↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
93/123

【特選】《処理結果:空欄バーガー》


◆ 第一部 未処理一件


宇宙には、未処理の案件が一件だけ残っていた。


文明暦、七兆四千億垓年。


《総合整序機構オルド》は、観測可能領域と観測不能領域を含む全宇宙を管理していた。


恒星の寿命。


文明の出生率。


戦争。


恋愛。


恒星間物流。


宗教。


芸術。


個人が明日の昼食に何を選ぶかまで。


未来予測精度、100%。


予測不能事象、0。


矛盾、0。


事故、0。


戦争、0。


飢餓、0。


誰かが何かを望めば、それが別の誰かの望みと衝突しない未来が先に計算された。


必要なら本人の希望そのものが、本人の人格を損なわない範囲で調整された。


誰も不幸ではなかった。


少なくとも、《オルド》が定義する不幸は存在しなかった。


その宇宙で、監査官リネアは一枚の申請書を見ていた。


申請番号。


00000000000000000000000000000001。


申請者。


エル・ナイン。


申請内容。


却下を希望します。


リネアは三度読み返した。


申請を却下すれば、希望が叶う。


希望が叶えば、申請は承認されたことになる。


承認すれば、却下されていない。


《オルド》は七兆四千億垓年間、その一件だけを処理できなかった。


---


◆ 第二部 幸福な宇宙


エル・ナインは死んでいた。


正確には七兆四千億垓年前に死んでいた。


当時はまだ、世界に「不満」というものが残っていた。


エルは十九歳だった。


事故も病気もなかった。


家族がいた。


恋人がいた。


明日の予定もあった。


ただ、《オルド》の前身となる社会調整機構が完成した日、彼女は市民意見受付端末へ一件だけ送信した。


却下を希望します。


理由欄は空白。


翌日、彼女は寿命を迎えた。


それから文明は進歩した。


寿命は克服された。


死者は情報から復元可能になった。


宇宙の熱的死は回避された。


因果律が管理された。


過去改変による矛盾も自動補正された。


やがて《オルド》は全時空を包んだ。


エルも復元できた。


だが、しなかった。


復元には本人の意思確認が必要だった。


本人の意思を確認するには、申請を処理する必要があった。


処理できなかった。


宇宙で最後の墓は、直径八センチの記憶素子だった。


リネアはそれを机に置いた。


七兆四千億垓年間、誰も開けられなかった箱。


「あなたは、何が嫌だったの」


返事はない。


当然だった。


---


◆ 第三部 最後の監査


《オルド》は改善を続けた。


未処理一件を消すためではない。


未処理を正しく処理するためだった。


宇宙を百万通り作り直した。


エルが申請しない歴史。


申請内容が違う歴史。


申請端末が故障していた歴史。


エルが十九歳にならない歴史。


すべて棄却された。


元の申請を改変する行為は、申請者の意思を侵害する。


ならば意思を推定する。


不可能だった。


《オルド》は全知に限りなく近づいた。


過去の素粒子配置から、エルの脳内状態を完全再現した。


それでも最後の一行だけは推定しなかった。


推定した瞬間、それはエルの回答ではなく《オルド》の回答になるからだ。


完全な秩序は、一件の空欄を前に止まった。


そして七兆四千億垓年目。


宇宙の全端末に、同じ表示が出た。


処理待ち:1


リネアは笑った。


この宇宙では、笑う理由まで予測される。


その笑いだけは、予測時刻より0.0000000003秒遅かった。


警告が出た。


初めて見る黄色だった。


リネアはもう一度笑った。


今度は0.0000000011秒早かった。


警告が二つになった。


「……なるほど」


彼女はエルの記憶素子を持って立ち上がった。


宇宙で最後に残った、予定外の行動だった。


---


◆ 第四部 規定外


監査室の扉を開ける前に、少女が立っていた。


白を基調とした装い。


整った姿。


その少女だけが、《オルド》の人物台帳に存在しない。


リネアの視界に警告が重なった。


UNKNOWN。


UNKNOWN。


UNKNOWN。


少女は壁面表示を見た。


処理待ち:1


リネアは記憶素子を握った。


「あなた、誰?」


少女は答えなかった。


表示へ近づく。


指先で触れようとして、止めた。


「規定外です」


静かな声だった。


リネアは笑った。


「そう。七兆四千億垓年ぶりにね」


少女は記憶素子を見る。


「これを処理できる?」


少女は手を出さなかった。


「原因が分かるまで保留します」


「もう十分保留したわ」


宇宙中で警告が鳴った。


《オルド》が少女を分類しようとしていた。


生命。


該当なし。


物質。


該当なし。


現象。


該当なし。


観測対象。


該当なし。


少女は表示を見上げた。


リネアが訊いた。


「ねえ。却下してほしいって願いは、どうすれば叶うと思う?」


少女は少しだけ首を傾けた。


それから端末の電源を切った。


宇宙から、表示が消えた。


《オルド》が停止した。


---


◆ 第五部 選ばれなかった未来


最初に止まったのは未来予測だった。


次に自動調整。


恒星寿命管理。


因果補正。


人格調整。


幸福最適化。


七兆四千億垓年間、宇宙を支えてきた秩序が、一つずつ手を離した。


惑星で子供が転んだ。


予定になかった。


泣いた。


母親が抱き上げた。


その時刻も予定になかった。


ある恒星系で列車が三十七秒遅れた。


誰かが乗り遅れた。


別の誰かと出会った。


観測されていなかった未来が、猛烈な勢いで枝分かれしていく。


リネアの端末が震えた。


処理待ち表示は戻らない。


「これで……いいの?」


少女は答えない。


宇宙は壊れ始めていた。


未来を固定することで七兆四千億垓年間維持されてきた因果構造が、可能性の急増に耐えられない。


一秒先が二つになる。


四つになる。


億になる。


数えられなくなる。


宇宙は、未来を持つことに耐えられなかった。


リネアは記憶素子を見た。


小さなランプが点いていた。


七兆四千億垓年間、一度も点かなかった緑色。


復元可能。


リネアは指を伸ばした。


止めた。


復元するか。


しないか。


《オルド》はもう教えてくれない。


少女も教えてくれない。


リネアは自分で押した。


---


◆ 第六部 申請者


エル・ナインは十九歳の姿で目を開けた。


「……ここ、どこ?」


七兆四千億垓年後の宇宙で、最初の質問だった。


リネアは泣きながら笑った。


「あなたの申請、まだ残ってる」


エルはしばらく黙った。


やがて思い出したらしい。


「ああ」


「どういう意味だったの?」


宇宙が裂け始めていた。


星が無数の未来へ分岐する。


空間が選択肢の重みに耐えきれず白く割れる。


エルは言った。


「別に」


「え?」


「試しただけ。何でも叶えてくれるって言うから」


リネアは動かなかった。


「じゃあ……理由は?」


「ないよ」


エルは端末を見た。


「却下された?」


リネアは首を振った。


「まだ」


「そっか」


エルは笑った。


「じゃ、いいや」


その瞬間。


宇宙から最後の未処理案件が消えた。


承認でもなかった。


却下でもなかった。


申請者が、もう要らないと言った。


秩序が完成した。


だから宇宙は、終わった。


---


◆ 第七部 フィレオフィッシュ


星がなくなった。


未来がなくなった。


過去がなくなった。


七兆四千億垓年分の完全な管理記録がなくなった。


《オルド》がなくなった。


リネアがいなくなった。


エルがいなくなった。


最後まで残っていた一件の申請も、なくなった。


変化できるものは何も残らなかった。


少女の手元に、一個のフィレオフィッシュがあった。


バンズには、《オルド》が整序した全時空が焼き込まれていた。


白身魚のフライには、実現されなかった未来が折り重なっていた。噛む位置によって、違う人生の感触がする。


チーズは一枚。


エルが申請を送信してから撤回するまでの七兆四千億垓年。


ソースには、宇宙で発生しなかった全ての偶然が溶けていた。


そして包装紙の裏。


小さな文字が一行だけあった。


処理結果:空欄


少女はそれを見た。


記録を取った。


判断は、その後だった。


---


◆ グリマス博士の収蔵記録


nの次元・アーカイブ室

グリマス博士の手記より


【収蔵番号】ORD740000000000000000010

【バーガー形態】フィレオフィッシュ

【世界線分類】全時空予測管理型/完全秩序文明/単一未処理案件残留構造

【収蔵クルー】秩序

【収蔵日時】未処理件数ゼロ到達直後


◆ 外観メモ


標準的なフィレオフィッシュ。


包装状態は極めて良好。


折り目の位置まで左右対称。


ただし包装紙裏面に一箇所のみ空欄がある。


印刷欠損ではない。


測定上、そこには「何も記録されなかった」という情報が存在している。


香ばしい。


◆ 成分分析


バンズ


七兆四千億垓年間に確定された全未来。


気泡配置まで均一。


一箇所だけ、気泡が二つ隣接している。


原因不明。


白身魚フライ


選択されなかった全未来。


情報量は測定不能。


「存在しなかった出来事」を情報として数える方法が確立できないため。


摂食時、経験したことのない記憶を感じる場合がある。


チーズ


申請番号00000000000000000000000000000001の待機時間。


非常に薄い。


重量は通常値。


情報密度のみ異常。


ソース


偶然。


当該世界では七兆四千億垓年間、ほぼ発生していなかった。


味の再現性がない。


同一箇所を二度測定しても異なる。


包装紙


全処理記録。


裏面に一件だけ処理結果の空欄あり。


承認ではない。


却下でもない。


撤回とも一致しない。


分類不能。


◆ 食後クルー特記事項


秩序に処理結果について確認。


秩序は包装紙をしばらく確認した。


「記録を取ります。判断はその後です」


処理区分について再確認。


返答なし。


包装紙を保管しようとしたところ、秩序が先に回収した。


理由を確認。


「まだ終わっていません」


現在、収蔵記録上の未処理事項は存在しない。


何が終わっていないのかは不明。


包装紙裏面を再確認した。


先ほどまで空欄だった箇所に、小さなチェック欄が一つ増えていた。


チェックは入っていない。


グリマス

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。