004
「急遽のお召しに参上されたる由、各々方、大儀にございます」
隣室からようやく声がして顔を上げると、側に控えたツヅミが唇に指を当ててみせた。
御簾の内から伺えば、椅子に掛けた例の青年と、その下座に七人ばかりの男達が見える。だいたいが壮年あるいは老年、おそらくはこの国の重鎮達なのだろう。
あちらからこちらへの視線はない。
ニナとわたしがここに居る事は内密であり、ツヅミよりくれぐれも静かにと言い聞かされている。これは青年、帝の指図とのことだ。もちろん彼らがこれから話し合うのは、わたし達の事なのだろう……本人抜きにして。
何やら緊張と不安で胸が重い。それに比べ、何も見逃すものかと向こうを睨んでいるニナは気力と根性に溢れているが、今にも向こうへ突進して尋問でも始めそうな顔つきである。これはこれで心臓に悪い。
「陛下にあらせられては、このたび宮にお后候補を迎えられたとのこと、お喜び申し上げます」
「この瑞兆は御世の繁栄を約束するものに違いありませんな」
「いやはや。本日、皇后陛下のお生まれになる場に居合わせなかった方々は、まことに残念でした」
先ほどの場所に居た者も交ざっているようだが、顔はよく覚えていない。
「お待ちあれ。慶事に水を差すようではあるが、その場には血の穢れがあったのではないか。陛下もいらしたと聞いたのはまことなのか」
「そうよ。産屋のような不浄の場に、誰が陛下をお連れしたのだ」
「穢れとはいやに古臭い事を仰る。そもそも卵から孵った尊い方に血など付いておらん」
「人の女が卵より孵ることが、あまりに椿事だ。陛下をお連れしたのも軽率、また慶事と決めつけるのは尚早ではないかな?」
「これが瑞兆でなくて何なのだ。始祖の遣わした花嫁がようやく世に現れたのだぞ」
「それが竜の娘だと誰が判ずる」
「そのように言うのは、ぐずぐずとしてあの場に間に合わなかったことの負け惜しみではないのか」
牽制の応酬を、お静かに、と上座の側に経つ男が止める。
「各々方、始祖様が子孫の妻にと下された卵は現れたその日より百余年、一日も休まず夜通し篝火の中で見守られて参りました。これは間違いのない事実です」
「……そして確かにあれより女人が孵った。わたしがこの目で見た、と言えばよもや疑うまい?」
青年、帝の言葉に男達は頭を垂れた。
「御意に」
(なんだか、青年が喋ると呑まれるなぁ)
別にわたしが緊張せずとも、話を盗み聞いているだけなのだが。ふ、と息を吐いたところで、年配の男が沈黙を破る。
「あまりの事の大きさに皆浮き足立っておるのです。即位されて一年目のこの瑞兆、陛下の素晴らしい徳のなせる業にございます」
「さて。孵った女は二人あるが、これもわたしの徳が高すぎるせいか」
青年の笑いを含んだ皮肉に、幾人かが顔を見合わせた。
「二人ですと。ひとつの卵から?」
「まだご存知なかったか。たしかに、卵からお出でになったのは御二方だ」
「しかし……皇后陛下がふたり、という訳には行きますまい」
「前例がない。そのような振る舞いは諸外国にも侮られる」
「だから、昨日の今日でいきなり未来の皇后陛下を定めるのは尚早と言うのだ」
「始祖が遣わされた花嫁ですぞ。早々に娶られればこそ、陛下の御世も磐石になるというものです。まぁ、二人共にとは参りませんが」
「ではお二方のうちどちらを皇后陛下に迎えるか、我々で判断せねばならん」
「いや、それはもう決まっておりますでしょう」
思わずといった調子で一人が言い、半数が当然の顔で頷きあう。
(まあ、そりゃあね)
「……初耳だな。どちらが、我が妻なのだ?」
青年の問いを冗談と思ってか、忍び笑いが漏れる。直後、這うように低い叱責が部屋を震わせた。
「なにが可笑しい。我が始祖の遣わされた尊き女人を侮るか」
思わずわたしの肩までが、跳ね上がってしまった。小心なのだ。
「陛下……決して、我らは始祖様のお言葉を軽んじた訳では」
「ご不快に思われたのであれば、まことに申し訳ありません」
「ただ世の中には、釣り合いというものがございます」
「そうですとも。陛下は御歳二十一ではございませんか。その御子を上げるとなれば、皇后陛下もお若いほうがよろしゅうございます」
うえっ、と驚きのあまり小さい息が漏れてしまった。
(二十一!?)
また随分と老成した青年がいるものだと感心した。まさか数え年ではないだろうな。
これは環境の差なのか、生まれつきというものなのか。彼は浮つかず、多言を弄さず、それでいて重みがある。よく知らない相手だが、どう考えても同じ歳の頃の自分は傍目にも阿呆だったろう。
「わたしはどちらが皇后でも喜んで迎えるが? 卵は百余年前のもの、そこから数えればあらかじめ歳の差は百以上あろう。二人は同時に孵ったのだしな」
「陛下、それでもやはり皇后陛下の御顔に傷があっては、障りがございます」
なっ、と今度はニナが小さい声を上げた。ツヅミの顔色が土気色になっているが、幸い隣部屋に気づいた者はいない。
(なるほど、ニナはわたしが『若い方』と思っていたのか)
確かに彼女は七十五歳だとわたしに申告していたが、あちらの部屋の男達はそんな事は知らないのだ。見かけが若いほうを、若いと思うだろう。
「話は変わりますが……さて、皇后陛下とならないおひとりは、結局陛下の愛人、側室ということになるのですかな」
ぽつりと、年を取った一人が首を傾げた。
「しかし。それでは万が一にも竜の怒りを買いますまいか」
「現皇太子殿下に元に嫁いでいただくのでは?」
「それはならんだろう。殿下が陛下のお子が生まれるまでの暫定の世継ぎであることは明白だ。幾ら現皇太子殿下とはいえお血筋は遠く、いずれ臣に下られる方へと花嫁を渡すなど」
「我がハラ家から出た殿下を侮辱する気であれば、許しませんぞ」
「ハラ殿、お静まりあれ」
「確かに皇后陛下となられるのはおひとり、いまひとりの方の事も考えねばなりませんな。御二方が卵から孵ったのは同時、竜の娘としての格も同じとなるなら難しい」
「慣例では、双子は後から生まれたほうが姉。どちらが後に卵からお出でなさいましたか」
「たしか傷のあるほうが」
「ならば、そちらの姉君を立后せねばならないのでは?」
「なりません。姉君は陛下の側に置かず、いっそ離宮などでお静かに暮らしていただいては」
「野心ある者に、帝の証よと奪われたらなんとする」
「……恐れ多きことながら、陛下」
そこで初めて口を開いたのは、青年のすぐ右の老人だった。
しわがれた声に周囲がさっと黙る。枯れ木のように痩せた身体だが、恐らく相当の権威があるのだろう。
「考えますに、そちらの姉君には先の陛下の花嫁になっていただいてはどうですかな。冥婚でござる」
ざわり、と空気が揺れた。
「先の陛下は長らく花嫁をお待ちでございました。ついに間に合わずお隠れあそばしましたが、さぞご無念にございましたでしょう。今からでも始祖様の遣わされた花嫁を得られれば、どれほどお喜びなさるか。また姉が先の陛下に、妹が今上陛下に仕えるのは自然」
「なぁイマリ、あれはどういう意味だ。冥婚?」
混乱した顔でニナが囁く。持って回った老人の言葉に、ついていけなかったようだ。
わたしは老人の次の言葉を待ちながら、喉が干上がるのを感じながら、短く小声で説明する。
「死んだ人の結婚、死んだ人との結婚」
確か死者同士の婚儀を家族が行うパターンと、死者と生者とで形式的に結婚するパターンがあるアジア圏の風習だと何かで読んだ気がする。ただし、ここでも同じものかどうかは不明だ。
(まさかあの老人、前者パターンでわたしを生き埋めにする気じゃないだろうな)
慄いていたわたしはついうっかり、隣のニナへ目を向けるのを怠った。
続く




