【特選】《帰り道のない宇宙バーガー》
◆ 序章 帰還航路
この宇宙では、星間航行に「道」が必要だった。
通常の宇宙船は、光速を超えることができない。
しかし、この宇宙には「折路航法」と呼ばれる技術があった。
空間を移動するのではない。
二つの地点の間に、一時的な「帰路」を作る。
船がその道に入る。
空間が折れる。
そして、数百万光年離れた場所へ出る。
理論上、宇宙のどこへでも行けた。
文明はこの技術によって繁栄した。
恒星系が結ばれた。
銀河が結ばれた。
銀河団が結ばれた。
数十兆の文明が、折路によって一つの経済圏を形成した。
そして数兆垓年かけて、彼らは宇宙のほぼ全域を航行した。
問題が発生したのは、その頃だった。
最初に消えたのは貨物船だった。
次に探査船。
その次に軍艦。
いずれも折路航法を使用していた。
船体に損傷はなかった。
燃料も残っていた。
生命維持装置も動いていた。
ただし、船内に誰もいなかった。
乗員だけが消えていた。
最初は事故だと思われた。
次はテロ。
その次は未知の兵器。
だが、調査が進むにつれて一つの共通点が見つかった。
全ての船に、
「帰還航路」
が残っていた。
出発地点へ戻るための道。
その道だけが、船内の記録に残っていた。
船は消えていない。
乗員だけがいない。
そして帰還航路だけが、まだ開いている。
◆ 第一部 それは星ではなかった
調査艦は、銀河外縁部を航行していた。
乗員は三百八十六名。
船長、航法士、科学班、医療班、機関班、保安班。
そして折路航法を専門とする航路解析班。
その中に、イリス・ヴァーンという女性がいた。
彼女は宇宙航路研究者だった。
消えた船の航路を調べ続けていた。
「またです」
航法士が言った。
「何が?」
「帰還航路です」
スクリーンに一本の線が表示された。
アステリアから出発地点へ戻る航路。
イリスは眉を寄せた。
「私たちは、帰還航路を生成していない」
「生成されています」
「自動生成?」
「違います」
航法士が首を振った。
「誰かが生成した形跡があります」
「誰か?」
「はい」
スクリーンの航路情報を拡大する。
航路は通常の折路とは違っていた。
異常なほど長い。
一つの星系から別の星系へ飛ぶためのものではない。
銀河の外へ伸びていた。
銀河団の外へ。
観測可能宇宙の外へ。
さらに、その外側へ。
「……こんな距離を航路にする必要はない」
イリスが言った。
「ですよね」
航路解析班の全員が画面を見ていた。
その時だった。
船体の外部カメラに、一つの光点が映った。
星だった。
赤い。
巨大だった。
「あれは?」
天文学者が立ち上がった。
「恒星ではありません」
「じゃあ何だ」
答えは出なかった。
光点が動いた。
ゆっくりと。
星空の中を。
そして、こちらを向いた。
その瞬間、観測室の全ての画面が黒くなった。
一秒。
二秒。
三秒。
画面が戻った。
そこには、宇宙が映っていた。
何も変わっていない。
ただ一つだけ。
アステリアの船体外壁に、
巨大な円形の跡がついていた。
まるで、
何かが口を押しつけたような跡だった。
◆ 第二部 遭難信号
アステリアは航行を中止した。
未知の存在との接触を避けるため、折路航法を停止。
通常空間へ移行。
通信を封鎖。
観測装置を最低限まで落とす。
そして、三時間後。
通信班が一つの信号を受信した。
「救難信号です」
艦橋が静かになった。
「発信元は?」
「不明」
「座標は?」
「……ありません」
「どういう意味だ」
通信班が画面を見つめた。
「信号そのものに座標情報が含まれていません」
「なら追跡できないだろ」
「いえ」
通信班が振り返った。
「こちらの航路情報を使っています」
「何?」
「信号が、こちらの航路データを参照している」
艦橋に沈黙が落ちた。
スピーカーから音声が流れた。
『こちら、植民船ノア・セブン』
雑音。
『船内に侵入者あり』
雑音。
『繰り返す』
雑音。
『船内に侵入者あり』
イリスが立ち上がった。
「ノア・セブンは三百年前に消えた船よ」
「はい」
『乗員の生命反応を確認』
声が続いた。
『四百十二名』
イリスは息を止めた。
三百年前。
四百十二名。
ノア・セブンの乗員数と一致している。
『現在、船内に侵入者はありません』
「……何?」
『現在、船内に侵入者はありません』
同じ言葉。
しかし声が変わった。
一人ではなかった。
複数の声が重なっていた。
『侵入者はありません』
『侵入者はありません』
『侵入者はありません』
『侵入者は――』
そこで通信が切れた。
次の瞬間。
アステリアの船体後部で、警報が鳴った。
「接触!」
「何が入った!」
「船内です!」
「どこから!」
「わかりません!」
船内の監視カメラが一斉に切り替わった。
廊下。
食堂。
機関室。
医療区画。
貨物室。
どの画面にも何もいない。
ただ、
足音だけが聞こえていた。
一歩。
一歩。
一歩。
誰もいない廊下を歩く音。
◆ 第三部 それは船の中にいた
保安班が廊下へ向かった。
隊長のラグは銃を構えていた。
「全員、止まるな」
前方の扉が開いた。
誰もいない。
奥にも何もない。
しかし床に濡れた跡があった。
黒い液体。
粘性がある。
隊員の一人がしゃがみ込んだ。
「これ……血じゃない」
「何だ」
「タンパク質反応があります」
隊員が顔を上げた。
「でも人間のものじゃない」
その瞬間。
天井から何かが落ちた。
隊員の一人が消えた。
悲鳴。
銃声。
残った隊員たちが一斉に天井を撃つ。
何もいない。
しかし、
一人だけいない。
最初から存在しなかったように。
通信も途絶えた。
艦橋では、乗員がその映像を見ていた。
「隔壁を閉鎖!」
「閉まりません!」
「手動で!」
「閉まりません!」
「なぜ!」
航法士が叫んだ。
「船そのものが、航路を維持しようとしています!」
「どういうことだ!」
「折路が閉じない!」
アステリアの前方に、巨大な空間の裂け目が開いた。
そこには何もなかった。
星もない。
光もない。
ただ暗い。
暗闇の向こうから、
何かがこちらを見ていた。
イリスは震える手で航路データを確認した。
「……これ」
「どうした」
「帰還航路が変わってる」
「何?」
「私たちが作った道じゃない」
航路が一本増えていた。
アステリアから、
暗闇へ。
その先に、
何かがいる。
「この道……」
イリスが呟いた。
「向こうから、こちらへ繋がってる」
◆ 第四部 宇宙の外側
アステリアは逃げた。
折路航法を起動。
しかし、どこへ行っても同じだった。
惑星。
恒星。
巨大都市。
銀河。
銀河団。
どこへ飛んでも、航路の終端に同じものが現れた。
暗闇。
そして、その暗闇の奥にいる何か。
船は銀河を越えた。
さらに越えた。
宇宙の果てまで行った。
そこでイリスは理解した。
「……宇宙の外にも、道がある」
誰も答えなかった。
アステリアの航路網は、すでに宇宙全体へ接続されていた。
全ての星。
全ての文明。
全ての折路。
全ての帰還航路。
それらが一本の巨大な構造として繋がっていた。
そして、その構造の外側に、
巨大な何かがいた。
それは生物ではなかった。
生物と呼ぶには大きすぎた。
惑星より大きい。
銀河より大きい。
宇宙より大きい。
それでも、それを「巨大」と呼ぶのは正しくなかった。
それは、
空間を食べていた。
星を食べるのではない。
星と星の間にある「距離」を食べる。
距離が消える。
空間が縮む。
航路が短くなる。
そして、生命がいる場所へ近づいてくる。
文明が折路を作るたび、
それは近づいてきた。
文明が宇宙を探索するほど、
それは宇宙の中心へ近づいてきた。
そしてついに、
全ての帰還航路が、
それの口へ繋がった。
◆ 第五部 帰る
「切断できないの?」
イリスが叫んだ。
「できません!」
「航路を全部消して!」
「消したら船も戻れません!」
「もう戻らなくていい!」
航法士が叫んだ。
「帰還航路が存在しないと、船そのものが折路空間に固定されます!」
「じゃあ何をすればいいの!」
答えはなかった。
その時、
艦橋の中央に少女が立っていた。
いつからいたのか、誰にもわからなかった。
茶と白の装い。
テント旅人のような服。
おっとりした少女。
少女は周囲を見回した。
艦橋の人間たちは銃を向けた。
少女は気にした様子もなく、航路図を見た。
そして、
「ここはどこかしら?」
と言った。
誰も答えられなかった。
イリスが叫んだ。
「あなたは誰!」
少女は航路図を見ていた。
「あらあら……」
「この船から出られるの!?」
少女は少し考えるように航路を見た。
そして一本の線を指した。
「こちらかしら」
「そこは宇宙の外だ!」
「そうなの?」
「戻れなくなる!」
少女は首を傾げた。
「帰り道が、ないのね」
イリスはその言葉に固まった。
少女は航路を見ていた。
その先には暗闇。
暗闇の奥には、
巨大な何か。
少女はそこへ歩き始めた。
「待って!」
イリスが叫ぶ。
少女は振り返った。
「どうしたのかしら?」
「そこへ行ったら、死ぬ!」
少女は少しだけ考えた。
「そうなのね」
それだけだった。
歩いた。
少女が暗闇へ入った。
その瞬間、
航路が変わった。
一本だった道が、
千本になった。
千本が、
百万本になった。
百万本が、
宇宙全体を覆った。
「何だ……」
誰かが呟いた。
少女が迷うたび、
道が増えた。
行き先がわからない。
帰る場所もわからない。
だから道だけが増えていく。
アステリアの航路網が、
無限に分岐していく。
そして、
宇宙の外側にいた何かが、
初めて止まった。
◆ 第六部 迷宮
何かが追ってきた。
だが、
道が多すぎた。
一つの航路を進めば、
十億の航路へ分岐する。
一つを選べば、
さらに十億へ分岐する。
捕食者は道を食べた。
しかし食べるほど、
新しい道が生まれた。
少女が歩いた場所には、
道が残った。
少女は迷っていた。
「あれ?」
少女が振り返った。
「ここはどこかしら?」
その瞬間、
新しい宇宙が生まれた。
それは宇宙ではなかった。
道だった。
帰り道だった。
行き先のない道。
終点のない道。
始点のない道。
それが無限に増殖した。
捕食者はその全てを食べようとした。
しかし、
食べるためには、
その道を進まなければならない。
進めば、
さらに道が増える。
増えた道を進めば、
また増える。
宇宙そのものが、
巨大な迷宮へ変わっていった。
アステリアの乗員たちは、
その中心に取り残された。
食料は減った。
酸素も減った。
水も減った。
救難信号を送った。
返信はなかった。
一日。
十日。
一年。
千年。
一億年。
時間だけが流れた。
船はまだそこにあった。
乗員たちは世代を重ねた。
子供が生まれた。
その子供が子供を生んだ。
文明が船内に生まれた。
都市が作られた。
宗教が生まれた。
「外には救いがある」という宗教。
「外には怪物がいる」という宗教。
「この船そのものが宇宙だ」という宗教。
どれも正しかった。
どれも間違っていた。
そして、
数兆垓年が経った。
最後の人間が、
航路図を見ていた。
その図には、
一本の線しか残っていなかった。
帰還航路。
「帰れる」
最後の人間が言った。
誰もいなかった。
彼は航路を起動した。
船が動いた。
ゆっくりと、
その一本の道へ入った。
◆ 第七部 帰還
道の先に、
地球があった。
青い惑星。
大気。
海。
都市。
人間。
彼は泣きながら叫んだ。
「帰ってきた!」
船が惑星へ近づいた。
大気圏へ入る。
雲を抜ける。
海が見える。
都市が見える。
そして、
彼は気づいた。
都市の全ての道路が、
一本に繋がっていた。
高速道路。
地下鉄。
鉄道。
航空路。
通信網。
インターネット。
電力網。
全てが一本の構造になっている。
その先に、
巨大な黒い穴があった。
都市の中心に、
口があった。
彼は理解した。
地球は存在していなかった。
これは、
餌を誘き寄せるために作られた帰還先だった。
そして宇宙の外側にいた何かが、
初めて姿を見せた。
口ではなかった。
目でもなかった。
顔ですらなかった。
ただ、
宇宙全体を覆うほど巨大な、
「食べる」という現象だった。
最後の人間は通信機を握った。
「誰か……」
返事はない。
「誰か、聞いてくれ」
返事はない。
「俺たちは……」
そこで、
音が消えた。
◆ 第八部 少女
虚無の中に、
彷徨がいた。
何もない。
星もない。
宇宙もない。
時間もない。
空間もない。
ただ、
一本の道だけがあった。
彷徨はその道の上に立っていた。
遠くを見る。
何もない。
後ろを見る。
何もない。
右を見る。
何もない。
左を見る。
何もない。
「あらあら……」
彷徨は少し歩いた。
数歩進んだ。
止まった。
振り返った。
「……ここはどこかしら?」
答えはなかった。
その足元に、
一個のバーガーがあった。
◆ 第九部 ザク切りポテト&ビーフ
虚無だった。
さっきまで数兆垓年分の文明が存在していた場所に、何もなかった。
さっきまで数十兆の文明が航路を行き交っていた場所に、何もなかった。
さっきまで数え切れないほどの恒星が輝いていた場所に、何もなかった。
さっきまで折路航法によって無数の世界を繋いでいた空間に、何もなかった。
さっきまで数兆垓年間、帰還を求めていた生命がいた場所に、何もなかった。
さっきまで宇宙の外側から全てを喰らっていた存在がいた場所に、何もなかった。
何もなかった。
彷徨だけがいた。
少女はバーガーを見た。
ザク切りポテト&ビーフ。
持ち上げた。
重かった。
宇宙全体を覆っていた無数の航路。
そこを歩いた全生命の足跡。
帰還を求めた文明の歴史。
帰る場所を失った者たちの記憶。
そして、
最後まで存在した一本の「帰還航路」。
それらが、
一個のバーガーになっていた。
彷徨はかじった。
ザクッ。
ポテトの食感がした。
咀嚼した。
もう一口。
食べた。
食べ終えた。
しばらく、
何もない場所を見ていた。
そして、
小さく言った。
「……帰り道、なくなっちゃったわね」
それだけだった。
彷徨は立ち上がった。
周囲を見回した。
「あれ?」
少し首を傾げた。
「ここから、どこへ行けばいいのかしら?」
答えはなかった。
彷徨は歩き始めた。
一歩。
二歩。
三歩。
そして、
どこかへ消えた。
◆ グリマス博士の収蔵記録
nの次元・アーカイブ室
グリマス博士の手記より
【収蔵番号】HOU数兆垓年009
【バーガー形態】ザク切りポテト&ビーフ
【世界線分類】
超銀河文明圏/折路航法依存型
外宇宙捕食存在接続構造
帰還航路捕食循環型終焉
【収蔵クルー】彷徨
【収蔵日時】世界線航路網消失直後
◆ 外観メモ
標準的なザク切りポテト&ビーフ。
ただし重量測定に異常。
外観から想定される質量と、実測値が一致しない。
持ち上げる位置によって重量が変化する。
バーガーを少し右へ移動すると軽くなる。
左へ移動すると重くなる。
後方へ移動すると重量が増加。
前方へ移動すると重量が減少。
方向によって質量が変化する。
非常に珍しい。
◆ 成分分析
バンズ
全文明が使用した折路航法技術の圧縮体。
数兆垓年分の航路設計、航法理論、星図、帰還記録を含む。
表面には微細な亀裂が存在する。
亀裂の総数は計測不能。
一本一本が、航路分岐に対応している。
香ばしい。
パティ
宇宙外捕食存在が観測した全生命情報の凝縮体。
捕食された生命だけではない。
捕食されることを予測していた生命。
捕食されることを知らなかった生命。
捕食から逃げた生命。
逃げるための道を作った生命。
全て含まれる。
味は説明困難。
ポテト
数兆垓年にわたって存在した全航路。
一本のポテトが一本の航路に対応しているわけではない。
航路と航路の間に存在した「距離」が圧縮されている。
噛むと、遠くへ行った感覚がある。
二口目では戻ってくる感覚がある。
三口目では、
「戻ってきた場所が本当に出発地点だったのか」
判定できなくなる。
ソース
帰還を求めた全生命の記憶。
「帰る」という概念そのものの凝縮。
味は薄い。
しかし食後、方向感覚が一時的に失われる可能性あり。
レタス
無数の分岐世界の残滓。
どの分岐が本物だったか判別不能。
全てが本物だった可能性がある。
チーズ
最後に残った一本の帰還航路。
世界線消滅直前まで存在していた。
現在も情報構造として完全保存されている。
非常に強い。
◆ 総合評価
この世界線では、
「帰るための道」が文明の基盤だった。
しかし帰還航路そのものが、
外部捕食存在を世界へ導く構造だった。
つまり、
文明が生き延びるために必要だった技術そのものが、文明を捕食対象として固定していた。
非常に興味深い。
◆ 食後クルー特記事項
彷徨に食後の感想を確認。
「美味しかったかな?」
「……あらあら……」
再確認。
「帰り道について質問してよいか?」
彷徨:
「ここはどこかしら?」
質問を変更。
「現在地は?」
彷徨:
「わからないわねえ」
記録終了。
食後の彷徨は、虚無の中をしばらく歩いた。
歩いた距離は測定できなかった。
現在位置も不明。
帰還航路も発見されていない。
しかし、
彷徨が歩いた後には、一本ずつ新しい道が残っていた。
この現象について追跡調査を予定。
グリマス




