《アンティーク・ドールバーガー》
——世界線ADΩ∅:完食記録——
◆第一層 出現
少女はドールを作っていた。
十七歳だった。
三年間、アンティークドールの制作を独学で学んでいた。
粘土で原型を作る。石膏で型を取る。磁器を焼く。着彩する。硝子の目を入れる。衣装を縫う。
一体を完成させるのに、三ヶ月かかった。
完成したドールは棚に並べた。
並べながら、いつも思った。
完璧だ、と。
次はもっと完璧に、と。
ある朝、作業台の上にバーガーがあった。
金色の蔦の模様が施された包みだった。
開けると、薔薇の香りがした。
少女は三秒見た。
食べた。
理由を後で聞かれたら、こう答えただろう。
「このバーガーが、自分の作るドールに似ていた気がして」
◆第二層 変容の記録
少女は制作日誌をつけていた。
以下は、摂食後の制作日誌の全文である。
>一日目
>
>変なバーガーを食べた。
>喉から薔薇の香りがした。
>
>その後、視界が少しセピア色になった。
>一時間くらいで戻った。
>
>関節が少し固い気がする。
>寝すぎたせいかもしれない。
>三日目
>
>関節の固さが続いている。
>
>でも、制作がいつもより上手くいっている。
>磁器の肌の作り込みが、今までで一番細かくできた。
>
>指先の感覚が変わった気がする。
>繊細なものを扱う時に、ぶれない。
>一週間後
>
>膝の関節が、少し硬い。
>
>触ると、陶器のような感触がする。
>
>……触り心地が悪くない。
>
>今日は硝子の目の制作をした。
>自分の目と見比べながら作った。
>硝子の目の方が、澄んでいた。
>
>少し羨ましいと思った。
>二週間後
>
>肌が、少し白くなった。
>
>磁器みたいな質感になってきた。
>
>鏡で見た。
>悪くないと思った。
>
>お母さんに「顔色悪いんじゃない」と言われた。
>「大丈夫」と言った。
>
>大丈夫だと思う。
>制作は順調だから。
>三週間後
>
>新しいドールのスケッチをした。
>
>描きながら、気づいた。
>
>描いているドールが、自分に似ていた。
>
>偶然だと思った。
>
>いつもより長い時間、スケッチを見た。
>
>……よく描けていると思った。
>一ヶ月後
>
>関節の変質が進んでいる。
>
>肘、膝、肩、指——全部、球体関節に近くなっている。
>
>動かすと、カチカチと音がする。
>
>恥ずかしくて、学校では動かないようにしている。
>
>でも家では——
>音が好きになってきた。
>精巧な機械のような音がする。
>
>今日、完成したドールを棚に飾った。
>並んで立ったら、どちらが人間かわからなかった。
>
>少し、うれしかった。
>六週間後
>
>学校を休んだ。
>
>関節の音が大きくなったから。
>
>家で制作した。
>
>今日作ったドールは、これまでで一番良くできた。
>表情が、本物みたいだった。
>
>本物みたい——という言い方がおかしいと気づいた。
>ドールは人形だから。
>人間みたい、というべきだった。
>
>でも、人間みたい、とは思わなかった。
>本物みたい、と思った。
>
>どちらが本物か、わからなくなってきた。
>二ヶ月後
>
>肌が完全に磁器になった。
>
>鏡で見た。
>
>きれいだと思った。
>
>本当に、きれいだと思った。
>
>今まで自分の顔を「きれい」と思ったことがなかった。
>でも今は、きれいだと思う。
>
>磁器になったから、きれいなのか。
>それとも——
>
>人形だから、きれいなのか。
>十週間後
>
>お母さんが泣いた。
>
>私の顔を触って、泣いた。
>
>「冷たい」と言った。
>
>「大丈夫」と言った。
>
>お母さんが抱きしめようとした。
>私の関節が鳴った。
>お母さんが怖がった。
>
>怖がらせたくなかった。
>
>でも、止める方法がわからない。
>
>棚のドールを見た。
>
>ドールは泣かない。
>ドールは誰かを怖がらせない。
>ドールは、ただ、そこにいる。
>
>それでいいと思う部分と、
>それでいいのかと思う部分が、
>同じくらいあった。
>三ヶ月後
>
>体がほとんど磁器になった。
>
>動けるが、重い。
>
>制作台に座ったまま、一日過ごした。
>
>動かなくても、困らなかった。
>
>棚のドールたちを見た。
>一日中見た。
>
>彼女たちは何も言わない。
>何も求めない。
>ただ、そこにいる。
>
>私もそうなる。
>
>そうなると思った時——
>
>怖いと思った。
>
>怖いと思ったことが、意外だった。
>
>人形になりたかったのに、怖いのか。
>
>怖いということは——まだ、なりたくないということか。
>三ヶ月と一日
>
>お母さんに手紙を書いた。
>
>磁器の手で書いた。
>字が歪んだ。
>
>でも書いて、机に置いた。
>
>もう、動けない
日誌はここで終わっている。
◆第三層 残されたもの
▼翌朝
お母さんが部屋に入った。
少女がいた。
磁器だった。
制作台の前に座っていた。
膝の上に、未完成のドールが乗っていた。
少女の手が、ドールの手を握っていた。
どちらが人間で、どちらが人形か——
わからなかった。
お母さんは少し立っていた。
それから、少女の手を握った。
冷たかった。
硬かった。
でも握った。
>お母さんの記録(後日)
>
>手紙を読んだ。
>
>「きれいになりたかっただけだった」と書いてあった。
>
>きれいだった。
>磁器になった娘は、きれいだった。
>
>でも抱きしめられなかった。
>壊れそうだったから。
>
>ずっと、隣に座っている。
>毎日、隣に座っている。
>
>話しかけている。
>答えは返ってこない。
>
>でも話しかけている。
>
>人形に話しかける人間みたいだ、と思う。
>
>でも人形じゃない。
>娘だ。
>
>娘だから、話しかける。
◆第四層 波及
▼感染の経路
少女の制作したドールが、残っていた。
棚に並んでいた。
完璧なドールたちが、並んでいた。
>調査記録:ADΩ11
>
>少女の制作したドールを調査した。
>
>異常が確認された。
>
>ドールを見た者が、変容を起こす。
>
>「きれいだ」と思った瞬間に、接触が成立する。
>
>少女の「きれいになりたかった」という感情が、
>ドールを通じて伝播していた。
>
>少女が磁器になる過程で感じた全てが——
>ドールの目に、宿っていた。
▼半年後
少女のドールが、ある経路で広まった。
展示会に出品されていた。
見た人間が「きれいだ」と思った。
帰宅後、変容が始まった。
関節が硬くなった。
肌が白くなった。
磁器の感触になった。
>都市調査記録:ADΩ33
>
>磁器化した人間が増えている。
>
>全員が「きれいだ」と言っている。
>全員が動けなくなりつつある。
>
>動けなくなる前に、何かを作っている者が多い。
>
>絵を描く者。
>文章を書く者。
>音楽を演奏する者。
>
>動けなくなる前に、何かを残そうとしている。
>
>誰かに届けようとしている。
▼一年後
世界が静かになった。
街に、磁器の人間が並んでいた。
全員がきれいだった。
全員が動かなかった。
全員の傍らに、何かが残されていた。
手紙。絵。楽器。本。
誰かへの言葉が、無数に残されていた。
>最終観測記録:ADΩ∅
>
>世界が静止した。
>
>ゼンマイ仕掛けの風だけが吹いている。
>
>磁器の人間たちが、無数に立っている。
>全員がきれいだ。
>全員が動かない。
>
>でも——
>
>全員の傍らに、誰かへの言葉がある。
>
>誰も読んでいない。
>読む人間がいなくなったから。
>
>でも、書いてある。
>確かに、書いてある。
>
>届かなかったが、
>書いた。
>
>それだけが残っている。
◆第五層 圧縮
バーディが来た。
M社からの圧縮指令を確認した。
>圧縮指令:ADΩ∅
>
>発動条件:
>対象世界線において、
>最後の生命体が磁器化した時点で
>圧縮処理を開始する。
>
>ただし——
>最後まで磁器化しなかった存在がいる場合、
>その存在の分は除外する。
バーディは街を歩いた。
磁器の人間が並んでいた。
全員が磁器だった。
最後まで磁器化しなかった存在を探した。
一人、見つかった。
お母さんだった。
少女の隣に座っていた。
磁器ではなかった。
話しかけていた。
答えは返ってこなかった。
でも話しかけていた。
バーディはお母さんの分を除外した。
残りをプレスした。
世界が収束した。
全ての磁器が、全ての「きれいだ」が、全ての届かなかった手紙が——一点に集まった。
パティになった。
白く、冷たく、硬く、でも精巧なパティが、一枚。
触れると、かすかにゼンマイの音がした。
>回収記録:ADΩ∅
>
>圧縮処理:完了。
>
>パティ品質:最高評価。美しい。冷たい。
>
>担当:バーディ
>
>備考:お母さんを除外した。
> n次元の別区画に保管する。
>
> お母さんは今も、少女の隣に座っている。
> 圧縮後も、隣にいた。
> 少女がいた場所に、座っていた。
>
> 少女はもうパティになった。
> でもお母さんは、まだ話しかけていた。
>
> 「娘だから、話しかける」と言っていた。
>
> どうするか、上申する。
◆製造
パンデモニウムの因果律プレス工場。
「ADΩ∅、搬入。磁器化型、完熟。美しい。冷たい」
「お疲れ様です」
担当者がパティを受け取った。
触れた。
ゼンマイの音がした。
担当者が少し手を止めた。
焼成されたシルクとアンティークレースのバンズが選ばれた。深紅のジャムソースが塗られた。パティが挟まれた。
包みに巻かれた。
《アンティーク・ドールバーガー》
別称:「人形になりたかったけど、お母さんに会えないから、やっぱりなりたくなかった味」
「出荷先は?」
バーディが少し間を置いた。
「きれいになりたいと思っている人間がいる場所なら、どこでも」
また少し間があった。
「——それはどこにでもある」
トレイに乗せられた。
薔薇の香りがした。
◆補遺
この記録を読んでいるあなたへ。
きれいになりたいと思ったことがあるか。
完璧になりたいと思ったことがあるか。
動かなくていい存在になりたいと思ったことがあるか。
その気持ちはわかる。
人形はきれいだ。
傷つかない。
怖がられない。
ただそこにいるだけでいい。
ただ一つだけ。
人形になったら、誰かに話しかけられなくなる。
誰かの隣に、自分から座れなくなる。
少女は最後に気づいた。
「人形はお母さんに会えないから、やっぱり人形になりたくなかった」
その一行が、少女が最後まで人間だった証拠だ。
傷ついても、怖がられても——
話しかけられる方がいい。
たぶん。
〔世界線ADΩ∅ 完食記録——了〕
〔本バーガーは現在、パンデモニウム店頭にて提供中です〕
〔美しいです。冷たいです。〕
〔I'm lovin' it.〕
メニュー名:アンティーク・ドールバーガー
キャッチコピー:「さあ、誇り高く召し上がれ。魂をゼンマイで巻き直す、至高のティータイム。」
概要
このバーガーは、19世紀の工芸技術と現代の量子もつれ理論を融合させた、自律型精神介入装置です。食用ではなく、捕食した者の「自我」を動力源として稼働するよう設計されています。
バンズ:焼成されたシルクと、粉砕されたアンティーク・レースによる重層構造。表面には金色の蔦が這い、摂食者の指に棘を突き刺して血液(契約)を求めます。
パティ:7人の少女の「誇り」と「未練」を攪拌し、高圧プレスした概念肉。中心部には精巧な真鍮製のゼンマイが埋め込まれており、咀嚼のたびにカチカチと秒針のような音を立てます。
ソース:煮詰めたルビーの雫と、摘出された「第一位」から「第七位」までの神経伝達物質をブレンドした深紅のジャム。
実験記録/摂取効果
一口目:喉の奥から薔薇の香りが吹き出し、視界がセピア色に反転します。被験者は「自分自身が作り物である」という強烈な既視感に襲われ、関節が球体関節へと置換され始めます。
完食後:摂食者の肉体は完全に磁器製へと変質。意識は「至高の少女」を目指す果てしない闘争シミュレーションへと強制同期され、永遠に終わらない茶会の中で、互いのパーツを奪い合う静かな狂気に没入します。
収容違反記録(世界はどう滅んだか)
ある個体が「究極の美」を定義しようとした際、このバーガーの概念がネットワークを通じて拡散。全人類が「自分こそが最も美しい人形である」と確信し、互いを解体してパーツを組み合わせる「聖戦」が勃発しました。文明は華麗なドレスと壊れた歯車の山に埋もれ、生存者は一人も確認されていません。現在は、廃墟となった街でゼンマイ仕掛けの風だけが吹く、静寂な「鏡の世界」へと変貌しています。
グリマス博士の提言
「愛でられるだけの存在になりたいという、醜い願望を形にしたらこうなった。糸に引かれるままに踊り、最後は箱の中でバラバラになる。……ジャンクになる恐怖こそが、最高のスパイスなのだよ」




