《割れた皿は金曜日に焼くバーガー》
この町では、皿を割ると褒められる。
金曜日だけ。
夕方六時。
陶器屋の前に長い机が出る。
住民は一週間使った皿を一枚持ってきて、石畳へ叩きつける。
ぱん。
ぱりん。
歓声。
割れた欠片は町の窯へ運ばれる。
十六歳のナナは、その音が嫌いだった。
「まだ使えるのに」
母が皿を差し出す。
白地に青い魚。
祖父が作ったものだ。
縁が少し欠けている。
「今週はこれ」
「やだ」
「欠けたでしょう」
「だから?」
母は困った顔をした。
「直して使う方が、縁起が悪いの」
ナナは皿を抱えて逃げた。
*
町の中央には、大きな登り窯がある。
割れた皿はそこで焼き直される。
翌朝には、新しい皿になって店へ並ぶ。
古い模様は残らない。
傷もない。
だから誰も困らない。
割る。
焼く。
買う。
使う。
また割る。
ナナの家も陶器屋だった。
ただし祖父だけは、窯を使わなかった。
店の奥で、割れた器をこっそり直していた。
漆を塗り、欠片を合わせ、継ぎ目に金粉を撒く。
「傷が目立つじゃん」
幼いナナが言うと、祖父は笑った。
「目立たせるんだよ」
「なんで?」
「割れた場所を忘れないため」
三年前に祖父が死んでから、その作業台には布がかかったままだった。
*
ナナは魚の皿をそこへ隠した。
その夜。
店の奥で音がした。
かち。
かち、かち。
布をめくる。
皿が震えている。
欠けた縁から、細い金色の線が伸びていた。
勝手に。
金線は作業台を這う。
床へ降りる。
壁を上る。
そして壁のひび割れに入った。
翌朝。
壁の亀裂が金色になっていた。
「お母さん」
母は顔を青くした。
「その皿、割りなさい」
「直ったんだよ」
「違う」
母は皿を取り上げようとした。
ナナは引いた。
皿が床へ落ちる。
ぱりん。
二つに割れた。
金色の線が走った。
二つの欠片が、すぐにつながった。
それだけではない。
床の傷。
壁の亀裂。
窓ガラスの欠け。
全部へ金線が走った。
店が、直った。
*
噂は一日で広がった。
人々は壊れたものを持ってきた。
時計。
椅子。
眼鏡。
自転車。
魚の皿に触れさせる。
金色の線が伸びる。
壊れた場所がつながる。
新品には戻らない。
傷は金色に残る。
それでも使える。
「窯なんて要らないじゃない」
ナナは笑った。
町長も喜んだ。
橋の亀裂を直した。
古い学校を直した。
堤防を直した。
事故で潰れた車まで直った。
三日後。
救急車が来た。
担架の上に男がいた。
工場で右腕を失っていた。
医師がナナを見る。
「物だけじゃないかもしれない」
ナナは皿を握った。
「腕は?」
「工場にあります」
持ってきた。
皿を触れさせる。
金色の線が男の肩から伸びた。
離れた腕へ届く。
引き寄せる。
つながった。
男が指を動かした。
泣いた。
町中が歓声を上げた。
ナナも泣いた。
その晩、母だけが言った。
「もうやめよう」
*
「なんで?」
母は祖父の帳面を出した。
最後のページ。
一行だけ。
《直せるものと、戻していいものは違う。》
「おじいちゃんも使ってたんでしょ」
「一度だけ」
母は店の床を指した。
古い金線が一本あった。
ナナは初めて気づいた。
床から壁。
壁から天井。
外へ。
町の北まで続いている。
二人で追った。
金線は墓地へ入った。
祖父の墓石を一周していた。
「まさか」
土が動いた。
墓の下から、こつ、と音がした。
母がナナの腕を掴んだ。
「帰るよ」
もう遅かった。
町中の墓石に金線が走った。
*
死者は戻らなかった。
もっと悪かった。
墓が直った。
焼けた家も。
取り壊した工場も。
埋めた井戸も。
昔そこにあった形へ戻り始めた。
道路の真ん中から古い家が生える。
新しいビルを突き破って、百年前の時計塔が組み上がる。
川をまっすぐにした護岸が割れ、昔の蛇行した川が住宅街を横切る。
森が道路を押し上げる。
現在の町と、過去の町が同じ場所で修復される。
金色の継ぎ目だらけになった。
ナナは魚の皿を布で包んだ。
「窯へ持っていく」
母が頷いた。
*
金曜日。
夕方六時。
誰も皿を割っていなかった。
町そのものが割れていた。
登り窯だけは動いている。
ナナは火口を開けた。
魚の皿を投げようとする。
手が止まる。
祖父の皿。
最後の一枚。
背後で、昔の陶器屋が地面から押し上がってきた。
祖父の声がした気がした。
目立たせるんだよ。
ナナは皿を投げなかった。
石畳へ叩きつけた。
ぱりん。
今度は拾わない。
金線が欠片をつなごうとする。
ナナは一枚ずつ蹴った。
窯へ。
母も蹴る。
町の人も気づいた。
金色に直された椅子を投げる。
時計を投げる。
眼鏡を投げる。
直したもの全部を窯へ入れる。
窯が赤くなる。
金線は町中から窯へ引っ張られた。
橋。
学校。
墓。
古い町。
新しい町。
全部の傷が一本につながる。
そして世界の端まで伸びていた。
地平線に金色の亀裂が浮かぶ。
空が陶器のように割れた。
海が青い釉薬になって剥がれた。
大地の裏から、赤茶色の粘土が現れた。
「世界も焼き物だったの?」
母が答える。
「今さら驚く?」
「驚くよ!」
*
窯が世界を引き込んだ。
麦畑が砕ける。
粒が石臼に挟まれ、粉になる。
地下水と混ざる。
窯の熱で焼かれ、二枚の丸いバンズになる。
牧場の牛肉は、崩れた石臼の間で粗く挽かれた。
熱した鉄板だった町の広場へ落ちる。
じゅう。
脂が跳ねる。
畑からレタス。
トマト。
玉ねぎ。
海だった青い釉薬から、塩だけが白く残った。
全部が重なる。
最後に金色の継ぎ目が溶けた。
細い線になって、バンズの表面を一本だけ走る。
ぴしり。
バーガーの上のバンズに、小さな亀裂が入った。
ナナは手を伸ばした。
金色の線が動く。
直そうとする。
「待って」
ナナは指で線を止めた。
そのままにした。
*
朝。
窯だけが残っていた。
火は消えている。
窯口の前にバーガーが一個。
上のバンズには、小さなひび。
そこから肉汁が一滴だけ染み出していた。
母が言う。
「直さないの?」
「うん」
「食べにくいよ」
「うん」
ナナは両手で持った。
ひびのあるところから、かじる。
香ばしい。
肉が熱い。
少しだけ、土の味がする。
商品札は、祖父の古い作業台の板だった。
《割れた皿は金曜日に焼くバーガー》
裏返す。
祖父の字が残っていた。
《割れた場所を忘れないこと。》
ナナは読み終えて、札を窯へ投げなかった。
バーガーのひびも、最後まで直さなかった。




