《最後の一針は抜かないバーガー》
この町では、服は買わない。
育てる。
春になると、仕立屋の軒先に布の苗が並ぶ。
麻は日向。 絹は半日陰。 デニムは水を多めに。
十五歳のミツキの家は、三代続く仕立屋だった。
裏庭には、制服の畝がある。
土から白い襟が出ていた。
「まだ抜くなよ」
祖母のハナが言う。
「袖が土の中で伸びてる」
「分かってる」
ミツキは襟をつまんだ。
ぐい。
「抜くなって!」
土が盛り上がる。
紺色のブレザーが、根を千切りながら抜けた。
袖口には小さな指が五本ついていた。
ミツキは固まった。
祖母はため息をついた。
「早採りしたからだ」
「服に指があるんだけど」
「だから早いって言ったろ」
祖母は鋏で五本とも切った。
切り口から綿が出た。
「三日干せば袖になる」
それが、この町の服だった。
*
布は畑で育つ。
ボタンは枝になる。
ファスナーは蔓。
靴下は二本一組で地中にできる。
仕立屋の仕事は、育った服を人間の身体に合わせて直すことだった。
だから採寸は重要だった。
肩幅。 胸囲。 袖丈。 股下。
一センチ違えば、服は着る人を嫌う。
ミツキの父は、それで死んだ。
七年前。
喪服の寸法を間違えた。
完成した黒い上着を着た瞬間、袖が縮んだ。
襟が締まった。
服は父を土へ引きずり込んだ。
翌朝。
畑から新しい喪服が一本、生えていた。
父はいなかった。
それ以来、祖母は採寸を二度する。
ミツキは三度する。
*
夏祭りの前日。
町長が来た。
「百人分、同じ法被を作ってほしい」
ハナは断った。
「同じ寸法なんて無理だよ」
「祭りの統一感が必要なんです」
「人間は統一されてない」
町長は設計図を広げた。
身長百六十五。 胸囲八十八。 袖丈五十八。
全員これ。
ミツキは笑った。
「着られない人だらけですよ」
「今年から、着る側を合わせます」
冗談だと思った。
翌朝までは。
*
祭りの日。
百人が同じ法被を着た。
背の高い人は縮んでいた。
小柄な人は伸びていた。
太った魚屋は細くなり、痩せた郵便局員には肉がついていた。
全員。
身長百六十五。 胸囲八十八。 袖丈五十八。
「服に身体を直させたの?」
ミツキが町長に詰め寄る。
「便利でしょう」
町長は笑った。
「採寸が要らない」
祭りは成功した。
翌週、学校が制服を統一した。
生徒八百人の体格が揃った。
工場は作業服を統一した。
労働者の腕の長さが揃った。
病院は患者着を統一した。
寝たきりの老人まで、同じ身体になった。
注文が爆発した。
《着るだけで理想体型》
《採寸不要》
《サイズに悩まない》
全国から服の苗が売れた。
ハナだけが店を閉めた。
「もう作らない」
「なんで?」
「仕立屋が人を測らなくなったら終わりだよ」
*
冬。
問題が起きた。
服を脱いでも、身体が戻らなくなった。
同じ服を着た人間は、顔まで似始めた。
最初は輪郭。
次に鼻。
指紋。
声。
町長と魚屋と郵便局員が、同じ顔で店へ来た。
「直してください」
三人が同じ声で言った。
ハナは三人の法被を裏返した。
縫い代を見た。
一本の赤い糸が、脇から裾まで走っている。
「これ、誰が縫った」
町長が答えた。
「自動縫製工場です」
ハナが糸を一本抜いた。
魚屋の右腕が太くなった。
郵便局員の背が縮んだ。
町長の鼻だけ元に戻った。
ミツキは息を呑んだ。
服が身体を変えていたのではない。
縫い目だった。
違う形の布を縫えば、一着になる。
その原理が、人間にも働いていた。
同じ型紙で縫われた者は、
同じ一着として扱われる。
*
「全部ほどく」
ミツキは鋏を持った。
全国へ出荷された服。
数千万着。
赤い糸を切ればいい。
工場の巨大な糸巻きが、すべての服へ一本でつながっていた。
切った。
ぱちん。
町中で悲鳴が上がった。
人間だけではなかった。
制服を着た人が座った椅子。
作業着が触れた機械。
患者着が擦れたベッド。
洗濯物を干した家。
赤い糸は、触れたものまで縫い合わせていた。
糸が切れた瞬間、
全部がほどけ始めた。
家の壁が布のように裂ける。
道路のアスファルトが帯になってめくれる。
車の鉄板から縫い代が現れる。
犬の腹からファスナーが出た。
山の稜線に巨大なステッチが浮かぶ。
海岸線には、何千キロもの裾上げ跡。
ミツキは空を見た。
青空の端に、
赤い糸が一本走っていた。
「おばあちゃん」
ハナも見ていた。
「切るんじゃなかった」
「世界って」
「たぶん」
祖母は鋏を捨てた。
「仕立て物だったんだねえ」
*
世界が裂けた。
空の裏から綿が噴き出した。
海が一枚の青布になって剥がれる。
大地が茶色い布地として巻き取られる。
町も、人も、山も、
ばらばらの裁断片になった。
だが完全には散らなかった。
一本だけ。
ミツキが最初に抜いた制服。
その袖口に残していた糸がある。
早採りの指を切ったあと、
祖母が縫い直した一針。
そこだけが、まだつながっていた。
「抜く?」
ミツキが聞いた。
ハナは首を振った。
「一針あれば、仕立て直せる」
二人で布の山を引き寄せた。
小麦畑だった金色の布。
牛だった赤褐色の布。
レタス畑の縮れた緑。
トマトの薄い赤。
玉ねぎの白い輪。
海から剥がれた塩の粒。
世界の裁断片を重ねる。
金色の布は綿と混ざり、丸く膨らんだ。
熱を持った空の裏地で焼く。
バンズ。
牛の布は何重にも折り、巨大なボタンで押し潰した。
厚いパティ。
緑と赤と白を重ねる。
最後に祖母が、
残った一本の糸を通した。
上から下まで。
一針。
バーガー全体を縫い留める。
*
ミツキが目を開けた。
仕立台が一台。
祖母が一人。
世界はそれだけだった。
台の上にはバーガー。
中央を赤い糸が貫いている。
ミツキは鋏を持った。
「食べにくいね」
「抜けばいい」
「抜いたら?」
祖母は肩をすくめた。
「さあ」
ミツキは鋏を置いた。
バーガーを両手で持つ。
糸を避けて、端をかじった。
小麦の甘さ。
焦げた肉。
トマトの酸味。
少し土の味。
祖母も反対側からかじる。
二人で食べ進めた。
最後に、
赤い糸で縫われた一口だけが残った。
商品札は、その糸に結ばれていた。
《最後の一針は抜かないバーガー》
ミツキは一口を仕立台へ戻した。
「残すの?」
「うん」
「腐るよ」
「いいよ」
赤い糸の先で、
小さな白い襟が芽を出していた。




