《十二時三分の花嫁バーガー》
この村では、結婚式は十二時ちょうどに終わる。
始まる時間は自由だ。
朝六時でもいい。
十一時五十分でもいい。
ただし十二時になったら、新郎新婦は必ず教会の外へ出る。
鐘が十二回鳴る前に。
「十三回鳴ったら?」
花嫁のリコが聞いた。
母はヴェールを直しながら答えた。
「鐘は十二回しか鳴らないわ」
「もし壊れたら」
「縁起でもない」
「壊れるでしょ。百八十年前の鐘だよ」
母は黙った。
その顔を見て、リコは気づいた。
誰も、十三回目を聞いたことがないのではない。
聞いた人が、いないのだ。
*
新郎のハルとは、小学校から一緒だった。
恋愛映画みたいな出会いはない。
給食のプリンを半分もらった。
自転車で転んだとき笑われた。
高校で一度別れた。
二年後、駅前で再会した。
結婚を決めた理由も、大したものではない。
「一緒にスーパー行っても疲れないから」
リコがそう言うと、ハルは少し傷ついた。
「もうちょっとあるだろ」
「冷凍食品の好みが同じ」
「下がった」
そんな二人だった。
式は十一時から始まった。
十一時五十分。
指輪交換。
十一時五十五分。
誓い。
十一時五十八分。
神父が急に早口になる。
「健やかなるときも病めるときも以下省略」
「省略していいんですか」
「時間がない」
参列者が立ち上がる。
全員、出口を見る。
ハルが小声で言った。
「逃げる準備みたいだな」
「結婚式で言う?」
十一時五十九分。
鐘が鳴った。
一回。
まだ正午ではない。
*
神父の顔色が変わった。
二回。
三回。
「外へ!」
参列者が走る。
椅子を倒す。
花を踏む。
リコはハルの手を掴んだ。
四回。
五回。
教会の扉まで十メートル。
六回。
扉が閉まった。
外からではない。
木が伸びた。
左右の扉が一本の巨大な樹木へ戻り、枝を天井へ広げた。
七回。
椅子の釘が抜ける。
板が枝になる。
祭壇の白い布が糸へほどけ、床を這う。
八回。
ステンドグラスの赤が液体になって落ちた。
青。
黄。
緑。
色だけが床に溜まる。
九回。
神父が叫んだ。
「誓うな!」
リコは振り返った。
「もう誓いましたけど!」
「最後まで言ってない!」
「省略したのそっちでしょ!」
十回。
ハルの左手から指輪が消えた。
金色の粒になり、祭壇へ戻っていく。
十一回。
リコのドレスが布へ戻った。
縫い目がほどける。
彼女は慌てて胸元を押さえた。
「これ世界が終わる前に必要!?」
ハルが上着を脱いで渡した。
「俺のも戻りそうだけど」
「頑張って!」
十二回。
静かになった。
*
終わらなかった。
教会だけが消えていた。
リコたちは草原に立っている。
村がない。
道路もない。
遠くに森。
母が地面へ座り込んだ。
「間に合わなかった」
「何に?」
神父が答えた。
「十二時までに、式を終えることに」
リコは腹が立った。
「だから何が起きてるの!」
神父は草を一本抜いた。
「結婚式は、二人を新しい家族にする儀式じゃない」
草の根についた土を払う。
「世界を今日の形に固定する儀式なんだ」
ハルが眉を寄せた。
「毎日?」
「毎日じゃない。結婚式がある日だけ」
「じゃあ式がない日は?」
「何も起きない」
「じゃあやらなきゃよくない?」
神父は黙った。
リコは思った。
この村の伝統は、たぶんかなり頭が悪い。
*
正午を越えた世界では、物が作られる前へ戻っていた。
家は木へ。
道路は砂利へ。
服は糸へ。
指輪は砂金へ。
だが人間だけは残った。
最初は。
十二時一分。
参列者の髪が伸びた。
老人の白髪が黒くなる。
母の皺が消える。
ハルが小さくなる。
「リコ」
声が高い。
十二時二分。
全員が子供になった。
記憶は残っている。
リコは十歳くらいの手で、ぶかぶかになったハルの上着を掴んだ。
「これ、三分になったらどうなるの」
神父は五歳くらいになっていた。
「知らない」
「役に立たない!」
十二時三分。
人間がほどけた。
骨。
肉。
水。
塩。
悲鳴を上げる暇もなかった。
リコは最後までハルの手を握っていた。
手の形がなくなっても、二人の指輪だけは戻らなかった。
金色の輪が二つ、草の上に残った。
*
それで終わるはずだった。
二つの指輪が転がった。
触れた。
かちん。
世界の逆戻りが止まった。
リコは身体を取り戻した。
ただし右半分だけ。
隣を見る。
ハルも左半分だけ戻っている。
「なにこれ」
「たぶん」
ハルが自分の半身を見る。
「二人で一人分」
「結婚の比喩として最悪」
二人は笑った。
指輪を離す。
また身体がほどける。
くっつける。
戻る。
リコは気づいた。
世界を固定していたのは式ではない。
誓いでもない。
二つの別々のものが、別々のまま接触すること。
結婚式は、それを毎回確認していただけだった。
「神父さん!」
返事はない。
もう塩になっていた。
*
リコとハルは指輪を重ねたまま歩いた。
世界を戻すために。
だが戻し方が分からない。
木に触れる。
家になった。
砂利に触れる。
道路になった。
小麦に触れる。
パンになった。
牛に触れる。
ステーキになった。
「待って」
リコが止まった。
「戻りすぎてない?」
ハルがパンを見る。
「小麦粉を飛ばしたな」
二人が触れるたび、物は完成形へ飛ぶ。
トマトはケチャップになった。
乳牛はチーズになった。
レタスだけは、ほぼレタスのままだった。
「強いな」
「何が?」
「レタス」
二人は笑った。
その瞬間、指輪が離れた。
世界がまたほどけ始めた。
「ハル!」
二人は指輪を掴む。
間に合わない。
戻ったものと、戻らなかったものが一斉に崩れた。
家だった木材。
道路だった石。
パン。
肉。
チーズ。
ケチャップ。
レタス。
全部が二人へ落ちてくる。
ハルがリコを押した。
「そっち持って!」
「何を!」
「世界!」
「大きすぎる!」
二人で受け止めた。
*
パンが上下に分かれた。
下の丸パンへ、焼けた牛肉が落ちる。
チーズ。
レタス。
トマトの赤いソース。
上からもう一枚のパン。
世界中の完成したものが、その間へ挟まっていく。
教会の鐘は鉄板になった。
最後の熱で肉を焼く。
ステンドグラスから落ちた色はソースへ混ざり、赤、黄、緑の筋を作った。
花嫁のブーケだった植物は、香草になって散った。
最後に二つの指輪が飛んだ。
一つは上のバンズ。
一つは下のバンズ。
金色の焼き目として残る。
十二時四分。
世界は一個のバーガーになった。
*
リコは目を開けた。
白いテーブル。
向かいにハル。
二人とも元の年齢に戻っている。
間にバーガーが一つ。
ナイフも皿もない。
「結婚したのかな」
ハルが聞いた。
「式、途中だったよ」
「じゃあ未婚?」
「世界はなくなったけど」
「婚姻届もなくなったな」
二人はしばらく考えた。
リコがバーガーを持つ。
半分に割ろうとした。
やめた。
「一緒に食べる?」
ハルが反対側を持った。
「それ、食べにくくない?」
「一緒にスーパー行っても疲れないんだから平気」
「ここでそれ回収する?」
二人でかじった。
肉は熱い。
チーズは濃い。
少し甘いパン。
真ん中だけ、妙にレタスが多かった。
商品札はなかった。
代わりに、止まった時計が置いてある。
十二時三分。
裏側に二人で名前を書いた。
《十二時三分の花嫁バーガー》
ハルが言った。
「花婿は?」
リコはもう一口かじった。
「半分入ってる」




