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《明日の町バーガー》


 その町には、存在しない住所が一つだけあった。


 東町三丁目、青空通り17番地。


 地図にはない。


 道路もない。


 家もない。


 それでも郵便だけは、そこへ届いた。


 毎週月曜日の朝、郵便局員の榊は、その住所宛ての手紙を一通だけ仕分けた。


「また来た」


 差出人は、いつも同じ。


 佐伯灯。


 受取人も同じ。


 佐伯灯。


 しかし、榊はその女性を知らなかった。


 そもそも、この町に佐伯灯という住民はいない。


 だから榊は、その手紙を廃棄していた。


 ある日。


 小さな女の子が郵便局へ走ってきた。


「すみません!」


「どうしたの?」


「お母さんの手紙、来てませんか?」


「名前は?」


「佐伯灯です」


 榊は固まった。


「……誰に送った手紙?」


「私のお母さん」


「お母さんはどこにいるの?」


 女の子は答えた。


「青空通り17番地です」


 そんな住所はない。


 榊はそう言おうとした。


 だが、女の子の手には古い写真があった。


 写真には、確かに家が写っている。


 青い屋根。


 白い門。


 門柱には、


17


と書かれていた。


「この家、どこにあるの?」


「知りません」


「え?」


「お母さんが、そこに帰るって言ってました」


 女の子は泣き出した。


「だから、あるってことにしてください」


 榊は黙った。


 そして。


 言ってしまった。


「……あるよ」


 女の子が顔を上げた。


「本当に?」


「うん」


「どこ?」


 榊は窓の外を見た。


 何もない空き地を指差した。


「駅の裏。青い屋根の家」


 それが最初の嘘だった。



---


◆二日後


 榊は後悔していた。


 少女は翌日も来た。


「昨日、お母さんに手紙を出しました」


「そう」


「青空通り17番地って書いたら届きました」


「……そう」


「お母さん、帰ってくるかな」


「きっと」


 榊は答えた。


 その夜。


 郵便局の配達システムを確認すると、一件の配達完了記録があった。


> 青空通り17番地

配達完了




 榊は息を止めた。


 システム上では、確かに配達されている。


 担当者の名前まで記録されていた。


 榊修一。


 自分だった。


「俺は……配達してない」


 翌朝、局長に聞いた。


「青空通りって知ってますか?」


「知ってるよ」


「え?」


「駅裏の通りだろ」


「駅裏には道路なんてありません」


 局長は怪訝そうな顔をした。


「何を言ってるんだ?」


 榊は駅裏へ走った。


 そこには。


 細い道路が一本あった。


 昨日までなかった道路だった。


 道路の入口には青い標識。


> 青空通り




 榊は立ち尽くした。



---


◆最初の異常


 道路を進む。


 十メートル。


 二十メートル。


 三十メートル。


 突き当たりに白い門があった。


 門柱には、


17


 榊は震える手で門を開けた。


 家がある。


 青い屋根。


 白い壁。


 写真と同じ家。


 玄関を開ける。


 中には家具が揃っていた。


 食卓。


 冷蔵庫。


 子供用の靴。


 壁には家族写真。


 そして。


 写真の中に榊がいた。


 少女もいた。


 知らない女性もいる。


 三人で笑っている。


 写真の日付は、


三年前。


 榊は写真を落とした。


「俺は、この家を知らない」


 背後から声がした。


「でも、ここに住んでたよ」


 振り返る。


 少女だった。


「お母さんが言ってた」


「何を?」


「おじさんは、私たちを守ってくれた人だって」


 榊は答えられなかった。



---


◆嘘を守るための現実


 その日から、奇妙なことが増えた。


 町の住民が、


「青空通りって便利になったよね」


と言い始めた。


 商店街には、


青空通り入口


という看板が立った。


 市役所には道路台帳があった。


 工事記録まで存在している。


 施工会社に問い合わせると、


「三年前に完成しています」


と言われた。


 榊は叫んだ。


「三年前には、ここは空き地だった!」


 担当者は笑った。


「何を言ってるんですか」


 さらに奇妙だったのは、榊自身の記憶だった。


 家へ帰る途中。


 ふと気づく。


 青空通りを何度も歩いた記憶がある。


 雨の日。


 夏祭り。


 少女と一緒にアイスを食べた。


 母親と話した。


 家の修理も手伝った。


 全部覚えている。


 でも。


 それらの記憶が生まれた瞬間だけが存在しない。



---


◆第二の嘘


 少女が聞いた。


「おじさん」


「何?」


「お母さん、いつ帰ってくる?」


 榊は答えられなかった。


 女性がどこにいるのか知らない。


 生きているのかも知らない。


 だから。


 また嘘をついた。


「明日には帰ってくるよ」


 少女は笑った。


「本当?」


「本当」


 その夜。


 青空通りの17番地に、明かりがついた。


 誰かが家の中にいる。


 榊が窓を見る。


 女性が立っていた。


 写真の女性。


 佐伯灯。


 女性は榊を見ると、笑った。


 そして玄関を開けた。


「ただいま」


 榊は動けなかった。


「……おかえり」


 自分でも驚いた。


 その言葉が自然に出た。



---


◆第三の嘘


 翌朝。


 女性は町の中を普通に歩いていた。


 誰も驚かない。


 八百屋の店主は、


「お久しぶり」


と言った。


 学校の先生は、


「娘さん、元気ですよ」


と言った。


 女性自身も、


「この町、変わってないですね」


と言った。


 榊だけが知っている。


 彼女は昨日まで存在しなかった。


 榊は女性に聞いた。


「あなたは誰なんですか?」


 女性は少し笑った。


「あなたが知っている人でしょう?」


「俺はあなたを知らない」


「じゃあ、どうして昨日『おかえり』って言ったの?」


 榊は答えられなかった。



---


◆町が増える


 青空通りは拡大していった。


 一週間で住宅が三十軒。


 一か月で商店街。


 三か月後には学校。


 半年後には病院。


 町の人間は誰も疑問に思わない。


 むしろ、


「昔からここにあった」


と言う。


 しかし、古い航空写真だけがおかしかった。


 空から見た町の画像では、


青空通りだけが、


白い空白


になっている。


 建物はある。


 道路もある。


 しかし、写真に写らない。


 存在しているのに、記録できない。



---


◆第四の嘘


 榊は市長に相談した。


「この町は、おかしい」


「何が?」


「青空通りです」


「何がおかしい?」


「三年前には存在していませんでした」


 市長は笑った。


「三年前?」


「はい」


「榊さん」


 市長が机の引き出しから古い写真を出した。


 三年前の市役所職員集合写真。


 そこには榊がいる。


 市長もいる。


 そして。


 青空通りの住民全員がいる。


 写真の裏には文字があった。


> 青空通り完成記念。

三年前。




 榊は震えた。


「俺は……この写真を撮った覚えがありません」


 市長が答えた。


「でも、撮ったんですよ」



---


◆第五の嘘


 榊は全てを否定しようとした。


「青空通りなんて存在しない!」


 町中で叫んだ。


 住民が振り返る。


 誰も怒らない。


 誰も笑わない。


 ただ、不思議そうな顔をする。


 少女が泣き出した。


「じゃあ、お家もないの?」


 榊は黙った。


「お母さんも?」


「……」


「私も?」


 榊は答えられなかった。


 そして。


「違う」


 と言った。


「全部、本当にある」


 その瞬間。


 町の空白が消えた。


 航空写真に、青空通りが写った。


 道路も。


 家も。


 学校も。


 病院も。


 住民も。


 全てが完全な現実になった。


 しかし。


 同時に一つのものが消えた。


 元の町。



---


◆第六の逆転


 榊が駅へ走った。


 駅がない。


 線路がない。


 郵便局もない。


 隣町へ続く道路もない。


 世界の外側が消えていた。


 町は完成していた。


 完全に。


 あまりにも完全に。


 だから、外へ出る必要がなくなっていた。


 市役所には、


> 人口:82,416人




と表示されている。


 昨日までの町の人口は、


> 81,972人




だった。


 増えている。


 誰が増えた?


 榊は名簿を見る。


 知らない名前が大量にある。


 その中に。


榊修一


が二人いた。


「……二人?」


 奥から声がした。


「こっちの俺も、本物だよ」


 振り返る。


 もう一人の榊が立っている。


 服も顔も同じ。


 ただし、こちらの榊と違って笑っている。


「君は、最初の嘘をついた方」


「じゃあ、お前は?」


「嘘が本当になった後の方」


「どういうことだ」


「簡単だよ」


 もう一人の榊は言った。


「君が『ある』と言ったから、僕が生まれた」



---


◆第七の嘘


 町は二つに分かれた。


 「存在しなかった町」を知る人々。


 「最初から存在していた町」を知る人々。


 どちらも、自分の記憶を本物だと思っている。


 そして互いに相手を嘘つきだと思った。


 町は急速に増殖した。


 道路が分岐する。


 家が増える。


 住民が増える。


 歴史が増える。


 昨日なかった公園に、


「ここで子供の頃遊んだ」


という記憶が生まれる。


 記念碑が建つ。


 その記念碑を作った職人の人生まで生まれる。


 嘘を一つつく。


 それを成立させるために十個の事実が必要になる。


 十個の事実を成立させるために百個の過去が必要になる。


 百個の過去を成立させるために。


 町そのものが必要になる。



---


◆最後の嘘


 榊は気づいた。


 これ以上嘘をつけば、世界は無限に増える。


 だから最後に、一つだけ嘘をつくことにした。


 少女を呼ぶ。


「おじさん、どうしたの?」


「青空通りは、もう大丈夫だ」


「何が?」


「この町は、ずっとここにある」


 少女が笑う。


「知ってるよ」


 榊は首を振った。


「違う」


「え?」


「これからも、ずっとある」


 その瞬間。


 世界が止まった。


 人間も。


 車も。


 風も。


 時計も。


 全てが止まった。


 「これからも存在する」という未来を成立させるために。


 世界は未来そのものを必要とした。


 過去。


 現在。


 未来。


 全てが一つの瞬間へ圧縮される。


 青空通りの家々が折り畳まれる。


 道路が一本の線になる。


 学校。


 病院。


 郵便局。


 市役所。


 住民。


 記憶。


 写真。


 存在しなかった過去。


 存在してしまった未来。


 全部が重なった。


 最後に残ったのは。


 青い屋根の小さな家だった。


 家が縮む。


 青い屋根がバンズになる。


 白い壁がチーズになる。


 道路がソースになる。


 住民の記憶がパティへ沈む。


 そして。


 世界全体が一つの形に固まった。



---


◆回収記録


 外部観測地点に、一個のバーガーが出現した。


 重量は310グラム。


 通常のバーガーと変わらない。


 切断面には、小さな道路が一本だけ見える。


 道路の先には白い家。


 門柱には、


17


 と刻まれている。


 真意が観察した。


「面白いわね」


 虫眼鏡を近づける。


「このバーガーには、嘘が保存されていない」


 冥理が首を傾げる。


「では何が入っているので?」


 真意は答えた。


「嘘をついた理由」


 その瞬間。


 バーガーの内部から、少女の声がした。


「おじさん」


 二人が振り返る。


 誰もいない。


「お母さん、帰ってきたよ」


 真意がもう一度バーガーを見る。


 断面の小さな家に、二人の人影が立っている。


 少女と母親。


 そして。


 その少し離れた場所に、榊がいる。


 だが榊は。


 こちらを見ていない。


 少女を見ている。


 笑っている。



---


◆最終記録


 バーガー名を決定する。


 候補。


《青空通りバーガー》


《存在する町バーガー》


《嘘の住所バーガー》


《帰ってきた家バーガー》


 いずれも不適切。


 最終的に採用された名称は、


《明日もあるバーガー》


だった。


保存対象


「誰かを安心させたい」という願い。


保存されなかったもの


「それが嘘だった」という事実。


CAUSAL RESIDUE


 回収後、ぱんでむの郵便局に一通の手紙が届いた。


 宛先:


> 青空通り17番地




 差出人:


> 榊修一




 消印はない。


 中には一枚の紙だけが入っていた。


> 明日、帰ります。




 その翌日。


 郵便局の裏に、道路が一本できていた。


 青い標識が立っている。


> 青空通り




 誰も、その道路を作った人間を知らない。


 ただ。


 郵便局員の榊だけが、


「前からありましたよ」


と言った。


 そして自分で言ったことに気づいて。


 少しだけ笑った。


 その笑顔だけが。


 バーガーの中に保存されていた。

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