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《だれのでもないバーガー》


この国には、王が八千万人いる。


比喩ではない。


十八歳になると全員に王冠が支給される。


純金ではない。薄い樹脂製で、額の部分に小さな液晶画面が埋め込まれている。


そこには毎朝、その人が支配する領土が表示される。


《本日の領土 0.74平方メートル》


会社員のシンゴが今朝与えられたのは、駅前広場の植え込みだった。


縦一・二メートル。


横六十二センチ。


ツツジが三株。


吸い殻が二本。


「これが俺の国か」


しゃがんで見る。


小さな立札もあった。


《東条シンゴ王国》


通勤途中の女性が植え込みへ空き缶を投げた。


シンゴの王冠が鳴る。


《不法投棄を検出しました》


画面に三択。


死刑


罰金


恩赦


「いや、死刑はないだろ」


罰金を押す。


女性の王冠から自動的に三百円が徴収され、シンゴの口座へ入った。


これが、この国の政治だった。


国民全員が王。


国土は毎日、八千万人へランダムに分割される。


自宅の台所を所有する日もある。


高速道路の中央分離帯を所有する日もある。


皇居の一平方メートルを引き当てて、一日だけ観光客から入場料を取った男もいた。


国会はない。


市役所もない。


警察すらほとんど必要ない。


自分の領土で起きたことは、


自分で裁く。


究極の直接統治。


世界で最も公平な国家。


そう呼ばれていた。


その夜までは。



---


午後十一時五十九分。


シンゴはベッドに入っていた。


王冠は枕元。


零時になると翌日の領土が割り当てられる。


ピッ。


通知。


眠い目で画面を見る。


《本日の領土》


表示された数字を見て、


目が覚めた。


377,975平方キロメートル


「……は?」


日本列島とほぼ同じ面積。


地図を開く。


全部赤い。


北海道。


本州。


四国。


九州。


離島。


海岸線。


国土すべて。


《東条シンゴ王国》


シンゴは飛び起きた。


ニュースをつける。


アナウンサーも混乱している。


『全国民の領土割り当てに障害が発生しています』


街頭インタビュー。


「ゼロです」


「私も」


「領土なしって出てます」


八千万人の領土が、


一人へ集中した。


シンゴの王冠に通知が殺到する。


《道路利用許可を求めています》


《河川使用許可》


《呼吸許可》


「呼吸?」


画面を見る。


大気も国土資産として登録されていた。


許可。


許可。


全許可。


次。


《出生許可申請》


病院から。


次。


《心臓拍動継続申請》


「待て待て待て!」


王冠を外す。


通知音は止まらない。


床へ置いても。


電源を切っても。


音がする。


シンゴの頭蓋骨の内側から。


《申請が滞留しています》


全国で異変が始まった。


道路が止まった。


所有者の許可がないから車が進めない。


川が止まった。


雨粒が空中で静止する。


出産中の女性から赤ん坊が出てこない。


許可待ち。


人々は息を止めたまま、


シンゴの承認を待っている。


彼は叫びながら、


全件承認


を押した。


世界が動き出した。


八千万人が一斉に息を吐く。


赤ん坊が生まれる。


雨が落ちる。


車が走る。


そして。


シンゴの口座へ、


使用料が振り込まれた。


八兆九千億円。



---


政府の担当者が一時間後に到着した。


「権利を返してください」


「どうやって!」


「譲渡画面があるはずです」


ない。


売却。


分割。


相続。


どれも消えている。


表示されているのは一つだけ。


《領土拡張》


「押すな」


担当者が言った。


その瞬間、


シンゴの猫が王冠を踏んだ。


ピッ。


《領土拡張を実行しました》


地震が起きた。


海外から緊急通信。


朝鮮半島。


中国沿岸部。


ロシア東部。


地図が赤く染まっていく。


軍事侵攻ではない。


土地そのものの所有権が、


シンゴへ移転していた。


一分後。


アジア全域。


三分後。


ヨーロッパ。


五分後。


アフリカ。


七分後。


南北アメリカ。


地球上の全陸地が、


《東条シンゴ王国》


になった。


そして海。


大気。


地下資源。


月。


通知が来る。


《火星の所有権を取得しました》


「止めろ!」


《木星》


《太陽》


《太陽系》


シンゴは王冠をハンマーで叩き割った。


液晶が砕ける。


それでも拡張は止まらない。


銀河。


星団。


観測可能宇宙。


最後に表示された。


《所有率 99.999999999999%》


「残りは何だ」


政府担当者が震えながら検索する。


一件だけ。


所有者不明。


面積、


0.74平方メートル。


シンゴは息を止めた。


昨日の植え込みだった。



---


二人は駅前へ走った。


町は異様に静かだった。


シンゴが世界を所有した瞬間から、


すべての存在に許可が必要になった。


鳥は飛行申請待ちで空中に止まっている。


時計の針も動かない。


光すら、


シンゴの網膜へ到達する直前で停止している。


彼が「許可」と言うたび、


世界が一秒だけ動く。


ようやく植え込みへ着く。


ツツジ三株。


吸い殻二本。


昨日と同じ。


そこだけ、


風が吹いていた。


王冠も立札もない。


「なぜここだけ」


担当者が土を掘る。


十センチ。


二十センチ。


スコップが硬いものへ当たった。


金属板。


土を払う。


文字が刻まれている。


《第48,291号宇宙 試験分譲地》


シンゴは読んだ。


もう一行。


《購入者が全区画を取得した時点で物件を引き渡します》


二人とも黙った。


「……物件?」


地面が揺れた。


空に亀裂が入る。


宇宙の外から、


巨大な指が入ってきた。


人間の指ではない。


指先だけで銀河より大きい。


シンゴはようやく理解した。


国民へ土地を分けていた制度。


あれは民主主義でも実験でもなかった。


販売だった。


八千万人の王は、


八千万人の共同購入者。


国土を細かく分け、


所有という概念を人類へ覚えさせ、


土地。


海。


空。


惑星。


星。


最後には宇宙そのものまで、


「誰かのもの」にできるよう訓練していた。


そして今、


一人がほぼすべてを所有した。


売買契約が完成しようとしている。


「最後の土地を買うな!」


担当者が叫んだ。


だがシンゴは気づいた。


買わなくても駄目だった。


宇宙の99.999999999999%が、


すでに自分の私有物。


つまり、


宇宙で起きるすべてについて、


自分に責任がある。


恒星が爆発する。


申請。


生命が生まれる。


申請。


原子が動く。


申請。


時間が進む。


申請。


一秒間に届く申請件数が、


無限を超えた。


シンゴの脳が処理できない。


鼻から血が出る。


「もう」


彼は笑った。


「いらない」


植え込みの立札を引き抜いた。


昨日まで自分の名前が書かれていた板。


裏返す。


油性ペンで書く。


《誰のものでもない》


地面へ刺した。


その瞬間。


宇宙全体から、


所有者の名前が消えた。


土地。


海。


空。


人間。


身体。


記憶。


星。


時間。


すべてから、


所有


という関係だけが抜け落ちた。


銀行の金庫が開く。


国境線が消える。


家の鍵が外れる。


指輪が誰の指に属するか分からなくなる。


そして人間の身体にも異変が起きた。


「私の腕」


という関係が消える。


腕が落ちる。


「私の心臓」が消える。


胸から心臓が転がり出す。


血液も、


誰の血液でもなくなって床へ流れる。


肉体は所有できない部品へ分解された。


国も崩れる。


惑星も。


地球は、


「地球に属する大地」を維持できない。


大陸が剥がれる。


海が球状になって宇宙へ浮く。


月が軌道をやめる。


太陽から光が離れる。


銀河から星がこぼれる。


宇宙は、


誰にもまとめて所有されない無数の素材へ戻った。


それらが、


植え込みの0.74平方メートルへ落ちてくる。


最初に海。


透明な塩味のソースへ。


森林。


細切りレタス。


人類の肉体。


粗挽きのパティ。


世界中の金庫にあった金は溶け、


濃黄色のチーズになる。


国境標識は砕かれ、


黒胡椒へ。


王冠八千万個は圧縮され、


香ばしいオニオンフライになる。


太陽の熱で、


パティが焼けた。


じゅううううう。


最後に、


全宇宙の土地が小麦粉ほど細かく砕かれる。


誰の畑でもない小麦。


誰の水でもない水。


誰の酵母でもない酵母。


混ざる。


膨らむ。


焼ける。


二枚のバンズになる。


上にも、


下にも、


名前はない。


完成した一個のバーガーが、


駅前の植え込み跡に置かれた。


値札はない。


所有者欄もない。


商品名だけが、


倒れた立札の裏側に残っている。


《だれのでもないバーガー》


その横には、


吸い殻が二本。


ツツジが三株。


それだけは最後まで、


誰のものにもならなかった。

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