↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
103/123

《最後の一針は抜かないバーガー》


この町では、服は買わない。


育てる。


春になると、仕立屋の軒先に布の苗が並ぶ。


麻は日向。 絹は半日陰。 デニムは水を多めに。


十五歳のミツキの家は、三代続く仕立屋だった。


裏庭には、制服の畝がある。


土から白い襟が出ていた。


「まだ抜くなよ」


祖母のハナが言う。


「袖が土の中で伸びてる」


「分かってる」


ミツキは襟をつまんだ。


ぐい。


「抜くなって!」


土が盛り上がる。


紺色のブレザーが、根を千切りながら抜けた。


袖口には小さな指が五本ついていた。


ミツキは固まった。


祖母はため息をついた。


「早採りしたからだ」


「服に指があるんだけど」


「だから早いって言ったろ」


祖母は鋏で五本とも切った。


切り口から綿が出た。


「三日干せば袖になる」


それが、この町の服だった。


*


布は畑で育つ。


ボタンは枝になる。


ファスナーは蔓。


靴下は二本一組で地中にできる。


仕立屋の仕事は、育った服を人間の身体に合わせて直すことだった。


だから採寸は重要だった。


肩幅。 胸囲。 袖丈。 股下。


一センチ違えば、服は着る人を嫌う。


ミツキの父は、それで死んだ。


七年前。


喪服の寸法を間違えた。


完成した黒い上着を着た瞬間、袖が縮んだ。


襟が締まった。


服は父を土へ引きずり込んだ。


翌朝。


畑から新しい喪服が一本、生えていた。


父はいなかった。


それ以来、祖母は採寸を二度する。


ミツキは三度する。


*


夏祭りの前日。


町長が来た。


「百人分、同じ法被を作ってほしい」


ハナは断った。


「同じ寸法なんて無理だよ」


「祭りの統一感が必要なんです」


「人間は統一されてない」


町長は設計図を広げた。


身長百六十五。 胸囲八十八。 袖丈五十八。


全員これ。


ミツキは笑った。


「着られない人だらけですよ」


「今年から、着る側を合わせます」


冗談だと思った。


翌朝までは。


*


祭りの日。


百人が同じ法被を着た。


背の高い人は縮んでいた。


小柄な人は伸びていた。


太った魚屋は細くなり、痩せた郵便局員には肉がついていた。


全員。


身長百六十五。 胸囲八十八。 袖丈五十八。


「服に身体を直させたの?」


ミツキが町長に詰め寄る。


「便利でしょう」


町長は笑った。


「採寸が要らない」


祭りは成功した。


翌週、学校が制服を統一した。


生徒八百人の体格が揃った。


工場は作業服を統一した。


労働者の腕の長さが揃った。


病院は患者着を統一した。


寝たきりの老人まで、同じ身体になった。


注文が爆発した。


《着るだけで理想体型》


《採寸不要》


《サイズに悩まない》


全国から服の苗が売れた。


ハナだけが店を閉めた。


「もう作らない」


「なんで?」


「仕立屋が人を測らなくなったら終わりだよ」


*


冬。


問題が起きた。


服を脱いでも、身体が戻らなくなった。


同じ服を着た人間は、顔まで似始めた。


最初は輪郭。


次に鼻。


指紋。


声。


町長と魚屋と郵便局員が、同じ顔で店へ来た。


「直してください」


三人が同じ声で言った。


ハナは三人の法被を裏返した。


縫い代を見た。


一本の赤い糸が、脇から裾まで走っている。


「これ、誰が縫った」


町長が答えた。


「自動縫製工場です」


ハナが糸を一本抜いた。


魚屋の右腕が太くなった。


郵便局員の背が縮んだ。


町長の鼻だけ元に戻った。


ミツキは息を呑んだ。


服が身体を変えていたのではない。


縫い目だった。


違う形の布を縫えば、一着になる。


その原理が、人間にも働いていた。


同じ型紙で縫われた者は、


同じ一着として扱われる。


*


「全部ほどく」


ミツキは鋏を持った。


全国へ出荷された服。


数千万着。


赤い糸を切ればいい。


工場の巨大な糸巻きが、すべての服へ一本でつながっていた。


切った。


ぱちん。


町中で悲鳴が上がった。


人間だけではなかった。


制服を着た人が座った椅子。


作業着が触れた機械。


患者着が擦れたベッド。


洗濯物を干した家。


赤い糸は、触れたものまで縫い合わせていた。


糸が切れた瞬間、


全部がほどけ始めた。


家の壁が布のように裂ける。


道路のアスファルトが帯になってめくれる。


車の鉄板から縫い代が現れる。


犬の腹からファスナーが出た。


山の稜線に巨大なステッチが浮かぶ。


海岸線には、何千キロもの裾上げ跡。


ミツキは空を見た。


青空の端に、


赤い糸が一本走っていた。


「おばあちゃん」


ハナも見ていた。


「切るんじゃなかった」


「世界って」


「たぶん」


祖母は鋏を捨てた。


「仕立て物だったんだねえ」


*


世界が裂けた。


空の裏から綿が噴き出した。


海が一枚の青布になって剥がれる。


大地が茶色い布地として巻き取られる。


町も、人も、山も、


ばらばらの裁断片になった。


だが完全には散らなかった。


一本だけ。


ミツキが最初に抜いた制服。


その袖口に残していた糸がある。


早採りの指を切ったあと、


祖母が縫い直した一針。


そこだけが、まだつながっていた。


「抜く?」


ミツキが聞いた。


ハナは首を振った。


「一針あれば、仕立て直せる」


二人で布の山を引き寄せた。


小麦畑だった金色の布。


牛だった赤褐色の布。


レタス畑の縮れた緑。


トマトの薄い赤。


玉ねぎの白い輪。


海から剥がれた塩の粒。


世界の裁断片を重ねる。


金色の布は綿と混ざり、丸く膨らんだ。


熱を持った空の裏地で焼く。


バンズ。


牛の布は何重にも折り、巨大なボタンで押し潰した。


厚いパティ。


緑と赤と白を重ねる。


最後に祖母が、


残った一本の糸を通した。


上から下まで。


一針。


バーガー全体を縫い留める。


*


ミツキが目を開けた。


仕立台が一台。


祖母が一人。


世界はそれだけだった。


台の上にはバーガー。


中央を赤い糸が貫いている。


ミツキは鋏を持った。


「食べにくいね」


「抜けばいい」


「抜いたら?」


祖母は肩をすくめた。


「さあ」


ミツキは鋏を置いた。


バーガーを両手で持つ。


糸を避けて、端をかじった。


小麦の甘さ。


焦げた肉。


トマトの酸味。


少し土の味。


祖母も反対側からかじる。


二人で食べ進めた。


最後に、


赤い糸で縫われた一口だけが残った。


商品札は、その糸に結ばれていた。


《最後の一針は抜かないバーガー》


ミツキは一口を仕立台へ戻した。


「残すの?」


「うん」


「腐るよ」


「いいよ」


赤い糸の先で、


小さな白い襟が芽を出していた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。