《5億年バーガー》
——世界線5BΩ∅:完食記録——
◆第一層 発見
M社社員のデスクの引き出しから発見された。
発見者は総務部の派遣社員だった。
棚卸し作業中に、鍵のかかっていない引き出しを開けた。
バーガーがあった。
包みに歯車の模様が刻まれていた。青紫色のソースが包みの縁から少し滲んでいた。
発見者はメモを残した。
>発見記録:5B001
>
>引き出し内にバーガーを発見。
>廃棄予定として処理するか確認が必要。
>担当者不在のため保留。
>
>特記事項:においが、どこかで嗅いだことがある気がする。
>どこで嗅いだか思い出せない。
翌日、発見者は出社しなかった。
連絡もなかった。
引き出しの中のバーガーは、そのままだった。
手付かずだった。
◆第二層 最初の報告
▼二週間後
失踪した発見者が戻ってきた。
二週間後、突然、自分のデスクに座っていた。
誰も気づかなかった——朝、普通に出社してきたから。
上司が「どこ行ってたんだ」と聞いた。
発見者は少し考えた。
「……ここにいました」
「二週間、誰も連絡取れなかったぞ」
「……そうですか」
発見者は自分の手を見た。
それから言った。
「すごく、長い気がします。でも何があったか、わかりません」
>人事記録:5B002
>
>対象者、二週間の無断欠勤後に復帰。
>健康状態:異常なし。
>精神状態:軽度の解離症状あり。
>
>本人の発言:
>「何もしていないのに、すごく疲れた気がします」
>「何かを長い間やり続けた気がします」
>「でも何をやっていたか、わかりません」
>
>対応:有給消化扱いで処理。
>引き出しのバーガーは廃棄せず保管継続。
◆第三層 実験
▼研究機関への移送後
バーガーが研究機関に送られた。
担当研究員が割り当てられた。コードネーム〈Eternal〉。
実験記録——
>実験記録:5B011
>
>対象:バーガーを一口摂食した被験者
>
>経過:
>摂食直後、被験者が白い空間に転送された。
>(監視カメラ映像:被験者が消えた)
>
>現実時間:三秒後に帰還。
>
>被験者の証言:
>「白い空間にいた」
>「バーガーを食べ続けた」
>「どのくらいいたか、わからない」
>「ただ、ものすごく長かった」
>
>精神科医の所見:
>「三秒の体験として処理するには、精神的疲労が
>著しく大きい。長期間の記憶消去と類似した状態」
>
>被験者の最後の発言:
>「また食べたら、また行くんですか」
>
>回答:「そうだと思われます」
>
>被験者:無言。窓の外をしばらく見ていた。
>実験記録:5B019
>
>被験者(別個体)への追加実験。
>
>今回は事前に「5億年かかる」と説明した上で摂食させた。
>
>摂食前の発言:
>「5億年、ですか。まあ、記憶が消えるなら同じですよね」
>
>帰還後の発言:
>「やっぱり、ものすごく長かった」
>「5億年というのが何となくわかります」
>「でも何があったかは、わかりません」
>「……また食べたくないです」
>
>三日後、被験者は自ら「もう一度食べたい」と申し出た。
>
>理由を聞いた。
>
>「わからないんです。食べたくはない。
>でも、もう一度行かないといけない気がして」
>
>実験を継続した。
◆第四層 世界規模
▼六ヶ月後
バーガーが複製された。
複製方法は不明だった——研究員が翌朝出勤すると、保管庫に二個になっていた。翌々日には四個。一週間後には百個。
複製を止めようとしたが、止まらなかった。
流出した。
>拡散記録:5BΩ22
>
>本個体が都市部に広がっている。
>
>各地で「突然消えて数秒後に戻ってくる人間」の
>目撃報告が増加。
>
>帰還者全員の共通証言:
>「ものすごく長かった」
>「何があったかはわからない」
>「また行かないといけない気がする」
>
>最後の証言が問題だ。
>
>帰還者は自発的に、また食べる。
>止めない。止められない。
>「行かないといけない気がする」から。
▼一年後
帰還者たちの間に、奇妙な連帯感が生まれた。
言葉では説明できない何かを共有していた。
5億年を過ごした確信。消えた記憶。また行かなければならない感覚。
それだけを共有していた。
帰還者たちは集まるようになった。特に何もしなかった。ただ、同じ場所に座って、窓の外を見ていた。
「何を話しているんですか」と聞くと、全員が答えた。
「何も話していません。でも、わかります」
>社会調査記録:5BΩ41
>
>帰還者コミュニティの観察。
>
>彼らは普通に生活している。
>仕事もしている。食事もしている。笑いもしている。
>
>ただ、何かが違う。
>
>普通の人間が「今」を生きているとすれば、
>彼らは「今」に置かれている、という感じがする。
>
>5億年を過ごした後の「今」。
>その重さを持ったまま、「今」にいる。
>
>彼らを見ていると、自分が軽い気がする。
>
>報告者注:この感覚を言語化するのが難しい。
>もう一度帰還者に話を聞きに行く予定だったが、
>気づいたらバーガーを一口食べていた。
>理由はわからない。
◆第五層 充満
▼数年後
都市の人口の相当数が「帰還者」になっていた。
全員が普通に生活していた。
全員が「ものすごく長かった」という確信を持っていた。
全員が定期的にバーガーを食べに行った——「また行かないといけない気がする」から。
>最終調査報告:5BΩ∅
>
>本世界線において、「時間の感覚」が二層化した。
>
>表層:現実時間。通常通り流れている。
>
>深層:5億年の確信。全帰還者が持つ、
> 言語化できない時間の重さ。
>
>帰還者と非帰還者の間に、明確な断絶がある。
>
>帰還者は非帰還者を「軽い」と感じる。
>非帰還者は帰還者を「どこか遠い」と感じる。
>
>どちらが正しいかは、判断できない。
>
>ただ一つ確かなことは——
>非帰還者も、いずれバーガーを食べる。
>
>「また行かないといけない気がする」は、
>食べた者だけでなく、
>帰還者と長く接した者にも発生するから。
◆第六層 圧縮
バーディが来た。
M社からの圧縮指令を確認した。
>圧縮指令:5BΩ∅
>
>発動条件:
>対象世界線において、
>いずれかの帰還者が
>バーガーを前にして
>「また行かないといけない気がする」ではなく
>「また行きたい」と発言した時点で
>圧縮処理を開始する。
>
>——M社・時間管理部門
バーディは街を歩いた。
帰還者たちが至るところにいた。窓の外を見ていた。何かを共有していた。
耳を澄ませた。
全員が「また行かないといけない気がする」と言っていた。
義務感だった。強制だった。望んでいなかった。
バーディは待った。
三日後——
一人の帰還者が、バーガーを前にして言った。
「……また行きたい」
静かな声だった。
驚いているような声だった。自分でも初めて気づいたような声だった。
「行かないといけないんじゃなくて——行きたい。5億年、また過ごしたい。何があったか忘れても、また行きたい」
バーディはプレスをかけた。
世界が収束した。
全員の「ものすごく長かった」が、全員の忘れた記憶が、何度も繰り返した5億年が——一点に集まった。
パティになった。
青紫色に光る、深いコクを持つパティが、一枚。
バーディはそれを手に取った。
重かった。
5億年分の確信が詰まっていたから。
>回収記録:5BΩ∅
>
>圧縮処理:完了。
>
>パティ品質:計測不能(スケール超過)
>
>特記事項:
>圧縮の瞬間、全帰還者が同時に
>白い空間にいた。
>全員がバーガーを食べていた。
>全員が、ひとりではなかった。
>
>担当:バーディ
>
>備考:帰還者が「また行きたい」と言った理由を
> 考えた。
>
> 5億年、一人でいたから——
> 圧縮の瞬間、全員が同じ空間にいた。
> それが初めてだったから、かもしれない。
>
> 関係ない。記録しない。
◆製造
パンデモニウムの因果律プレス工場、第∞ライン。
「5BΩ∅、搬入。時間超越型、完熟。内包時間:5億年×全帰還者数」
「お疲れ様です」
端末を操作した。コアがコンベアに乗った。
時計の歯車模様が刻まれたバンズが選ばれた。青紫色の悠久のソースが塗られた。歪んだ砂時計の結晶がトッピングされた。
包みに巻かれた。
「名称決定」
《5億年バーガー》
別称:「また行きたい、とはじめて思った味」
「出荷先は?」
バーディが少し間を置いた。
「どこでもいい。一人でいる人間がいる場所なら」
トレイに乗せられた。
包みを見た。
歯車の模様が、かすかに動いていた。
◆補遺
この記録を読んでいるあなたへ。
最近、一人で過ごした時間の中で——
「ものすごく長かった」と感じた瞬間があったか。
何があったか思い出せない夜があったか。
「また行かないといけない気がする」場所があるか。
もしそうなら——
まだ「また行きたい」とは思っていないなら、大丈夫だ。
圧縮条件は、発動していない。
ただ確認してほしい。
今この記録を読み終えて——
「また読みたい」と思ったか。
それとも「また読まないといけない気がする」と思ったか。
どちらかによって——
何かが、変わるかもしれない。
〔世界線5BΩ∅ 完食記録——了〕
〔本バーガーは現在、パンデモニウム店頭にて提供中です〕
〔0円。いつでも解約可能。ただし、また行きたくなるまでは。〕
〔I'mlovin'it.〕
「5億年バーガー」は、ひと口食べると異空間に転送され、5億年の時を超えて食べ続けなければならないという途方もなく壮大で壮絶なバーガーです。あるM社社員のデスクの引き出しから発見されました。異空間で5億年をかけて完食する事で現実世界に帰還できますが、それまでの記憶は、戻った瞬間に完全に消え去ります。食べた瞬間、その人物は何もない白い空間に飛ばされ、ひたすら時間が流れるのを感じながらバーガーを食べるしかなく、睡眠も、老化すらもしない、ただ、無限とも思える時間をバーガーを食べ続けることになります。5億年が経ったあと、意識は食べる前の瞬間に戻りますが、どこかに「5億年を過ごしたという確信」だけが残り、圧倒的な虚無感が心と空間を満たす中、手付かずの5億年ボタンバーガーが目の前にまた鎮座する状況が繰り返されるのです。パンは果てしなく続く時間の象徴として、時計の歯車模様が刻まれ練り込まれた特殊な形状で、食べるたびに、一瞬「時が止まったような錯覚」を覚えます。パティは時間を超越した不思議な質感を持つ肉(5億年かけて熟成されたと言われますが、実際に何の肉なのかは判明していません)で、食べた瞬間に時間の流れが変わる感覚に襲いかかります。ソースは時間を閉じ込めたゼリー状で、青紫色の無限のソースが光を反射しながら滴り落ちています。悠久のソースは舌に絡みつき、まるで5億年分の記憶を一瞬で味わうような深いコクがあります。トッピングには歪んだ砂時計のような不思議な結晶が添えられており、見つめるとほんの一瞬、喪われた「5億年の世界」の記憶がフラッシュバックを起こす作用があります。全体的に極度の虚無感と異常なまでの達観と悟りの境地に満ち溢れ、無限に続く白い空間と歪んだ時計、そして果てしない時間の流れを感じさせる幻想的で神秘的な異空間の景色の広がりを感じさせる、食べると時間の概念が崩壊しそうな雰囲気を永遠の時を越えて放ち続けています。




