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29/63

《アンティーク・ドールバーガー》


——世界線ADΩ∅:完食記録——




◆第一層 出現


 少女はドールを作っていた。


 十七歳だった。


 三年間、アンティークドールの制作を独学で学んでいた。


 粘土で原型を作る。石膏で型を取る。磁器を焼く。着彩する。硝子の目を入れる。衣装を縫う。


 一体を完成させるのに、三ヶ月かかった。


 完成したドールは棚に並べた。


 並べながら、いつも思った。


 完璧だ、と。


 次はもっと完璧に、と。




 ある朝、作業台の上にバーガーがあった。


 金色の蔦の模様が施された包みだった。


 開けると、薔薇の香りがした。


 少女は三秒見た。


 食べた。


 理由を後で聞かれたら、こう答えただろう。


「このバーガーが、自分の作るドールに似ていた気がして」




◆第二層 変容の記録


 少女は制作日誌をつけていた。


 以下は、摂食後の制作日誌の全文である。




>一日目

>

>変なバーガーを食べた。

>喉から薔薇の香りがした。

>

>その後、視界が少しセピア色になった。

>一時間くらいで戻った。

>

>関節が少し固い気がする。

>寝すぎたせいかもしれない。




>三日目

>

>関節の固さが続いている。

>

>でも、制作がいつもより上手くいっている。

>磁器の肌の作り込みが、今までで一番細かくできた。

>

>指先の感覚が変わった気がする。

>繊細なものを扱う時に、ぶれない。




>一週間後

>

>膝の関節が、少し硬い。

>

>触ると、陶器のような感触がする。

>

>……触り心地が悪くない。

>

>今日は硝子の目の制作をした。

>自分の目と見比べながら作った。

>硝子の目の方が、澄んでいた。

>

>少し羨ましいと思った。




>二週間後

>

>肌が、少し白くなった。

>

>磁器みたいな質感になってきた。

>

>鏡で見た。

>悪くないと思った。

>

>お母さんに「顔色悪いんじゃない」と言われた。

>「大丈夫」と言った。

>

>大丈夫だと思う。

>制作は順調だから。




>三週間後

>

>新しいドールのスケッチをした。

>

>描きながら、気づいた。

>

>描いているドールが、自分に似ていた。

>

>偶然だと思った。

>

>いつもより長い時間、スケッチを見た。

>

>……よく描けていると思った。




>一ヶ月後

>

>関節の変質が進んでいる。

>

>肘、膝、肩、指——全部、球体関節に近くなっている。

>

>動かすと、カチカチと音がする。

>

>恥ずかしくて、学校では動かないようにしている。

>

>でも家では——

>音が好きになってきた。

>精巧な機械のような音がする。

>

>今日、完成したドールを棚に飾った。

>並んで立ったら、どちらが人間かわからなかった。

>

>少し、うれしかった。




>六週間後

>

>学校を休んだ。

>

>関節の音が大きくなったから。

>

>家で制作した。

>

>今日作ったドールは、これまでで一番良くできた。

>表情が、本物みたいだった。

>

>本物みたい——という言い方がおかしいと気づいた。

>ドールは人形だから。

>人間みたい、というべきだった。

>

>でも、人間みたい、とは思わなかった。

>本物みたい、と思った。

>

>どちらが本物か、わからなくなってきた。




>二ヶ月後

>

>肌が完全に磁器になった。

>

>鏡で見た。

>

>きれいだと思った。

>

>本当に、きれいだと思った。

>

>今まで自分の顔を「きれい」と思ったことがなかった。

>でも今は、きれいだと思う。

>

>磁器になったから、きれいなのか。

>それとも——

>

>人形だから、きれいなのか。




>十週間後

>

>お母さんが泣いた。

>

>私の顔を触って、泣いた。

>

>「冷たい」と言った。

>

>「大丈夫」と言った。

>

>お母さんが抱きしめようとした。

>私の関節が鳴った。

>お母さんが怖がった。

>

>怖がらせたくなかった。

>

>でも、止める方法がわからない。

>

>棚のドールを見た。

>

>ドールは泣かない。

>ドールは誰かを怖がらせない。

>ドールは、ただ、そこにいる。

>

>それでいいと思う部分と、

>それでいいのかと思う部分が、

>同じくらいあった。




>三ヶ月後

>

>体がほとんど磁器になった。

>

>動けるが、重い。

>

>制作台に座ったまま、一日過ごした。

>

>動かなくても、困らなかった。

>

>棚のドールたちを見た。

>一日中見た。

>

>彼女たちは何も言わない。

>何も求めない。

>ただ、そこにいる。

>

>私もそうなる。

>

>そうなると思った時——

>

>怖いと思った。

>

>怖いと思ったことが、意外だった。

>

>人形になりたかったのに、怖いのか。

>

>怖いということは——まだ、なりたくないということか。




>三ヶ月と一日

>

>お母さんに手紙を書いた。

>

>磁器の手で書いた。

>字が歪んだ。

>

>でも書いて、机に置いた。

>

>もう、動けない




 日誌はここで終わっている。




◆第三層 残されたもの


▼翌朝


 お母さんが部屋に入った。


 少女がいた。


 磁器だった。


 制作台の前に座っていた。


 膝の上に、未完成のドールが乗っていた。


 少女の手が、ドールの手を握っていた。


 どちらが人間で、どちらが人形か——


 わからなかった。


 お母さんは少し立っていた。


 それから、少女の手を握った。


 冷たかった。


 硬かった。


 でも握った。




>お母さんの記録(後日)

>

>手紙を読んだ。

>

>「きれいになりたかっただけだった」と書いてあった。

>

>きれいだった。

>磁器になった娘は、きれいだった。

>

>でも抱きしめられなかった。

>壊れそうだったから。

>

>ずっと、隣に座っている。

>毎日、隣に座っている。

>

>話しかけている。

>答えは返ってこない。

>

>でも話しかけている。

>

>人形に話しかける人間みたいだ、と思う。

>

>でも人形じゃない。

>娘だ。

>

>娘だから、話しかける。




◆第四層 波及


▼感染の経路


 少女の制作したドールが、残っていた。


 棚に並んでいた。


 完璧なドールたちが、並んでいた。




>調査記録:ADΩ11

>

>少女の制作したドールを調査した。

>

>異常が確認された。

>

>ドールを見た者が、変容を起こす。

>

>「きれいだ」と思った瞬間に、接触が成立する。

>

>少女の「きれいになりたかった」という感情が、

>ドールを通じて伝播していた。

>

>少女が磁器になる過程で感じた全てが——

>ドールの目に、宿っていた。




▼半年後


 少女のドールが、ある経路で広まった。


 展示会に出品されていた。


 見た人間が「きれいだ」と思った。


 帰宅後、変容が始まった。


 関節が硬くなった。


 肌が白くなった。


 磁器の感触になった。




>都市調査記録:ADΩ33

>

>磁器化した人間が増えている。

>

>全員が「きれいだ」と言っている。

>全員が動けなくなりつつある。

>

>動けなくなる前に、何かを作っている者が多い。

>

>絵を描く者。

>文章を書く者。

>音楽を演奏する者。

>

>動けなくなる前に、何かを残そうとしている。

>

>誰かに届けようとしている。




▼一年後


 世界が静かになった。


 街に、磁器の人間が並んでいた。


 全員がきれいだった。


 全員が動かなかった。


 全員の傍らに、何かが残されていた。


 手紙。絵。楽器。本。


 誰かへの言葉が、無数に残されていた。




>最終観測記録:ADΩ∅

>

>世界が静止した。

>

>ゼンマイ仕掛けの風だけが吹いている。

>

>磁器の人間たちが、無数に立っている。

>全員がきれいだ。

>全員が動かない。

>

>でも——

>

>全員の傍らに、誰かへの言葉がある。

>

>誰も読んでいない。

>読む人間がいなくなったから。

>

>でも、書いてある。

>確かに、書いてある。

>

>届かなかったが、

>書いた。

>

>それだけが残っている。




◆第五層 圧縮


 バーディが来た。


 M社からの圧縮指令を確認した。




>圧縮指令:ADΩ∅

>

>発動条件:

>対象世界線において、

>最後の生命体が磁器化した時点で

>圧縮処理を開始する。

>

>ただし——

>最後まで磁器化しなかった存在がいる場合、

>その存在の分は除外する。




 バーディは街を歩いた。


 磁器の人間が並んでいた。


 全員が磁器だった。


 最後まで磁器化しなかった存在を探した。




 一人、見つかった。


 お母さんだった。


 少女の隣に座っていた。


 磁器ではなかった。


 話しかけていた。


 答えは返ってこなかった。


 でも話しかけていた。




 バーディはお母さんの分を除外した。


 残りをプレスした。




 世界が収束した。


 全ての磁器が、全ての「きれいだ」が、全ての届かなかった手紙が——一点に集まった。


 パティになった。


 白く、冷たく、硬く、でも精巧なパティが、一枚。


 触れると、かすかにゼンマイの音がした。




>回収記録:ADΩ∅

>

>圧縮処理:完了。

>

>パティ品質:最高評価。美しい。冷たい。

>

>担当:バーディ

>

>備考:お母さんを除外した。

>   n次元の別区画に保管する。

>

>   お母さんは今も、少女の隣に座っている。

>   圧縮後も、隣にいた。

>   少女がいた場所に、座っていた。

>

>   少女はもうパティになった。

>   でもお母さんは、まだ話しかけていた。

>

>   「娘だから、話しかける」と言っていた。

>

>   どうするか、上申する。




◆製造


 パンデモニウムの因果律プレス工場。


「ADΩ∅、搬入。磁器化型、完熟。美しい。冷たい」


「お疲れ様です」


 担当者がパティを受け取った。


 触れた。


 ゼンマイの音がした。


 担当者が少し手を止めた。


 焼成されたシルクとアンティークレースのバンズが選ばれた。深紅のジャムソースが塗られた。パティが挟まれた。


 包みに巻かれた。


《アンティーク・ドールバーガー》

別称:「人形になりたかったけど、お母さんに会えないから、やっぱりなりたくなかった味」


「出荷先は?」


 バーディが少し間を置いた。


「きれいになりたいと思っている人間がいる場所なら、どこでも」


 また少し間があった。


「——それはどこにでもある」


 トレイに乗せられた。


 薔薇の香りがした。




◆補遺


 この記録を読んでいるあなたへ。


 きれいになりたいと思ったことがあるか。


 完璧になりたいと思ったことがあるか。


 動かなくていい存在になりたいと思ったことがあるか。




 その気持ちはわかる。


 人形はきれいだ。


 傷つかない。


 怖がられない。


 ただそこにいるだけでいい。




 ただ一つだけ。


 人形になったら、誰かに話しかけられなくなる。


 誰かの隣に、自分から座れなくなる。




 少女は最後に気づいた。


「人形はお母さんに会えないから、やっぱり人形になりたくなかった」


 その一行が、少女が最後まで人間だった証拠だ。




 傷ついても、怖がられても——


 話しかけられる方がいい。


 たぶん。




〔世界線ADΩ∅ 完食記録——了〕

〔本バーガーは現在、パンデモニウム店頭にて提供中です〕

〔美しいです。冷たいです。〕

〔I'm lovin' it.〕


メニュー名:アンティーク・ドールバーガー

キャッチコピー:「さあ、誇り高く召し上がれ。魂をゼンマイで巻き直す、至高のティータイム。」


概要

このバーガーは、19世紀の工芸技術と現代の量子もつれ理論を融合させた、自律型精神介入装置です。食用ではなく、捕食した者の「自我」を動力源として稼働するよう設計されています。

バンズ:焼成されたシルクと、粉砕されたアンティーク・レースによる重層構造。表面には金色の蔦が這い、摂食者の指に棘を突き刺して血液(契約)を求めます。

パティ:7人の少女の「誇り」と「未練」を攪拌し、高圧プレスした概念肉。中心部には精巧な真鍮製のゼンマイが埋め込まれており、咀嚼のたびにカチカチと秒針のような音を立てます。

ソース:煮詰めたルビーの雫と、摘出された「第一位」から「第七位」までの神経伝達物質をブレンドした深紅のジャム。


実験記録/摂取効果

一口目:喉の奥から薔薇の香りが吹き出し、視界がセピア色に反転します。被験者は「自分自身が作り物である」という強烈な既視感に襲われ、関節が球体関節へと置換され始めます。

完食後:摂食者の肉体は完全に磁器製ビスクドールへと変質。意識は「至高の少女」を目指す果てしない闘争シミュレーションへと強制同期され、永遠に終わらない茶会の中で、互いのパーツを奪い合う静かな狂気に没入します。


収容違反記録(世界はどう滅んだか)

ある個体が「究極の美」を定義しようとした際、このバーガーの概念がネットワークを通じて拡散。全人類が「自分こそが最も美しい人形である」と確信し、互いを解体してパーツを組み合わせる「聖戦」が勃発しました。文明は華麗なドレスと壊れた歯車の山に埋もれ、生存者は一人も確認されていません。現在は、廃墟となった街でゼンマイ仕掛けの風だけが吹く、静寂な「鏡の世界」へと変貌しています。


グリマス博士の提言

「愛でられるだけの存在になりたいという、醜い願望を形にしたらこうなった。糸に引かれるままに踊り、最後は箱の中でバラバラになる。……ジャンクになる恐怖こそが、最高のスパイスなのだよ」


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