《特になしバーガー》
——世界線DRΩ∅:完食記録——
◆第一層 出現
女は朝、目が覚めたら部屋が違った。
自分の部屋ではなかった。
白い部屋だった。
窓がなかった。
ドアがなかった。
テーブルが一つあった。
テーブルの上に、バーガーがあった。
女は三十一歳だった。
昨夜、何をしていたか覚えていなかった。
覚えていないのではなく——昨夜の記憶が、そもそも存在していなかった。
自分の名前は覚えていた。
仕事も覚えていた。スーパーのレジ係だった。
友人の名前も覚えていた。
でも「昨夜」だけが、なかった。
壁にスピーカーがあった。
スピーカーから声が出た。
「ゲームに参加してもらいます」
「参加したくないです」と女が言った。
「参加しなければ、死にます」
「では参加します」と女が言った。「ルールを教えてください」
>ゲームのルール(スピーカーより)
>
>参加者は全部で三十二名。
>
>全員が同様の部屋に収容されている。
>
>バーガーを食べることで、ゲームに登録される。
>
>登録後、以下のいずれかを「望み」として設定する:
>
>・誰かを生き返らせる
>・誰かを殺す
>・記憶を変える
>・世界のルールを一つ変える
>
>望みを持った者同士が戦う。
>最後に残った一人の望みが、叶えられる。
>
>以上。
女はルールを聞いた。
バーガーを見た。
食べた。
登録画面が、空中に現れた。
「望みを設定してください」と書いてあった。
女は少し考えた。
望みが、なかった。
生き返らせたい人間が、いなかった。
殺したい人間が、いなかった。
変えたい記憶が、なかった。
変えたい世界のルールが、思いつかなかった。
「特になし」と入力した。
画面がフリーズした。
三秒後、再起動した。
「望みを設定してください」と書いてあった。
また「特になし」と入力した。
また三秒後に再起動した。
女は六回繰り返した。
六回目に、別のメッセージが出た。
「望みが空白の参加者は、想定されていません。管理者に問い合わせ中です」
◆第二層 他の参加者
▼部屋が繋がった
しばらくして、壁の一部が消えた。
廊下が現れた。
廊下の両側に、同じような部屋が並んでいた。
扉が開いた。
人が出てきた。
三十一人が廊下に集まった。
全員が初対面だった。
全員がバーガーを食べていた。
女の隣に立った男が言った。
「望みは何ですか」
「特にないです」と女が言った。
男が少し、止まった。
「特にない、とはどういうことですか」
「望みが思いつきませんでした」
「ゲームに勝てないじゃないですか」
「勝てなくていいです」
「死ぬんですよ」
「勝てなかったら死ぬんですか」
「そういうルールです」
「では、望みを作ればいいんでしょうか」と女が聞いた。「でも、なかったものを無理に作っても、それは本当の望みじゃないですよね」
男は答えなかった。
>参加者リスト(後日収集)
>
>参加者01:死んだ娘を生き返らせたい(父親、54歳)
>
>参加者02:自分を虐待した父親を殺したい(女性、23歳)
>
>参加者03:事故の記憶を消したい(男性、38歳)
>
>参加者04:病気が治る世界にしたい(女性、67歳)
>
>参加者05:お金持ちになりたい(男性、29歳)
>
>……
>
>参加者19:特になし(女性、31歳)
◆第三層 第一の戦い
▼戦いが始まった
廊下の端に、武器が置いてあった。
スピーカーが言った。
「第一フェーズ開始。七十二時間以内に、参加者を半数以下にしてください」
誰も動かなかった。
三十二人が、武器を見た。
誰も取らなかった。
「動かないと、全員死にます」とスピーカーが言った。
誰も動かなかった。
六時間後、スピーカーが言った。
「動かない場合、ランダムに参加者を消去します」
一人が消えた。
煙も音もなく、消えた。
残り三十一人。
誰かが武器を取った。
戦いが始まった。
▼女は戦わなかった
女は廊下の端に座っていた。
戦いを見ていた。
戦わなかった。
女に向かってくる人間がいた。
女は逃げた。
追いかけてきた。
女は隠れた。
探された。
見つからなかった。
七十二時間後。
生き残ったのは十四人だった。
女は、その中にいた。
>女の記録・第一フェーズ後
>
>十八人が死んだ。
>
>私は一人も殺していない。
>
>逃げ続けた。隠れ続けた。
>
>「どこに隠れたか」は書かない。
>次のフェーズで役立つかもしれないから。
◆第四層 第二の戦い
▼望みと戦いの関係
第二フェーズが始まった。
スピーカーが言った。
「第二フェーズ。各参加者の望みが、他の参加者に開示されます」
空中に、全員の望みが表示された。
全員が全員の望みを知った。
事態が変わった。
娘を生き返らせたい父親(54歳)と、記憶を消したい男(38歳)が、協力し始めた。
虐待した父親を殺したい女(23歳)が、病気が治る世界にしたい女(67歳)に言った。
「私が勝ったら、あなたの望みも考慮します」
「でも、叶えられるのは一つだけでしょう」と67歳が言った。
「そうですね」と23歳が言った。二人は黙った。
女の望みが表示された。
「特になし」
全員が女を見た。
娘を生き返らせたい父親が言った。
「あなたは何のために戦っているんですか」
「戦っていません」と女が言った。
「なぜ戦わないんですか」
「殺したい人間がいないし、生き返らせたい人間もいないし、変えたい記憶もないので」
「では、なぜ生きているんですか」
女は少し考えた。
「わかりません」と女が言った。「でも、死にたくはないです」
「望みがなくても、死にたくはないんですか」
「はい」
「それは矛盾していませんか」
「矛盾しているかもしれません」と女が言った。「でも——望みがある人間だけが死にたくないわけじゃないと思います」
父親は少し黙った。
それから言った。
「娘は三年前に死にました。交通事故でした。私は毎日、娘のことを考えています。娘が生き返ったら——また一緒にいられます。それが望みです」
「そうですか」と女が言った。
「あなたには、そういう人間がいないんですか」
「いません」と女が言った。「友人はいます。でも死んでいません。だから生き返らせる必要がありません」
「いなくなったら、どうしますか」
「悲しいと思います」
「それが望みになりませんか」
「なりません」と女が言った。「悲しくなりたくないというのは、望みというより、条件です。望みと条件は違うと思います」
▼第二フェーズの終わり
第二フェーズは、形式が変わった。
殺し合いではなく、交渉だった。
望みが開示されたことで、同盟と裏切りが複雑になった。
七十二時間後。
生き残ったのは七人だった。
女は、また生き残っていた。
女を狙う人間が複数いたが、全員が「望みが特になし」という女を優先して狙わなかった。
理由:望みがない人間を倒しても、脅威が減らない。望みがある人間を先に排除する方が合理的。
女だけが、合理的に後回しにされ続けた。
◆第五層 真実
▼管理者が現れた
第三フェーズが始まる前に、スピーカーが言った。
「管理者がフロアに入ります」
壁が開いた。
人間が入ってきた。
スーツを着た、四十代の男だった。
普通の顔をしていた。
「説明します」と管理者が言った。「このゲームの目的は、最後の一人を選ぶことではありません」
全員が黙った。
「このゲームの目的は——参加者に『存在理由』を選ばせることです」
「存在理由?」と誰かが言った。
「人間は、何かを望むことで、存在に意味を与えます。望みがある人間は、その望みのために動きます。動くことで、社会が機能します」
「では、望みがない人間は」と女が聞いた。
管理者が女を見た。
「望みがない人間は、社会に負荷をかけます。動かない人間は、社会の摩擦になります」
「だから排除するんですか」
「排除ではありません」と管理者が言った。「強制的に望みを持たせるんです。このゲームを通じて。極限状態に置けば、人間は必ず何かを望みます。生存を望む。勝利を望む。誰かを守ることを望む。何かしらの望みが発生します。それを設定させます」
女は少し、考えた。
「私は望みが発生しませんでしたが」
「異常なケースです」と管理者が言った。「通常、このゲームで望みが発生しない人間はいません」
「私はいませんでした」
「だから管理者が直接介入しました」と管理者が言った。「あなたをどう処理するか、判断するために」
「処理」
「はい。ゲームに組み込めない参加者は、ゲームの外に置く必要があります」
「殺すということですか」
「消去します」
女は管理者を見た。
「一つ聞いていいですか」
「どうぞ」
「このゲームの設計者は、誰ですか」
「私たちです」
「なぜこのゲームを作ったんですか」
管理者が少し、止まった。
「社会の安定のためです」
「社会を安定させるために、人間を殺し合わせているんですか」
「殺し合いは手段です。目的は存在理由の設定です」
「存在理由がなければ、社会は不安定になるんですか」
「なります」
「あなたの存在理由は何ですか」と女が聞いた。
管理者が止まった。
「このゲームを運営することです」と管理者が言った。
「それは存在理由ですか。それとも仕事ですか」
「……同じことです」
「同じですか?」
管理者は答えなかった。
◆第六層 崩壊
▼女の選択
管理者が言った。
「あなたを消去します。準備ができています」
「待ってください」と娘を生き返らせたい父親が言った。
「なぜ」
「彼女は何もしていません。望みがないというだけで消去するのはおかしい」
「ゲームのルールです」
「ルールがおかしいんです」
他の参加者も口を開いた。
「私たちを殺し合わせておいて、望みがないと消去するのはおかしい」と虐待した父親を殺したい女が言った。
「ゲームのルールを作ったのはあなたたちでしょう」と記憶を消したい男が言った。「ルールが間違っているなら、変えてください」
管理者が全員を見た。
「ゲームを中断します」と管理者が言った。「判断が必要な事態が発生しました」
管理者は部屋の外に出た。
七人が残された。
>七人の会話
>
>「あの人、何なんですかね」
>
>「管理者だって言ってた」
>
>「でも、存在理由を聞かれて答えられなかった」
>
>「そうですね」
>
>「自分の存在理由がない人間が、他人に存在理由を設定させるゲームを作っているんですか」
>
>「…………」
>
>「おかしくないですか、それ」
▼管理者が戻った
三時間後、管理者が戻った。
「ゲームを終了します」と管理者が言った。
「全員、帰れますか」と女が聞いた。
「帰れます」
「望みは叶えてもらえますか」
管理者が少し間を置いた。
「……一名分だけ、叶えられます。誰が望みますか」
七人が黙った。
娘を生き返らせたい父親が、手を挙げかけた。
止めた。
「娘が生き返ったとして——娘は望んでいますか」と父親が言った。「三年間、死んでいた娘が、突然生き返ることを望んでいますか」
誰も答えなかった。
「私の望みは、私のものです」と父親が言った。「娘のことを考えたら——娘の望みは別のところにあるかもしれません。私には、わかりません」
父親は手を下ろした。
六人が、一人ずつ、望みを取り下げた。
女が最後まで黙っていた。
「私は最初から望みがありませんでした」と言った。「今も変わりません」
管理者が言った。
「では、望みを叶える対象がいません。ゲームの最終処理を行います」
「最終処理とは何ですか」
「全員の記憶を消去します。元の場所に戻ります。このゲームは存在しなかったことになります」
全員が顔を見合わせた。
「消去したくないです」と女が言った。
「なぜですか」
「起きたことを忘れたくありません」
「何も変わりません。あなたの元の生活に戻るだけです」
「起きたことが、なかったことになるのはおかしいです」と女が言った。「十八人が死にました。覚えていたいです。覚えていなければ、死んだことにならないから」
◆第七層 ゲームの停止
▼管理者の選択
管理者が少し、止まった。
「記憶の消去を拒否しますか」
「はい」
「では、あなたの記憶は残ります。ただし、他の参加者の記憶は消去します」
「それでいいです」
六人の記憶が消去された。
六人が、元の場所に戻った。
女だけが、部屋に残った。
「あなたをどうするか、決まっていません」と管理者が言った。
「私はここにいます」と女が言った。
「何をするんですか」
「わかりません」
「何を望みますか」
「特にないです」
「それが問題なんです」と管理者が言った。「望みがない人間を、このシステムは処理できません」
「では、システムを変えてください」
「……どう変えるんですか」
「望みがない人間が存在できるように」と女が言った。「望みがなくても、死にたくない人間がいます。それだけで、ここにいていいはずです」
管理者は長い間、女を見た。
「ゲームを停止します」と管理者が言った。
「全てのゲームを?」
「このゲームだけです。今のところ」
「他にもゲームがあるんですか」
「……他の世界線にも、似たものがあります」
女は少し考えた。
「そちらのゲームも、望みがない人間が参加しているんですか」
「いる可能性があります」
「その人間たちも、消去されそうになっていますか」
「ルール上はそうなります」
「教えてください。その人間たちがいる場所を」
管理者が止まった。
「なぜですか」
「行きます」と女が言った。
「何をしに」
「隣にいます」と女が言った。「望みがない人間の隣に。一人でいるより、一人じゃない方がいいと思うので」
管理者は長い間、女を見た。
「それが、あなたの望みですか」
女は少し考えた。
「望みというより——やりたいことです。望みと、やりたいことは、違うと思います」
◆第八層 圧縮
バーディが来た。
M社からの圧縮指令を確認した。
>圧縮指令:DRΩ∅
>
>発動条件:
>対象世界線において、
>「全参加者の望みが設定完了」または
>「ゲームが停止」した時点で
>圧縮処理を開始する。
バーディは観測した。
ゲームが停止していた。
条件を満たしていた。
バーディはプレスをかけた。
世界が収束した。
十八人の死が、六人の忘れた記憶が、父親が手を下ろした瞬間が、望みを取り下げた六人が、女の「特になし」が——一点に集まった。
パティになった。
パティを持った。
軽かった。
望みがなかったから、軽かった。
でも——密度があった。
望みの代わりに、「やりたいこと」が詰まっていた。
>回収記録:DRΩ∅
>
>圧縮処理:完了。
>
>パティ品質:軽い。密度あり。
>
>担当:バーディ
>
>備考:女が最後に言った。
> 「望みというより、やりたいことです」
>
> 望みとやりたいことは、違う。
>
> 望みは「叶えたいもの」だ。
> やりたいことは「今やること」だ。
>
> ゲームは「望み」を設定させようとした。
> 女には望みがなかった。
> でも——やりたいことはあった。
>
> ゲームは、やりたいことを処理できなかった。
> 望みだけを処理するシステムだったから。
>
> 記録する。
◆製造
パンデモニウムの因果律プレス工場。
「DRΩ∅、搬入。選別停止型、完熟。望みなし・やりたいことあり」
「お疲れ様です」
「望みがないパティですか」
「やりたいことはあります」
「違いがわかりません」と担当者が言った。
「望みは完成形です。やりたいことは過程です」とバーディが言った。
「過程だけが入っているんですか」
「はい」
「完成形がなければ、何に向かっているかわかりません」
「わからないまま向かっています」
「それは——おかしくないですか」
「おかしいかもしれません」とバーディが言った。「でも、おかしいとわかっている間は、まだ考えています。考えている間は、止まっていません」
普通のバンズが選ばれた。
軽いパティが挟まれた。
ソースは——父親が手を下ろした瞬間の感情を蒸留したものが塗られた。
父親が娘のために手を下ろした瞬間——「自分の望みより相手の望みを考えた瞬間」のソース。
包みに巻かれた。
《特になしバーガー》
別称:「望みがなくても、やりたいことはあった味」
「出荷先は?」
バーディが少し間を置いた。
「履歴書に自己PRが書けない人間と、望みを聞かれて困る人間がいる場所なら、どこでも」
「——それはどこにでもある」
トレイに乗せられた。
軽かった。
普通のバーガーだった。
◆補遺
この記録を読んでいるあなたへ。
望みがあるか。
あるなら——それはあなたのものか。それとも誰かに「望め」と言われて持ったものか。
ないなら——
やりたいことはあるか。
望みとやりたいことは、違う。
望みは「叶えたいもの」だ。完成形を持っている。
やりたいことは「今やること」だ。完成形を持たなくていい。
女は望みがなかった。
でも——望みがない人間の隣にいたかった。
それをやりに行った。
「やりたいこと」は、ゲームに登録できなかった。
登録できなかったから、消去できなかった。
消去できなかったから、ゲームが止まった。
望みがなくても、ここにいていい。
〔世界線DRΩ∅ 完食記録——了〕
〔本バーガーは現在、パンデモニウム店頭にて提供中です〕
〔望みがなくても、注文できます〕
〔I'm lovin' it.〕




