《開封済みにつき返品不可バーガー》
この国では、買ったものを何でも返品できる。
服。
家具。
食品。
住宅。
結婚式。
大学の四年間。
そして、
人生。
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「こちら、二十代を返品したいんですが」
窓口の女性は慣れた手つきで番号札を受け取った。
「返品理由をお願いします」
真柴レン、四十六歳。
彼は少し考えた。
「思っていたのと違いました」
「承知しました」
店員は端末を操作する。
《人生返品センター》
巨大ショッピングモールの地下七階。
返品期限はない。
気に入らなかった期間を返せば、
その間に支払った金も、
失った時間も、
だいたい戻ってくる。
ただし、
その期間に得たものも返さなければならない。
「二十歳から二十九歳までですね」
「はい」
「返金対象は九年十一か月です」
レンは息を吐いた。
失敗ばかりだった。
就職に失敗。
起業に失敗。
恋愛も失敗。
三十歳になる頃には借金だけが残った。
「あの十年がなければ」
何度そう思ったか分からない。
店員が確認する。
「期間内取得物を回収します」
レンの財布から古い運転免許証が消えた。
「え?」
「二十四歳で取得されています」
次に身体が揺れる。
自転車に乗る感覚が消えた。
包丁の使い方が少し下手になる。
好きだった歌を一曲忘れる。
九年間で覚えたことが、
次々に抜け落ちていく。
「待って、これも?」
「取得物ですので」
そして。
レンのスマートフォンから、
一人の連絡先が消えた。
真柴ユイ
娘だった。
「待ってください」
レンが立ち上がる。
「娘は三十二歳のときに生まれた!」
「はい」
「二十代と関係ない!」
店員が画面を見る。
「奥様と出会ったのが二十八歳です」
レンは固まった。
「返品期間内の取得物を原因として発生した二次取得物も、返品対象となります」
「そんな」
妻との記憶が消える。
結婚式。
新居。
妊娠。
娘の誕生。
娘が初めて歩いた日。
全部。
娘そのものが、
世界から消えた。
机の上に、
九年十一か月が置かれた。
透明な液体だった。
小さな瓶に入っている。
「返金です」
レンは瓶を見つめた。
「返してください」
「返品したものを?」
「娘を」
「返品手続きは完了しています」
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レンはセンターの奥へ走った。
警備員を振り切る。
返品物倉庫。
そこには、
ありとあらゆるものが積まれていた。
着なかった服。
読まなかった本。
住まなかった家。
飼わなかった犬。
選ばなかった仕事。
別れた恋人。
生まれなかった子供。
そして、
何百万年分もの人生。
巨大な透明タンクの中で、
時間が液体になっている。
金色。
銀色。
赤。
青。
色が違う。
楽しかった時間は甘い匂い。
苦しかった時間は焦げ臭い。
何もなかった時間は無臭。
レンはタンクの間を走った。
「ユイ!」
返事はない。
代わりに、
小さな声。
「お父さん?」
棚の隙間に、
娘が座っていた。
十六歳。
制服姿。
「ユイ!」
レンが抱きしめる。
だが娘は震えていた。
「なんで私、返品されたの?」
「違う」
「伝票に書いてある」
娘の首にはタグ。
《二次取得物》
「ごめん」
「私って、お父さんの失敗のおまけだったの?」
レンは答えられなかった。
そのとき。
倉庫の照明が赤くなった。
《返品容量 99.99%》
警報。
床が揺れる。
タンクの一つに亀裂。
金色の液体が噴き出した。
触れた作業員が、
突然泣き始める。
「母さん」
二十年前に亡くなった母親との記憶が、
彼の中へ流れ込んだ。
別のタンクが割れる。
今度は黒い液体。
作業員が倒れた。
存在しなかった戦争の記憶。
燃える町。
死んだ兄弟。
帰らなかった恋人。
誰かが返品した人生だった。
倉庫中のタンクが、
次々に破裂する。
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返品された時間は、
消えていなかった。
誰かが買うまで、
保管されていた。
レンは初めて知る。
人生返品センターの上階には、
人生販売センター
がある。
金持ちは買っていた。
成功した十年間。
幸せな幼少期。
才能を身につけた五年間。
愛された記憶。
健康だった三十年。
すべて、
誰かが返品した人生だ。
だから返品制度が存在した。
後悔を救済するためではない。
中古人生を流通させるためだった。
「でも」
娘が言った。
「誰が最初に買ったの?」
レンは動きを止める。
人生を売るには、
最初に人生が必要だ。
最初の人間は、
どこから時間を手に入れた?
地下八階への扉が開いていた。
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二人は階段を降りた。
そこには、
売り場も倉庫もなかった。
巨大なレジが一台。
その向こうに、
夜空。
星。
銀河。
宇宙そのものが商品棚になっている。
惑星には値札。
恒星にも値札。
そして地球には、
赤いシールが貼られていた。
《返品予定品》
レンは息を呑んだ。
「誰が買った?」
レジの横に、
古いレシートがある。
購入商品。
《宇宙 一式》
購入日。
138億年前。
返品理由。
空欄。
返品期限。
本日。
娘が呟く。
「私たち、買われたものの中にいたの?」
違った。
宇宙そのものが、
誰かの購入品だった。
星も。
地球も。
生命も。
文明も。
レンの失敗した二十代も。
娘の十六年間も。
全部、
一つの商品を試用している間に生じた使用痕だった。
レジが鳴った。
ピッ。
空に文字が浮かぶ。
《返品手続きを開始します》
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最初に、
月が消えた。
箱へ戻された。
次に火星。
木星。
土星。
太陽。
宇宙が暗くなる。
だが人間は死なない。
返品処理が、
死より先に進んでいる。
地球から都市が剥がれる。
ビルが新品へ戻る。
道路のひび割れが消える。
道路そのものが消える。
鉄が鉱石へ。
プラスチックが石油へ。
石油が古代生物へ。
古代生物が海へ。
人類が猿へ戻る。
猿が小さな哺乳類へ。
さらに魚へ。
細胞へ。
有機物へ。
地球が新品になっていく。
「ユイ!」
レンは娘を抱く。
娘の身体が小さくなる。
十六歳。
十歳。
五歳。
赤ん坊。
まだ生まれていない場所まで戻ろうとする。
レンは返品伝票を掴んだ。
破いた。
何も止まらない。
そこで彼は、
自分が最初に返品した瓶を思い出した。
九年十一か月。
ポケットに残っていた。
返品された、
失敗だらけの二十代。
レンは瓶を開けた。
飲んだ。
苦い。
猛烈に苦い。
失敗が戻ってくる。
借金。
喧嘩。
徹夜。
倒産。
泣いた夜。
そして、
二十八歳。
小さな居酒屋。
隣の席。
妻になる女性が、
レンの注文した唐揚げを間違えて食べた。
「あ」
彼女が笑う。
「ごめんなさい」
その瞬間。
消えかけていた娘が、
十六歳へ戻った。
返品不能。
人生に、
使用痕がついた。
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宇宙の返品処理が停止した。
エラー。
《商品を新品状態へ復元できません》
理由。
《不可逆的な愛着があります》
宇宙の購入者は返品を拒否された。
だが、
既に宇宙の大半は梱包済みだった。
元へ戻せない。
そこでレジは、
残った使用痕を一つにまとめ始めた。
地球の小麦畑が刈られる。
黄金色の穂が粉になり、
ふっくらしたバンズへ焼き上がる。
牛も人も都市も、
返品できなかった無数の人生が挽肉へ混ざる。
成功も失敗も区別されない。
厚いパティ。
海水から塩。
森林から葉野菜。
火山の熱で肉が焼ける。
恋人と食べた夕食は甘いソース。
仕事帰りに買った惣菜は酸味。
誰にも言えなかった後悔は黒胡椒。
最後に、
レンの二十代が、
焦げ目になった。
きれいではない。
少し焼きすぎている。
だが、
その焦げ目がなければ、
娘は存在しない。
上下からバンズが閉じた。
宇宙は一個になった。
レジから、
長いレシートが吐き出される。
商品名の欄には、
こう印字されていた。
《開封済みにつき返品不可バーガー》
返品理由を書く欄だけが、
最後まで空白だった。




