↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
79/102

第78話 繋ぎとめる脈動

深い夜の闇が最北の集落をすっぽりと包み込むなか、我が家の小さな寝室には、ランプの微かな橙色の灯りだけが揺れていた。


地球側からの接続切断の試みと、それに抗うシステムの防衛戦。その激しいせめぎ合いの余波は、ダイバーである私の肉体にダイレクトな負担として降りかかっていた。

全身を走る鈍い頭痛は一向に引かず、自分の存在そのものがこの世界から希薄に引き剥がされそうになる悪寒が、波のように何度も寄せては返す。


だが、そんな私を現実に繋ぎ止めているのは、他でもない目の前の温もりだった。


「……ハル。まだ、身体がこんなに震えているよ」


私の胸に顔を埋めていたエマが、そっと顔を上げ、潤んだ琥珀色の瞳でじっと私を見つめた。

彼女の額にもうっすらと汗が滲んでいる。それは私を心配するあまりの焦りと、胸の奥で渦巻く恐怖に耐えていた証拠だった。普段の彼女らしくない弱気な表情に、私は胸が締め付けられるような痛みを覚えた。


「ごめん、エマ……心配かけて」


「謝らないでよ。……私、何もできないのがすごく悔しいの」


エマはブルっと小さく首を振ると、気を取り直すようにぎゅっと唇を結び、ハキとした強い口調で言った。

普段の彼女であれば、集落の仕事や畑の作業で弱音を吐く者がいれば「しっかりしてよ!」と気風よく背中を叩いて鼓舞するような、明るく前を向く女性だ。その芯の強さは今も失われていないが、こと私個人のこととなると、どうしても不安が隠しきれないらしい。震える細い指先で、彼女は私の頬に優しく触れた。


「私には、地球なんていう遠い世界のことは分からない。あなたがどこから来て、どんな場所で生きてきたのかも……本当の意味では理解できていないかもしれない」


「エマ……」


「でもね、この数ヶ月間、あなたがこの村でどれだけ泥まみれになって働いて、私と一緒に畑を耕して、夜になると並んで温かいスープを飲んだか……その時間は、絶対に嘘じゃない。私にとって、あなたがここにいてくれることが、すべてなの」


エマの言葉は、冷え切った私の内側にまっすぐ染み渡っていった。

地球の権力者たちがどれほど自分たちの保身のためにプログラムを書き換え、私たちを力尽くで追い出そうとしようとも、この世界で私たちが積み重ねてきた記憶と絆までは書き換えることなどできない。私たちが流した汗も、共に笑い合った夜も、すべてが紛れもないこの世界の「真実」なのだ。


「ああ……その通りだ、エマ」


私は力強く頷き、エマの肩をしっかりと引き寄せた。

頭の奥でまだざわめくノイズを振り払うように、私は彼女の温もりに全身の意識を集中させる。


「私はここにいる。地球のどこにも行かない。この最北の地で、君と共に生きていくって決めたんだから」


私の言葉を聞いたエマの表情が、ふっと緩んだ。

しかし次の瞬間、彼女の耳たぶから首筋にかけての美しい肌が、パッと鮮やかな紅色に染め上げられた。急に気恥ずかしくなったのか、彼女は慌てて視線を泳がせ、むすっとしたように頬を膨らませた。


「っ……急にそんな真っ直ぐなこと言わないでよ。ずるいなあ……」


「本当のことだろ?」


「もう……。ほら、そんなに冷たい手をしてちゃダメじゃない。もっと私に捕まって、温めてもらうんだから」


照れ隠しのようにわざと大げさに息をついてみせながらも、エマは自分の体温をすべて分け与えるかのように、より一層強く私にしがみついてきた。


やがて、二人の吐息が重なり、互いの衣服の擦れ合う音が静かな室内に響く。

それは恐怖に怯えた逃避などではない。外側から押し寄せる不条理な世界断絶の脅威に対し、私たちが人間としての生と絆を証明するための、泥臭くも尊い交歓だった。


エマの柔らかい髪の匂い。

触れ合う肌から伝わってくる、確かな生命の熱。

耳元で激しく、そして力強く打ち鳴らされる彼女の心臓の鼓動。


トックン、トックン、と刻まれるそのリズムは、地球側のシステム改変ノイズを打ち消す、世界でただ一つの絶対的なアンカーとなって私の魂をこの大地に深く突き刺していった。


「……ハル、もっと……私を感じて……」


エマの潤んだ瞳が、暗がりの中で微かに光る。

彼女の震える指先が私の背中に回り、お互いの存在を確かめ合うように強く引き寄せられる。


言葉はなくとも、通じ合っていた。

もし仮に、外部からの接続が絶たれ、この意識がいつか強制的に遮断されるようなことがあったとしても――この瞬間に私たちが分かち合った温もりと、魂の底から求め合った事実は、何者にも奪うことはできない。


私たちは互いの体温を貪るように求め合い、夜の冷気を完全に忘れ去るほどの熱狂のなかで、深く、強く愛し合った。

荒い吐息と擦れ合う肌の音が、終わりの見えない嵐の夜のなかで、静かに、しかし力強く生きる証明を奏で続けていた。


どれほどの時間が経っただろうか。

嵐のような熱が静まり返ったあとの寝室には、穏やかな時間が流れていた。


エマは私の腕を枕にし、すっかり安心したように規則正しい寝息を立てて眠りについていた。その顔つきは、先ほどまでの怯えが嘘のように穏やかで、満ち足りた静けさを帯びている。


私は眠る彼女の肩にそっと毛布をかけ、窓の外へと視線を向けた。


相変わらず夜風は激しく吹き荒れているが、不思議と先ほどまで感じていた耐え難い頭痛や倦怠感は、すっかり和らいでいた。

視界の端で明滅していた青白いノイズも消え失せ、システムUIの表示は嘘のように安定を取り戻している。


(……システムが、防ぎきってくれたのか?)


地球側の権力者たちが仕掛けた無理やりなプログラム改変や切断工作に対し、アルカディアの管理システムが総力を挙げて防壁を張り巡らせ、私たちの接続を必死に護り抜いてくれたのだ。

開発者が遺し、この世界を愛してやまないシステムが、私に見せかけではない「本当の居場所」を存続させてくれた。


「……信じて、正解だったな」


私は小さく呟き、腕の中で静かに眠るエマの額にそっと唇を寄せた。


外の世界では、まだ地球の支配層どもが血眼になってサービス終了の手段を探っているかもしれない。いつまた同じような不調や危機が訪れるかも分からない。

だが、今の私にはもう迷いはなかった。


どれほど外側から揺さぶられようとも、私たちはこの大地に根を張り、自分たちの手で明日を切り拓いていく。

泥臭く、しかし誰よりも豊かに――このアルカディアの地で、愛する者たちと共に生き続けるために。


夜が明けようとする最北の空の向こうで、新しい一日を告げる微かな光が、ゆっくりと白み始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。