第八話 【マクロの天(そら)】
この下りから、ちょいちょい新しいキャラたちが出てきます。
物語の核心へ繋がる者もいれば、あれ?大丈夫イグナクト?みたいなのも含めて...
でも天のイグナクトはよくある失敗群像劇のような 居なくてもいいじゃん みたいな人物はいません。
最後までそう書かれています。
というわけで
第八話 マクロの天
ご一読のほどよろしくお願いいたします。
■Xアカウント■
【下駄のイグナクト】
(取材/ロケ/備忘録。)
https://x.com/getanoignact
第八話 マクロの天
6月25日 午前9時00分
一色基地の空港には大型の輸送機と貨物コンテナ船が複数接岸していた。
海と空からの急激な物資輸送。
遠く頭上から響くのは、滑走路を捉える航空機の重低音と、かすかに届くタービン音。
一色空港の直下、地下へ直通となる巨大搬入路がフル稼働していた。
その規模は本土の巨大な物流ターミナルと同等の規模である。
空港の駐機架に直結した天井の巨大な油圧ハッチが、電子アラームとともに静かに、しかし超高速で開放される。
陽光の差し込むその開口部からは、航空機から降ろされたばかりの規格化された銀色の大型コンテナ(ULD)が、垂直昇降キャリアによって次々と吸い込まれるように下降してきた。
すべては洗練された搬入オペレーションを仕切る技術者たちに統制されている。
「ハッチ04、開口。貨物コード・受領開始。」
コントロールコンソールに陣取るオペレーターが、骨伝導インカムに的確な指示の声を吹き込む。
彼たちの視線の先では、数十台の無人搬送車(AGV)が、まるで統率された蟻の群れのように滑らかな軌道を描いて走り回っている。
コンテナが床面に接地した瞬間、待機していたレーザー認識システムが瞬時にバーコードとICタグをスキャン。
プロフェッショナルたちの端末へ、コンテナの「中身」と「優先度」がミリ秒単位で割り振られていく。
「第2パレット、バイオセーフティ・レベル4。保管庫C-7へ直行させろ。」
「了解。ルート確保、自動搬送ラインを最優先に切り替え」
上階と連絡を取り合う現場責任者と思わしき男性の指示が階下のカーゴ班に飛ぶ。
「今日はハンガーハッチ全開放のままでいい! あとで検品入るからまずは全部下すぞ!」
現場を仕切る誘導員たちは、声を張り上げることも、焦った素振りを見せることもない。
彼らはスマートグラスに表示されるARのルート案内と、手元のアシストデバイスを最小限の動きで操作し、淡々と、しかしミリ単位の狂いもなくコンテナを各指定区画へと滑り込ませていく。
頭上のハッチが閉じるや否や、次のハッチが開き、新たな貨物が降りてくる。
極限の緊張感の中にありながら、そこにあるのは時計の歯車のように正確に噛み合う、プロフェッショナルたちの完璧な静寂のワークフローだった。
「さてと、今日で概ね搬入は終わる。みんなもこれからの業務よろしく頼む。」
久留生はチームスタッフとの軽いミーティングを終え、吹き抜けのフロア階下、イグナクトの座する一角の待機室へと降りて来る。
「彼の様子はどうだね?」
「久留生さん、ご無沙汰しております。」
「はは、近いところで働いていてもそう顔は合わさないものだね。元気そうでなによりだ。」
「貴方が銛旭柰さんですね。私は今日よりここの管理責任者に就いた 久留生浩平 といいます。」
「銛旭柰です。はじめまして。」
「まだ、設備含め、全体構築中で慌ただしいですが数日で落ち着くでしょう。しばらくはご勘弁を。」
「そんな、十分に配慮して頂いていると感じてます。ありがとうございます。」
「では軽く午後からの段取り説明でも進めさせて頂きましょうか。」
久留生が手元のタブレット端末を軽くスワイプする。
待機室の透過型ガラス壁に、午後から行われる「イグナクト機体接続テスト」の進行スケジュールと、各種バイオメトリクスデータの目標値がホログラフィックで浮かび上がった。
「今回のテストは、主に生体認証の同調率チェックと、神経駆動系の伝達測定がメインになります。旭柰さん、あなたの生態認証データはすでに彼の中核と同期しています。」
モニターにはその同調を示すバイタルデータが表示される。
「機体との『直接接続』は前回の戦闘の物が基本バイタルとして彼に刻まれています。なので今回は無理をせず座っていて下されば大丈夫、万が一違和感があればすぐに口にしてください。」
久留生が淡々と、しかし丁寧な口調で説明を続ける間にも、ガラス壁の向こうに広がる巨大な専用区画
【イグナクト・ハンガー】
は、凄まじい熱量と速度で形を変えつつあった。
まだ完全には遮音されていない隔壁の向こうから、金属がこすれ合う高周波の駆動音や、大型重機の油圧シリンダーが軋む重低音が僅かに伝わってくる。
イグナクトを格納する巨大なメインケージの周囲では、何基ものクレーンアームが交錯し、周辺、区画の柱との整備用ハンガー支柱を固定するための巨大なロックボルトが次々と打ち込まれていた。
天井からは、接続テストに必須となる超高帯域のデータケーブル束や、冷却液を循環させるための太いパイプラインが、まるで巨大な血管のように引き回され、技術者たちの手によってイグナクトの背部ソケットへと急ピッチで結線されていく。
火花を散らす溶接の光が、まだ未塗装のコンクリート壁や剥き出しの鉄骨を断続的に青白く照らし出す。
その慌ただしさは、ここが数日前までただの鉄板で覆われた空洞だったことを忘れさせる勢い。
トウマ重工のパッケージング化されたユニットも次々と連結されていく様は国家最優先プロジェクトとしての狂気的な建造スピードを象徴していた。
概ね説明を終え、久留生は表示されたデータに区切りをつけ、二人の端末からのみアクセスできる場所へデータを格納、静かにミーティングを完了させた。
外の喧騒とは対照的に、機能的に整えられた待機室の中だけは、冷涼な空調の音だけが静かに流れている。
時刻は10時過ぎ、整備チームが来るまでの時間は待機となった。
「なるほどね...そういう経緯だったのか。だが、山からこんな青年が出て来るとは、さぞ驚かれたでしょう?しかも日が暮れるタイミング(真鎖人ならさもありなんという表情)」
「一瞬クマかと思っちゃいました。」
「彼はね、私との出会いもそのような状況だったんですよ。」
「ええ?そうなの真鎖人くん?」
「ええ、まぁ似たような状況だったと思います。」
「私は当時、愛知の知多半島、トウマ重工の本社研究所と一色のラボを行ったり来たりという状況でね。その日は空港からタクシーで移動していたところ、山中から人が転がり落ちてきた。」
「えっ、なにそれ、また虫捕りしてたの?」
「ええ、まあ...あの場所、休みとなっても他にすることがないんですよ。それに当時ライトニングボルトに関わっていた人はみんな本社に住んでるような状態。別の意味で帰宅困難者みたいでしたから。」
「帰宅困難者...それってブラック企業じゃ...」
「ははは、まぁ業務形態はそうかもしれない。だがみんな自分の意思で詰めていたようなものだからね。若社長がみんな休めと乗り込んできたこともあるぐらいだから。」
「そんなこともありましたね。近くのホテル貸切って、今週はお前ら社屋立ち入り禁止だって、強制バカンスさせられるという。」
「ど、どういう会社なの...」
「先見のある優しいワンマン社長一族、私の見立てはそんな社風でした。技術より人を愛し、人を愛することで技術を養う、というのが私の知るここ二代の社長から直接聞いた言葉です。」
「それは私も経営者として見習わないといけない言葉ですね。」
「旭柰さん、社長、トウマさんは、超直感志向の人ですよ。経営も賭けに出るのが大好きな人ですから。参考にしない方がいいです。」
「そういう側面はあるね。だが、まさかライトニングボルトをAI仕様ごと完全公開するとは思わなかった。」
「この短期間で台湾との話はどう纏めたんですかね。」
「台湾?」
「ライトニングボルトの電装系、特にAIは台湾のホロンエレクトロが開発主体なんです。先代筋からの繋がりで、かなり初期から共同開発を進めてました。」
「私が半島に居を構えたのも、頻繁に台湾へ行くためでもあったからね。何度空港行き来したことやら。」
「家の店舗、セントレアにもあるので意外とお客さんだったのかもしれませんね。」
「多分そうだね。自慢じゃないが空港の飲食店は全部言ったと思うよ。特に海産系は美味しい店が多い、寿司から割烹にフィッシュバーガー、全制覇しました。」
「じゃあ確実にお客さんですね。」
「あとで店を教えてください。また利用させていただきます。」
「はい。是非お願いします。」
「では、ここまでにしましょう。一応、ここは建前上【銀の柱/イグナクト先進機構プロジェクト】となっていますがしばらくは我々が体勢を整える段階。無論それはお二人の都合含めてです。我々もできることを尽くすため、是非、お二人の意見を頂ければと思ってます。よろしくお願いします。」
「はい。」
二人の返事を背に受けながら、久留生は軽く一礼して待機室を後にした。
自動ドアが閉まり、冷涼な空気から再び工事区画の熱気へと足を踏み入れる。頭上を激しく交錯するクレーンアームや、コンクリートの床を穿つ重低音の振動が靴底を通じて身体に伝わってくる。そのすべてが、人類の持つ最新にして最大の工業力の証明だった。
しかし、自室である管理責任者室に戻り、デスクの前に深く腰掛けた久留生が個人端末に呼び出したのは、それら最先端の地球技術を遥かに置き去りにした「異文明の先端テクノロジー」の解析データ。
ディスプレイに浮かび上がるのは、従来の物理法則や材料工学の常識では説明のつかない、イグナクトのコア構造。
同様知識と知見を持ち合わせる真鎖人がイグナクト操者ながらも隠し切れない困惑の色をの覗かせる核心部分がここにある。
漆黒の宇宙から飛来したその結晶体は、分子レベルで自己組織化され、まるで生き物のように神経駆動系を構築している。
データ共有のためだけでも地球の最新鋭AIやトウマ重工の高度な電装系を組み合わせることでようやく「接続」の真似事ができるという事実そのものが、決定的な技術格差を物語っていた。
無論これはイグナクト/銀の柱側からの適切なインターフェイス提供があっての様、基底とする技術水準の階段にはどれほどの開きがあるのか検討すら付けられない。
久留生は静かに息を吐き、ホログラムの光を網膜に映しながら、思索の海へと沈んでいく。
――地球の文明は、あまりにも幼い。
自分たちが「最先端」と呼び、誇らしげに組み上げているこの巨大な物流システムも、超高速の搬入オペレーションも、宇宙という果てしない深淵のスケールから見れば、砂場に描いた泥の城に過ぎないのではないか。
この青い地球という惑星は、人類という名の幼子が眠る、あまりにも優しく、そして狭い「ゆりかご」だった。
人類はその中で、自分たちが世界のすべてであるかのように振る舞い、まどろみの中で独自の科学を育んできた。
今、人類はそのゆりかごから出るか、それとも出ないかという、種としての重大な分岐点に立たされている。
背後にある巨大なハンガーで静かに事態を見つめるイグナクト。
あの異文明のテクノロジーは、人類を脅かす怪物などではない。
それはまるで、自立の時を迎えた幼子の前に現れ、ゆりかごの外へと優しく手を引いてくれる「大人」の姿そのもののように、今の久留生には思えた。
人類が真に目覚めるために、あの巨躯が差し伸べた手を、自分たちはどう握り返すべきなのか。
久留生は窓の外、絶え間なく物資を吐き出し続ける人類の意地を見つめながら、これから始まるイグナクトを中核としたプロジェクトの重みを静かに噛み締めていた。
その頃、突起研では久留生が見ていたイグナクトの状況が仔細にまとめられた資料の説明会が行われていた。
各国トップクラスの研究者も招いての技術資料提供。
こうしている今も、イグナクト自身の内部でリアルタイムに行われている機構変成、その説明がなされた。
イグナクトは外観こそライトニングボルト(SX-VF100D/練習機)と似た形状を維持してはいるが、内部は絶えずナノマシンにより変性/変成を繰り返している。
ナノマシンによるほぼ未知のテクノロジー。
゛ほぼ゛というのはこの時点で人類文明が一応の実用化を果たしている
「分子やDNAを組み立てて作る、特定の化学反応で動く超微細な構造体」
この機能を発展させた先にイグナクトの扱うナノマシンがあるという事実からくる。
人類の扱うナノマシンは、主に「DNA」や「高分子」を材料にして作られた体内の特定の用途に対しての化学反応を引き起こすモノとして定義されている。
これは知能を持たないまま発生する【反応】という点に主眼が置かれているが故の単機能の産物。
そしてこれとは別に人類が研究している物に【機械工学・化学(分子モーターの開発)】がある。
これは金属の歯車を作るのではなく、「1つの分子そのものを回転させてモーターにする」という点に特徴があり、分子そのものが機構として機能している。
嘘のように聞こえるかもしれないが現実としてこの機構を利用し「自分で傷を修復する材料(自己修復材料)」の研究が人類でも進められている。
イグナクトのナノマシンは微細な金属粒子を核としたコア内部に、自立型AI制御機構を組み込み、光子を原動力にAIを駆動している。
これに今述べた人類のナノマシンの概念を組み込んだものが今稼働している物の始祖になる。
つまり
①化学反応のトリガーとなる機構
②分子自体が機構を構成する
③AI組み込みの自立
④光子をエネルギーとして①~③を駆動する
このパッケージングの発展型がイグナクトの内部で稼働して、超速での内部変成と変性を繰り返す。
人類はこの①②を存在する技術として捉え始めている。
文明が存続し技術が発展すれば獲得できる可能性のあるものであるという事実が示された。
イグナクトは魔法でもなければ呪術でもない。
現実に存在する物理現象を究極まで突き詰めていく中で獲得できる科学の形なのだ。
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一方その頃。東京、永田町
衆議院第一議員会館
須崎事務所は、特有の静謐な緊張感に包まれていた。
カツカツと廊下を歩いてくる足音とともに現れたその男は、一見して永田町にはおよそ不釣り合いな、異様な存在感を放っている。
頭髪は天然パーマの短髪。
顔に張り付くようにかけられた、薄い茶色のスモークがかった小さなレンズの額なしメガネ。
仕立ての良いスーツを崩して着こなすその姿は、一見して堅気の人間ではないような、底知れない怪しげな風貌をしていた。
事前に須崎本人から「来客がある」とだけ聞かされていた鍵谷政策秘書は、男と対面した瞬間に内心で【そっち系の人……?】と直感し、思わず息を呑んだ。
そのまま応接スペースへと通す際、廊下やすれ違うデスクでこの来訪者を視界に認めた他の事務所スタッフたちも、一様に動きを止め、驚きと警戒の視線を交わし合っている。
全員が鍵谷とまったく同様の認識を持ったのは、場の空気から一目瞭然である。
男は慣れた足取りで案内され、事務所の最奥に位置する一角へと、静かに足を踏み入れていった。
案内された最奥の一角で、男はソファーにどさりと腰を下ろすなり、大袈裟な身振りを交えて開口一番に口を開いた。
「これはこれは大臣様、かような下賤の者をこのような場所へお呼び出しになるとは一体いかような事態でございますでしょうか?――ってかなんじゃこりゃー!!」
芝居がかった恐縮の態度から一転、最後は事務所の全員に聞こえるほどの声を上げた男に、鍵谷をはじめとするスタッフ一同は「ひっ」と息を呑み、本気でビビって身を強張らせてしまう。
「ははははは! 相変わらずその口上からか。」
緊迫した室内に、須崎の快活な笑い声が響き渡った。
まるで質の悪いコントでも見ているかのように、須崎は机に身を乗り出して破顔している。
スタッフたちは、目の前の怪しい男と満面の笑みを浮かべるボスを見比べ、何が起こっているのか完全に理解が追いつかない様子で困惑気味に須崎を見つめた。
その室内の張り詰めた空気を認めた須崎は、秘書や事務スタッフたちに向けて、もう安堵していいというように軽く手を振りながら、苦笑交じりに声をかける。
「驚かせて済まない、みんな。彼は私の大学からの友人だ。いつもこうだから気にしないでくれ。」
「人を変人みたいに言うな。」
男は眉をひそめ、薄い茶色のレンズ越しに不満げな視線を須崎に投げ返した。
だが、須崎はさらに笑みを深めて言葉を続ける。
「司法試験を難なく突破しトップの成績で卒業。挙句、みんな蹴っ飛ばして教授陣と一悶着、警官になったかと思えば出世コースから逃げまくり、わざわざ窓際を希望、隙あらば外郭団体に滑り込もうとする男だ。変人といって差し支えないだろう?」
「けっ、相変わらず嫌な記憶力してやがる。」
男は忌々しげに舌を鳴らすと、ようやくその怪しげな肩の力を抜き、スモークがかったメガネのブリッジを指先で押し上げた。
その態度からは、二人が永田町の「大臣と陳情者」ではなく、長い時間を経ても変わらない対等な友人関係であることが、周囲のスタッフにもはっきりと伝わってきた。
男の名は 諸墨天次郎、49歳
彼は現在、警察庁警備局外事情報部・外事第一課に所属する、泣く子も黙る公安エリート……の皮を被った風来坊である。
学生時代から成績優秀でありながら、その素行の悪さと無類の女好きは有名だった。
「司法の世界に入ったらお堅すぎてキャバクラや風俗に行きづらくなる」という、あまりにもふざけた理由で法曹の道を蹴っ飛ばし、周囲の猛反対をどこ吹く風と聞き流し、有能を隠すように平刑事道をダラダラと歩んできた変人。
座右の銘は『キャバクラは月/10万まで、ボーナス月のみ同伴寿司は許容する。』という徹底した規則を立てるところ、法曹畑を歩いた者の片鱗を覗かせる。
今回は、かつての学友である須崎からの「どうしても」という強い願いを受け、こうして議員会館、事務所へ足を運んだのだった。
「まぁいいさ。昔のよしみだ、この件が片付いたら六本木の『アマゾン』奢りな。あそこの超VIPコース、ずっと気になってたんだよ。それで手を打ってやる。」
「ははは、相変わらずだな。いいだろう。」
須崎が苦笑しながら頷くと、諸墨は一瞬でふざけた空気を消し去り、鋭い眼光を茶色いレンズの奥から覗かせた。
本題に入る合図だった。
「で、警察も動かしたんだろ? それで出てこないのか、このじいさん?」
「そういうことになる。」
須崎の表情から笑みが消え、永田町を仕切る政治家としてのシリアスな顔に戻る。
「公安も使ったんだろ? それでなんも出ないのか?」
「いや、全く出ないことはないんだが……数年前まで愛知で漁業関連の仕事をしていた、ということまでは分かっている。だが、その後パタリと消息を絶ち、足取りを完全に辿れなくなった。」
「なんだよそれ? 仕事仲間に家族はどうした?」
「結論から言えば、誰も今の居場所を知らないんだ。」
「は?」
諸墨はあからさまに不審そうな声を上げた。
公安外事のプロとして、現代の日本国内で人間が一人完全に煙のように消えることの異常性を誰よりも知っている。
「居場所は知らないが、極稀に家族や友人へ電話が来るらしい。だが、こちらからその番号にかけてもあまり繋がることはないそうだ。」
「なんだよそれ? 発信元は辿れないのか?」
「そこが問題だ……」
須崎はデスクの上の資料に視線を落とし、重々しく首を振った。
「痕跡はおろか、何も残らないように足跡が消されている。」
「……おいおい。」
諸墨はソファーの背もたれに深く体重を預け、天井を仰いだ。天然パーマの髪をガリガリと掻き毟りながら、低く、確信を帯びた声で呟く。
「そりゃ、ただのじいさんじゃねえな。どっかのスパイじゃねえのか?」
彼の脳裏をよぎったのは、通称「レポ船」と呼ばれる存在の記憶だ。
1950年代後半から1980年代の冷戦期にかけて、日本の漁業関係者が実質的なスパイ(情報提供者)として活動していた歴史的な事実がある。
主に北の根室や稚内などを拠点とする漁師たちだったが、中には日本海側の漁村、あるいはそこから離れた地にも日本人として深く潜伏しつつ、様々な諜報活動に関わっていた経緯があった。
外国の治安機関や情報機関へレポートを提出する漁船――だからこその「レポ船」という名称。
これらは違法物資の密輸入だけでなく、工作員をはじめとする「人の行き来」にも使われた形跡があり、後に様々な疑惑を生む温床ともなっていた。
国家機密級の問題も孕むこの不穏な動きに、当時の日本の公安警察や海上保安庁もいち早く気付き、その尻尾を掴むべく執念深く追い続けた過去がある。
中には交信無線まで傍受し、個人の特定にまで進んだケースもある。
その結果、1960年代から1980年代にかけて多くのレポ船主や漁師たちが、外国人登録法違反や関税法違反という形を借りて摘発されることとなった。
しかし、当時の日本には直接的なスパイ行為そのものを取り締まる「スパイ防止法」が存在しない時期。
そのため、事態はあくまで監視の目を強めるという範囲での抑止にしか至らず、決定的な根絶には届かないまま一時の幕を閉じたのだ。
2040年代、ようやく聖政権時において、この辺りの法的な枠組みが国際水準を満たすような法改正がなされた。
だが、法が整備された今になってもなお、日本という国家はその強力な枠組みを現場で完全に生かし切れていない。
それが現在の公安を取り巻く、もどかしい現状でもあった。
「愛知の漁師、ねえ……。もしそいつが昔ながらのルートやノウハウを未だに引きずってる『生きた化石』だとしたら、警察の通常の網に引っかからないのも道理だ。」
諸墨は小さくレンズの曇りを拭うようにメガネを位置を直すと、低く笑った。
「面白いじゃねえか。消えたじいさんを探せ!ってのも悪くない。」
「公安の表の網が無理なら、あとはお前の個人的なルートに頼るしかない。よろしく頼む。」
「じゃあ、この資料はもらってくぜ。また連絡する。」
諸墨はソファーから立ち上がると、卓上のファイルを手にし、足早に事務所を出ていった。
先ほどまでの怪しげな熱気が嘘のように静まり返った事務所。
イグナクトの操者となった、真鎖人と旭柰。
二人を国家の陰謀や外敵から守るための枠組みの完成。
須崎はこれが構築できた時点でひとまず小さな安堵の息を漏らした。
そこに全力投入に近い形であったのは、彼自身の経験によるところが大きい。
検事時代、彼は幾度も、【被害者を救い、被疑者を罰する】この当たり前の行為を、組織実務に阻まれる場面に遭遇していた。
この二人の民間人を国家の道具にしてはならないし、ましてや他国間の取引の材料とするなど絶対にさせはしない、その強い思いが彼を突き動かしていた。
そして辿り着いた幾つかの疑問。
須崎は手元の端末を操作し、改めて二人の詳細なプロファイルを精査する。
彼は二人の出自における奇妙な対比、そして旭柰の「父親」という存在へ違和感を抱いていた。
まず、パイロットである真鎖人の経歴は、別の意味で規格外だった。
彼の両親、父は日系アメリカ人、母は日本人であり、今の国籍はアメリカ。
真鎖人本人のみが日本国籍を取得している。
その幼少期からの足跡を洗えば洗うほど、浮かび上がってくるのは恐るべき天才性だった。
端的に述べると、ほぼ最年少に近い異例のスピードで学位を収め、パイロットである父の血脈そのままに最短でライセンスを取得、自身の国籍を選ぶ段になり、本人は日本行きを希望し始めた。
かつて日米双方が、この破格の人材を自国の国防・技術領域に囲い込もうと、その国籍の行方を巡って激しい水面下のスカウト合戦(人材獲得競争)を繰り広げていた。
一方の旭柰は、生粋の日本生まれの日本人。
しかし、彼女の歩みもまた平坦ではない。
特異な経歴を経た末に、彼女は若くして一色区の漁港関係者や、物流の実務を取り仕切るトップへ起つ。
それまでの漁港/漁協幹部たちとも対等に渡り合うその手腕の背景を探るうち、須崎の目は彼女の「家族構成」へと向けられた。
母親は、旭柰の実の妹とともに愛知の本土側で複数の飲食店を切り盛りしている。
そして、その店で使う新鮮な海産物の仕入れルートを、一色基地側にいる旭柰がコントロールしている。
そこまでは極めてクリーンで、機能的な家族の協力体制が見て取れた。
だが、父親の存在だけが、意図的なまでに「全く見えなくされている」のだ。
強力な戸籍の閲覧制限、納税記録、あらゆる公的なデータベースから、その男の足跡は不自然なほど隠され、削ぎ落とされていた。
それも、通常の捜査機関はおろか、警察や公安の監視の目すら巧妙に掻い潜れるほどの、手練れによる隠蔽の節がある。
これが国防に直接的な危機を及ぼすもの、と現時点で断定したわけではない。
しかし、イグナクトという人類の命運を握る機体のコアに、なぜ民間人である旭柰が唯一無二の生体認証者として選ばれたのか。
その謎のパズルを解き明かし、今後の不測の事態を見据える上で、この消えた父親の正体は「一考の価値がある」と須崎は直感した。
だからこそ、表のルートではなく、諸墨という独自のパイプに調査を委ねたのだ。
「……銛旭柰。君の父君は、一体何者なんだ」
須崎はファイルに添付されている旭柰の顔写真を見つめながら、静かにそう呟いた。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
資材を搬入し終えたハンガーにはメカニッククルーが集まり設備の配置稼働作業が開始されていた。
それと並行し正式にイグナクトの機付長として就任した朝倉あゆみの、最初の仕事も始まる。
現在のイグナクトが内包している未知のシステムをすべてリスト化、その中で人類が関与・制御できる境界線がどこにあるのかを切り分ける総点検作業。
大半の基礎データはすでにプロジェクトチーム総出で洗い出しを終えており、現在はその最終仕上げのフェーズへと移行していた。
それは、操者である真鎖人と旭柰の二人に実際に搭乗してもらい、生体バイタルを機体に同期させながら、稼働領域の整合性をリアルタイムで確認していく実証作業である。
「こっちのモニタリングは準備できたよ。」
乗り込んだ旭柰は、まだそのシートへ馴染みが薄いため感触を探りながら座っていた。
先の闘い、無我夢中の時に拾い切れていなかった様々な情報を反芻するように確認している。
「これでいいの、イグナクト?」
『それでいい。』
コックピット内へ響く、イグナクトの静かな声。
それと同時に、コックピット正面のメインモニターのインジケーターが一斉に明滅。
【Restructuring Complete】(再編完了)
の文字が鮮やかに浮かび上がった。
電子空間に並ぶ無数の光の文字列が、異文明の言語から人類の扱えるコードへと急速に翻訳されていく。
直後、室内に短く鋭いアラート音が鳴り響き、システムの中央で一つの英語表記が点滅を始めた。
"Disengage Aircraft A from Aircraft B."(機体Aと機体Bの接続を解除)
――カシュゥゥゥ―――……。
機体全体から、静かな作動音が鳴り響く。
それと同時に、イグナクトの稼働を示す緻密な幾何学模様のラインが、コックピットの内壁や各コンソールにうっすらと赤く走り始める。
ガシャッゥ――!
「えっ、うそ、これ大丈夫なの!?」
旭柰が思わず声を上げた。
彼女の目の前、真鎖人が座る前部操縦席のシート裏と、自身の正面コンソールの間に突如として光り輝く透明な隔壁が展開される。
そのまま、一体だったはずの機体が引き裂かれるように前後に分かれ始めた。
正確には、互いの操縦席を境界線として、真鎖人のコックピットは機体の前面へ、旭柰のコックピットは後ろ面へと、流れるような軌道で分離していく。
「すごーい! ヒラメの二枚おろしみたい!」
「あんた、何を見ても魚になるねぇ……」
旭柰のあまりにも素直な職業病反応に、通信回線越しに朝倉が、笑い半分で応じる。
「あはは、すいません、つい。」
「機構の側面だけを見れば、旭柰さん側はセミクジラに似ていますね」
「あ、ホントだ。背びれ(垂直尾翼)がないし。って、真鎖人くんなんでそんなこと知ってるの?」
「海洋生物、特にイルカやクジラは泳ぐ際、流体力学的にも驚異的な効率を発揮するんですよ。ライトニングボルトの下面デザインには、トウマ重工が培ってきたその生体模倣の研究が取り入れられているんです。」
「そうなんだ。だから下側は綺麗な曲線なのね」
「それにしても、これ結合部分の構造はどうなってんのかね? 分子間力か何かで金属同士を無理やり引っ付けてるのかい?」
あゆみが手元のモニターを凝視しながら疑問を投げかけると、スピーカーからイグナクトの声が返ってきた。
『その通りだ。分子単位で隔壁を再構成し、切断した』
「えっ、切断!? 大丈夫なのそれ……」
『問題ない。正確には、分離に伴い切断現象を再現したに過ぎない。決まったプロセスで逆の手順を踏めば、結合も容易だ』
「なるほど、冷間圧接だね」
あゆみが納得したように頷く。
「表面を極限までツルツルに磨いた金属同士は、真空中で押し付けたり、熱を加えてやると分子レベルで一体化しちゃうのさ。まぁ、これほど一瞬で、しかも完璧に制御するなんて人類の技術じゃ不可能だけどね。それより、そっち(内部)の様子はどうだい?」
「前部は特に問題ありません。計器機能はすべて維持、出力も綺麗に二分されています」
「私は……よくわからないですけど、特に体感の変化はないです」
『うんうん、数値も安定してる。特に問題ないみたいね。こうやって内部機構が可視化されていると、整備する側としても安心するわ』
あゆみが見つめるメインモニターには、兵装関連の制御システムが、前後へ綺麗に分離した双方の機体へと寸分の狂いもなく引き継がれていく様がリアルタイムで描かれていた。
『これで二人が別行動中であっても、私は双方と同時に随伴可能になる』
イグナクトがこの「分離運用案」を提示したのには理由があった。
須崎が提案した「二人を秘匿し、普段の民間人としての生活を維持するための法的枠組み」が完成、機能し始めるまでには、どうしても一定の時間が必要になる。
そして双方が常に行動を共にするわけではない前提から、イグナクト自身が取れる最善の選択がこれだった。
イグナクトのメイン意識の大部分は【銀の柱】に保持され、中核となる駆動コア(Sモノポール)のみが真鎖人側の機体に残る。
そして旭柰側の機体には、新たにバックアップ用のエナジーコアが構築される仕組みだ。
これならば、二人が何万キロと離れていない限り、たとえ片方だけで突発的な戦闘を余儀なくされても、もう一方が合流するまでの間、敵と互角に渡り合うだけの十分な戦闘機能を担保できる。
「ごめんなさい。私の、勝手な都合に合わせる形になってしまって……」
申し訳なさそうに呟く旭柰に、イグナクトの意思が優しく、かつ毅然と語りかける。
『気にする必要はない。私は旭柰と同じ、今できることを尽くしているに過ぎない。――想いが全てを動かす鍵となる。それを行動で示して見せたのは、君だ。』
「ありがとう、イグナクト。」
『今後、分離状態における私は、便宜上【ナクト】と名乗らせてもらう。』
「え? そうなの?」
「じゃあ、こっちは【イグナ】って呼べばいいのかい?」
『その通りだ。よろしく頼む、真鎖人。』
「なんだいそれは。ロボットの二人羽織かい?」
真鎖人の軽口に、コックピットと管制室にはドッと柔らかな笑い声が広がった。
二人の操縦席を起点として、前後(上下)に分割された機体は、それぞれが独立した二機の小型戦闘機となる。
真鎖人が駆る「イグナ」、そして旭柰の操る「ナクト」。
それぞれが単体で高い飛行・戦闘能力を有し、合体することで本来の形態である【イグナクト】へと姿を変える。
さらに、これまで自身のモリブデン鋼材を変性させて射出していた各種兵装への対策として、武装用の変性に最も適した特殊素材「Eパック」が、母体である銀の柱から直接供給されるシステムも確立された。
三位一体の観点からリンクされたその感知領域は広大だった。
「銀の柱」を中心に地球規模に匹敵する3万キロ四方、そして「イグナ」「ナクト」自身を中心とした半径2000キロの範囲内であれば、いつでも互いの存在やバイタルを瞬時に感知できるという。
それぞれができることを尽くす。
その果てにある、人類の未来。
希望を、その手で掴み取るために。
二機の翼は、ハンガーの淡い光の中で、静かに、その駆動音を響かせ続けていた。
次回
天のイグナクト
第九話
『覚えておくがいい、俺のお名前はくじらくんさんだっ!』
2026年10月2日 14時00分頃公開
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【下駄のイグナクト】
(取材/ロケ/備忘録。)
https://x.com/getanoignact
不穏な次回タイトルでの幕引き...
どうなるんでしょうね...
私は特に好きな話です。
どうか一週間お待ちください。
ではまた来週~
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【下駄のイグナクト】
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