005
自分の未来を他人に好き勝手に決め付けらるのは、胸がむかつくものだ。
むかつきの内訳は怒り、そして不吉な未来への不安と怯えである。とはいえ現状自分の立ち位置が不明なままでは、どういう態度を取っていいかも決めかねてしまう。非常時でも日和見を捨てきれないのは、自分の習い性なのだろう。
隣の声は、先ほどのわたし達の話はもう片付いたかのように、世間話を続けている。
(もしも)
ここのまま彼らに従うなら、わたしとニナにはあの美青年の妻になるか、その亡くなった父親の妻になるかの二択しか用意されていない。
人をなんだと思っている絶対にお断りだと言いたいが、右も左も分からないここで、下手に彼らに逆らうとどうなるかも恐ろしい。先ほどの話を聞くに、どうやらニナと違ってわたしは持て余されているようだし。それにしても、明らかに反発をされそうな会話を、あの青年は何を思ってわたし達に聞かせたのだろう。腹が立ちはするが、しかし、生の会話は自分の立場を端的に伝えてくれもした。
(本当に二択しかないなら、後者のほうがましかな?)
もちろん絶対条件として、生き埋めコースではなく優雅な未亡人コースだった場合に限り、だが。
こうやって真っ先に譲歩を考えてしまう事自体が、交渉に向いていない性格なのだろうが、どうしたってわたしがあの若者の妻になるのは無理がある。
二十一の目元が強くて甘い、どうやら頭も良さそうなあの男の妃になる……妄想の範疇ならときめかなくもないが、到底自分のこととは思えない。恐らく彼の位はもの凄く高い。その妻となれば、庶民のわたしには想像もつかない世界で神経をすり減らす事になるだろう。しかし彼とわたしでは十歳以上離れている。政略としても少々釣り合いが悪い。
ニナが皇后候補、わたしは問題外だと言われても、今のところ羨ましくもなんともない。確かに面白くはないが、そりゃそうだろうと思う。
逆に彼の父親の妻になれと言われれば、故人や遺族には失礼だが、正直気色は悪い。でも、夫が夜な夜なゾンビとして蘇るのでもなければ、責務は薄そうである。
実際の結婚生活もなく寡婦にされるのは、場合によっては無為で、地獄の拘束だろう。しかしわたしはそもそも恋愛や結婚に対する願うが希薄だ。
(まあ、どちらにせよ判断材料に乏しすぎるか)
さらに言えば、判断材料が揃っていたとて、何が正解かを自信を持って判断できるほど頭は良くない。盤上遊戯と違って現実は、開始時点で詰んでいる事もあるのだし。
「……うーん、さて?」
何はともあれニナと相談しようと横をむいて仰天した。
同じ奇妙な立場の唯一の仲間、ニナの長い耳がぶるぶると震え、元は桜色の頬が蒼白になっていた。
「あ、いつらは何を言っている?」
掠れ声で呟くニナの尋常ではない様子に、咄嗟にその手を握る。袖の絹よりもなお冷たく小刻みに震える指が曲がり、ぐっと短い爪を掌に食い込まてきた。
「ニナ」
「人間の、し、しびとの妻だと……?」
ぎこちなくニナの首がこちらを向き、口にするのもおぞましいというように唾棄する。黒い目が嫌悪に見開かれ、宙をさまよう。
その過剰なまでの反応にやっと気づいた。わたしは元々アジアの一部地域の風習としての冥婚を聞いた事がある。しかしニナは違ったらしい。彼女の属する文化圏にとって、死者と生者との結婚というものは、到底到底受け入れ難いものなのだろう。それを突然、わが身に降りかかってくる可能性すらあるものとして聞けば、衝撃を受けるのも無理はない。
自分だって子供の頃なら同じ反応をしたかもしれない。彼女の年齢は七十歳と聞きはしたが、外見は十代の前半か半ば。外見の年齢で考えるなら多感な頃だ。
「……ニナ。大丈夫だから」
もし未来が彼らの言う通りになるのだとしても、死人の妻に指名されているのはわたしである。
青年がわたし達を侮るなと釘を刺していたし、そちらを選んでも殺さることはあるまい。
「大丈夫ではない!」
突然声を張り上げたニナに、視界の端のツヅミが慌てるのが見えた。あまり大声を出すと隣に気づかれてしまう。案の定、隣の男達の会話が一瞬途切れた。
「人間どもが、私の事を勝手に出来ると思うな。イマリの事も、死人の妻にだと……?」
乱暴にニナが立ち上がり、わたしが握った手を振り払った。
金の髪が散り、着物の袖が青い畳に擦れる。
隣室がざわめいている。その中を、高く鋭いニナの声が呪うように響く。
「愚かしい人間ども……その傲慢、報いを受けさせていやる。どうやって攫われたかは知らないが、私はこんな場所になど、用はないのだ」
「ちょ、待って待って!?」
彼女の怒りはある意味当然だけれども、勝てない喧嘩を、しかも退路なしで売ってはいけない。しかし静止も虚しく、ニナの掲げられたその細く白い指が宙を掻いた。厳かに。
そしてその指先に青白い炎が極小さく、しかし真昼だというのに見間違いようもなく、ちりちりと散る。
圧倒される、非現実的な空気。周囲の空気が凍るように硬質になった。
「かしこみもうす、ひのこよあれ、とびきてかのとびらをもやしたまえ」
(ぬなっ!?)
小さな炎がぱっと飛んで、隣室との仕切りの紙の仕切りにじわりと黒い染みをつくる。
その瞬間、何故かわたしの左目の奥が熱を帯びた。
身体の異常に本能的に背を丸める。瞼を押さえれば指に傷が触れる。目が火にかけられたかのようにどんどんと熱くなってゆき、湯のような涙がこぼれる。熱い、心底恐ろしい。
なのにもう一方の目は見事な襖に黒い染みが赤い火で広がり、燃えてゆく姿から離れない。そしてツヅミが、遅まきにニナを取り押さえようと突進し、するりと避けられる。そこか、という怒鳴り声と共に隣室との仕切りが開かれる。
その向こうでこちらに駆ける男、立ち尽くす男、そして青年を庇う大勢の男を見た。
「寄るな!」
続けてまた何かの呪詞、わたし達の周囲をふわりと青い炎が取り巻いて、消える。ニナが何を言うたびに、目の奥がかっと熱くなる。
(ちょっとやめて。止めて、頭が沸騰したら怖い!)
興奮しきったニナは倒れのたうつわたしなど目に入っていない。叫んで制止したいのに、喉から息しか出てこない。
心でこの考えなし、馬鹿と罵る。どういう訳か、わたしにとばっちりが来ているのだ。目が破裂とかしたらどうしてくれる。だいたい何も分からないで敵を作ってどうする。
手馴れた様子を見れば、ニナにとってこれは勝てない喧嘩ではないのかもしれない。しかし彼女がどれだけ強かろうが、数でかかられれば辛いだろう。例えうまく逃げられたとしても。見知らぬ土地でいきなりお尋ね者になれば生き延びるのは難しい。
(もう止めて)
「静まれ、竜の娘」
「これが黙っておられるか。わたし達の先を、お前達ごときに勝手にされるいわれはない」
「誇り高いことだな。先ほどの話が気に入らないか」
「イマリを死人の妻にするのは許さん」
「ほう、ではお前が我妻になるのは不服がないと?」
「もとより断る」
ニナの怒りが幾億倍になったかのように、真昼の周囲は唐突に暗くなり、天井の真上からごろごろと音が鳴った。
目の奥が熱すぎて、もう片目も開けていられない。痛みはない、けれど恐怖で訳が分からなくなる。もうこれが現実なのかどうかすら分からない。悲鳴、怒号、そしてめりめりと空が裂けるような音がする。
「さすが竜の娘、と言いたいところだが。これ以上はやり過ぎだぞ」
「……違う、これは私では……イマリ? どうしたイマリ……!?」
(ちょっと、遅い!)
これは落雷か。凄まじい衝撃に建屋がゆれ、視界が閃光に染まる。
人間が根源的に恐れる、未だ人知では制御できないもの。空が裂け地が割れるかのような轟音。
そして訪れた静寂に、これは死んだ、あるいは鼓膜が破れてしまったなと痺れる頭で思った。




