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《送料無料バーガー》


最初に消えたのは、配送料だった。


それだけなら、誰も困らなかった。


むしろ歓迎された。



---


午後十一時四十七分。


真鍋亮太は、ベッドに寝転んだままスマートフォンを眺めていた。


腹は減っている。


冷蔵庫には卵が二個。


米もある。


徒歩四分の場所にはコンビニもある。


だが、外は雨だった。


画面を何度か滑らせる。


ハンバーガー。


千二百八十円。


配送料、四百五十円。


「高っ」


閉じる。


別の店。


唐揚げ弁当、八百九十円。


配送料、三百八十円。


閉じる。


その下に、


見覚えのない店があった。


《DISTANCE ZERO》


料理写真は普通だった。


ハンバーガー。


フライドポテト。


ドリンク。


価格も安くない。


ただ、


配送料だけが、


¥0


になっていた。


亮太は詳細を開いた。


店舗所在地。


北海道。


現在地は東京。


「バグだろ」


試しに注文する。


配送料。


¥0。


最低注文金額なし。


長距離手数料なし。


到着予定、


二分。


亮太は笑った。


注文を確定した。



---


一分四十八秒後。


チャイムが鳴った。


玄関を開ける。


誰もいない。


床に紙袋だけが置いてあった。


底が温かい。


中のポテトはまだ油を弾いていた。


レシートを見る。


調理完了。


23:48。


受取完了。


23:49。


北海道から東京まで、


一分。


亮太は少し気味悪く思った。


それ以上に、


ハンバーガーはうまかった。



---


翌週、


そのサービスは話題になった。


距離にかかわらず送料無料。


国内なら十分以内。


沖縄のステーキ。


北海道の海鮮丼。


博多のラーメン。


東京のケーキ。


全国の食卓へ、


出来たてのまま届いた。


物流関係者は首を傾げた。


配送車は走っていない。


航空便にも載っていない。


倉庫も通らない。


商品だけが、


注文者の玄関前に現れる。


会社は説明した。


「独自の配送最適化技術です」


それで十分だった。


便利だったから。



---


三か月後。


海外対応が始まった。


ニューヨークのピザ。


パリの菓子。


台湾の小籠包。


南米のコーヒー。


すべて送料無料。


すべて十分以内。


料理だけではない。


医薬品。


家電。


衣類。


書籍。


生花。


建材。


需要は爆発した。


世界中の物流企業が技術提供を求めた。


《DISTANCE ZERO》は拒まなかった。


むしろ、


無料で公開した。


技術仕様書の一ページ目には、


こう書かれていた。


> 輸送コストの最大要因は距離である。

したがって、距離を除去する。




誰もその文章を、


文字通りには読まなかった。



---


最初の事故は、


亮太のマンションで起きた。


朝。


玄関を開ける。


廊下ではなかった。


海だった。


青い水。


白い砂浜。


巨大なヤシ。


亮太は扉を閉めた。


もう一度開けた。


いつもの廊下。


「……寝ぼけたか」


会社へ向かう。


エレベーターで一階へ。


扉が開く。


雪原だった。


閉じる。


開く。


ロビー。


亮太は管理会社へ電話した。


「エレベーターがおかしいんですけど」


『どうおかしいですか』


「北海道みたいなところに」


電話の向こうで、


沈黙。


『……お客様もですか』



---


世界中で、


扉の向こう側が狂い始めた。


駅のトイレを出ると、


別の国。


会社の給湯室から出ると、


自宅。


スーパーの搬入口を開けば、


漁港。


病院の薬品庫は、


製薬工場へ直接つながった。


それでも、


最初は喜ぶ人間の方が多かった。


「通勤いらなくなるじゃん」


実際、


企業はすぐ適応した。


自宅の扉と会社を接続する。


学校と各家庭を接続する。


病院と患者宅。


店舗と倉庫。


畑と市場。


移動時間は、


猛烈な勢いで消えた。


電車は減便された。


高速道路は空いた。


航空便が消えた。


港から船が消えた。


社会は、


ますます便利になった。



---


ある朝。


亮太は母親から電話を受けた。


『今日、来る?』


「行くよ」


実家までは電車で一時間半だった。


以前なら。


玄関を開ける。


そこに、


実家の玄関があった。


二枚の扉が、


数センチの隙間を挟んで向かい合っていた。


母親が向こうから開ける。


「早かったわね」


「まあ」


二人とも笑った。


亮太は靴を脱いだ。


ふと、


振り返る。


東京の自宅と、


埼玉の実家。


距離は六十キロ以上ある。


なのに、


扉と扉の間は、


三十七センチしかなかった。



---


異常は、


扉だけでは終わらなかった。


駅前から、


富士山が見えた。


大きすぎた。


山頂の雪の筋まで肉眼で分かった。


翌日には、


海が見えた。


その翌日。


駅前交差点の向こうに、


外国の高層ビルが立っていた。


建設されたのではない。


元からそこにある都市が、


近づいていた。


道路標識が意味を失った。


東京まで20km。


大阪まで12km。


札幌まで8km。


ニューヨークまで3km。


午前中、


「月まで18万km」


だった標識が、


夕方には、


月まで24km


になった。


誰かが写真を撮った。


笑いながら。



---


その夜。


月が、


空の半分を埋めた。


クレーターが見えた。


影まで見えた。


海が持ち上がった。


潮ではない。


月そのものが、


近すぎた。


世界中で警報が鳴った。


しかし避難経路は存在しなかった。


逃げる先も、


すでに近くなっていた。


山も。


海も。


地下も。


隣町も。


外国も。


全部が、


徒歩圏内だった。



---


技術者たちは、


ようやく配送システムを停止した。


変化は止まらなかった。


「輸送していたんじゃない」


誰かが言った。


荷物を遠くから持ってきていたのではない。


注文が発生するたび、


発送地点と受取地点の間にある距離を、


少しずつ削っていた。


北海道から東京。


一回。


東京からパリ。


一回。


地球から軌道施設。


一回。


何十億回。


人類は、


送料無料になるたびに、


世界をほんの少しずつ折り畳んでいた。



---


亮太は走った。


どこへ行けばいいか分からなかった。


歩道の右側には砂浜。


左側には雪原。


正面には母親の家。


その屋根を突き抜けて、


巨大な外国の塔。


空には月。


さらにその後ろから、


太陽が異様な輪郭で膨らんでいた。


熱い。


寒い。


潮の匂い。


排気ガス。


焼いた肉。


雨。


雪。


すべての場所の空気が、


同じ交差点で混ざっていた。


亮太は自宅へ戻ろうとした。


三歩歩いた。


玄関があった。


ドアノブを掴む。


開ける。


母親がいた。


「亮太?」


「母さん」


その背後には、


実家ではなく海があった。


さらにその海面から、


東京のビル群が生えている。


「そっち行っていい?」


母親が聞いた。


「来て」


母親が足を上げる。


敷居を越える。


その瞬間。


玄関と玄関の間に残っていた三十七センチが、


なくなった。


二枚の扉が、


重なった。


母親の身体も。


亮太の身体も。


街も。


海も。


山も。


月も。


一枚の位置へ押し込まれた。


音はしなかった。


音が伝わる距離すら、


もうなかった。



---


地球の直径。


0km。


月までの距離。


0km。


太陽まで。


0km。


銀河中心まで。


0km。


観測可能宇宙の端まで。


0km。


宇宙には、


遠くがなくなった。


遠くがなくなれば、


近くもない。


上も。


下も。


こちらも。


あちらも。


場所という概念は、


二点の間に差があるから成立する。


その差が、


すべてなくなった。


最後に残った配送システムが、


注文を一件処理した。


発送元。


全宇宙。


配送先。


全宇宙。


配送距離。


0m


配送料。


無料。



---


万魔殿ぱんでむの受取口が、


かこん、


と鳴った。


誰も注文していない。


小さな紙袋が一つ、


受取棚に置かれていた。


紙袋には住所がない。


発送元もない。


ただ、


配送伝票だけが貼られている。


> 配送距離 0m




袋の中には、


潰れたハンバーガーが一個。


異様に重い。


持ち上げれば手のひらに収まるのに、


トレーがわずかに沈んでいる。


バンズの切れ目を覗くと、


肉ではないものが挟まっていた。


夜の街。


海。


山脈。


星。


誰かの玄関。


月。


人の顔。


それらが薄い層になり、


すべて同じ位置で重なっている。


商品管理端末が一度だけ点灯した。


《送料無料バーガー》


発送元:


0m先


配送先:


0m先


配送料:


¥0


備考欄には、


一行だけあった。


> お届け先までの距離を短縮しました。




その夜から、


万魔殿ぱんでむの受取口と厨房の間が、


以前より一ミリだけ近くなった。



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