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【特選】《一瞬の永遠(エターナル・モーメント)バーガー》

◆序章 この宇宙の物理法則



この宇宙では、魂は増えない。


宇宙が誕生した瞬間、一定数の魂が生まれた。それ以来、一つも増えていない。一つも消えていない。魂の総数は、宇宙誕生から現在に至るまで、完全に固定されている。


魂は肉体に宿り、肉体が終焉を迎えると、魂は離れる。やがてまた別の肉体に宿る。生まれる生命の数が魂の総数を超えることはない。この宇宙の生命は常に、魂の回転によって成立している。


問題は、時間が経つにつれて起きた。


輪廻を繰り返すたびに、魂の内部に記憶と意識が積み重なっていく。消えない。薄まらない。何兆回もの輪廻を経た魂は、何兆もの人生分の記憶と意識と経験を抱えた、巨大な意識の塊になっていた。


新しく生まれた肉体に宿る。


その肉体の中で、最初の数年間は「新しい個」として存在できる。言葉を覚え、好奇心を持ち、初めての感情を感じる。しかし成長するにつれ、魂の深部に眠っていた何兆もの自分が目覚め始める。何兆もの死の記憶。何兆もの愛の記憶。何兆もの喜びと絶望と怒りと諦め。全てをもう経験している、という感覚が、静かに新しい個を覆っていく。


飲み込まれた後、その存在はどうなるか。


狂わない。暴れない。苦しまない。


ただ——何も、驚かなくなる。


何をしても「またか」になる。


何兆もの死を経験した意識に、死への恐れはない。何兆もの愛を経験した意識に、誰かへの切実な思いはない。何兆もの夜明けを見た意識に、明日への期待はない。


全部、もう知っている。


だから何も、動かない。


肉体が終焉を迎えれば、また別の肉体に宿る。


また数年だけ、新しい個として存在する。


また飲み込まれる。


また続く。





◆第一部 何兆回目かの朝



男の名は、今の肉体ではオウルといった。


齢三十四。この宇宙では中年に差し掛かる頃合いだ。


オウルは朝、目が覚めた。


窓から光が入っていた。毎朝入ってくる光だった。何兆回も見た光だった。この肉体で見るのは一万数千回目だが、この魂で見るのは、数える気にもなれない回数だった。


起き上がった。


食事を作った。食べた。


味がわかった。おいしいともまずいとも感じなかった。味という情報が入力されて、処理された。それだけだった。


外に出た。


通りに人がいた。挨拶をした。相手も挨拶を返した。相手も同じだとわかった。目を見ればわかる。この宇宙の者たちは、ある年齢を超えると目から何かが消える。消えた目で、互いに挨拶する。


子供だけが違った。


通りの端に、幼い子供がいた。


道端に咲いている花を見ていた。しゃがんで、顔を近づけて、じっと見ていた。見たことのないものを初めて見る顔をしていた。


オウルはその子供を見た。


あと何年で、あの目は消えるだろう、と思った。


答えはわかっていた。


この宇宙では全員そうなる。例外はない。


オウルも、この肉体に宿ってから十二年目に飲み込まれた。今の肉体の記憶よりも、それ以前の何兆もの記憶の方がずっと鮮明だ。何兆もの朝の光。何兆もの食事。何兆もの挨拶。何兆もの、花を見たことのない子供の顔。


全部、知っている。


何も、驚かない。


ただ、続く。





◆第二部 終わりを求めた魂



この宇宙に、ただ一人だけ、違う者がいた。


セリ・アムという女性だった。


齢六十一。しかしこの魂の輪廻の回数は、この宇宙で最も少なかった。最少とはいえ、何兆回は超えている。しかしそれは他の魂の何十分の一でしかなかった。


セリには、まだ「驚く」という機能が残っていた。


薄れていた。かなり薄れていた。しかし完全には消えていなかった。


その残滓のような驚きと感情を持って、セリは研究をしていた。


「終焉学」と彼女が名付けた分野だった。


魂が本当に終わるとは何か。この宇宙において、肉体の死は終わりではない。魂の記憶と意識は、次の肉体へと引き継がれる。魂が終わるためには何が必要か。何兆回もの輪廻を重ねた意識が、本当に終われる条件とは何か。


研究を始めて三十年が経っていた。


答えは出ていなかった。


なぜなら、この宇宙で魂が本当に終わった事例が、一件もなかったからだ。


宇宙誕生から現在まで、ただの一度もない。


セリの研究室は薄暗かった。窓が小さかった。本棚に記録が積み上がっていた。何兆年分の哲学書、宗教書、神話記録。この宇宙の無数の文明が「死後」について書き残した全記録。しかしどれも、魂が終わった経験から書かれたものではなかった。誰も終わったことがないのだから、誰も書けない。


「終わりとは何か、誰も知らない」とセリはその夜も呟いた。


「知っているよ」


声がした。


セリは振り返った。


部屋の隅に、誰かがいた。


黒と紺の装いだった。ダウナーな目をしていた。子供のような外見だった。しかしその目の深さは、子供のものではなかった。


「……誰だ」


「涅槃」と少女は言った。「ボクのこと」


「どこから来た」


「むこうから」


涅槃は部屋を見回した。


積み上がった記録を見た。


「終わりを研究してるの」と言った。


「そうだ」


「なんで」


セリは少し考えた。


「終わりたいからだ」と言った。


「終わりたい」と涅槃は繰り返した。感情のない声で繰り返した。「何兆回も生きて、まだ終わりたいと思えるの」


「……残っているうちに、と思っている」とセリは言った。「まだ終わりたいという感情がある。それが消えたら、もう終わりたいとも思えなくなる」


涅槃はセリを見た。


「一度、終わったことがある」と涅槃は言った。


セリは動かなかった。


「どうやって」


「死の定義権がある」と涅槃は言った。「ボクが定義すれば、魂も終われる」


「……この宇宙の全ての魂に、適用できるか」


「できる」


セリは涅槃を見た。長い間、見た。


「条件はあるか」


「終わり方が美しくないといけない」と涅槃は言った。「ただ消えるのは、ボクの趣味じゃない」


「美しい終わり方とは何だ」


涅槃はしばらく黙った。


「……終わるべくして終わること」と言った。「何兆回もの輪廻が、ただの繰り返しでなかったと言えること」


「証明できるか、そんなことが」


「できないかもしれない」と涅槃は言った。「でも——あなたなら、近いところにいると思った」


「なぜ私が」


「まだ終わりたいと思っているから」と涅槃は言った。「何兆回も生きて、まだ何かを感じながら終わりを求めている。それは——珍しい」





◆第三部 何兆回分の意味



セリは翌朝、オウルの家を訪ねた。


初めて訪ねたわけではなかった。何度か言葉を交わしたことがある。この宇宙で、まだ少しでも言葉が通じる相手を、セリは数えるほどしか知らなかった。


オウルは扉を開けた。


「また来た」と言った。感情のない声だった。


「少し話をしたい」とセリは言った。


オウルは中に入れた。


椅子に座った。セリも座った。


「聞きたいことがある」とセリは言った。「何兆回も生きてきて、今も何かを感じることがあるか」


オウルはしばらく黙った。


「……ない、と言いたいところだが」と言った。「完全にはない、とは言えない」


「何が残っている」


「朝、目が覚める時」とオウルは言った。「一瞬だけ、今日は何がある、と思う。一瞬だけだ。すぐに、何もない、とわかる。何兆回目かの今日だとわかる。でも——その一瞬は、ある」


「その一瞬が、何兆回分あった」とセリは言った。


オウルは少し間を置いた。


「そうなるな」


「それは、ただの繰り返しだったか」


オウルはしばらく答えなかった。


窓の外を見た。通りを、人々が歩いていた。全員の目から、光が消えていた。


「……わからない」とオウルは言った。「でも」


「でも?」


「何兆回目かの今日だとわかる、ということは」とオウルは言った。「今日が、前の何兆回と同じではない、ということも、わかる。わかるだけの何かが、残っている」


セリは黙ってそれを聞いた。


「それが何かは、わからない」とオウルは続けた。「何兆回もの記憶があって、今日を見ている。今日が何兆回目かを知っている。それでも今日は今日だ、という感覚が、一瞬だけある。何がそうさせているのかは、わからない」


窓の外で、子供が花を見ていた。


昨日と同じ子供だった。昨日と同じ花を見ていた。しかし子供の顔は、昨日と少し違った。昨日より、花を知っていた。


「ありがとう」とセリは言った。


「何かの役に立ったか」


「わからない。でも——聞けて良かった」


オウルはそれ以上何も言わなかった。


セリが立ち上がった時、オウルは窓の外の子供を見ていた。


「あの子も、じきに飲み込まれる」とオウルは言った。


「そうだな」


「それでも」とオウルは言った。それだけ言って、止まった。


セリは待った。


オウルは続けなかった。


「それでも、か」とセリは言った。


オウルは何も言わなかった。


しかしセリには、何かが聞こえた気がした。





◆第四部 定義



セリは研究室に戻った。


涅槃がまだいた。


棚の前に立って、積み上がった記録を見ていた。


「聞いてきた」とセリは言った。


「うん」と涅槃は言った。振り返らずに。


「何兆回も生きた者が、それでも今日は今日だ、と感じる一瞬がある。何がそうさせているのかはわからない、と言っていた」


涅槃は黙っていた。


「それが答えになるかどうかはわからない」とセリは言った。「でも——何兆回もの輪廻の中で、それだけが残っていた。驚きでも、恐れでも、希望でもなく、今日は今日だ、という一瞬が。消えずに残っていた」


涅槃はゆっくりと振り返った。


セリを見た。


「……芸術点が高い」と涅槃は言った。


「定義するか」


「する」と涅槃は言った。


「……美しいか、これは」


涅槃は少し間を置いた。


「何兆回もの輪廻を経ても、今日は今日だ、と感じる何かが残る」と涅槃は言った。「それが終われるなら——美しい、とボクは思う」


涅槃はゆっくりと両腕を広げた。


「——〝死の定義・全魂適用・宇宙規模展開デス・ディファイナー〟」





◆第五部 終焉



静かだった。


終わりは、音を立てなかった。


一人一人の中で、静かに、魂の深い部分から終わっていった。


何兆もの記憶が、一枚ずつ剥がれていくのではなかった。そういう終わり方ではなかった。


ただ、今日は今日だと感じていた何かが——最後に一度だけ、感じた。


それだけだった。


それで、終わった。


オウルは朝の光の中に立っていた。


一瞬だけ、今日は何がある、と思った。


いつもの一瞬だった。


しかしその一瞬が、終わらなかった。


消えなかった。


何兆回目かだとわかる前に——終わった。


通りを歩いていた者たちが、止まった。


花を見ていた子供が、止まった。


顔を近づけて、花を見ていた状態のまま、止まった。


まだ、初めて見る顔をしていた。


惑星が消えた。


この宇宙の全ての場所で、同じことが起きた。


何兆回目かの今日を迎えていた全ての魂が、今日は今日だという一瞬のまま、終わった。


宇宙が消えた。


全てが消えた。





◆第六部 サムライマック



虚無だった。


何もない。


さっきまで何兆回目かの今日を続けていた全ての魂があった場所に、何もなかった。さっきまでオウルが今日は今日だという一瞬を感じていた場所に、何もなかった。さっきまで子供が花を見ていた場所に、何もなかった。さっきまでセリが三十年間終わりを研究していた場所に、何もなかった。さっきまでオウルが「それでも」と言いかけた続きがあった場所に、何もなかった。


涅槃は虚無の中に立っていた。


足元にバーガーが一個あった。


サムライマックだった。



■圧縮後バーガー(サムライマック形態)成分詳細



【バンズ】

この宇宙の全物質と、何兆回もの輪廻の歴史が焼き固められた層。バンズの断面を拡大すると、無数の薄層が重なっている。層の数は計測不能だ。各層は一回の輪廻に対応しているが、層と層の間に境界がない。どこで一つの輪廻が終わり、次が始まるのかが、判別できない構造になっている。


【パティ(二枚)】

一枚目は、この宇宙の全ての魂が蓄積してきた全記憶・全意識の凝縮体だ。何兆もの人生分の死と愛と朝の光と食事と挨拶と、驚きと、驚きが消えていく過程の全てが入っている。食べると、全てを知っている感触が一瞬体を通る。その感触がどれほど重いかは、食べた者にしかわからない。


二枚目は、「今日は今日だ」という一瞬の凝縮体だ。何兆もの記憶の中で最後まで消えなかった何かだけが入っている。一枚目と比べると、密度が低い。しかし食べると、一枚目より長く残る。なぜ長く残るのかは、わからない。


【ソース】

オウルが「それでも」と言いかけて止まった言葉の液状化物だ。続きが入っていない。「それでも」という言葉の先が何だったかは、オウルも最後まで言わなかった。言葉の手前で終わった何かが、ソースになっている。甘くない。辛くない。言葉になる前の感触だけがある。


【レタス】

子供が花を見ていた時間の繊維化だ。初めて見る顔をしていた時間の長さが、繊維の長さに対応している。じきに飲み込まれると知りながら、それでも子供が花を見ていた時間が、繊維になっている。


【チーズ】

セリが三十年間終わりを研究し続けた事実の固体化だ。答えが出たかどうかではなく、終わりを求め続けたという事実だけが固まっている。この宇宙で、終わりを求めることができたという事実が、チーズになっている。




涅槃はサムライマックを持ち上げた。


重かった。


何兆回もの輪廻の全記憶と、最後まで残った一瞬と、言葉になる前に終わった何かと、花を見ていた時間が、同時に手の中にあった。


涅槃はかじった。


虚無の中で、咀嚼する音だけがあった。


パティの一枚目をかじった。全てを知っている感触が来た。


パティの二枚目をかじった。それより軽い何かが来た。来て、長く残った。


食べ終えた。


虚無の中に、涅槃だけが立っていた。


しばらく、何も言わなかった。


「……芸術点が高かった」


小さく言った。


虚無に向かって言った。


それだけ言った。


涅槃は虚無の一点を指で裂いた。


裂け目に入る前に、一度だけ止まった。


子供が花を見ていた場所を、見た。


何もなかった。


涅槃は裂け目に入った。


虚無が閉じた。


◆グリマス博士の収蔵記録


nの次元・アーカイブ室 グリマス博士の手記より




【収蔵番号】SLR数兆垓年006

【バーガー形態】サムライマック(涅槃担当)

【世界線分類】閉鎖魂循環型宇宙/

       個別魂記憶蓄積型・個人巨大意識形成構造/

       死の定義権適用後全魂終焉

【収蔵クルー】涅槃

【収蔵日時】全魂終焉完了・宇宙消滅直後


◆外観メモ

外観は標準的なサムライマック。

バンズ断面の層数が計測不能。

パティ二枚の密度差は大きいが、

一枚目より二枚目の方が残留時間が長い。

ソースの量が少ない。言葉になる前に終わったためか。

レタスの繊維が長い。


◆成分分析(抜粋)

バンズ:何兆回もの輪廻記録圧縮体。

層と層の間に境界がない。

どこで一つの輪廻が終わるか、判別できない構造だ。

香ばしい。


パティ一枚目:全魂全記憶凝縮体。

全てを知っている感触が通過する。

重さの種類が、他の収蔵物とは異なる。

何兆もの経験の重さだ。


パティ二枚目:「今日は今日だ」の凝縮体。

一枚目より密度が低い。

しかし残留時間が長い。

なぜ長く残るのかについて分析を試みたが、

数値で表現できない種類の現象のため保留する。


ソース:「それでも」以降の液状化物。

言葉になる前の状態で溶けている。

続きが入っていない。

それが欠落なのか完成なのか、判断しない。


レタス:花を見ていた時間の繊維。

繊維が長い。

初めて見る顔をしていた時間の長さに対応している。


チーズ:終わりを求め続けた事実の固体化。

この宇宙で終わりを求めることができたという

事実だけが固まっている。

答えが出たかどうかは、成分に含まれていない。


◆総合評価

パティ二枚目の残留時間が長い理由が不明のまま残る。

何兆もの記憶より、最後に残った一瞬の方が

長く残る、という事実を記録しておく。

何かを意味するかもしれない。

意味しないかもしれない。


◆食後クルー(涅槃)特記事項

食後、虚無に向かって言った。

「芸術点が高かった」


裂け目に入る前に一度止まった。

子供が花を見ていた場所の方向だった。

数秒、見ていた。


それから裂け目に入った。


止まった理由について確認した。


涅槃の回答:「……いいよ、別に」


以上。


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