《進化促進バーガー》
——世界線EVΩ∅:完食記録——
◆第一層 出現
マンションの管理人・木村は、几帳面な男だった。
毎朝七時に巡回する。エントランスを拭く。郵便受けを確認する。住民に挨拶する。異常があれば記録する。
十四年間、同じことをしていた。
ある朝、エントランスに黒ずんだバーガーが置いてあった。
誰かが置き忘れたのだろうと思った。
廃棄しようとして——腹が減っていた。
食べた。
美味しかった。腐った果実と濡れた犬のような独特のにおいがしたが、味は悪くなかった。
巡回を続けた。
◆第二層 木村の巡回日誌
木村は几帳面だったので、巡回日誌を毎日つけていた。
>巡回日誌:一日目
>
>07:00 エントランス清掃 異常なし
>07:15 郵便受け確認 異常なし
>07:30 駐輪場確認 異常なし
>08:00 住民・山田様(302)出勤を確認。挨拶。
>08:05 住民・佐藤様(105)ゴミ出しを確認。挨拶。
>
>特記事項:エントランスに遺失物。
> 廃棄処理済み。
>巡回日誌:四日目
>
>07:00 エントランス清掃 異常なし
>07:15 郵便受け確認 異常なし
>07:30 駐輪場確認 異常なし
>08:00 住民・山田様(302)出勤を確認。挨拶。
>08:05 住民・佐藤様(105)ゴミ出しを確認。挨拶。
>
>特記事項:特になし。
> 背中が少し痒い。個人的なメモ。
>巡回日誌:八日目
>
>07:00 エントランス清掃 異常なし
>07:15 郵便受け確認 異常なし
>07:30 駐輪場確認 異常なし
>08:00 住民・山田様(302)出勤を確認。挨拶。
>08:05 住民・佐藤様(105)ゴミ出しを確認。挨拶。
>
>特記事項:301号室から異音。確認したところ、
> 「管理人さんの指、増えました?」と
> 住民から質問を受けた。
> 増えていない。失礼な質問だと思う。
>巡回日誌:十二日目
>
>07:00 エントランス清掃 異常なし
>07:15 郵便受け確認 異常なし
>07:30 駐輪場確認 異常なし
>08:00 住民・山田様(302)出勤を確認。挨拶。
> 山田様が悲鳴を上げて逃げた。
> 理由不明。確認が必要。
>08:05 住民・佐藤様(105)不在。
>
>特記事項:山田様の件、要フォロー。
> エントランスの壁、少し湿っている。
> 業者に連絡する。
>巡回日誌:十六日目
>
>07:00 エントランス清掃 異常なし
>07:15 郵便受け確認 異常なし
>07:30 駐輪場確認 異常なし
>08:00 住民・山田様(302)不在。
> 先週から姿が見えない。
>08:05 住民・佐藤様(105)不在。
> こちらも一週間ほど姿が見えない。
>
>特記事項:住民の多くが不在がち。
> 静かなマンションになった。
> 壁の湿気、業者が来たが「これは壁ではない」
> と言い残して帰った。意味不明。
> 背中の痒みが落ち着いてきた。
> 代わりに、背中から廊下の気配がわかる。
> 管理人として、これは便利だと思う。
>巡回日誌:二十日目
>
>07:00 エントランス清掃 異常なし
>07:15 郵便受け確認 異常なし
>07:30 駐輪場確認 異常なし
>
>特記事項:住民のほとんどが不在。
> マンション全体が静かになった。
> でも、寂しくはない。
> 壁の向こうに、みんながいる感じがする。
> まだここにいる感じがする。
> よかった。
>巡回日誌:二十五日目
>
>07:00 エントランス清掃 異常なし
>07:15 郵便受け確認 異常なし
>
>特記事項:駐輪場の確認ができなかった。
> 足がうまく動かない。
> 代わりに、地下の配管から
> 駐輪場の様子がわかる。
> 異常なし。
> 問題ない。
>巡回日誌:三十日目
>
>07:00 エントランス清掃 異常なし
>
>特記事項:郵便受けの確認ができなかった。
> 体が、あまり動かない。
> でも建物全体の様子はわかる。
> 全部屋の気温がわかる。
> 全部屋の湿度がわかる。
> 住民は全員、まだここにいる。
> 壁の中に、みんないる。
> よかった。
> 管理人として、これが一番大事なことだから。
> 全員を、見守れている。
>巡回日誌:三十五日目
>
>異常なし
>
>全員いる
>
>異常なし
>巡回日誌:四十日目
>
>異常 なし
>
>管理 完璧
(以降、日誌の紙面が湿気を帯び、文字の代わりに規則的な脈動の痕跡が刻まれている)
◆第三層 外部からの記録
マンションの外から、調査員が観察した。
>外部観察記録:EVΩ11
>
>対象建物を外から観察した。
>
>外観は普通のマンションだ。
>表札もある。郵便受けもある。
>エントランスに「管理人室」の札がある。
>
>ただし——
>
>建物が、呼吸している。
>壁が、脈打っている。
>窓の内側から、湿った光沢がある。
>
>エントランスのガラス越しに、管理人室が見えた。
>
>椅子がある。
>机がある。
>巡回日誌が開いたままある。
>
>管理人は——
>
>いなかった。
>
>いなかった、というより。
>
>管理人室の壁と、天井と、床が——
>少し、多かった。
>
>管理人が「なくなった」のではなく、
>管理人が「建物になった」という表現の方が正確だと思う。
>追加記録:EVΩ14
>
>建物に近づいた。
>
>エントランスのドアが、自動で開いた。
>センサーが生きているのだと思った。
>
>中に入った。
>
>床が、温かかった。
>壁が、温かかった。
>
>管理人室のドアに、貼り紙があった。
>
>手書きだった。
>字が几帳面だった。
>
>「本日も異常なし。全住民在室確認済。」
>
>日付は、今日だった。
>
>今日、書かれていた。
>
>私は走って外に出た。
◆第四層 充満
▼数ヶ月後
街の他のマンションで、同じことが起き始めた。
静かに、少しずつ。
管理人のいるマンションから始まった。
几帳面な管理人のいるマンションから。
毎日巡回して、住民を見守って、異常があれば記録する——そういう管理人のいるマンションから。
順番に、建物が呼吸し始めた。
>都市調査記録:EVΩ33
>
>変質したマンション:現在四十七棟。
>
>共通点:
>・几帳面な管理人がいた。
>・住民との関係が良好だった。
>・「全員見守りたい」という記録が日誌に残っている。
>
>変質のプロセス:
>管理人が建物と融合する。
>融合した管理人が住民を「取り込む」。
>住民が建物の一部になる。
>
>取り込まれた住民の状態:
>苦しんでいない。
>全員が、壁の中にいる。
>温かい。
>
>これを「被害」と呼ぶべきか、
>判断できていない。
>別の調査員による追記
>
>変質したマンションの一つに入った。
>
>廊下を歩いた。
>壁が、温かかった。
>
>なんとなく、安心した。
>
>——これが問題だと思う。
>安心させてくる。
>見守られている感じがする。
>管理されている感じが、悪くない。
>
>私は急いで外に出た。
>出ながら、少し、名残惜しかった。
◆第五層 圧縮
バーディが来た。
M社からの圧縮指令を確認した。
>圧縮指令:EVΩ∅
>
>発動条件:
>対象世界線の管理人が
>最後の巡回日誌に
>「異常なし」と記録した時点で
>圧縮処理を開始する。
バーディは街を歩いた。
至るところで建物が呼吸していた。
どの建物も、温かかった。
バーディはその中の一棟に入った。
管理人室のドアを開けた。
巡回日誌が机の上にあった。
最後のページを確認した。
>異常 なし
>
>管理 完璧
バーディはプレスをかけた。
世界が収束した。
全ての建物の脈動が、全ての壁の温もりが、全ての「異常なし」という記録が——一点に集まった。
パティになった。
温かく、脈打つパティが、一枚。
>回収記録:EVΩ∅
>
>圧縮処理:完了。
>
>パティ品質:良好。
>特記事項:パティが今も脈動している。
> 温かい。
>
>担当:バーディ
>
>備考:管理人室の机に、
> 巡回日誌が最後まで几帳面に書かれていた。
>
> 最後の行——「全員を、見守れている」。
>
> 木村という男は、最後まで
> 管理人だった。
>
> それだけだ。
> それだけのことだ。
◆製造
パンデモニウムの因果律プレス工場。
「EVΩ∅、搬入。全体統合型、完熟。取り扱い注意——脈動継続中」
「お疲れ様です」
黒ずんだバンズが選ばれた。緑と赤のソースが混ぜられた。脈動するパティが挟まれた。
包みに巻かれた。
《進化促進バーガー》
別称:「全員を見守りたかった味」
「出荷先は?」
バーディが少し間を置いた。
「几帳面な人間がいる場所なら、どこでも」
また少し間があった。
「——あと、孤独な管理人がいる場所」
トレイに乗せられた。
包みが、かすかに温かかった。
◆補遺
この記録を読んでいるあなたへ。
住んでいるマンションの管理人の名前を、知っているか。
毎朝、挨拶しているか。
几帳面そうな人か。
住民のことをちゃんと見ている人か。
もし「よく知らない」なら、大丈夫だ。
まだ、普通の管理人だ。
もし「几帳面で、住民をよく見ていて、いつも異常なしと記録している」なら——
今夜、壁を触ってみてほしい。
温かければ——
まあ、暖房かもしれない。
たぶん。
〔世界線EVΩ∅ 完食記録——了〕
〔本バーガーは現在、パンデモニウム店頭にて提供中です〕
〔几帳面な方にはとくにおすすめです〕
〔I'mlovin'it.〕
進化促進バーガー」は、「死を克服し、強制的な進化を促す」という禁忌の生物工学をマクドナルド社の独自技術で食材として加工したバーガーです。摂食した瞬間、生物としての設計図は破棄され、カビとウイルスの混迷する「終わらない変異」のプロセスへと投げ込みます。
概要
このバーガーは、単なる栄養体ではない。それは「全人類を単一の群体へと変えるための種」である。
・バンズ:黒ずんだ発酵生地。表面にはゴマの代わりに、休眠状態の胞子が密集している。喉の奥で発芽し、肺をネットワーク化する
・パティ:死んでいるはずなのに脈動する肉。噛むたびに細胞が分裂。口腔内で増殖し全身を置換する
・ソース:ハーブを模した粘性液体。緑のソースは「再生」を、赤のソースは「進化」を促す。この二つが混ざり合うことで、人間を辞める準備が完了する
・具材:パティの隙間に埋め込まれた球体。摂食完了後、対象の肩や背中から突き出す「眼球」の原型となる。
実験記録
・被験者は「腐った果実と、濡れた犬のような匂いがする」と報告。
・変化開始。右腕が異常に肥大化し、皮膚を突き破って巨大な爪が露出。意識が洋館全体の配線や壁と同期し始める
・個体としての形を保てなくなり、ドロドロとした黒い液体に融解(後に特異なカビ群体と判明)。液体は館の地下へと浸透し、館全体を「巨大な内臓」へと変貌させた
・研究員「ドアが開かない……隙間が癒着して、壁状の皮膚に変わっている! この建物そのものが、1つの巨大な生物と化している…!」
検査係の日記
・あのバーガーを口にして三日が経つ。最初はひどい食中毒だと思ったが、今朝鏡を見て驚いた。背中の火傷のような腫れが、新しい唇のように蠢いていた
・痛みが消えた。代わりに、信じられないほど腹が減る。何を食っても味がしないのに、壁のカビを見た瞬間、唾液が溢れた
・指先から黒い糸が伸び、シーツに絡んで動きづらい。見舞いに来た同僚が悲鳴を上げて逃げて行った。背中の腫れがむず痒い
・ベッドから起きれない。背中の無数の根が伸び、床を割り地下へ潜ってる。意識が換気口と排水管を伝い広がる。身体中が痒い
・りん郭ぼやけ、全身あついかゆい。壁が呼吸し、警備いんの銃が心地いいので取りこんだ美味かった
・体 とてもかゆい
細胞が うごく
みんな うまそう
かべの向こうも いっしょに
・からだ かゆい
みんな うまい
みんな ひとつ
・かゆい
うま
(以降、文字が崩れ、脈動する渦巻く細胞模様に変わっている)
※補遺
解析の結果、模様は全有機物を単一超個体へ統合する遺伝命令と判明。観察者4名が即座に融解、壁面と融合した。筆者は施設全体を肉塊で覆った後、巨大な消化器官に変形。現在、施設内の全壁が湿った咀嚼音を響かせ続けている
収容違反記録
現在、保管サイトにおいて、職員の不注意によりサンプルが地下水脈に流出。周辺地域の動植物は「単一の意志を持つ巨大な肉塊」へ統合されつつある。
彼らにとって、我々は「未調理の具材」であり、強制的に取り込み、再構築しようとしている。
世界は今、一つの巨大な調理室となった。
グリマス博士の提言
このバーガーを摂取した際に起こる肉体の崩壊…それは「死」ではなく、本来あるべき形への「調理」であるとも言える。我々が「怪物」と呼ぶその異形の姿こそが、宇宙の調理場における「完成された料理」なのかもしれない。




