第7話 雨風を凌ぐ場所
グラック老人の鍛冶場を辞し、自分の割り当てられたぼろ屋へ戻ってきた。
昼下がりの斜光が、窓の木格子越しに部屋の床を斜めに照らし出している。
先ほど集めて外へ排出した埃っぽい藁の代わりに、部屋の中には古びた固い木板がそのまま剥き出しになっていた。
「さて……まずは居住環境の最低限の確保だな」
腕まくりをし、部屋の構造をじっくりと観察する。
広さは四畳半ほど。幸いにも天井の梁や屋根の藁に大きな破損はなく、雨漏りの心配は少なそうだった。
しかし、最大の問題は壁の隙間だった。
経年劣化によって木材が痩せ、板と板の間に数ミリから一センチほどの隙間が無数に開いている。
夜間、ここから吹き込む寒風が部屋の体温を奪い去っていくのは火を見るより明らかだった。
従来の感覚であれば、メニューから修繕を選んで数秒で片付くような場所かもしれない。
だが、ここでは画面を操作して一瞬で整うような機能など何一つ用意されていなかった。
あるのは、自分の手足と、腰に下げた一本の小さな作業用ナイフだけ。
「隙間を塞ぐ粘土か、あるいは木屑と樹液を混ぜた補修材が必要か……」
現実世界で趣味として嗜んでいたDIYやサバイバルの知識が、自然と頭の中で組み上がっていく。
完全な大工仕事は無理でも、風を防ぎ、冷気を遮断する程度の補修であれば、身の回りにある素材で十分に応用が利くはずだ。
私は小ナイフを手に取り、再び村の外縁部へ向けて歩き出した。
過疎村の裏手に広がる浅い森の入り口。
そこには、湿った泥と、倒木から削り出されたような雑木が手つかずのまま放置されていた。
倒木の表面を丹念に観察すると、ところどころに乾燥して固まった樹液の塊が付着しているのを見つけた。
小ナイフの刃先を使って削り落とし、手のひらに集めていく。
続いて、足元の土の湿り気を確認する。
朝靄を含んだ土はほどよく水分を含み、粘土質の赤土が混ざっていた。
「これなら使えるな」
小ナイフの背を使って泥を掘り起こし、手頃な大きさに丸めていく。
さらに周囲に落ちていた乾いた落葉や細かな植物の茎を拾い集め、指先で小さく砕いて土の中に混ぜ込んだ。
土だけに頼ると乾いたときに乾燥収縮を起こし、亀裂が入って崩れてしまう。
だが、植物繊維を繋ぎとして均一に混ぜ合わせることで、乾燥しても割れにくい強度な補修土が完成する。
現実の古代建築や土壁の施工でも使われてきた、ごく基本的なサバイバルの知恵だ。
両手が粘り気のある泥でドロドロに汚れていく。
爪の間に泥が入り込み、皮膚が泥の水分を吸ってつっぱり始める。
その生々しい感覚に、私は不思議と不快感を抱かなかった。
むしろ、自分の手でひとつひとつ生活の基盤作りをしていく確固たる手応えが、胸の奥を静かに満たしていた。
作成した粘土の塊をいくつかも集め、両手で抱えるようにして部屋へ運ぶ。
部屋に戻ると、さっそく壁の隙間に泥を詰め込み始めた。
指先を使って泥を隙間の奥深くまで押し込み、表面を手のひらで平らにならしていく。
一箇所、また一箇所。
泥を詰めるたびに、外から吹き込んでいたひんやりとした隙間風がピタリと止まっていくのが肌で感じ取れた。
作業に没頭していると、時間の感覚が薄れていく。
背中を丸め、ひたすら壁と向き合い、手作業を繰り返す。
会社のオフィスで数字の並んだディスプレイを何時間も睨みつけていた頃の徒労感とは、まるで違う種類の心地よい疲労感が身体に蓄積されていった。
ふと、背後で木の引き戸がかすかに鳴った。
振り向くと、そこにはあの村の青年が立っていた。
グラック老人の傍らにいた、痩せ型の青年だ。
彼の手には、小さな木製の桶と、粗末な布切れが握られていた。
青年は泥だらけになった私の両手と、泥で綺麗に埋められつつある壁の隙間を交互に見つめ、驚きに目を見開いていた。
「……お前、何をしているんだ?」
青年が控えめに、しかし困惑の混ざった声で問いかけてきた。
「壁の隙間風を防ぐために、赤土と枯草を混ぜた泥で補修をしていました」
私が泥のついた手を広げて見せると、青年は目から鱗が落ちたような顔をした。
「土に……草を混ぜるのか? 土だけだと乾いたらすぐにひび割れて崩れてしまうと思っていたが……」
「草の繊維が網の目の役割を果たしてくれるので、割れにくくなるんです。昔の知恵ですよ」
私が微笑みながら答えると、青年はしばらく壁の泥を見つめ、それから手にした桶をそっと床に置いた。
「……それ、水だ。手や服を洗うのに使うといい」
「ありがとうございます。助かります」
礼を言うと、青年は気恥ずかしそうに視線を泳がせ、ぽつりと名乗った。
「……レンだ。村の雑用や、森で薪を拾う仕事をしている」
「ハルです。レンさん、親切にありがとう」
レンは私の言葉に小さく頷くと、完全に警戒を解いたわけではないものの、昨日までの「得体の知れない怪物」を見るような怯えの色を少しだけ和らげていた。
「お前たち異邦人は……ただ不躾に歩き回ったり、急に息を止めて倒れたりするだけの気味の悪い連中だと思っていた。……だが、お前は少し違うようだな」
「私もこの世界で静かに生きていきたいだけです。村の決まりや暮らしを壊すつもりはありません」
そう告げると、レンは胸を撫でおろすように小さく息を吐いた。
桶の水で手を洗う。
冷たい水が汚れた皮膚を冷やし、泥がすっきりと落ちていく感覚が心地よかった。
さらに、部屋の隅に余っていた古い角材をナイフで削り、丸太椅子のガタつきを抑えるための簡単な木楔を作って打ち込んだ。
体重をかけても嫌な軋み音が消え、しっかりと腰掛けられるようになった椅子に座り、私は満足げに息を吐いた。
夕刻になり、壁の補修がすべて完了した。
部屋の中に入ると、昼間までの底冷えするような隙間風は消え去り、泥と木肌の匂いが混ざり合った、どこか温かみのある空間へと変化していた。
窓格子から差し込む夕闇の赤が、補修された壁を優しく照らしている。
決して豪華な部屋ではない。
ベッドもなく、固い木板の上に身を横たえるだけの粗末なぼろ屋だ。
だが、己の手で泥を捏ね、知恵を使って雨風を凌ぐ場所を作り上げたという事実が、私に確かな「生きている」という充足感を与えていた。
私は壁に背を預け、ゆっくりと深呼吸をした。
神域という名の世界の片隅で、私だけの小さな居場所が、静かに産声を上げていた。




