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【特選】《終焉レジスタンスバーガー》


◆序章 この宇宙の物理法則



この宇宙では、死が資源だ。


比喩ではない。物理法則として、死が資源だ。


宇宙が誕生して二百七十億年。この宇宙の物理定数は、死の瞬間に発生するエネルギーが他の全エネルギー反応の数百万倍の密度を持つように設定されていた。核融合も対消滅も、死の放出エネルギーには遠く及ばない。


「終焉素(ターミナル粒子)」と呼ばれるその粒子は、生命体が死ぬ瞬間にだけ放出される。感情を持つ高等生命体ほど放出量が多い。恐怖・苦悩・絶望・後悔が深いほど、密度が上がる。死の瞬間の感情の質が、そのままエネルギー品質になる。


五千年前、この法則を最初に発見したのは、銀河連邦第三惑星の物理学者だった。


発見から百年で、終焉素を利用したエネルギー産業が銀河規模に拡大した。


現在、銀河連邦の全文明圏——三千四百の惑星、百三十の恒星系、推定総人口二兆八千億——は、終焉素によって動いている。全てのエネルギーインフラ。全ての都市機能。全ての宇宙船推進。全ての情報処理システム。全て、何者かの死によって動いている。


誰かが死ぬことで、文明が動く。


誰かが苦しみながら死ぬことで、文明がより効率的に動く。


これが、この宇宙の物理法則の帰結だった。








◆第一部 終焉素採取局




銀河連邦第七惑星。


大気圧管理棟の最上階に、「終焉素採取局」中央オフィスがあった。


採取局は、銀河連邦が設立した半官半民の機関だった。死の瞬間を管理し、終焉素を回収し、精製し、各エネルギー機関に供給する。創設から四千年。一度も赤字を出したことがない。なぜなら、この宇宙で死が止まったことは一度もないからだ。


採取局長官の名はヴィレ・オーガスト。


齢七十二。連邦議会議員から局長に転じた男。白髪を几帳面に整え、常に採取効率の統計を手元に持ち歩いている。


「今期の採取効率は前期比三・二パーセント減です」と部下が報告した。「主因は第十二惑星系の老齢化です。老衰死亡の割合が増えています。老衰は感情密度が低い傾向があるため——」


「改善策は」とヴィレは言った。


「第十二惑星系への移送です。感情密度の高い環境下に移送することで、最終的な終焉素品質が向上します」


「認可する。予算は」


「既存枠内で処理可能です」


ヴィレは統計を確認した。


移送と改善策という言葉の中身は、単純だった。老齢の人々を、より過酷な環境に移送する。恐怖と苦悩の中で死を迎えさせる。それだけのことだった。


ヴィレはそれをわかっていた。


わかっていて、認可した。


四千年間、この機関がそうやって動いてきた。ヴィレが局長になる前から。ヴィレが生まれる前から。終焉素がエネルギー源として確立されて以来、ずっとそうだった。


それが間違っていると思ったことは、ヴィレには一度もなかった。


文明は動き続けなければならない。文明が動き続けるためにはエネルギーが必要だ。エネルギーには死が必要だ。それだけのことだった。


「局長」と別の部下が言った。「第四十一採取ステーションから異常値の報告が来ています」


「どのような」


「終焉素の密度が、計測限界を超えています。単一個体からの放出量としては観測史上最高値です」


ヴィレは少し間を置いた。


「個体の種類は」


「第四十一惑星の生命体です。知性あり。種別は——報告書によれば、終焉素産業に反対する運動を組織していた個体です」


「抵抗したか」


「はい。採取チームとの接触直前まで、強い感情状態を維持していました。その感情密度が——異常値の原因と推定されます」


ヴィレはしばらく統計を見ていた。


「回収は完了したか」


「はい」


「精製ラインへ」


「承知しました」


部下が退室した。


ヴィレは窓の外を見た。


惑星の夜景が広がっていた。何兆もの光が輝いていた。


その光の全てが、誰かの死で動いていた。


ヴィレはそれを、美しいと思っていた。








◆第二部 第四十一惑星




第四十一惑星は、銀河連邦の辺境に位置する小型惑星だった。


大気圏が薄く、重力が弱く、生命体の平均寿命が短かった。寿命が短いということは、終焉素の産出効率が他惑星より高いということだった。採取局の記録では「高効率採取惑星」として分類されていた。


その惑星の、採取ステーションが建設されていない区域に、小さな集落があった。


集落を率いていた者の名は、エルナ・ヴァスという。


齢四十一。この惑星の生まれ。採取局への抵抗運動を二十年間続けてきた女性。小柄だったが、声が大きかった。声が大きいのは、長年叫び続けてきたからだった。


「終焉素採取は生命体の死を商品化することだ」とエルナは言い続けてきた。「苦しみながら死ぬことを効率化することだ。それが間違っていないと言えるか」


二十年間、言い続けた。


銀河連邦の議会に陳情書を送った。三十七回。全て却下された。


惑星間ネットワークで運動を広めようとした。百三十二の惑星に賛同者が現れた。しかし採取局は賛同者を「終焉素産出の優先対象」として記録した。抵抗するほど感情密度が高まり、感情密度が高いほど採取価値が上がる。抵抗運動が採取効率を高めた。


その構造を、エルナは知っていた。


知っていて、続けた。


「知っていても続けるんですか」と若い仲間が一度聞いた。


「知っていても続けることしかできない」とエルナは答えた。


採取チームが集落に来た夜、エルナは逃げなかった。


逃げるための準備はしていた。仲間たちを逃がすための経路を確認していた。自分だけは残ると、前から決めていた。


「エルナさん」と仲間が言った。「あなたまで——」


「続けろ」とエルナは言った。「私が終わった後でも、続けろ。誰かが続けている限り、間違っていない」


採取チームが集落の門を開けた。


エルナは仲間の方を向いたまま、後ろを振り返らなかった。








◆第三部 精製ラインの夜




採取局の精製施設。


終焉素が回収されてから精製ラインに入るまでの保管区画に、ヴェイ・ノルという技術員がいた。


齢二十九。採取局に勤めて七年。精製ラインの管理担当。


ヴェイの仕事は、回収された終焉素の品質を確認し、精製炉に投入することだった。毎日、何千という単位の終焉素が彼女の端末を通過した。数字として。データとして。


一度も、数字の向こうに何かがあると考えたことはなかった。


しかしその夜、異常値の終焉素が保管区に入った。


ヴェイは端末で確認した。


計測限界超過。単一個体由来。第四十一惑星産。感情密度:測定不能。


いつもと違ったのは、保管コンテナが微かに発光していたことだった。


終焉素は通常、発光しない。精製前の段階でエネルギーが漏れ出すことはない。しかしこのコンテナは、シールドを通して光が滲み出ていた。


ヴェイは確認のためにコンテナに近づいた。


触れた。


何かが来た。


像ではなかった。音でもなかった。感触だった。


誰かが二十年間叫び続けた感触が、一瞬だけヴェイの手のひらを通り抜けた。


怒りではなかった。絶望でもなかった。


ただ、続けていた。何かを。誰かが。二十年間。


ヴェイは手を離した。


端末を見た。


精製炉への投入指示が、画面に出ていた。


ヴェイは投入実行ボタンを押せなかった。


七年間、一度も止まったことがなかった。今夜、初めて止まった。


「……なんで」


誰もいない保管区で、ヴェイはつぶやいた。


わからなかった。


手のひらに、まだ感触が残っていた。








◆第四部 来訪




保管区の壁が、滲んだ。


壁の素材が変わるのではなかった。壁の向こうに別の何かが存在し始めて、壁がその存在の輪郭を受け止めきれなくなって、滲んだ。


滲みから、少女が出てきた。


紺と紫の装い。静かな顔。長い黒髪。


右手にドライフラワーを一輪持っていた。


左手には大鎌があった。大鎌の刃は黒く、光を反射しなかった。


少女は保管区を見た。


コンテナの列を見た。


発光しているコンテナを見た。


ヴェイを見た。


ヴェイは動けなかった。


少女はヴェイを気にしている様子ではなかった。発光するコンテナに近づいた。


少し離れたところから、見た。


「……美しいわ」と少女は言った。


声は静かで、感情があった。うっとりとした感情が、静かに乗っていた。


「……何者ですか」とヴェイはようやく言った。


少女はヴェイを見た。答えなかった。


コンテナに向き直った。


しばらく、発光を見ていた。


「これ——投入しようとしていた?」と少女はヴェイに言った。


「……はい」


「やめておいて」


「……なぜですか」


「燃やすには、もったいない」


少女はドライフラワーを持ち直した。


コンテナの前にしゃがんだ。フラワーの先をコンテナに触れさせた。


「……美しい死に顔が、見える」と少女は言った。独り言のように。「これだけ続けた。終わり方も、そうだった」


「知っているんですか」とヴェイは言った。「中身を」


「死に顔は全部見える」と少女は言った。「見えてしまう。これは——とても良い死に顔をしている。二十年分が、ここにある」


ヴェイは言葉を失った。


少女は立ち上がった。大鎌を構えた。


「……保存する」と言った。


「保存?」


「燃やすより良い。ここにある二十年分は、燃料にするには質が違う。この質は——」少女は少し考えた。「コレクションにする価値がある」


少女の大鎌が光った。


「——〝永遠に腐敗させぬ傑作保存・全収容(防腐の蘇生・エターニティ)〟」








◆第五部 収容




精製施設が消えた。


採取局が消えた。


第七惑星の夜景が消えた。


ヴィレが持っていた統計書類が消えた。


「認可する」という言葉が消えた。


第四十一惑星が消えた。


エルナが「続けろ」と言った集落が消えた。


採取チームが門を開けた音が消えた。


三千四百の惑星が消えた。


百三十の恒星系が消えた。


二兆八千億の生命が消えた。


四千年間の終焉素産業が消えた。


三十七通の却下された陳情書が消えた。


百三十二の惑星の賛同者が消えた。


ヴェイの手のひらの感触が消えた。


宇宙が消えた。


全てが消えた。








◆第六部 てりやきチキン




虚無だった。


何もない。


さっきまで二百七十億年分の宇宙があった場所に、何もなかった。さっきまで誰かが二十年間叫び続けていた場所に、何もなかった。さっきまでヴェイが手を止めていた場所に、何もなかった。さっきまでエルナが後ろを振り返らなかった場所に、何もなかった。


少女は虚無の中に立っていた。


足元にバーガーが一個あった。


てりやきチキンだった。




■圧縮後バーガー(てりやきチキン形態)成分詳細




【バンズ】

この宇宙の全物質量と二百七十億年分の時間が焼き固められた層。バンズの表面に微細な光の点が無数に走っており、それは三千四百の惑星の夜景が圧縮された跡だ。触れると微弱な熱がある。それは四千年間の終焉素産業で稼働し続けたエネルギーインフラの廃熱だ。二百七十億年かけて宇宙が積み上げてきたものの総質量が、このバンズ二枚に収まっている。


【チキンパティ】

二兆八千億の生命体が発した終焉素の全量が、一枚のチキンフィレに凝縮されている。四千年分の産業で回収されたもの、採取される前に自然死した分も含め、この宇宙で放出された終焉素の全てがここにある。食べた者は一口ごとに、誰かの死の瞬間の感情が一秒だけ流れ込む。苦悩がある。恐怖がある。後悔がある。しかしパティの中心部だけ、味が違う。苦悩でも恐怖でもない。何かを続けていた感触だけが、そこにある。それがどこから来たかは、食べた者にしかわからない。


【てりやきソース】

エルナ・ヴァスの二十年分の感情が液状化したものだ。三十七通の陳情書の内容が溶けている。百三十二の惑星への訴えが溶けている。「続けろ」という言葉が溶けている。後ろを振り返らなかった夜の空気が溶けている。甘くない。辛くない。長くて重い、何かの味がする。飲み込んだ後に残るのは、「まだ終わっていない」という感触だけだ。


【レタス】

ヴェイ・ノルが七年間で一度だけ止まった夜の記録が繊維化したもの。投入ボタンを押せなかった時間の長さが、一本一本の繊維になっている。繊維は非常に短い。数秒分しかない。だが食べると、その数秒の密度だけが残る。


【チーズ】

三十七通の陳情書が全て却下された記録の固体化だ。却下の印が押された紙の質感が、チーズの層になっている。食べても何の味もしない。ただ、重さがある。






少女はてりやきチキンを持ち上げた。


重かった。


二百七十億年分の宇宙と、四千年の産業と、二十年の叫びと、七年で一度だけ止まった夜が、同時に手の中にあった。


少女はてりやきソースを、先に一口なめた。


「……みごとだったのよ」と静かに言った。


自分に言ったのか、てりやきソースに言ったのか、誰もいない虚無に言ったのかは、わからなかった。


少女はバーガーを持ち直した。


かじった。


虚無の中で、咀嚼する音だけがあった。


いつもより、ずっと時間をかけた。


中心部のパティを嚙んだ瞬間に、少女の手が少しだけ止まった。


何かを感じたかどうかは、わからない。


少女の目は何も語らなかった。


食べ終えた。


虚無の中に、少女だけが立っていた。


少女は右手を見た。


てりやきソースが、少しだけ指に残っていた。


少女は、それを拭わなかった。


しばらく、指を見ていた。


それから虚無の一点を指で裂いた。


裂け目に入った。


虚無が閉じた。


◆グリマス博士の収蔵記録


nの次元・アーカイブ室 グリマス博士の手記より



【収蔵番号】TRM270億年003

【バーガー形態】てりやきチキン(万寿担当)

【世界線分類】終焉素エネルギー経済型宇宙/銀河連邦支配構造/抵抗運動継続中終焉

【収蔵クルー】万寿

【収蔵日時】終焉素産業四千年目・宇宙全域崩壊直後


◆外観メモ

外観は標準的なてりやきチキン。

てりやきソースの量が通常より多い。

ソースが室温に近い温度を保持し続けている。

チキンパティの中心部にわずかな温度差を確認。

チーズが通常品より薄く、硬い。


◆成分分析(抜粋)

バンズ:二百七十億年分の全宇宙質量圧縮体。

表面の光点が三千四百惑星の夜景に対応している。

触れると廃熱を感知。四千年分の稼働熱だ。

香ばしい。長く動き続けたものの香ばしさは独特だ。


チキンパティ:全終焉素凝縮体。

二兆八千億の生命体由来。四千年分の産業出力に加え、

自然死分を含む全量が統合されている。

一口ごとに誰かの死の瞬間が流れ込む副作用を確認。

特記:中心部のみ他部位と異なる感触を示す。

苦悩・恐怖・後悔の密度が低く、代わりに

「継続」に類する感触が残る。成分の特定は不能。


てりやきソース:エルナ・ヴァス二十年分液状化物。

三十七通の陳情書。百三十二惑星の賛同記録。

最後の言葉の振動。全てが溶けている。

甘くも辛くもない。飲み込んだ後にのみ質感がある。

「まだ終わっていない」という感触の正体について

分析を試みたが、これは数値で表現できない種類の

成分だと判断し、記述を保留する。


レタス:七年で一度だけ止まった時間の繊維。

ヴェイ・ノルの数秒間。非常に短い。

しかし密度が高い。数秒に二十年分が

圧縮されている構造を確認。

なぜそうなるのかは、説明できない。


チーズ:却下印三十七枚分の固体。

味なし。重さのみ。


◆総合評価

これまでの極大規模の世界線と比較して時間軸の絶対値は短い。

しかし中心部パティの感触と、

てりやきソースの「まだ終わっていない」成分は分析を困難とする要因となった。

これを「密度の問題」として記録する。

大きさと密度は別物だ、とは先述の通り。


◆食後クルー(万寿)特記事項

食事中、一度だけ手が止まった。

パティ中心部を嚙んだ瞬間だった。

継続時間:約二秒。


食後、てりやきソースが指に残っていた。

万寿は通常、食後に手を拭く。

今回は拭かなかった。

指を数秒間見ていた。


退出後、万寿から自発的に食事時間の記録が提出された。


記録内容:「いつもより時間をかけました。

ソースが冷めなかったので」


ソースが体温に近い温度を保持し続けている事実については

既に確認済みだ。

万寿が時間をかけた理由との関係について——

これも、数値で表現できない種類の事案として

記述を保留する。


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