《担当者不在バーガー》
町でいちばん大きな結婚式場には、花嫁がいなかった。
それでも式は始まった。
「新婦入場です!」
扉が開く。
誰もいない。
なのに参列者は立ち上がり、拍手した。
最前列では母親が泣いている。
新郎の柴崎ユウだけが、空っぽの通路を見ていた。
「……誰?」
隣の係員が小声で言った。
「新婦様です」
「見えないんですけど」
「本日は欠席ですので」
「結婚式を?」
「はい」
「花嫁が?」
「はい」
係員は笑顔を崩さない。
「最近、多いですよ」
---
披露宴も普通に進んだ。
二人の馴れ初め。
新婦のプロフィール。
新婦友人によるスピーチ。
新婦から両親への手紙。
全部ある。
本人だけがいない。
スクリーンには幼少期の写真が流れる。
ただし、どの写真にも新婦はいない。
公園の滑り台。
入学式の校門。
修学旅行の集合写真。
誕生日ケーキ。
どれも中央に、
一人分の空間だけが空いている。
司会者が朗らかに言った。
「素敵な笑顔ですね!」
会場から、
「かわいい!」
と声が飛ぶ。
ユウは立ち上がった。
「ちょっと待って」
拍手が止まる。
「俺、この人知らない」
会場が静まり返った。
新婦の母親が顔を上げる。
「何言ってるの、ユウくん」
「だって名前すら」
言おうとして、
気づいた。
招待状。
席次表。
ウェルカムボード。
どこにも新婦の名前がない。
《新婦》
としか書かれていない。
新郎新婦の名前を書くはずの婚姻届にも、
片方だけ空欄。
それなのに役所の受理印が押されている。
係員が近づいてきた。
「新郎様」
「なんですか」
「予定どおり、ケーキ入刀をお願いします」
巨大なウェディングケーキ。
ナイフが二本置かれている。
一本をユウが持つ。
もう一本は、
ひとりでに浮いた。
ユウは逃げた。
---
式場を飛び出す。
町がおかしい。
駅前では選挙演説。
候補者がいない。
空っぽの演台へ聴衆が拍手している。
書店では、
著者名のない本がベストセラーになっている。
映画館では、
主演俳優が一度も映らない映画に行列ができている。
野球場では、
誰もいない打席に歓声が上がる。
実況。
「打った!」
ボールだけが飛んでいく。
ホームラン。
ユウはコンビニへ逃げ込んだ。
「すみません!」
店員がいない。
レジだけが言う。
「いらっしゃいませ」
棚を見る。
牛乳。
《製造者:》
弁当。
《製造者:》
雑誌。
《発行者:》
全部、
空欄。
「なんだよこれ」
商品そのものは存在する。
作った人だけが、
消えている。
---
スマートフォンが鳴った。
父からだった。
「式の途中で何やってる!」
「父さん、あの花嫁って誰なんだよ!」
沈黙。
「……花嫁だろ」
「名前は?」
父は答えられなかった。
「顔は?」
答えられない。
「いつ会った?」
長い沈黙。
「でも」
父が言う。
「お前は結婚するんだろ?」
通話が切れた。
ユウはスマートフォンの写真を開いた。
自分の写真がない。
旅行先。
料理。
友人。
景色。
だが撮影者だった自分は、どこにも写っていない。
鏡を見る。
顔はある。
まだ。
---
翌朝。
ニュースが流れた。
《史上初、無人内閣発足》
記者会見場には、
マイクだけが並んでいる。
政策は決まる。
法律も成立する。
誰が決めたのかは、
誰も知らない。
会社から電話。
「柴崎くん、今日休み?」
「こんな状況で仕事するんですか」
「状況?」
「社長がいないでしょう!」
「社長?」
上司が笑った。
「会社は社長が作るものじゃないよ」
出社すると、
確かに会社は動いていた。
会議。
承認。
契約。
給与振込。
ただし組織図の上から、
人間の名前が消えている。
社長。
部長。
課長。
担当者。
最後には、
社員。
机だけが仕事をしている。
キーボードが勝手に鳴る。
空の椅子が会議室へ移動する。
資料だけがページをめくる。
ユウは叫んだ。
「誰がやってるんだ!」
誰も答えない。
その問い自体が、
意味を失い始めていた。
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一週間後。
町から料理人が消えた。
料理は残った。
農家が消えた。
野菜は育った。
運転手が消えた。
バスは走った。
母親が消えた。
子供は生まれた。
子供が消えた。
学校だけが卒業式を続けた。
人類は、
世界にとって必要ではなかった。
むしろ逆だった。
人間が何かをしているのではない。
何かが起きたあと、
そこへ「やった人」を配置していた。
料理ができる。
だから料理人が置かれる。
本ができる。
だから作家が置かれる。
国が動く。
だから政治家が置かれる。
子供が生まれる。
だから親が置かれる。
結婚という出来事がある。
だから新郎と新婦が置かれる。
ユウは理解した。
あの結婚式で欠席していたのは、
花嫁ではない。
世界が、
新婦役の人間を用意し忘れただけだった。
---
そして今度は、
ユウの番だった。
自宅へ帰る。
玄関に靴がある。
自分の靴。
脱いだ記憶はない。
台所には食べ終わったカレー。
風呂は濡れている。
テレビには、
ゲームの続き。
生活だけが先に進んでいる。
ユウはまだ玄関に立っているのに。
寝室から、
寝息が聞こえた。
恐る恐る開ける。
布団が、
人間一人分だけ膨らんでいる。
だが誰もいない。
ユウが布団をめくる。
枕に髪の跡。
身体の温度。
そこには、
「柴崎ユウの睡眠」だけがあった。
本人抜きで。
翌朝。
ユウは会社へ行かなかった。
それでも出勤記録がついた。
仕事をしなかった。
それでも資料が完成した。
食べなかった。
それでも腹が満たされた。
歩かなかった。
それでも目的地へ着いた。
世界から、
原因が必要なくなっている。
結果だけが増殖する。
火のない煙。
雨のない水たまり。
誕生していない老人。
建てられていない廃墟。
食べられていない食べ残し。
そして、
殺されていない死体。
町中が、
結果だけで埋まった。
---
最後の日。
ユウは最初の式場へ戻った。
披露宴会場には、
まだ料理が並んでいる。
腐っていない。
誰も作っていないから、
作られた時刻が存在しない。
中央には、
ウェディングケーキ。
そして、
あの日の二本のナイフ。
一本が浮かぶ。
もう一本も浮かぶ。
ユウは触れていない。
二本のナイフが、
ケーキへ入った。
歓声。
誰もいない客席から。
「おめでとう!」
拍手。
椅子だけが揺れる。
ユウは笑った。
「もう俺もいらないんだな」
返事はない。
次の瞬間、
彼が消えた。
死んだのではない。
最初から、
必要なかったことになった。
---
人間が全員いなくなっても、
世界は動いた。
さらに動いた。
やがて動物が消えた。
植物が消えた。
微生物が消えた。
生命がなくても、
呼吸だけが残った。
森がないのに酸素が生まれる。
太陽がなくても昼になる。
地球がなくても重力がある。
星がなくても夜空が輝く。
最後には、
物質まで不要になった。
「存在するもの」がなくなり、
「起きたこと」だけが宇宙を満たした。
落下。
燃焼。
発酵。
切断。
加熱。
圧縮。
混合。
世界にはもう、
落ちる物も、
燃える物も、
発酵する物もない。
それでも現象だけが続く。
そして。
調理が始まった。
料理人はいない。
食材もない。
厨房もない。
だが、
「焼いた」という結果が生じる。
存在しない鉄板に、
焦げ目だけが現れた。
「挽いた」という結果。
何もない場所に、
肉の粒だけが集まった。
肉になったのは、
かつて世界で起きた衝突だった。
交通事故。
隕石。
握手。
喧嘩。
抱擁。
ぶつかったという結果だけが圧縮され、
赤黒いパティになる。
「刻んだ」という結果から、
レタスが生まれる。
紙。
髪。
森林。
別れ。
切断されたものの記憶が、
薄い葉になる。
「泣いた」という結果から塩。
「祝った」という結果から甘いソース。
「失敗した」という結果から焦げ。
「待った」という結果から、
じっくり炒めた玉ねぎ。
最後に、
世界中で一度でも、
何かを挟んだという出来事が集まった。
本に挟んだ栞。
ドアに挟んだ指。
会話に挟んだ冗談。
人と人の間に挟まった沈黙。
それらが、
上下二枚のバンズになった。
閉じる。
完成した。
誰も作っていない。
誰も注文していない。
誰も食べない。
それでも、
バーガーだけは存在した。
商品札が現れる。
書いた者はいない。
文字だけが最初からそこにあった。
《担当者不在バーガー》
その横には、
小さな紙が一枚。
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