《カーテンコールは一度だけバーガー》
町には、小さな劇場が一つあった。
客席は百二十。
舞台は八メートル。
楽屋は二つ。
古い。
狭い。
雨の日は、下手袖にバケツを置く。
それでも町の人は、その劇場が好きだった。
年に一度だけ、町民全員で芝居をする。
パン屋は王様。
魚屋は魔女。
郵便局員は馬。
役が足りなければ、観客も途中から出る。
今年の演目は、
『世界でいちばんおいしい晩餐』。
主人公は肉屋の娘、ミナだった。
ただし本番三日前、ミナは階段から落ちた。
足首を捻った。
代役になったのは、台詞が一つしかない給仕役のサエ。
「無理です」
「台本は?」
「昨日もらいました」
「なら大丈夫」
「大丈夫の使い方が雑です」
演出家は八十二歳だった。
耳が遠い。
「声は大きめで」
「そこじゃないです」
*
本番。
満席だった。
物語は単純だ。
貧しい国の女王が、国民全員を満腹にする晩餐を探す。
パンの国。
肉の森。
野菜の市場。
チーズの塔。
全部を巡り、最後に大きな食卓を作る。
舞台装置は町中から借りた。
パン屋の木箱。
肉屋の秤。
八百屋の荷車。
乳業店の空き缶。
本物を使った方が安かったからだ。
サエは三度台詞を噛んだ。
一度、王冠を落とした。
馬役の郵便局員は尻尾を踏んで転んだ。
客席は笑った。
最後だけは、きれいに決まった。
サエが食卓の前に立つ。
「これで、みんながお腹いっぱいです」
暗転。
拍手。
幕が下りた。
サエは胸を押さえた。
終わった。
隣で魚屋の魔女が囁く。
「アンコール」
「芝居にアンコールあるんですか」
「毎年ある」
幕が上がった。
全員で礼。
拍手。
幕が下りる。
また上がった。
「二回目?」
「今年は受けたねえ」
礼。
幕。
拍手。
また上がる。
三回目。
四回目。
五回目。
サエは笑顔のまま、演出家を見た。
「いつまで?」
「拍手が止まるまで」
止まらなかった。
*
十回目。
客の手は赤くなっていた。
二十回目。
泣きながら叩いている人がいた。
三十回目。
誰も笑っていなかった。
サエが幕の隙間から客席を見る。
最前列の老人が、両手を膝に押しつけていた。
それでも音がする。
ぱち。
ぱちぱち。
誰も叩いていないのに。
天井からだった。
梁が二本、ぶつかっている。
拍手の音で。
舞台の床板も鳴る。
壁も。
椅子も。
劇場そのものが拍手していた。
「帰ろう」
サエが言った。
全員が頷いた。
非常口を開ける。
そこに客席があった。
百二十席。
満席。
同じ町の人たち。
正面には舞台。
舞台の上には、サエたち自身が立っていた。
幕が上がる。
礼をする。
拍手。
魚屋が扉を閉めた。
「見なかったことにしよう」
「それで済みます?」
「私は魚を売る人だから分からない」
「便利ですね、その逃げ方」
*
劇場から出られないまま、朝になった。
と思った。
天井を開けた大道具係が、空を見た。
青い。
雲もある。
ただし空の端に、赤い緞帳が垂れていた。
町全体が舞台になっていた。
道路には客席。
家々の屋根には照明。
駅前の時計台には、巨大なスポットライト。
住民は全員、衣装を着ていた。
脱いでも、下から同じ衣装が出た。
パン屋の主人は王冠を外せない。
郵便局員の尻尾は本物になっていた。
「いや、そこは戻して」
本人が引っ張る。
痛い。
「本物だ……」
「そこだけ?」
「そこだけ」
「なんで?」
「知らないよ!」
拍手が強くなる。
すると町が動いた。
パン屋が舞台中央へ滑る。
肉屋がその隣へ。
八百屋。
乳業店。
公園。
学校。
住宅街。
大道具のように、建物ごとレールの上を移動する。
『世界でいちばんおいしい晩餐』の舞台配置へ。
サエは台本を開いた。
最後のページ。
昨日までなかった一行が増えていた。
《女王は国そのものを食卓へ載せ、すべての民を満腹にした。》
「これ、やったら終わる?」
演出家が首を振った。
「芝居は終わる」
「町は?」
「知らん」
「じゃあ、やりません」
拍手が止まった。
一秒だけ。
町中が静かになった。
それから、地面が鳴った。
どん。
観客の催促だった。
*
サエは台本を閉じた。
「カーテンコールって、何回やるものですか」
「普通は決まってない」
「じゃあ今日から決めます」
舞台袖へ走る。
赤い幕を吊るす綱がある。
町の空まで続いている。
大道具係が追ってきた。
「切ったら幕が落ちるぞ!」
「落とすんです」
「町ごとだぞ!」
「もう町が舞台なんでしょう!」
サエは舞台用の斧を取った。
木製だった。
「これ偽物!」
魚屋が包丁を投げた。
「こっち本物!」
「なんで持ってるんですか!」
「魚屋だから!」
綱を切った。
空が落ちた。
赤い幕が町を包む。
照明塔が倒れる。
パン屋の煙突が折れた。
小麦粉が噴き出す。
雨漏り用のバケツがひっくり返る。
水と粉が混ざる。
落ちてきた照明の熱で膨らむ。
巨大なバンズになった。
肉屋の冷蔵庫が舞台中央へ滑る。
牛肉が秤ごと押し潰される。
回転舞台が一周する。
丸いパティ。
八百屋の荷車が横転した。
レタス。
トマト。
玉ねぎ。
乳業店の黄色いチーズが、まだ熱い照明器具の上で溶けた。
全部が、舞台中央へ重なる。
町の建物は次々と暗転した。
最後に残ったのは劇場だけ。
サエは幕の前に立っていた。
客席には誰もいない。
隣に、足を引きずったミナが来た。
「代役、どうだった?」
「最悪」
「主役やりたかった?」
サエは考えた。
舞台中央には、町一個分のバーガー。
「もう二度と」
ミナが笑った。
「じゃあ来年は給仕ね」
「来年あるの?」
二人で客席を見る。
一番後ろに、演出家が座っていた。
一回だけ手を叩いた。
ぱん。
幕が下りた。
*
翌朝。
何もない舞台の中央に、バーガーが一つ置かれていた。
焦げ目のついたバンズ。
厚いパティ。
潰れたトマト。
少し大きすぎるレタス。
照明の熱で垂れたチーズ。
横には、赤い幕を折ったナプキン。
商品札。
《カーテンコールは一度だけバーガー》
札の裏には、小さく手書きされていた。
《再演不可》
誰も拍手しなかった。




