第64話 受け継がれる種火
居住区画の奥深く、未知の技術の痕跡と古代の人々の暮らしの面影を心に刻んだ私たちは、日暮れが迫る前に「深淵の口」の回廊を引き返すことにした。
冷涼で無機質な金属の通路を歩く私たちの足音は、来るときよりもどこか力強く、そして落ち着いた響きを帯びていた。手に持った松明の橙色の炎が、幾重にも連なる壁面の青い光のラインと交じり合い、滑らかな金属板の上に滑らかな影を落としていく。
「よし、全員揃っているな。周囲の警戒を緩めるなよ、出口まであと少しだ」
先頭を行くヨハンが、後方を歩く自警団員たちへ静かに声をかける。
過剰な緊張感は既に消えていた。だが、そこにあったのは単なる慢心ではなく、この広大で不気味だった遺構の正体を正しく知り、自分たちの足で歩き切ったという確かな手応えだった。
やがて、前方に見慣れた巨大な灰銀色の「門」が近づいてくる。
私が壁面のセンサーへ手をかざし、同時にバノックやヨハン、自警団の面々が背後に寄り添うと、重厚な扉は滑らかな駆動音と共に左右へ開き、外の冷たい空気と茜色の夕光を中に流し込んできた。
――ガキイイイインッ!!
私たちが完全に外へと出切ったのを見届けるように、門は再び固く閉じられ、沈黙の姿へと戻る。
外に出ると、頬を刺すような最北の寒風が吹き抜けた。だが、その冷たさが不思議と心地よく、私たちが「いま生きている世界」の温もりを強く思い出させてくれた。
「ふう……やっぱり、お日様と風がある場所ってのはいいもんだな」
バノックが大斧を背中に担ぎ直し、雪原の向こうに落ちていく夕日を目を細めて見上げた。
「ああ。あの下で見た光景は凄まじかったが……こうして外の空気を吸うと、あそこがどれだけ時を止められた場所だったかが良くわかる」
レンも胸いっぱいに冷気を吸い込み、手袋を嵌めた両手を擦り合わせた。
私たちは隊列を組み直し、夕暮れに染まる最北の雪道を、村に向かって歩み始めた。
キュッ、キュッ、と踏みしめる雪の音が、静かな空間に心地よく響く。
「なあ、ハル」
歩みを進める中、バノックがふと私の方を振り返り、太い声を落とした。
「あの下で見た『壁から水が出る仕組み』やら『部屋全体を温める仕掛け』……それに、保存容器に眠ってたあの謎の種子や道具の部品のことだがね」
「うん」
「正真正銘、神々の時代の恐ろしい超技術なんだろ? ……正直に言えば、ほんの少し前までの俺なら、『そんなすげえ物があるなら、片っ端から村に持ち帰って使えば冬も怖くねえ!』って飛びついてたかもしれん」
バノックの言葉に、後ろを歩いていた自警団の男たちも静かに耳を傾ける。
彼らの表情には、かつて未知の遺構に対して抱いていた単純な恐怖や、あるいは一攫千金を夢見るような浅はかな欲気は、既に消え去っていた。
「だがな……」と、バノックは自嘲気味に鼻を鳴らした。
「あんな凄まじい暮らしをしてた先祖たちが、最後には自慢の力に呑み込まれて、大地を割って滅びかけたって現実を見ちまった。……あいつらは、悪人だったから滅びたわけじゃねえ。もっと楽に、もっと豊かに暮らしたいっていう、誰もが持つ当たり前の欲を制御できなくなったんだ」
「その通りだな、バノック」
ヨハンが横から静かに言葉を重ねた。
「包丁の一本だって、美味しい料理を作るために使うこともできれば、人を傷つける道具にもなる。どんなに便利な技術であっても、使う人間の心が追いついていなければ、ただの壊れやすい猛毒でしかないんだ」
二人の言葉を聞きながら、私は大きく息を吐き出し、深く頷いた。
「過去にこの世界を崩壊させてしまった人たちも、きっと最初から世界を壊したかったわけじゃない。家族を温めたい、食べ物に困らないようにしたい――そう思って技術を研ぎ澄ませていったはずだ。……でも、足元にある資源の限界や、自分たちの欲の大きさに歯止めをかける術を知らなかった」
私がそう言うと、レンが並んで歩きながら私の顔を直視した。
「じゃあ……ハル。俺たちは、あの遺構に眠ってる過去の技術や知識を、ずっと封印したまま見なかったことにするべきなのかな?」
「いいや、レン。そうじゃないと思う」
私は足を止めることなく、まっすぐに続く村への道を見据えて答えた。
「過剰な力に溺れるのを恐れて、ただ逃げ出して閉じこもるだけじゃ、停滞したままやがて衰退していくだけだ。神様が私達をこの世界に呼び寄せたのも、過去の遺産をただ恐れて放置するためじゃない。――前へ進むためには、どうしても必要な技術や知識があるはずなんだ」
「必要な技術……」
「たとえば、凍える冬を越えるための効率的な熱の扱い方や、厳しい気候でも育つ作物の知恵。伝染病や怪我から村人を守る薬品の知識。……そういうものは、私たちがこの大地で生き抜いていくために、絶対に力になってくれる」
私の言葉に、自警団の男たちが互いに顔を見合わせ、深く頷き合う。
「大切なのは、過去の先祖たちの失敗を絶対に忘れないことだ」
私は自警団の全員を見渡し、力強い声で言葉を紡いだ。
「凄い技術だからと無批判に飛びつくのではなく、一つひとつの技術や道具を手に取るたびに、よく考え、慎重になること。『本当に今の私たちの暮らしに見合っているか』『大地の理を壊していないか』を問い続けること。――過去の過剰文明の人たちと違って、私たちは自分たちの『意思』を変えていかなくちゃいけない」
「意思の……変革か」
ヨハンが噛みしめるように呟いた。
「便利さに人間が使われるんじゃない。人間が、自分たちの日常と大切な人を守るための手足として、慎重に、誇りを持って技術を扱う……そういうことだな」
「そう! まさにそれだ!」
バノックが太い拳を手のひらに打ちつけ、力強く破顔した。
「神様が何を思って俺たちにこの試練を与えたかは知らんが、少なくとも『力に振り回されるバカな人間』のままじゃねえってことを、俺たちの生き様で見せてやろうじゃねえか! 焦らず、気取らず、泥を啜ってきた俺たちの足並みで、一つずつ必要なものを選び取って進めばいい!」
「「おおっ……!!」」
自警団の男たちから、腹の底からの力強い声援が上がった。
彼らの瞳に宿っていたのは、文明の遺産に対する浅はかな欲望でも、過剰なテクノロジーへの盲信でもなかった。自分たちの足で大地を踏みしめ、畑を耕し、家族を守ってきたという泥臭い誇り。そして、過去の歴史という巨大な鏡を見て、自らの愚かさを戒め、精神を一歩先へと進化させた者だけが持つ、静かで強靭な「意思」だった。
過去の文明を崩壊させた人々の悲劇を繰り返さない。
ただ欲に任せて奪うのではなく、受け継ぐべき火を選び取り、正しく次の世代へと繋いでいく――。
言葉を超えた覚悟が、調査隊全員の心の中でひとつに重なっていた。
やがて、雪原の向こうに、見慣れた最北の寒村の木造の柵と、家々の煙突から立ち上る暖かな煙が見えてきた。
「見えたぞ! 村だ――っ!」
「おい、みんな帰ってきたぞーっ!」
村の入り口の櫓から、警戒に当たっていたカイたちの歓声が聞こえてくる。
柵の向こうからは、日課の作業を終えた村人たちや、子どもたちが一斉に笑顔で駆け寄ってくるのが見えた。
その最前線で、小麦色の豊かな髪を夕風になびかせながら、エマが一直線に私に向かって走ってくる。
「ハルっ……! お帰りなさい!」
「ただいま、エマ」
駆け寄ってきたエマの体をしっかりと受け止め、抱きしめる。
彼女の髪の温もりと、村から漂ってくる薪の燃える匂い、そして集会場で用意されているであろう温かいスープの湯気。それらすべてが、私たちが何のために戦い、何のために過去の歴史と向き合っているのかを雄弁に物語っていた。
「みんな、怪我はない……? 奥の調査は、うまくいったの?」
エマが少し心配そうに私の顔を見上げて尋ねる。
私は彼女の頬を優しく撫で、柔らかく、しかし確固たる自信を込めて微笑み返した。
「ああ、大成功だよ。凄く壮大で、そして私たちがどう生きるべきかを教えてくれる最高の調査だった。――ネルソン村長やみんなを集めて、今夜の夕食の時に、これからの私たちの『歩み方』についてゆっくり話すよ」
「……うん! 楽しみに待ってるね」
エマが花がほころぶような笑みを浮かべ、私の手を強く握り返してくれた。
外の世界では、王都の勢力や他のダイバーたちが、遺構の力や宝の奪い合いに躍起になり始めているかもしれない。力だけを追い求める者たちは、やがて過去の文明と同じ罠にハマり、自らの愚かさに呑み込まれていくのだろう。
だが、私たちは違う。
泥に塗れた日常を愛し、隣にいる家族を愛し、過去の過ちを鏡として自らの意思を変革させた私達は、どんな暴風が吹き荒れようとも、決して揺らぐことのない歩みで未来へと進んでいく。
夕日に包まれた最北の村に、今夜も変わらない温かな団欒の灯がともろうとしていた。




