↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
102/123

《カーテンコールは一度だけバーガー》


町には、小さな劇場が一つあった。


客席は百二十。

舞台は八メートル。

楽屋は二つ。


古い。

狭い。

雨の日は、下手袖にバケツを置く。


それでも町の人は、その劇場が好きだった。


年に一度だけ、町民全員で芝居をする。


パン屋は王様。

魚屋は魔女。

郵便局員は馬。


役が足りなければ、観客も途中から出る。


今年の演目は、


『世界でいちばんおいしい晩餐』。


主人公は肉屋の娘、ミナだった。


ただし本番三日前、ミナは階段から落ちた。


足首を捻った。


代役になったのは、台詞が一つしかない給仕役のサエ。


「無理です」


「台本は?」


「昨日もらいました」


「なら大丈夫」


「大丈夫の使い方が雑です」


演出家は八十二歳だった。


耳が遠い。


「声は大きめで」


「そこじゃないです」


*


本番。


満席だった。


物語は単純だ。


貧しい国の女王が、国民全員を満腹にする晩餐を探す。


パンの国。

肉の森。

野菜の市場。

チーズの塔。


全部を巡り、最後に大きな食卓を作る。


舞台装置は町中から借りた。


パン屋の木箱。

肉屋の秤。

八百屋の荷車。

乳業店の空き缶。


本物を使った方が安かったからだ。


サエは三度台詞を噛んだ。


一度、王冠を落とした。


馬役の郵便局員は尻尾を踏んで転んだ。


客席は笑った。


最後だけは、きれいに決まった。


サエが食卓の前に立つ。


「これで、みんながお腹いっぱいです」


暗転。


拍手。


幕が下りた。


サエは胸を押さえた。


終わった。


隣で魚屋の魔女が囁く。


「アンコール」


「芝居にアンコールあるんですか」


「毎年ある」


幕が上がった。


全員で礼。


拍手。


幕が下りる。


また上がった。


「二回目?」


「今年は受けたねえ」


礼。


幕。


拍手。


また上がる。


三回目。


四回目。


五回目。


サエは笑顔のまま、演出家を見た。


「いつまで?」


「拍手が止まるまで」


止まらなかった。


*


十回目。


客の手は赤くなっていた。


二十回目。


泣きながら叩いている人がいた。


三十回目。


誰も笑っていなかった。


サエが幕の隙間から客席を見る。


最前列の老人が、両手を膝に押しつけていた。


それでも音がする。


ぱち。


ぱちぱち。


誰も叩いていないのに。


天井からだった。


梁が二本、ぶつかっている。


拍手の音で。


舞台の床板も鳴る。


壁も。


椅子も。


劇場そのものが拍手していた。


「帰ろう」


サエが言った。


全員が頷いた。


非常口を開ける。


そこに客席があった。


百二十席。


満席。


同じ町の人たち。


正面には舞台。


舞台の上には、サエたち自身が立っていた。


幕が上がる。


礼をする。


拍手。


魚屋が扉を閉めた。


「見なかったことにしよう」


「それで済みます?」


「私は魚を売る人だから分からない」


「便利ですね、その逃げ方」


*


劇場から出られないまま、朝になった。


と思った。


天井を開けた大道具係が、空を見た。


青い。


雲もある。


ただし空の端に、赤い緞帳が垂れていた。


町全体が舞台になっていた。


道路には客席。


家々の屋根には照明。


駅前の時計台には、巨大なスポットライト。


住民は全員、衣装を着ていた。


脱いでも、下から同じ衣装が出た。


パン屋の主人は王冠を外せない。


郵便局員の尻尾は本物になっていた。


「いや、そこは戻して」


本人が引っ張る。


痛い。


「本物だ……」


「そこだけ?」


「そこだけ」


「なんで?」


「知らないよ!」


拍手が強くなる。


すると町が動いた。


パン屋が舞台中央へ滑る。


肉屋がその隣へ。


八百屋。

乳業店。

公園。

学校。

住宅街。


大道具のように、建物ごとレールの上を移動する。


『世界でいちばんおいしい晩餐』の舞台配置へ。


サエは台本を開いた。


最後のページ。


昨日までなかった一行が増えていた。


《女王は国そのものを食卓へ載せ、すべての民を満腹にした。》


「これ、やったら終わる?」


演出家が首を振った。


「芝居は終わる」


「町は?」


「知らん」


「じゃあ、やりません」


拍手が止まった。


一秒だけ。


町中が静かになった。


それから、地面が鳴った。


どん。


観客の催促だった。


*


サエは台本を閉じた。


「カーテンコールって、何回やるものですか」


「普通は決まってない」


「じゃあ今日から決めます」


舞台袖へ走る。


赤い幕を吊るす綱がある。


町の空まで続いている。


大道具係が追ってきた。


「切ったら幕が落ちるぞ!」


「落とすんです」


「町ごとだぞ!」


「もう町が舞台なんでしょう!」


サエは舞台用の斧を取った。


木製だった。


「これ偽物!」


魚屋が包丁を投げた。


「こっち本物!」


「なんで持ってるんですか!」


「魚屋だから!」


綱を切った。


空が落ちた。


赤い幕が町を包む。


照明塔が倒れる。


パン屋の煙突が折れた。


小麦粉が噴き出す。


雨漏り用のバケツがひっくり返る。


水と粉が混ざる。


落ちてきた照明の熱で膨らむ。


巨大なバンズになった。


肉屋の冷蔵庫が舞台中央へ滑る。


牛肉が秤ごと押し潰される。


回転舞台が一周する。


丸いパティ。


八百屋の荷車が横転した。


レタス。

トマト。

玉ねぎ。


乳業店の黄色いチーズが、まだ熱い照明器具の上で溶けた。


全部が、舞台中央へ重なる。


町の建物は次々と暗転した。


最後に残ったのは劇場だけ。


サエは幕の前に立っていた。


客席には誰もいない。


隣に、足を引きずったミナが来た。


「代役、どうだった?」


「最悪」


「主役やりたかった?」


サエは考えた。


舞台中央には、町一個分のバーガー。


「もう二度と」


ミナが笑った。


「じゃあ来年は給仕ね」


「来年あるの?」


二人で客席を見る。


一番後ろに、演出家が座っていた。


一回だけ手を叩いた。


ぱん。


幕が下りた。


*


翌朝。


何もない舞台の中央に、バーガーが一つ置かれていた。


焦げ目のついたバンズ。

厚いパティ。

潰れたトマト。

少し大きすぎるレタス。

照明の熱で垂れたチーズ。


横には、赤い幕を折ったナプキン。


商品札。


《カーテンコールは一度だけバーガー》


札の裏には、小さく手書きされていた。


《再演不可》


誰も拍手しなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。