《全員同着バーガー》
南海に浮かぶ小国、ティルナでは、
勝負に負けると一歳若くなる。
比喩ではない。
じゃんけんでも。
徒競走でも。
試験でも。
選挙でも。
敗者の身体から一年が消える。
三十歳なら二十九歳。
八歳なら七歳。
そして、
一歳の人間が負けるとどうなるのか。
それだけは法律で試すことを禁じられていた。
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十七歳のリコは、
負けるのが下手だった。
「また勝った……」
学校の屋上。
じゃんけんで、リコは拳を出していた。
友人のマユは鋏。
マユの身体が白く光る。
制服の袖が少し余る。
顔が幼くなる。
十六歳から十五歳へ。
「やった!」
マユは喜んだ。
「あと三回!」
「もうやめようよ」
「なんで? 十二歳になったら子供料金だよ」
「そういう問題?」
この国では若さを買えない。
奪えない。
移植もできない。
負けることでしか手に入らない。
だから老人たちは毎朝、公園でじゃんけん大会をする。
会社役員は部下と将棋をする。
有名選手はわざと負ける権利を高額で売る。
そして学校では、
成績最下位をめぐって熾烈な競争が起きる。
正解を書けば歳を取る。
間違えれば若返る。
だから優秀な生徒ほど、
わざと馬鹿な答案を書く。
教師が黒板に問題を書く。
7×8=
生徒たちは悩む。
五十六と書いてはいけない。
でも露骨に間違えると失格。
「五十四」
「惜しい!」
「五十八」
「惜しい!」
リコだけ、
「五十六」
と書いてしまう。
「東雲、また一位」
教室中から同情の視線。
リコは机へ突っ伏した。
十七歳のまま。
同級生たちは、
もう十二歳前後になっていた。
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リコの父は、
百四十六歳だった。
見た目は二十八歳。
国内最強の敗北者。
囲碁。
将棋。
格闘技。
裁判。
選挙。
商談。
ありとあらゆる勝負に負け続け、
百年以上を取り戻した。
その父が、
ある朝言った。
「リコ。お父さん、来週から赤ちゃんになる」
牛乳を飲んでいたリコはむせた。
「は?」
「あと二十七敗」
「やめてよ」
「もう予約入ってるから」
父は端末を見せる。
《敗北予定表》
月曜、チェス。
火曜、レスリング。
水曜、競売。
木曜、料理対決。
金曜、国民投票。
「赤ちゃんになってどうするの?」
「もう一回育つ」
父は笑った。
「人生二周目だ」
「記憶は?」
「残るよ」
「気持ち悪い」
「ひどいな」
実際、珍しいことではなかった。
この国では何度も幼児へ戻る人間がいる。
七十年働く。
負け続けて五歳へ。
また学校へ。
また就職。
また結婚。
人によっては、
十回以上人生を繰り返している。
ただし。
一歳より下には行かない。
国民全員が知っている禁忌だった。
理由を知る者はいない。
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父の最後の試合の日。
相手は九十二歳の老人だった。
見た目は三歳。
勝負は、
コイントス。
表か裏か。
父が言う。
「表」
硬貨が回る。
落ちる。
裏。
父の身体が光った。
二歳。
一歳。
赤ん坊へ。
観客が拍手する。
リコは父を抱き上げた。
父は赤ん坊の顔で、
大人の声を出した。
「成功」
「もう絶対勝負しないで」
「もちろん」
そのとき。
対戦相手の三歳児が、
床に落ちた硬貨を拾った。
「もう一回」
父が笑う。
「いやいや、私はもう」
子供が硬貨を投げる。
「表」
硬貨が落ちる。
裏。
父は、
反射的に言ってしまった。
「私の勝ちだね」
審判装置が鳴った。
《勝敗成立》
対戦相手の子供が光る。
三歳から二歳へ。
問題は父だった。
勝者は変化しない。
そのはずだった。
ところが、
父の身体も光った。
「え?」
赤ん坊が、
さらに小さくなる。
手のひらほど。
胎児。
リコが悲鳴を上げる。
父の身体が透ける。
臍の緒が現れる。
そして、
消えた。
床に、
小さな肉の粒だけが残った。
会場の警報が鳴った。
《負年齢を検出》
《回収を開始します》
床が開いた。
肉の粒が落ちる。
リコは反射的に飛び込んだ。
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地下には、
巨大な産院があった。
ベッドが何百万台。
その上に、
人間になる前のものが並んでいる。
胎児。
胚。
細胞。
さらに小さな、
光の粒。
リコは床へ降りた。
「お父さん!」
返事。
『ここ』
声だけ。
壁の向こう。
巨大な透明槽。
中に、
無数の光が浮かんでいた。
『リコ』
「どこ!」
『分からない』
何百万もの声が重なる。
子供。
老人。
男。
女。
この国で、
一歳より下へ若返った人々。
全員ここにいた。
死んだのではない。
生まれる前へ戻った。
白衣の職員が走ってくる。
「入ってはいけない!」
リコは男を掴んだ。
「これは何!」
男は答えない。
「若返りって何なの!」
沈黙。
やがて、
職員は言った。
「若返っているんじゃない」
壁面が点灯する。
巨大な図。
一人の人間。
一歳。
十歳。
五十歳。
百歳。
それらが一本の線ではなく、
輪
になっている。
「人間の寿命は、本来、円環なんです」
生まれる。
育つ。
老いる。
死ぬ。
そして、
生まれる前へ戻る。
そこからまた、
別の人間として生まれる。
この島だけ、
その輪へ逆向きに進む方法を発見した。
それが勝敗だった。
「なんで負けると戻るの?」
「勝敗だからではない」
職員が首を振る。
「順位です」
世界は、
すべての生命に順番をつけている。
速い。
遅い。
強い。
弱い。
生存する。
淘汰される。
生命は何十億年、
順位によって選別されてきた。
この島では、
下位になることで進化の順番そのものを逆行する。
父は人間になる前へ戻った。
さらに負ければ、
哺乳類以前。
爬虫類。
魚類。
単細胞。
その先。
「その先は?」
職員は答えなかった。
代わりに、
警報が鳴った。
父の声。
『リコ』
「お父さん?」
『勝負しよう』
「何言ってるの」
『ここから出るには、負けるしかない』
「駄目!」
『じゃんけん』
光の粒が揺れる。
『じゃんけん、ぽん』
リコは何も出していない。
だが父は、
存在しない手で、
存在しない拳を出した。
判定装置。
《東雲リコ 不参加》
《東雲タカシ 失格》
《敗北》
透明槽が震えた。
父の光が縮む。
細胞以前へ。
有機物。
分子。
原子。
さらに。
粒子。
そして、
世界中の照明が消えた。
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父は、
生命より前へ戻った。
その瞬間。
人類は初めて知った。
生命以前にも、
順位があった。
重いものと軽いもの。
速いものと遅いもの。
正と負。
高いエネルギーと低いエネルギー。
世界そのものが、
比較によって形を保っていた。
父はさらに、
その前へ行った。
勝ち負けが存在する前へ。
世界から順位が消えた。
一位も二位もない。
上も下もない。
大小がない。
温度の高低がない。
距離の長短がない。
時間の前後がない。
すべてが、
同率になった。
海面と山頂が同じ高さになる。
山が崩れる。
海が持ち上がる。
大人と子供の年齢が揃う。
全人類が一瞬で、
同じ年齢になる。
三十八歳。
次の瞬間、
七歳。
百二十歳。
零歳。
比較できないため、
年齢そのものが意味を失う。
太陽と地球の大きさも同じになる。
原子と銀河も。
一メートルと一光年も。
全部が、
同じ。
宇宙が耐えられなかった。
巨大な星が豆粒になる。
原子が惑星ほど膨らむ。
人間の身体から細胞が飛び出し、都市を押し潰す。
海水の一滴が大陸を覆う。
砂粒が月へ衝突する。
そして、
あらゆるものが同じ大きさになった瞬間、
宇宙全体が一枚の平面へ潰れた。
リコは、
父の声を聞いた。
『やっと』
「お父さん?」
『誰にも負けてない』
少し間があった。
『誰にも勝ってないけど』
宇宙が、
じゅう、
と鳴った。
平らになった世界の下から、
熱。
巨大な鉄板。
生命三十八億年分の勝者と敗者が、
同じ場所で焼かれる。
強かった生物。
弱かった生物。
絶滅したもの。
生き残ったもの。
全部が同じ挽肉になり、
厚いパティへ。
海は塩味のソース。
植物はレタス。
恐竜の時代は黒胡椒。
哺乳類の時代は濃厚なチーズ。
人類が積み重ねた順位表は細く刻まれ、
香ばしいフライドオニオンになる。
そして、
勝者の歴史が上のバンズ。
敗者の歴史が下のバンズ。
二枚は、
まったく同じ厚さだった。
その間へ、
誰が上でも下でもなくなった世界が挟まれる。
完成。
バーガーの横には、
競技用の表彰台が置かれていた。
一位。
二位。
三位。
すべて同じ高さ。
商品札には、
順位の代わりに名前だけ。
《全員同着バーガー》
その下には、
小さな文字。
勝敗判定:なし
だから最後まで、
どちらが食べる側で、
どちらが食べられる側だったのかも、
決まらなかった。




