3-1
【1】
まだ陽が高い空。その日はこの雨蓋町にしては珍しく青空が見えており、春の陽気もあって過ごしやすい日であった。徐々に梅雨が近付き、河川敷の植物はより青々としている。魚の居る川ではあるが釣り人は居ない。
そんな中、染野と日折が土手を歩く。
「……食洗器は必要ない」
「何でだ?わざわざ見に行ったのに」
「皿を洗うだけで数万円なんて馬鹿らしい……」
「手間が減るだろ。学生は勉強してればいいんだ」
お前が言うのかと突っ込みたくなる日折であったが、自分にそう言う権利はないと諦める。彼女が望んだわけではないが、染野は彼女の為に組織に所属しているのだ。口酸っぱく文句を言う気にはなれないだろう。
人通りの少ないこの町は、二人以外の土手を往く者すら居ない。
「金は俺が出すのに」
「なおさら嫌……洗うだけなのに」
「……家事は減らせと指示を受けたんだが、何でこうなる」
良かれと思って、というよりはこうしろと言われ行動した結果がこれだ。染野は土手を下り河川敷に向かうと、姉もそれに追従して下る。家に帰る前に寄り道をするようだ。それはほんの少しの気まぐれ、ただの偶然。
彼がふと止まると足下の石を拾う。そして軽く投げると何度か跳ねた石が川に落ちた。釣り具がなければ川辺ですることなど水切りくらいなものだ。日折は少し離れた場所で煌めく水面を眺めている。
二発目に投げられた石はそれなりに遠くへ跳んだ。
「……」
二発目のフィードバックを元に染野は力加減を調節すると、より遠くに飛ばそうと三発目を投げる。だが、どういうわけかそれは一度跳ねただけですぐに沈んでしまう。今度は低い位置で投げようと染野は調整し、四発目は比較的長距離を跳ねた。
それらを高架下で眺めていたホームレスらしき男が日の下に出る。
「おっ」
日折がその飛距離に珍しく反応を示す中、染野は五つ目の石を拾う。今度は手首の曲げ方を試しながら水切りするも、石の進む角度が悪かったのか水中に沈む。仕事のない日の染野はすることがない。こんなことをする暇があるくらいに。
その時、ホームレスらしき男が笑い声を上げる。
「ははっ、上達が早いな坊主」
「それほどでも」
「でも、手首はこう使った方が良いぞ」
みすぼらしい服を着た白髪の老人は石を拾い上げると、手首のスナップを利かせて石を放つ。水面を跳ねる石は染野が投げた物よりも遠くに跳び、記録を大きく更新したところで沈んだ。見事なものである。
日折が小さく拍手をした。
「わお」
「手首はこう動かすんですか?」
「そうだ。おおむね野球ボールと同じさ」
「できますかね……」
そう言いつつも染野は新たに石を拾い、老人の見せたフォームを真似て水切りをする。六発目は想像以上の速度と安定感を保ち、老人の記録を更新すると水中から跳ねた魚に直撃した。その確率はきっと交通事故よりも低い。
魚は気絶したのかプカプカと浮かび、流されると中洲に座礁する。
「あっ……あれ?」
「ははっ!見事なもんだな坊主!とんでもない奇跡だぞ!」
「た、たまたまですよ」
「おっと、流されないうちに取りに行かんと」
老人は浅瀬を歩いて中州に向かうと、気絶した魚を拾い上げて遠くの染野に見せる。染野は余所行きの笑顔で手を振り、普段の不愛想が嘘のように明るかった。
老人が戻って来る中、日折は不機嫌そうな顔で染野に小言を言う。
「……その余所行きの顔……止めて」
「この方が都合が良いと組織で習った」
「……そんなの変」
それでも、染野は他人にとって都合の良い人間を演じる。世間に溶け込む為に、どこにでも居る穏やかな少年の皮を被るのだ。そうすれば他の組織から狙われる可能性も低くなる。だが、嘘は嘘だ。
老人が彼の下に戻って来る。
「こりゃ坊主の物だぞ!お前さん名前は?」
「染野です。おじいさんは?」
「おお、田沼甚八!今年で八十一歳だ」
白髪ではあるものの田沼はそこまで腰が曲がっておらず、活舌も良い元気な老人であった。高架下のバラック小屋から出てきた割には健康状態は良さそうで、きっと医者に見せたら驚かれることだろう。
これが二人の出会いであった。
【2】
「ああ……」
ラベンダーの香りが漂う薄暗い室内で、黄月は台の上でうつ伏せになったままマッサージを受けていた。ラベンダーはストレスに効くとされ、凝り固まった中年の体が少しずつ解されていく。
パソコンでの仕事が殆どの彼は必然的に運動不足になり、年齢もあって不調は多くなるだろう。だが、週に一度こうしてマッサージを受けることができれば少しはマシになる。
「以上で終了です。何かお体に違和感等ありますか」
「いや、問題ない」
気が休まる情報量の少ない音楽が流れる中、黄月の施術が終わりマッサージ師が離れていく。この組織の気前の良いところは、こうしたサービスを無料で受けられるところにもある。
彼が台から起き上がるとたまたま歩いていた希代が彼を見つける。
「あっ、おじきじゃないですか。お疲れ様です」
「清じゃねえか。お前もメンタルケアか?」
「ええこの後に。最近、急速に悪化してきてるんで」
希代がリクライニングチェアに座ると、上着を着た黄月も隣のチェアに座った。仕事が山積みのオフィスと異なりここは穏やかで気の休まる場所であり、少し離れた台では他の職員がマッサージを受けていた。
薄暗い空間が眠気を誘う。
「現場はキツイか。訓練じゃなくて実戦だしな」
「……情けない話ですが、命のやり取りがキツイんです」
「そりゃそうだ」
「死の恐怖と戦い続けるなんて……隊長とかは何で耐えられるんですか」
希代はこのチームでは希少な常識人である。黄月は経歴の割にはまともな方ではあるが希代ほどではない。シルバー7や染野のような人間の感覚は、一般家庭の出身の彼には理解できないことだろう。
「ボスと比較しちゃおしまいだぞ」
「んじゃシルバー7で」
「上手いこと言うな。でも気にするな、お前が普通なんだよ」
染野のようにはなってはいけない。全てが戦う為に調整された彼の人間性は削ぎ落され、大切な物をいくつも捨ててしまっている。人を騙しても何も思わない、そんな人間になってしまったのだ。
柔らかなクッションが二人の体重を支える。
「この組織はよく人が死ぬが、こういうケアは手厚いな」
「警察官の時よりも福利厚生が良いですよ」
「イラク軍よりもな。これで月に三百六十万だ。俺に文句はねえ」
「……使い切る前に死にそうですがね」
蓮向かいが職員に支払う給料は膨大だ。他の組織に人材が流出しないように払えるだけの額を払い、福利厚生を用いて引き留める。おかげで裏切り者は少ないものの、過酷な任務の中で殉職する者は多い。
そして、あの世に金は持って行けない。
「話は戻りますが……隊長は若すぎますよ」
「判断は若くないがな」
「現在の規則じゃ加入できない年齢なのに」
「それができる前の加入だからさ」
染野が組織に加入した後、規則が変更され子供が戦闘員に従事することができなくなった。ただし既に組織に加入し、組織にとってなくてはならない存在である彼を手放すことはない。γ+の等級を持つ彼は上澄み中の上澄みだ。
希代やシルバー7を遥かに凌ぐ実力を持っている。
「……一体どういう境遇なら、あんな技量と精神が得られるんです」
「さあな。俺は何も言えねえよ、個人情報のアクセス権がないしな」
「ああ、隊長γ+ですもんね」
「二つ上じゃあな……」
彼らの等級はγ-であり、二つ上の等級が相手ではどうしようもない。世界から収集された様々な情報が蓄積されるこの組織だが、自身の階級以上の情報を得ることはできない。二人はある意味手詰まりだった。
「興味はあるが、命掛けで調べたい話じゃあない」
「……嫌な話ですよ。子供が戦うなんて」
「だが、ボスは結果として何万人も救ったぞ」
「……でもやっぱり俺は、正しさを追求したいです」
どうやら、彼の真面目さは筋金入りらしい。人間らしく正しさを求め、曲がったことを認められない。一般的な彼の感性はこの組織では貴重なのかもしれない。あの赤の火鼠を、恐れながらも子供と言ったのだ。
「そういう真面目さが、お前を蝕んでんだろうよ」
「……何も言えませんね」
真面目な人間にこの仕事は務まらない。組織の中にはそう言う人間も居るが、それはおおむね事実だろう。蓮向かいは正しくあろうと改善を進め続けるが、結局そのベースは暴力装置だ。
力がなければただの虚しい存在なのである。希代もそれは理解していた。だから、彼はこの現状に歯を食いしばるしかないのだ。




