無能人 語り手:陸奥守駿
研究所から2日かけて移動した先は、高知県の深い山の奥だった。秋の音はまだまだ遠くて――セミこそないていないが――、巨大な木々には青々とした葉が生い茂っている。高知県の支部から車を借りて(運転手も貸してもらった)、最初の鬼が封じられている玉藻の前もびっくりの巨岩に着いた。
「駿くんは、見てるだけでいいから」
現着16時。石谷空音が最初に放った言葉がそれだった。空はまだ青くて、日が傾くまでまだ時間がかかりそうだったが、僕の心の空は酷く暗くなった。
仕方がないとは思う。そういう霊能だし、今までもそうしてきた。しかしながら、こういう霊能であれば、それなりに戦う方法自体はあるわけで。
「空音。僕も戦えるんだから、そうやって切り捨てないでほしいな」
僕はできる限り柔らかいイントネーションで、空音に伝えた。空音の眉がピクリと跳ねる。まずい。ただでさえ悪い空音の機嫌が、さらに悪くなりそうだ。
「戦える?駿くんが?」
空音はそう言って笑った。面白い冗談でも聞いたかのように。
僕は空音達騙りの使い手が、唯一感情も思考も読み取ることができない相手。そのうえ、まともに戦えないときた。そんな相手と旅に出るなんて、かなりのリスクだ。それなりに算段はあるのだろうが。
「僕だって戦えるさ。……鬼は難しいかもしれないけど、その補助くらいなら」
相手が弱い怪異だったら、踏み潰せば死ぬ。大型犬くらいの大きさまでなら、普通に戦える。鬼は――難しいが。
「冗談やめてよね。いるかいないかすら感じ取れない相手と、まともな連携なんて取れるわけがないじゃん」
空音の言葉はすごく真っ当で、それ故に反論の余地もなかった。
「壁――肉壁くらいにはなるからさ、連れてってくれよ!」
僕が空音の手を取って懇願すると、空音は軽蔑の眼差しを僕に向けた。日は徐々に傾き始めていて、今から鬼を呼び出したとしても、とても倒すには至らないだろうと思えた。
「……陽くんならまだしも、駿くんが役に立つとは思えないかな。ごめんね――」
陽は、もう日本にいないというのに。
陽とは、もう会えるかすらわからないというのに。
僕はまだ、あいつに勝てないのか。
「それに、この任務で駿くんに死なれたら、この業界が立ち行かなくなるから。そういう意味でも――ごめん。戦いの現場には、いないでほしいかな」
僕を使わない。それが、彼女の算段だったらしい。そりゃそうだ。考えてみればわかる。僕らはどっちも戦闘には向かない固有霊能だ。藤樹瑠衣以外の人間は、一般霊能のみで安定して鬼に勝つことなどできやしない。白さんが鬼に勝てるのだって、あの人の固有霊能が強いからだ。
「……わかった」
「ごめんね」
そう返してくれた空音の顔は、苦虫を潰したような表情をしていた。
「やっぱ、大浴場は違うなー」
高知県の安いホテルに荷物を置いた僕たちは、近場の浴場を探して風呂を済ませた。
僕は温まった身体を心地よく思いつつ、フルーツ牛乳と書かれた瓶が、レジ奥の冷蔵庫の中に入っているのを見つけた。
「これ、いくらですか?」
僕はレジにいた壮年の男性に聞いた。
「ああ、フルーツ牛乳かい?一本200円だよ」
高っ。と思ってしまったのは仕方ないだろう。急な旅行だ。ろくな準備もしてきていない。僕はジーンズのポケットから財布を取り出して、残金を確認する。――百円玉が4枚と五百円玉が1枚。それと十円玉と一円玉が少し。案ずるまでもなく足りそうだ。
「じゃあ、2本お願いします」
「2本も?――ああ、一緒に来ていた美人な姉ちゃんの分か」
「そんな感じです」
――美人な、ねえ。ベールを剥がされた空音も、かなり可愛い部類に入るが、あくまで霊能力者としては平均的だと思う。好みによるところはあるだろうし、絶対的にそうとも言い切れないところはあるが。
「それ、1人で飲むの?」
後ろから声がしたので振り返ると、風呂上がりで少し髪に湿気の残っている空音が、黒い髪の毛の先をいじっていた。レジの男性の方に視線を戻すと、ニヤリと笑った。
「噂をすれば影がさしたな。俺は席を外させてもらおうか」
「えっ。ちょっと――」
僕が呼び止める間もなく、レジの男性はカウンターから姿を消してしまった。
「で、1人で飲むの?」
もう一度空音を見ると、少し頬を膨らませて僕を見ていた。もともと、僕は空音に奢るつもりで買ったわけで。僕は左手に持っていたフルーツ牛乳を空音に渡した。
「そこまで食欲はないよ……」
「ありがと」
「どういたしまして」
空音がロビーのソファに腰掛けたので、僕も隣に座った。
フルーツ牛乳の瓶には、極めて現代的で綺麗な写真が使われていた。古い、とまでは言わないが、築30年は経っているであろうこの浴場とはアンバランスで、それが僕と空音のように見えた。
「実のところね、勝てる気がしないんだ」
フルーツ牛乳を一気に半分ほど飲んだ空音が、瓶から口を離して言った。鮮やかで黒いボブの髪が、霊力によって乾かされてきている。はっきりと乾いていく様子が見えるのは、空音以外だと瑠衣ちゃんしか知らない――白さんもかもしれないが、彼女は乾かしてから姿を現す――。それだけ、絶大な霊力量なのだろう。
「仕方ないよ。瑠衣ちゃんじゃないんだから」
「仕方ないなんて言わないでよ。ここで勝たなきゃ、所長として示しがつかない」
空音は見栄を張りたがる。そこが、詐欺師的な霊能の代償なのかもしれないが。少なくとも僕は――僕だけは――僕だけでも、彼女が無理するのを止めなければいけない。
「見えを張って死ぬのは、詐欺師じゃない。ただの愚か者だよ。僕は、空音が愚か者だなんて思いたくない」
「じゃあ、どうしろって?」
空音の声が険しくなった。少し、空気が重くなる。僕は余った牛乳を飲み干して、瓶を捨てるために立ち上がった。空音も牛乳を飲み干していたので、僕は空音からからの瓶を奪う。
「僕を使ってくれないかな。空音が感知できないってことは、鬼だってそうだろ?」
空音の口角が上がった。
霊能物語本編第七章「鬼たち」第八節「無能人」でした。お楽しみいただけたでしょうか?お楽しみいただけた方は、評価とブックマークをお願いします!コメントまでしていただけると嬉しいです。誤字報告等は、小説家になろうのログインに関係なく、常時受け付けておりますので、作品の質の向上のため、報告していただけると助かります!それでは、次のお話でお会いしましょう!




