。
「都市の河川なんか碌な魚居ないでしょ」
「ところがどっこい。今日から鮎の解禁日だぜ」
「ああ、もう六月でしたね」
「鮎ねえ……食べた事ないや」
食事に興味のない彼女からすれば種類などどうでもいい話だ。全ての魚が同じ見た目に見えているのかもしれない。黄月の釣り糸が震えることはなく、彼らはヒットを待つことしかできない。
希代が周囲を見渡す。
「で、何で呼び出されたんですかね?」
「さあな。でも、あの粳部音夏のことだ」
「私達のこれからについてでしょー」
「そうなのか」
不意に会話に挟まった誰かに三人が気が付く。新聞紙を被って寝ていた男がそれを取ると、そこに居たのは染野であった。黄月が来るよりも早く現場で待機していたのだ。
「居たんかい」
「ボスか。となると、答えは自ずと分かるな」
「いっ、いつの間に……」
「呼び出しを受けて待機中だ」
指示に忠実な彼らしい行動だった。数週間仕事をしていないだけではその『癖』に一切の変化がない。あまり褒められた話ではないが、組織の人間としては非常に模範的なのだろう。
その時、突然誰かの足音が鳴る。
「ぜ、全員集まりましたね」
「あっ先生!」
「最近よく来るね」
「……粳部か」
隻眼隻腕の女が突然現れる。釣り堀に現れるまで一切の音と姿を消して、彼女は突然現れた。染野の登場よりもこっちの方がずっと怖い。
全員の視線が彼女に向く。
「染野さん、この数週間はどうでしたか?」
「長過ぎる休暇だったな」
「……組織に戻る気ですか?」
「……ああ」
黄月はそんなことだろうと無表情で再び釣り竿に向かう。希代の方はその結末に納得できていないらしく、表情には迷いが混じっていた。だが、これでようやく染野隊は完全復活だ。
粳部の表情は厳しい。
「改めて……あなたは何の為に組織へ?」
「戦う理由はまだ分からないが、戦わない理由もない」
「……そう言うと思いました」
「くくっ……それでこそボスだ。分かりやすくて良いぜ」
染野が出した概ねの答えはこれだ。彼らしいシンプルな答えであるとは言えるが、それが本当に正解なのかは分からない。彼は今後も、こうやって目の前の何かに向き合っていくのだろう。
「今はただ、役割を全うするだけで良い」
「……まあ、今はまだそれでいいですか」
彼女は苦笑しつつも彼を認める。未熟な彼に完璧を求めるのは酷な話だ。ここで及第点としておくのが正解なのだろう。粳部の硬い表情が柔らかくなる。
「先生、隊長の復帰を……」
「実は……解雇は実際にはやってないんです」
「そんなことだろうと思ってたぜ」
「じゃあ四千万円は自分のポケットにー?」
「あ、あれは手を付けてませんよ……そのままお返しします」
そもそも、四千万円程度の金で彼のような職員を辞めさせられる筈がない。粳部の芝居によって染野は表向きは辞めさせられたものの、実際は解雇など行われていないのだ。つまり、染野隊は依然として健在である。
「じゃあ、私はこれで失礼しますね……」
踵を返した粳部が釣り堀を立ち去る。すると彼女の体は透き通っていき、最終的には光の粒となって霧散する。原理不明の現象に染野以外の三人は目を丸くした。何が起きているのかがサッパリ分からない。
「おい何が起きた!?」
「あの人幽霊なの?」
「……粳部は多忙だ。世界中に力を分けた分身を飛ばしてる」
「は、話は聞いたことがありましたが……初めて見ました」
粳部がどこにでも一瞬で現れるのはその分身の力によるものだ。彼女は法術を用いて、自分の力を割いた物を遠くに飛ばす。それができるが故に彼女は最強の座に君臨しているわけだ。今まで突然現れた彼女は殆どが分身なのである。
「……変な奴さ」
四人から離れた場所。釣り堀の脇にある小屋の影で、日折が彼らの会話を聞いていた。弟の為なら何だってする彼女からすればこの状況は面白くないだろう。彼女の努力があっても、染野を一般社会に戻すことは叶わなかったのだから。
「っ……」
彼女が唇を噛んだ。




