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ガランドゥ『仮想現代戦記』  作者: 扇屋
赤の火鼠 第3話『若さという病』

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3-2

【3】


 今にも落ちそうな鈍色にびいろの空の下、染野そめのは荷物の詰まったビニール袋を片手に帰路に就く。色褪せた色彩の世界でも土手の雑草は青々と生い茂っており、梅雨の近さを彼に教えてくれている。

 川の色は少しだけ濁っていた。

「……」

 彼の持つビニール袋には袋詰めされた格安のうどんが入っている。体を動かす為の炭水化物だけを摂取する目的で買われたそれは、染野の滅茶苦茶さを示しているが彼を止める者は居ない。

 その時、ふと彼が河川敷を見下ろすと一人の男の姿が見えた。見覚えのあある姿に染野が足を止めると、いつかに話した田沼甚八たぬまじんぱちだと気が付く。暫く黙って見つめていた後、気まぐれか何なのか染野が河川敷に降りた。

「あの、どうも田沼たぬまさん」

「おお、水切りの時の……えー名前は」

「染野です。何かお探しですか」

「そうだそうだ!いやあフキを探してるだけだよ」

 田沼が染野の名前を思い出す。八十歳を過ぎているにも関わらず、ほんの少しだけ会話した人物を覚えているのは普通ではない。彼は見た目通りしっかりとした人物である。

 そんな田沼はビニール袋を片手に河川敷の草むらを歩いていた。

「フキですか?……あの辺りに生えてた気が」

「ホントかい?……あっホントだ!よく知ってるねえ」

「よくここに山菜を取りに来るので」

 染野が指を指した先では、野生のフキが他の雑草に紛れて低く生い茂っていた。フキの旬は三月から五月頃の春とされ、特に四月頃が最も柔らかく美味しい時期と言われている。梅雨の近い五月の今は良い時期であった。

 田沼がフキを鎌で刈りながら話をする。

「また物好きだねえ!若いのに渋い趣味してるよ」

「お金がないもので……よく汁物の材料を求めて来ます」

「そいつは難儀だなあ……食べ盛りにはきついぞ」

「いえいえ小食なので。手伝いましょうか?」

「いやあいいさ。多く取っても長期保存できないからな」

 バラック小屋で生活する彼にとって、食料の確保は重大な問題だが長期保存もまた重大な問題だ。冷蔵庫も地下室もなく、湿気の多いこの場所ではカビなどが繁殖してしまうかもしれない。

 取ったフキをビニール袋にしまった田沼が立ち上がる。染野は彼が向かおうとする高架下のバラック小屋の方を見た。

「あそこで生活してるんですか?」

「そうさ。ホームレスなもんでね」

「……大変ですね」

「そうでもないさ。他は知らんが俺は気楽だね」

 田沼が高架下に入るとバラック小屋の扉となっている板を外し中に入る。あれだけの規模の小屋を作るとなると相当数の瓦礫をかき集めなければならないが、彼は独力でそれを建てたのだろうか。疑問が残る。

 気になった染野が彼の後を追うと室内を覗き込む。そこには囲炉裏のような物が設置されており、劣化して歪んだ鍋で水が茹だっていた。

「意外と充実してるんですね……」

「まあ、いつ撤去されてもおかしくないけどな!がはは!」

「……この麺入ります?」

「ん?あると嬉しいが……いいのかい?」

「こうした方が、人間らしいって聞いたので」

 それが彼の善意だったのかは分からない。染野はただ、機械的に人間らしい選択肢を取る。正しい選択なのだろう。それは結果だけを見れば一歩前進したように人から見える筈だ。何の意味もないが。

 彼が差し出したうどんの麵を田沼が受け取る。

「変な奴だな坊主。まあ、ありがとうよ!」

 笑顔を返す田沼に対し、彼は自然に見える笑顔で返す。染野は河原に転がっていたビール瓶ケースに腰掛けた。この高架下は町から隔絶されている。人も寄り付かず橋を通る車も少ない、まるで世界に二人だけのようであった。

 茹だった鍋にフキが投入される。

「……静かな川ですね」

「普段は釣り人も来るぞ。魚も多いしな」

「自分は……この町の出身じゃないんです」

「おお、じゃあこれも知らないだろ。昔はドブ川だったんだぜ」

「そうなんですか?」

 染野が本当にそれを知らないのかは分からないが、彼が驚いたような表情をしていることは事実だ。彼が川の方を見るも肉眼では清らかにしか見えず、それがドブ川であったことを想像するのは難しい。

「俺が子供の頃は入れば死ぬって噂があったな」

「生活排水が問題になってた時期ですか」

「ああ、それより前は綺麗な川だったらしい」

 よくある話だ。急速な進歩にシステムのアップデートが追い付かず、その弊害としてこうした問題が発生する。処理の甘い生活排水が川を流れるわけだ。その被害は相当なものだろう。

 フキを茹でる鍋から白い湯気が昇る。

「でも誰かが問題を取り上げて、排水処理が改善された」

「……」

「今じゃ汚染される前より水質が改善したんだ。綺麗なもんさ」

 この川にもう汚れは流れていない。飲み水には流石にできないが、改善に改善を重ねてシステムは前に進み続ける。ゴミと汚れの流れる川は今では、魚と植物の多い清らかな川だ。

 染野は何も言わずに川を見つめている。

「……昔より今の方が良い。俺はつくづくそう思う」

「……意外ですね。昔の方が良いって言うのかと」

「ははっ!昔がかあ?パワハラ虐待、マナーも最低な時代だぜ」

 老人は大概、昔は良かったと回顧する。だが、田沼はそう思わず未来の方を見つめている。明日は昨日よりも良くなると信じているのだ。本当に世界が進歩しているのかは誰にも分からない。衰退しているものもあるかもしれない。

 それでも、田沼は信じようとしている。

「思い出は輝いて見えるもんだが、実態は侘しいもんさ」

「……問題は、いつか改善されると?」

「多分な。遅くてもいつか良くなるって、信じようと思ってるんだ」

 染野には分からない話だ。まともな生活を送った経験がなく、世間とは一切の接点がない。彼に過去はなく未来もない。そんな彼にとって田沼の言うことは不思議な話だろう。

「染野はどう思う?」

「……俺には、思い出がないからな」




【4】


 しとしとと雨が降る。気圧は低く空も狭い雨の日に、染野は傘を差さずに土手を歩く。東京は梅雨に突入し、不快な湿度が人々の気分を落とすことだろう。だが、司祭はそれらの影響を全く受けない。

 とはいえ、具合が悪そうな染野は腹や首に包帯を巻いている。

「……」

 非番で目的もなく道を歩く染野に行く宛などない。趣味も友人も持たない彼にとって、空白の時間ほど意味のないものはなかった。雨の日であればなおさらだろう。この土手を歩いたのもただの偶然であった。

 ふと、田沼のことを思い出した染野が河川敷に降りる。

「……あっ」

「ん?染野の坊主じゃねえか。元気してたか」

「どうも田沼さん」

 丁度帰ってきたばかりといった様子の田沼とバッタリ出くわす。彼は濡れたレインコートをバサバサと振ると、バラック小屋の中にしまう。高架下に雨が降ることはなく、継ぎ接ぎだらけのそれはもう不要のようだった。

 染野が自分の服に付いた水滴を払うが、もう手遅れであった。

「丁度お帰りでした?」

「まあな。こんな俺でもちょっとした職はあるのさ」

「お疲れ様です」

「しっかし、染野は学校行ってないんだろ?何の仕事してんだ」

「あー……簡単に言えば、解体業ですかね。色々壊してます」

 彼の発言は間違いとは言えない。実際、染野はあらゆる物をその手で破壊して来ている。赤の火鼠の異名は伊達ではなく、彼が破壊できない物はそうないだろう。とはいえ、少しツッコミどころがあるのだが。

「そいつはまた過酷だな……ん?その怪我は仕事で?」

「えっ?ああ……そんなところです。ヘマをしまして」

「おいおい……若いんだから無茶しちゃ駄目だぜ」

「歳を取った人の方が無茶しちゃ駄目ですよ」

 司祭の染野ならまだしも、ただの老人である田沼の方が命の危険がある。ホームレスという健康に良い要素のない生活をして、これだけ元気なのは正に奇跡だ。田沼は本来、いつ死んでも不思議ではない。

 二人は瓦礫に腰掛けて向かい合う。

「お前さんお姉さんが居ただろ?悲しむぞ」

「……まあ、そうですね」

 不意に姉の話をされた染野は、忘れようとしていた今朝の出来事を思い出す。



『お帰り』

『……帰った』

 学校に行く前に支度をしていた日折が振り向くと、玄関で脇腹を抑えた染野が立っている。いつも通りの無表情ではあるものの彼は冷や汗を掻いており、その服からは血が滴っていた。どう見ても怪我をしている。

 日折ひおりが咄嗟に動くと居間へ向かう彼を止めた。

『怪我してる……』

『問題ない……自分の『弱点』で負った怪我だから』

『問題ない怪我なんてない……手当てを』

『必要ない』

 少し息苦しそうな染野は彼女のことを無視すると、ジャケットと上着を脱ぎ捨ててタオルを手に取る。それを水で濡らして血をサッと拭い、棚から出した包帯で胴や首をきつく巻いた。手当てというには少し雑である。

『……何でそんな怪我……』

『……部下のフォローは上司の仕事だ』

『飾身が死んだら何も意味がない』

『……一応、傷口は塞いである。もういいだろ』

 法術を用いて出血は殆ど抑えられた。司祭の欠点は彼らが持つ概念防御だろう。傷口を縫おうにも薬を使おうにも、全て概念防御が弾いてしまう。彼らは親知らずを自力で抜き、麻酔すらも使えないのだ。

 法術である程度傷を治せば、後は自力での回復を待つのみだろう。

『……私の気持ち、考えたことはある?』

『指示があればやるけど、今やるのか?』

『……もういい。怪我しないでくれればそれでいい』



 それはあまり良い記憶ではない。人間らしさに欠ける彼ではあるが、自分の姉との付き合い方に難儀して困惑するのは当然だろう。人間らしさの表面を撫でるだけの染野は日折の言葉を理解できなかった。

「怪我のことで怒られまして……変な話ですよね」

「変?怒って当然だろ。心配してるってことなんだから」

「心配……する程のことなんでしょうか」

「……お前さん、相当に不器用なんだな」

 田沼が呆れと憐みの混じった目で彼を見る。人生の先輩である田沼からすれば、染野はまるで赤子のようなものだろう。同時に、彼の不器用さは筋金入りであった。

「家族が居るってだけで嬉しい……いや、人によるか」

「田沼さんのご家族は?」

「へっ!妻は自殺、長男は事故死、次男は行方知れず」

「……すいません」

「気にすんな!よくある話だ」

 崩壊した家庭など珍しくない。現に染野も似たようなものであり、シルバー7も同様だろう。希代だけはただの一般家庭の出身ではあるが、家庭とは壊れて当然のものなのだ。

 申し訳なさそうな表情の染野と笑顔の田沼。

「それに、もう終わった話でもある。遠い昔さ」

「良い思い出とか……ないんですか?」

「そうだなあ……あるにはあるが、美化されてるだけさ」

 人は思い出を着飾るものだ。人によっては些細な不幸をなかったことにし、幸福だけを美しく彩る。不幸だけを思い出してしまう生活よりはマシなのかもしれないが、過去に想いを馳せることに意味はない。

「全部破綻してどうにもならず、今じゃただ死ぬのを待ってる」

「……社会に戻ろうとは思わなかったんです?」

「戻りたい奴は支援を受けてここを去る。でも、俺は戻る気がない」

「……」

「過去を嫌って、他人の明日を信じる。惰性で生きる男さ」

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