《撃退祝杯バーガー》
世界線コード:INDP1996JL
分類:記録消去型・防御解除瞬間崩壊
危険度:回収済
備考:この世界線の住民は勝った。
完全に勝った。
勝った瞬間に、この世界線は終わった。
勝利が死因だった。
◆記録一 施設観測ログ INDP世界線 物理法則の確認
【観測記録01】
INDP1996JL世界線の基本物理法則:
この世界線において「記録」は物質だ。
過去に起きた出来事は、
「記録の粒子」として大気中に残留する。
記録の粒子のにおい:
「紙のにおい。古くなるほど濃くなる」
記録の粒子は目に見えないが、
大気中に均一に分布しており、
世界線の密度を構成している。
記録の粒子が消えると、世界線の密度が下がる。
密度が下がった領域では「なかったこと」が増える。
「なかったこと」が増えた領域は存在が薄くなる。
存在が薄くなった領域は最終的に消える。
この段階での世界線崩壊確率:0%。
◆記録二 突然の来訪
直径三十キロメートルの物体が、大気圏を通過した。
燃えなかった。
摩擦熱が出なかった。大気との接触が起きていなかった。
物体は都市の上空三千メートルで静止した。
世界中に二十三機。全て同時に、全て静止した。
攻撃しなかった。
信号も送らなかった。
ただ、あった。
三日間、物体は何もしなかった。
世界中の政府が議論した。
軍が包囲した。
科学者が観測した。
住民が避難した。
物体は何もしなかった。
施設観測ログ(三日後):
外部観測者注記:
物体の内部構造を分析した。
物体の内部に「記録の粒子」が大量に蓄積されていた。
分析結果:
物体内部の記録の粒子は、
この世界線の「過去の記録」だった。
百年分。千年分。
この世界線で起きた全ての出来事の記録が、
物体の内部に蓄積されていた。
物体は何年もかけて、
この世界線の大気から記録を少しずつ吸収していた。
「ずっと前から来ていた」。
住民が気づかなかっただけで、
物体はすでに何十年もかけて、
この世界線の記録を収集していた。
目的:不明。
物体が記録を収集することの意味:
外部観測者には二つの解釈がある。
解釈A:記録を「盗んでいた」。
この世界線の歴史を略奪していた。
解釈B:記録を「保存していた」。
何かが起きる前に、この世界線の歴史を保管していた。
どちらが正しいか、現時点では判定できない。
この段階での世界線崩壊確率:3.2%。
◆記録三 物体の周囲で起きたこと
物体が静止してから一週間後、科学者のドウバンが発見した。
物体の真下の半径五十キロメートルの地域で、
大気中の記録の粒子密度が急低下していた。
「記録が消えている」とドウバンは報告した。
「どういう意味ですか」と政府の担当者が聞いた。
「この地域で過去に起きたことが、消えています」とドウバンは言った。「建物はあります。人はいます。でも、この地域で昨日起きたことの記録が、大気中に残っていない」
「昨日の記録が消えた」
「昨日だけではありません。三日前から。物体が来た日から、この地域で起きたことが大気中に残っていない」
担当者が黙った。
「どういう影響がありますか」とドウバンは続けた。「今はまだ小さい影響です。でも記録が消え続ければ——この地域は、いずれ「何もなかった場所」になります」
施設観測ログ(同日):
外部観測者注記:
物体が記録を吸収する速度を計算した。
現在の吸収速度で計算すると、
物体の真下の地域が「記録ゼロ」になるまでの時間:
約四十年。
四十年後に何が起きるか:
記録がゼロになった地域は「なかった場所」になる。
なかった場所の上に建っている建物も、
なかったことになる。
なかった建物の中にいた人間も、
なかったことになる。
四十年後に、この都市が消える。
しかし——
物体が記録を吸収し続けることが
世界線の崩壊を「遅らせている」という可能性もある。
外部観測者が計算した結果:
物体が記録を吸収している間、
世界線全体の密度は緩やかに低下している。
しかし低下速度は非常に遅い。
物体がこのまま吸収を続けた場合、
世界線が完全に崩壊するまでの時間:
約三千年。
物体の吸収が突然停止した場合、
吸収されていた記録が一斉に解放される。
解放された記録が世界線に戻れば——
密度が急激に回復する。
急激な回復は何を意味するか:
外部観測者には、まだわからない。
崩壊確率:3.2%のまま。動いていない。
◆記録四 軍事会議
政府の最高軍事会議が開かれた。
議題:「物体の排除について」。
ドウバンは反対した。
「物体が何をしているか、まだわかっていません。攻撃するべきではない」とドウバンは言った。
「記録が消えています」と将軍が言った。「攻撃しなければ、四十年後に都市が消える」
「攻撃すれば、何が起きるかわかりません」
「排除すれば記録の吸収が止まります。止まれば記録が戻ってくる」
「戻ってくる速度が問題です。どのくらいの速度で戻るか——」
「試してみなければわかりません」と将軍は言った。
「試した後で取り消せません」とドウバンは言った。
会議は決裂した。
大統領が決断した。
「排除する」。
施設観測ログ(会議の翌日):
外部観測者注記:
大統領の決断について記録する。
この世界線の住民が「攻撃」を選んだ理由は
「物体が危険だから」ではなかった。
「物体が何をしているかわからないから」だった。
わからないものを排除することを選んだ。
外部観測者はここで、
この世界線の住民が長い歴史の中で
繰り返してきたパターンを確認した。
「わからないものを排除する」というパターンだ。
このパターンで、
この世界線の住民は何千年もかけて
大陸を渡り、
他の文明を滅ぼし、
資源を使い尽くし、
別の土地に移った。
蝗のように。
物体が「蝗の文明」だという認識が
この世界線の住民にはあった。
しかし外部観測者には、
どちらが蝗の文明だったか、
まだ判断できなかった。
◆記録五 攻撃
物体のシールドに何度も攻撃した。
効かなかった。
物体は反撃しなかった。
シールドが全ての攻撃を弾いた。
攻撃するたびに、物体の周囲の記録の粒子が乱れた。
乱れた粒子が世界線の密度を下げた。
施設観測ログ(攻撃開始から七日後):
外部観測者注記:
攻撃が与えた影響を記録する。
シールドへの攻撃一回あたりの
記録粒子の乱れによる密度低下:
〇・〇〇〇一%。
七日間の攻撃回数:約四万回。
密度低下の累積:約四%。
物体が三千年かけてゆっくり吸収していたより、
七日間の攻撃の方が多くの密度を奪った。
崩壊までの時間の再計算:
このペースで攻撃が続いた場合:約七年。
物体を放置していた場合:三千年。
攻撃を始めたことで、
崩壊が約三千年分早まった。
崩壊確率:3.2%→29.4%
◆記録六 ドウバンの発見
ドウバンは物体の内部構造の解析を続けた。
物体のシールドの仕組みがわかった。
「シールドは外からは絶対に破れません」とドウバンは言った。「でも、内側からは開けられる」
「物体が自分でシールドを下げる条件は何ですか」と将軍が聞いた。
「わかりません。でも、物体がシールドを下げた時だけが唯一の機会です」
「どうすれば下げさせられますか」
「——わかりません」とドウバンは言った。
「でも、物体が初めてシールドを下げた記録があります」
「いつですか」
「最初に来た日です。大気圏を通過した時、一瞬だけシールドが下がった。通過するために下げた」
「もう一度通過させれば——」
「今度は通過させる必要はありません。シールドが下がる瞬間だけあればいい」
◆記録七 シールドが下がった瞬間
作戦は単純だった。
物体に「通過するつもりだ」と思わせる。
物体が通過のためにシールドを下げた瞬間を狙う。
作戦のために選ばれたパイロットは、
職務から外されていた元軍人だった。
飲酒の問題で停職になっていた。
「あいつしかいない」と誰かが言った。
「なぜですか」
「あいつは記録を持っていない男だ」という答えだった。
意味がよくわからなかった。
でも、誰もそれ以上聞かなかった。
パイロットは飛んだ。
物体に向かった。
衝突コースを取った。
物体がシールドを下げた。
「通過させるつもり」と判断したからではなかった。
外部観測者だけが後から理由を知った。
物体がシールドを下げたのは——
パイロットの飛行機から、記録の粒子がほとんど出ていなかったからだ。
記録を持たない者が近づいた時、物体は「記録を吸収する必要がない対象」と判断して、シールドを開いた。
受け入れようとした。
その瞬間に、攻撃が入った。
施設観測ログ(シールド解除の瞬間):
外部観測者注記:
物体がシールドを下げた理由を確認した。
物体が「受け入れようとした」——これは正確だ。
物体のシールドは「記録を吸収している間」だけ閉じている。
記録を持たない対象が来た時、
シールドを開く。
なぜ開くか:
記録を持たない対象は「記録を渡せない」。
記録を渡せない対象は「吸収の対象ではない」。
吸収の対象でないものは、
物体にとって「害のないもの」だ。
物体は害のないものには、シールドを開く。
パイロットが「害のないもの」に見えた。
物体は受け入れようとした。
その瞬間に、攻撃を受けた。
害のないものだと判断した相手から攻撃を受けた。
物体の内部に攻撃が入った。
物体が爆発した。
爆発した物体の内部から、
蓄積されていた記録の粒子が一斉に放出された。
◆記録八 勝利の瞬間
物体が爆発した。
二十三機、全て同時に。
一機が爆発した瞬間に残り二十二機も連鎖した。
世界中で爆発した。
世界中で歓声が上がった。
勝利だった。
完全な勝利だった。
施設観測ログ(爆発から〇・〇三秒後):
外部観測者緊急記録:
物体の内部に蓄積されていた記録の粒子が
一斉に放出された。
放出された量:
この世界線の過去百年分の全記録。
放出速度:
〇・〇三秒以内に世界全体に拡散。
世界線の密度変化:
記録の粒子が一斉に戻った。
戻った速度が、問題だった。
百年分の記録が〇・〇三秒で戻った。
世界線の密度が〇・〇三秒で
百年分急上昇した。
急激な密度の上昇は何を意味するか:
この世界線の物理法則では——
密度が急激に増加した時、
世界線は「増加分を処理できない」。
処理できない密度が世界線の構造に負荷をかける。
負荷が臨界を超えた瞬間、
世界線は圧縮される。
百年分の記録が〇・〇三秒で戻った。
世界線が処理できなかった。
崩壊確率:0%→100%
(〇・〇三秒で移行)
最終圧縮開始。
◆記録九 最終圧縮プロセス
【観測記録31:最終圧縮の記録】
歓声が上がっていた。
世界中で同時に歓声が上がっていた。
勝利の瞬間だった。
その瞬間に圧縮が始まった。
歓声を上げている住民の体が、
記録の粒子に包まれた。
百年分の記録が、住民の体を通り抜けた。
体を通り抜けながら、密度が上昇した。
上昇が臨界を超えた。
歓声が止まった。
歓声が止まったのは、
喜びが終わったからではなかった。
物理的に止まった。
密度の臨界超過により、
音の伝播が停止した。
無音になった。
光の屈折が変化した。
空の色が変わった。
青から白に変わった。
白から透明になった。
透明になった空の向こうに、
外部観測者の視点から見ると——
圧縮された世界線が見えた。
一点に収束した。
圧縮完了。
INDP1996JLとして収容する。
最後に記録されたもの:
ドウバンが圧縮の直前に叫んだ言葉。
「物体は何をしに来たのか——」
答えは出なかった。
でも外部観測者には、答えがわかっていた。
物体は記録を「盗みに」来たのではなかった。
物体は記録を「保存しに」来ていた。
この世界線がいつか終わることを知っていた。
終わる前に、記録を保管しようとしていた。
そのために何十年もかけて少しずつ吸収していた。
急激に吸収すれば、戻った時に崩壊することを知っていたから。
ゆっくりと、少しずつ。
世界線が終わる前に、全部保存するつもりだった。
三千年かけて。
でも攻撃された。
シールドを開いた瞬間に、攻撃された。
記録が一斉に戻った。
世界線が終わった。
保存しようとしていた記録が、保存対象を消した。
◆付録 回収後の記録
真意の調査メモ:
案件番号:INDP1996JL
担当:真意
メタデータを四層目まで読んだ。
四層目に書いてあったこと:
「物体はこの世界線の住民が
自分たちを撃退することを、
来る前から知っていた」
知っていたなら、なぜ来たか。
知っていて来た。知っていて吸収を続けた。
知っていて、シールドを開いた。
「知っていて受け入れた」という記録が
四層目に残っている。
これは何を意味するか。
物体が「保存しようとしていた記録」の中に、
この世界線の住民が物体を撃退する場面も、
含まれていた可能性がある。
撃退される瞬間まで含めて、保存しようとしていた。
その解釈が正しければ——
物体の目的は達成された。
撃退されることも含めて、全部記録された。
どこかに。
どこに保存されたかは、わからない。
追加調査を推奨する。
ただし追加調査の方法が現時点で不明。
保留とする。
世達の業務ノート(補記):
案件番号:INDP1996JL
回収後重量:四百三十グラム
標準バーガーの平均重量との差異:+294グラム
重量超過の原因:
百年分の記録が全部入っているため。
死因:
勝ったから死んだ。
攻撃しなければあと三千年あった。
三千年の差があった。
その三千年で物体が記録を保存し終えていたなら、
何かが変わっていたかもしれない。
その可能性ごと圧縮されている。
処理:保管。
真意の調査メモにある通り、
追加調査の可能性があるため
現時点での摂取は保留とする。
残業代申請中。




