《百円玉が落ちないバーガー》
駅前のゲームセンターには、絶対に取れない景品がある。
透明な箱の中。
赤い台座。
その上に、白い犬のぬいぐるみが一匹。
耳が片方だけ茶色い。
首には青いリボン。
高校一年のサキは、もう三千四百円使っていた。
「買った方が安くない?」
友達のミオが言った。
「売ってない」
「似たのあるじゃん」
「これがいいの」
百円玉を入れる。
電子音。
レバーを倒す。
銀色のアームが動く。
開く。
下がる。
犬の胴を掴む。
持ち上がった。
「きた!」
アームが出口へ動く。
途中で犬が落ちた。
ころん。
最初より三センチ、遠くなった。
ミオが言った。
「帰ろう」
「あと一回」
それを七回言った。
*
閉店は十一時だった。
十時五十八分。
店員が掃除を始める。
サキは最後の百円玉を入れた。
アームを動かす。
今度は犬を狙わない。
台座の端。
爪で押す。
犬が転がった。
景品口へ落ちる。
ごとん。
サキは叫んだ。
「取れた!」
しゃがんで景品口へ手を入れる。
何もない。
「え?」
箱の中を見る。
犬はいない。
景品口にもいない。
代わりに、百円玉が一枚落ちていた。
さっき入れた硬貨だった。
拾う。
温かい。
ミオが笑う。
「返金されたんじゃない?」
「ゲーム機が?」
「良心に目覚めた」
サキは百円玉をポケットへ入れた。
店を出た。
背後で、景品機の中から犬の鳴き声がした。
*
翌朝。
サキの机に犬がいた。
白いぬいぐるみ。
片耳だけ茶色。
青いリボン。
「なんで」
母が部屋を覗く。
「かわいいね。それ買ったの?」
「取った」
抱き上げる。
重い。
腹の中で、硬いものが転がった。
ちゃり。
背中の縫い目を開く。
百円玉が一枚出てきた。
昨日の硬貨。
縁に、サキが油性ペンでつけた小さな点がある。
「戻ってきた」
サキは笑った。
その日の放課後、ミオに見せた。
「永久に遊べるじゃん」
二人はゲームセンターへ走った。
*
百円玉を入れる。
遊ぶ。
景品を取る。
翌朝、景品の中から百円玉が戻る。
キーホルダー。
菓子箱。
フィギュア。
時計。
全部そうだった。
一枚の百円玉で、何でも取れた。
しかも景品機だけではない。
自動販売機へ入れる。
ジュースを買う。
翌朝、缶の底に百円玉が埋まっている。
パンを買う。
袋の中へ戻る。
バスに乗る。
翌朝、靴の中にある。
「これ、すごくない?」
ミオが言った。
サキは百円玉を光に透かした。
「百円しか使ってない」
噂は広がった。
*
一週間後。
町中の人が、その百円玉を借りに来た。
百円でテレビを買う。
百円で家具を買う。
百円でホテルに泊まる。
足りない分は?
翌朝には、店のレジに必要な金額が入っていた。
ただし全部、同じ百円玉だった。
一万円なら百枚。
十万円なら千枚。
縁の黒い点まで同じ。
「増えてる」
サキが言った。
ミオは床に積まれた硬貨を見る。
「コピー?」
違った。
一枚を持ち上げると、全部が同時に持ち上がった。
離れているのに。
一枚を落とす。
町中で音がした。
ちゃりん。
同じ硬貨が、いろいろな場所に重なって存在していた。
*
銀行が閉まった。
金額を数えられなくなったからだ。
一枚なのか。
百億枚なのか。
誰にも分からない。
硬貨を溶かそうとした工場では、炉に入れた瞬間、町中の百円玉が熱くなった。
サキのポケットも熱くなる。
「熱っ!」
捨てる。
硬貨は地面へ落ちなかった。
空中で止まった。
町中の硬貨も止まる。
ちゃりん、という音だけが遅れて響いた。
ミオが一枚を指で押す。
動かない。
「重くなってない?」
サキも押す。
びくともしない。
一枚の百円玉が、町で買われたすべての物の重さを持っていた。
ジュース。
パン。
テレビ。
家具。
バスの運賃。
ホテルの一泊。
物だけではない。
散髪に使った百円。
映画に使った百円。
誰かに払った百円。
サービスの時間まで、硬貨の中に入っていた。
*
百円玉は落ち始めた。
ゆっくり。
一ミリ。
道路が沈む。
二ミリ。
地下鉄の天井が割れる。
五ミリ。
町全体が傾いた。
「どこまで落ちるの」
サキが聞く。
ミオは答えられない。
百円玉の真下に、最初のゲームセンターがあった。
二人は走った。
店は無人だった。
景品機だけが光っている。
白い犬の台座には、今度は何もない。
景品口を開ける。
奥に穴がある。
百円玉と同じ大きさ。
「ここへ戻すんだ」
サキは外へ出た。
空中の百円玉へ両手を当てる。
押す。
動かない。
ミオも押す。
店員。
近所の人。
銀行員。
町中の人が集まった。
全員で押す。
少し動いた。
百円玉をゲームセンターへ運ぶ。
道路がその後ろから持ち上がる。
建物が戻る。
地下鉄の亀裂が閉じる。
「いける!」
サキが叫んだ。
景品機の前まで来た。
問題が一つあった。
硬貨は直径二十二ミリ。
今の百円玉は、町より大きかった。
*
「入らないじゃん」
ミオが言った。
百円玉の縁がビルを押し潰した。
景品機は、その下で小さく光っている。
サキは笑った。
「最初からそうだったのかも」
「何が?」
「取れなかったんじゃない」
白い犬を思い出す。
何度掴んでも落ちた。
「入らなかったんだ」
百円玉がさらに沈む。
地面が皿のようにへこむ。
町の外から川が流れ込む。
小麦畑が滑り落ちる。
牧場の牛も。
トマト畑。
レタス畑。
玉ねぎ畑。
全部、百円玉の中心へ集まる。
サキはゲーム機のレバーを握った。
まだ動く。
「ミオ」
「なに」
「最後に一回だけ」
「それ何回目?」
サキはレバーを倒した。
*
巨大なアームが空から下りた。
三本の銀色の爪。
一つが山を掴む。
一つが町を掴む。
一つが百円玉を掴んだ。
持ち上げる。
地面の底から赤い熱が噴き出した。
小麦が砕け、水と混ざり、熱で焼ける。
丸いバンズ。
牛肉は百円玉とアームの爪に挟まれ、厚い円盤になる。
地熱で脂が弾ける。
パティ。
レタス。
トマト。
玉ねぎ。
全部が重なる。
百円玉は熱で溶けなかった。
代わりに薄く伸びた。
黄色い円盤になり、パティの上へ落ちる。
「チーズ?」
ミオが言った。
「金属だけど」
「食べられないね」
「世界も食べられないよ」
上からバンズが落ちた。
巨大なアームが、それを掴む。
出口へ運ぶ。
途中で揺れた。
サキとミオは同時に叫んだ。
「落ちる!」
アームが開いた。
バーガーは落ちた。
今度は、景品口の中へ。
ごとん。
世界が消えた。
*
サキは腕を突っ込んだ。
何かに触れた。
引っ張り出す。
バーガーが一個。
普通の大きさだった。
白い犬のぬいぐるみが、その隣に座っている。
ミオが犬を持ち上げた。
「結局これも取れたんだ」
「三千四百円かかった」
「百円しか使ってないでしょ」
「そうだった」
バーガーのチーズには、小さな穴が開いていた。
硬貨の穴ではない。
数字の形だった。
100。
サキが一口かじる。
香ばしいパン。
肉汁。
トマトの酸味。
チーズだけ、妙に硬い。
「食べられる?」
ミオが聞く。
サキはしばらく噛んだ。
「百円分くらい」
景品機の表示が点滅した。
《百円玉が落ちないバーガー》
その下に、小さく数字が出た。
CREDIT 1
サキはポケットを探った。
何も入っていなかった。
それでもレバーには、まだ一回分のランプが点いていた。




