《おかえり野生バーガー》
この町では、動物は死ぬと小さくなる。
犬は握り拳ほど。
猫は卵ほど。
小鳥なら親指の先ほど。
死体が縮むのではない。
翌朝、飼い主の枕元に、
小さな陶器の置物
になって戻ってくる。
だから、この町には墓地がなかった。
代わりに、どの家にも棚がある。
死んだ動物たちを並べるための棚だ。
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十一歳のナナの家にも、七つ置いてあった。
金魚が三匹。
文鳥が一羽。
ハムスターが二匹。
そして祖父が飼っていた柴犬。
その隣に、まだ空いている場所がある。
飼い猫のムギのためだった。
「縁起でもない」
母はそう言う。
けれどナナは、
いつか必ず必要になると思っていた。
ムギは十九歳。
最近は階段も上れない。
その夜。
ナナの布団へ入ってきて、
胸の上で丸くなった。
「重いよ」
撫でる。
ごろごろ。
いつもの音。
朝。
音は止まっていた。
「ムギ?」
動かない。
母がタオルで包んだ。
町の決まりでは、
死んだ動物は夜まで家に置いておく。
午前零時を過ぎると消える。
翌朝、
置物になって戻る。
ナナは一日中ムギの隣にいた。
午後十一時五十九分。
猫の身体はまだ温かい気がした。
零時。
一瞬だけ部屋が暗くなる。
電気が戻る。
タオルは空だった。
「おやすみ」
ナナは泣きながら眠った。
翌朝。
枕元には、
何もなかった。
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町役場へ行った。
動物返還課。
受付の女性は端末を調べた。
「お名前は?」
「ムギ」
「種類」
「猫」
「死亡時年齢」
「十九歳」
検索。
女性の表情が変わった。
「少々お待ちください」
奥から別の職員。
さらに別の職員。
ナナと母は二時間待った。
最後に、
灰色の制服を着た男が来た。
「返還できません」
「どうしてですか」
母が訊いた。
男は紙を置いた。
《回収対象外生物》
「猫ですよ?」
「承知しています」
「十九年間、うちで飼ってたんですよ」
「それも承知しています」
ナナは男を睨んだ。
「ムギ返して」
男は答えなかった。
代わりに、
妙な質問をした。
「その猫は、いつから家にいましたか?」
「私が生まれる前から」
「どこで入手しました?」
母が考える。
「……どこだったかしら」
「ペットショップ?」
「たぶん」
「記録は?」
ない。
写真はある。
赤ん坊のナナ。
隣にムギ。
妊娠中の母。
隣にムギ。
両親の結婚式。
会場の隅にムギ。
母の高校卒業写真。
校門の横に、
ムギがいた。
「これ……」
母の手が震えた。
さらに古いアルバムを開く。
祖父の成人式。
ムギ。
曾祖母の結婚式。
ムギ。
白黒写真。
戦争へ向かう兵士たち。
その足元にも、
同じ猫。
姿が変わっていない。
「何これ」
ナナが呟いた。
役人が写真を閉じた。
「忘れてください」
その夜。
ナナは役所へ忍び込んだ。
ムギを探すためだった。
地下へ降りる。
動物返還課の倉庫。
棚には何百万もの置物。
犬。
猫。
鳥。
魚。
昆虫。
飼い主の名前と死亡日が記されている。
その奥に、
巨大な扉があった。
《原型保管室》
カードキーは必要なかった。
扉へ触れると、
勝手に開いた。
中は、
森だった。
地下なのに空がある。
木々の間を、
見たことのない動物が歩いている。
巨大な鹿。
翼のある蛇。
六本脚の馬。
透き通った魚が空を泳ぐ。
そして森の中央。
ムギが座っていた。
「ムギ!」
走る。
猫は逃げなかった。
抱き上げる。
温かい。
生きている。
「よかった」
そのとき。
ムギが言った。
「ナナ」
少女の腕が固まった。
猫の口は動いていない。
声は、
森全体から聞こえた。
「返す時間になっただけだよ」
地面が揺れた。
木々の向こうで巨大な何かが起き上がる。
山だと思っていたもの。
毛だった。
森だと思っていた場所そのものが、
一匹の巨大な生物の背中だった。
ナナの足元に、
目が開いた。
直径数十メートル。
金色の瞳。
「ここは何?」
ムギが尻尾を振る。
「昔の世界」
人間がまだいなかった頃。
動物たちは、
今よりずっと大きかった。
犬や猫どころではない。
山ほどの獣。
海そのものの魚。
空を覆う鳥。
生き物の身体から森が生え、
死ねば大陸になった。
世界は、
巨大な生命同士が食い合ってできていた。
そこへ、
小さな生物が現れた。
人間。
弱かった。
牙もない。
爪もない。
そこで人間は、
巨大生物を殺す代わりに、
小さくした。
何世代も。
何万年も。
山ほどの狼を犬へ。
森ほどの猫を家猫へ。
空を覆う鳥を小鳥へ。
さらに、
その記憶まで小さくした。
「置物は?」
ナナが訊いた。
「鍵」
死んだ動物は置物になるのではない。
巨大だった頃の身体を、
小さな形へ封印している。
人間はそれを家へ置かせた。
墓ではない。
重石だった。
愛情という名前をつけて。
家族という名前をつけて。
人間のそばに置いておけば、
獣は巨大な姿へ戻らない。
「じゃあムギは?」
「最後の鍵」
ムギがナナの腕から降りた。
十九年間ではない。
何万年も、
人間のそばを渡り歩いてきた。
最初に小さくされた獣。
すべての家畜化の原型。
だからムギだけは、
置物にできない。
死んだ瞬間、
封印そのものが終わる。
森中から音がした。
ごき。
ばき。
獣たちが巨大化する。
犬が家を突き破る。
インコの翼が町を覆う。
水槽の金魚が膨張し、住宅街を水ごと押し流す。
動物園では象が山より大きくなる。
海では鯨の背中が大陸を持ち上げる。
人間が悲鳴を上げる。
ナナはムギを抱き上げた。
「止めて!」
「できるよ」
ムギが言った。
「もう一度、飼えばいい」
ナナの前に首輪が落ちた。
小さな赤い首輪。
これをムギにつければ、
世界中の動物は再び小さくなる。
犬も。
猫も。
鳥も。
魚も。
また人間に飼われる。
「ナナならできる」
ムギが喉を鳴らす。
いつもの音。
ごろごろ。
ナナは首輪を持った。
ムギを見る。
十九年間、
自分たちはこの猫を家族だと思っていた。
でも。
「ムギは」
ナナは訊いた。
「うちにいたかった?」
長い沈黙。
「最初はね」
ムギが答えた。
「嫌だった」
ナナは首輪を落とした。
地面が割れた。
ムギが大きくなる。
猫ほど。
虎ほど。
象ほど。
家ほど。
山ほど。
毛並みの一本一本が巨大な草原になる。
瞳が空へ昇る。
世界中の動物も、
本来の大きさへ戻る。
そして、
人間だけが小さかった。
最初から、
そうだった。
巨大な獣たちが人類を襲う。
そう思われた。
だが違った。
誰も人間を見ていない。
小さすぎる。
踏まれる。
吹き飛ばされる。
魚が泳いだだけで津波が起きる。
鳥が羽ばたくだけで都市が消える。
猫が伸びをしただけで山脈が砕ける。
人間は支配者ではなかった。
餌ですらない。
ただ、
足元にいた。
文明が一日で終わった。
だが獣たちも止まらなかった。
巨大化は、
封印以前の大きさで終わらなかった。
さらに膨らむ。
山より。
大陸より。
惑星より。
なぜなら人間が何万年も押し込めていたのは、
身体だけではない。
成長する時間そのものだった。
何万年分の成長が、
一度に戻る。
ムギの背中が地球を覆う。
巨大な犬の前脚が月を弾く。
鯨が太陽の周囲を泳ぐ。
鳥が翼を広げ、
銀河の光を隠す。
宇宙が狭くなる。
獣たちが互いに押し合う。
星が毛皮へ沈む。
惑星が牙に挟まる。
最後に、
ムギが口を開いた。
宇宙より大きな口。
でも、
何も食べなかった。
ただ、
あくびをした。
その吐息だけで、
宇宙が裏返った。
星々が砕ける。
大地が挽かれる。
人類と都市は細かな香辛料になる。
巨大な獣たちの肉が重なり、
何層ものパティになる。
犬の豊かな脂。
鳥の淡白な肉。
魚の旨味。
獣たちが食べていた森は、
瑞々しいレタスへ。
海は塩気の強いソースへ。
月は白いチーズになる。
人間が何万年も使ってきた首輪は細く砕かれ、
香ばしいオニオンフライになった。
最後にムギの巨大な身体が丸く縮む。
猫。
子猫。
拳。
卵。
小さな陶器。
その陶器が、
ぱきん。
二つに割れた。
中から黄金色の小麦粉が溢れる。
練られる。
焼かれる。
上下二枚のバンズになる。
その間へ、
かつて飼われていたものも、
飼っていたものも、
全部挟まれた。
鉄板の上に、
一個のバーガー。
横には、
赤い首輪。
もう何にも繋がっていない。
札に商品名。
《おかえり野生バーガー》
その下には、
飼育上の注意ではなく、
一行だけ。
※こちらの商品は、あなたのものではありません。




