3-5
【10】
段平と軍用ナイフが鍔迫り合いをした後、力で勝る田沼が押し切る。染野は力では相手の方が勝っていることを理解し、後ろに退くと一瞬で腰を落としてナイフを投擲した。だが、田沼は軽快な動きでそれを見切り躱してみせる。
染野は袖に仕込んだケーブルを巻き取らせてナイフの法具を回収した。
「(力も速度も田沼が上か……!)」
彼の懐に踏み込む田沼は引き続き段平の祭具を振う。染野は速度で彼に負けるものの攻撃を予測すると『漁火』を当てて弾き、路地裏の奥へと後退していく。だが、彼が権能を使うと田沼の太ももが裂ける。
田沼の攻撃の手が緩むと同時に、染野が権能の反動で右手首から血を流していた。だが、彼がアスファルトに段平を突き刺すとその周囲が輝く。
「循環回廊!散!」
「ッ……!」
咄嗟にこの光の中に居ることは危険だと判断した染野は、壁を蹴って上に行きつつ距離を取る。しかし、光の範囲が広く彼の足はそれを浴びてしまう。その瞬間、力が抜けた染野が地面に落ちる。着地こそできたがその姿はどう見ても弱っていた。
「何だ……?」
「俺の権能、循環回廊は若返りの権能だ」
「……」
「んで、俺の弱点は他人から命を吸うこと。非接触じゃこの程度だ」
田沼の力は厳密には他人から命を吸うというわけではなく、この効果はあくまで彼の『弱点』によるものなのだ。つまり、彼には以前のダマスクのような分かりやすく攻めやすい弱点はない。
このままでは、染野は負けるだろう。
「素手で触らないのか?」
「馬鹿言え……これ以上やったら赤ん坊になる」
二人が睨み合う中、先に動いた染野が『漁火』を投擲する。伸びたワイヤーの先にある軍用ナイフは軌道を変え、しなるような動きで田沼を襲った。だが、それほどの速度があっても彼は漁火を躱し、邪魔なワイヤーを段平で切断しようとする。
染野は咄嗟にワイヤーを引っ張って漁火を手元に戻すも、その隙に彼が迫る。
「円心流決闘術……!」
田沼が一瞬で染野へと距離を詰める中、咄嗟に構えを取った彼が応戦した。
「『蛇行海』」
瞬間、田沼の振う段平が激しい打撃を何度も受けて弾き飛ばされる。一秒にも満たない刹那の内に拳が振るわれ、無数の打撃を同時に打ち込んだのだ。それは円心流と呼ばれる高等技術の為せる技。
何が起きたか分からない田沼ではあったが、一ミリ秒で意識を切り替えるとカウンターの拳を染野の腹に叩き込む。染野の体は大きく吹き飛び、ゴミ箱を弾き飛ばした後に空き家の壁を突き破って静止した。
「ゲホッ!こほっ……」
「……?」
肺を痛めた染野が血を吐く中、田沼は自分の拳に違和感を覚える。殴ったばかりの拳は単なる反動だけでなく、攻撃を受けたような衝撃が響いていた。
「(蛇行海がギリギリで掠った……でもこの威力か)」
「(性能じゃこっちがダンチ……権能で幼児に戻る方がマズい)」
「(速くて権能は当てにくい上にこっちは消耗してる……)」
田沼は八十歳を超える年齢から十五歳程度まで若返ってきた。染野に対して権能を使えばその生命力を奪い取ることができるが、その代償として若返り過ぎてしまう。つまり、実質的に権能は封じられているのだ。
染野がふらつきながら立ち上がる。間髪入れずに田沼は動き、明らかに弱って追い詰められている彼を狙う。
「(この調子で油断せず着実に……!)」
だが、それは甘い考えであった。
「司祭第二形態」
染野がそう言った瞬間、紅い残光が煌めく。田沼が瞬きをするより早く、駆け抜けた染野が飛び蹴りを彼の腹に直撃させた。体から赤く輝く結晶が生えた彼は路地裏を赤く照らし、吹き飛ぶ田沼は衝撃で地面を砕く。
それは鬼神の如き強さ、赤の火鼠の真骨頂。
「があっ!?なっ!?」
「これが司祭の形態変化だ」
吹き飛ぶ彼に追い付いた染野が拳を振い、田沼は咄嗟に両手で受け止めようとする。しかし、彼は一瞬で側面に回るとその腕を掴んで地面に叩き付け、何度も繰り返し叩き付け続けた。それはまるで暴力の権化。
田沼は重傷を負いながらも、掴まれたところから染野を蹴って解放される。そして近くにあった段平を掴むと更に加速し、最高速度で染野を追った。しかし、テールライトのように光の尾を残す彼には辿り着けない。
「(速い!俺よりも!)」
「(自分の大切なものを代償に、概念防御を強化する)」
「これが!?」
「俺の切り札だ」
田沼の周りを跳び回る彼は死角から蹴りを何度も放ち、対応が間に合わない彼は全身が打撲で追い詰められる。それでも田沼は血を吐きながら戦い、気合いと勘で染野の蹴りに段平を切りつけた。
だが染野の脚に傷は入らず、連撃も蹴りで全て弾かれる。
「硬度も速度も……負けてる!?」
「力も」
その時、染野が使っていなかった漁火を彼に投擲した。田沼は対応しようと動き出すも、突然激しく発光した漁火に目が眩む。閃光弾のように輝いたそれに惑わされ足が鈍った瞬間、踏み込んだ染野の貫手が腹を貫く。
そして、染野の形態変化が解除されて赤い光が消える。
「小細工がないとも言ってない」
粳部から渡された漁火の能力は、目くらましになる光を出せることだ。
「……これが……夢の果てか」
染野が手を引き抜いた瞬間、力尽きた田沼が地面に倒れた。戦闘の衝撃により大破した路地裏はようやく静まり返り、ケーブルが自動的に巻かれると染野の手元に漁火が戻る。
「いや悪夢だ……過去なんて」
結末は酷く空しい。
【11】
小型のテレビを担いだ染野と、手持ち無沙汰な日折が湿気の多い土手を歩く。帰路に就く二人は買い物を終えた後のようで、中古のテレビが小さく揺れている。梅雨の合間の晴れた日であったおかげで、こうして堂々と担いで持って帰れるわけだ。
「……良かったの?買って」
「貯金は十分ある。それに普通、家にはテレビがあるものと聞いた」
「……それ誰に聞いたの?」
「上官……みたいなもんだな」
自分の意思というよりも他人の受け売り。いつだって染野はそんな風に生きている。日折は突っ込もうにも、自分も普通の家にはテレビがあるものなのかが分からず黙ってしまう。他人の家の事情などよくは知らないものだ。
じめっとした空気が漂う中、二人は高架下にあるものを見る。
「ん?……あれって」
日折が指を指す先では町の職員がバラック小屋を解体しているようだった。複数人でペンチなどを使って針金を切り、トタンや杭を外して河川敷に放り投げる。家主の居ない家ほど惨めな物は無い。
そこにもう田沼は帰らないのだから。
「……役所が撤去を頼んだんだろ」
「あの人が住んでるのに……」
「もう帰って来ない。だから撤去されてるんだ」
「……何で分かるの?」
染野は答えない。無言が続く中、かつて自分も補強に加わったバラック小屋が解体されていく。家主が居ない以上、役目を終えた家は解体するしかない。それでも、彼はその光景に寂しさのようなものを覚えていた。
彼がふと一週間ほど前のやり取りを思い出す。
『形態変化、使ったんですか?』
『素の力の差はどうしようもない』
『……第二形態とかですね?』
深夜、路地の入口。田沼との戦闘でボロボロの染野はゴミ箱に腰掛けており、粳部が彼の頬に触れると全身の傷が徐々に修復されていく。彼女の法術の実力は桁外れであり、他人を治すことすらも容易であった。
蓮向かいの職員達が次々と事件現場へと入る。
『少しだけなら影響も少ないですけど、褒められませんよ』
『欲しいのは称賛じゃなく、金だ』
『……自分の中の概念を減らし、概念防御をより純粋にする』
形態変化は司祭の奥の手だ。人によって才能は異なるものの、司祭の実力差を覆すのは大抵は形態変化だろう。味覚や思い出、好きな音楽、生き甲斐。それらを切り捨てて純粋な化け物になることを、望んで行う者は少ない。
職員がブルーシートで現場を封鎖した。
『刃物を研ぐみたいなものです……擦り切れたらお終い』
『……』
『思い出、人間性を捨てたら……戦う動機も消えますよ?』
『その時はその時だ』
長期的には、形態変化は使うべきではないが使わざるを得ない時もある。その時は染野も躊躇せずにそれを使い、少しずつ人間を止めていく。粳部からすれば理解こそすれど認められない話である。
その時、彼女が染野を見つめているとあることに気が付く。
『……もしかして、落ち込んでます?』
『彼はそうだろうと言った。ならそうなんだろ』
『どこまでも、判断の基準が他人ですね……』
『それしかできないからな』
不器用な男なのだ。染野も田沼も、この世界で生きるにはあまりに不器用過ぎた。遥か未来の彼が田沼のようになるのかは誰にも分からないが、反面教師となる可能性もないわけではない。
だが、運命はそこまで優しいわけでもない。田沼に厳しかったように。
それでも、粳部は月の浮かぶ空を見上げる。
『でもいいんです、今は。あなたの感じたことは正しい』
まだ染野は若い。彼の人生は長く、これからもずっと続いていく。まだ焦るような時ではなく満点を出す必要もない。失敗を何度も重ねて、人は人になっていくのだから。今は不完全という話でしかないのだ。
染野がゴミ箱から降りると、彼女が問う。
『……逮捕された彼、仲が良かったんですか?』
『……どうだろうな』
田沼と染野の関係を表す為の言葉は、まだこの世にはないのかもしれない。
『もう、分からなくなってしまった……』
バラック小屋は既に半壊し、もう家と呼ぶのが難しい外観をしている。染野によって逮捕された田沼が社会に戻るのがいつになるのかは誰にも分からない。司祭を簡単に世に放てば、混乱を生むのは明白であった。
染野が重い口を開く。
「……旅に出たんだ。遠くへ」
「……そう」
それが嘘だということは日折にもうっすらと分かっていた。その重い間が真実を語っているのだから。だが、半分は真実を言っているようなものである。ある意味、それは長い旅だ。
彼が地平線を見据えて再び帰路に就く。
「あの人はずっと……前を向くことを願ってたから」
明日を見ていた男は過去へ向かった。理想に殉ずる度胸がなかった。それがこの事件の結末なのだ。それでも、染野がそれを責めることはない。




