第63話 生活の残影
灰銀色の重厚な回廊を抜ける足音が、金属の床板に静かなリズムを刻んでいた。
先ほど大まかな確認を終えたコアルームや研究室跡を後にした私達は、マップに表示されていた「第三区画」――かつてこの施設で暮らしていた人々が住まっていたとされる居住区画へと、本格的に足を進めていた。
「ハル……ここらへんの部屋は、さっきまでの冷たい機械ばかりの場所とは、どこか空気が違う気がするな」
松明の炎を前方に掲げながら歩くレンが、ふと足を止めて周囲の壁を見上げる。
確かに、通路の構造そのものは継ぎ目のない平坦な金属質で覆われているものの、壁面に埋め込まれた青いラインの光は、幾分柔らかく温かみのある色合いに調光されていた。通路の角には角張った冷たさを和らげるような緩やかな曲面が施されており、ここが作業や戦闘のためではなく、「人が生きるための場所」として設計されたことが肌で感じ取れた。
「ああ。ここは生活区画……古代の人たちが息を抜き、身体を休め、日々を過ごしていた場所だ」
私の言葉に、後ろに続く自警団の男たちが、無意識のうちに息を殺して周囲を見回す。
バノックは大斧の柄を両手で包み込むように持ち直し、どこか神聖な場所に足を踏み入れるかのような慎重な足取りで私の隣に並んだ。
「神々と呼ばれた過剰文明の奴らが、どんな部屋で寝起きしてたってんだ? 正直、金ピカの彫刻や飾りに埋もれた豪勢な部屋しか想像つかんがね」
「どうだろうね。扉を開けてみればわかるよ」
私達は通路の脇に並ぶ、無数の金属扉の一つへと近づいた。
先ほどと同じように、私とバノックが扉の前に並んで立つ。壁面のセンサーが淡く光り、静かな滑動音と共に灰色の金属板がすっと側方へ引き込まれていった。
室内へと足を踏み入れると、天井の細い光の帯が私達の動きに反応してぽつぽつと灯り始める。
「――ほう……」
ヨハンが短く感嘆の息を漏らした。
そこに広がっていたのは、バノックが想像していたような派手で過剰な装飾に満ちた豪華絢爛な部屋ではなかった。
およそ十畳ほどの整然とした空間。中央には滑らかな曲線を描くローテーブルが置かれ、その周囲には身体の形に合わせて柔軟に沈み込む、見たこともない合成素材のソファが佇んでいた。壁際には、備え付けのクローゼットや、半透明なパネルが埋め込まれた読書机らしきスペースが整然と配置されている。
「飾り気はねえが……何だか、妙に落ち着く空間だな」
バノックが恐る恐る太い指先でソファの表面に触れる。
「うおっ……固い金属かと思ったら、皮よりも柔らかいぞ。なんだこの素材は……」
「数千年の時が経っているのに、埃ひとつ積もっていませんね……。空気の入れ替え装置か何かが、今でも静かに働いているんでしょうか」
自警団の若い団員が、感心したように部屋の隅々を見つめている。
私はゆっくりと部屋の奥へと歩みを進めた。机の上には、透明な結晶でできたマグカップのような容器が二つ、並んで置かれていた。片方の容器の底には、かつて淹れられていた飲み物が乾燥して薄い層となった痕跡が残っている。
「……二人暮らし、だったのかな」
私が呟くと、レンが隣に並んでその容器を覗き込んだ。
「二つのカップか。……ハル、あっちを見てくれ」
レンが指し示した先――部屋の片隅の棚には、掌に収まるほどの小さな金属の枠が置かれていた。枠の中には、薄い光の膜が張り付いており、私達が近づくと、そこにぼんやりとした色彩が浮かび上がった。
それは、立体的な肖像画のような記憶画像だった。
見たこともない仕立ての衣服を着た若い男女と、その中央で無邪気に笑う小さな少女の姿。絵筆で描かれた絵画ではなく、まるで本物の人間がその場に閉じ込められているかのような緻密な光の姿。背景には、ホログラム映像で見せられた、あの空を突き抜ける巨大な高層都市と、青々とした人工の庭園が映し出されている。
「姿絵……か? いや、絵筆の跡もねえのに、まるで中に本物の人間が立ってるみたいだ……」
ヨハンが槍の石突を床につき、光の姿絵をじっと見つめた。その眼差しは優しく、そしてどこか切ない。
「どんなに凄い技術を持っていて、空を飛ばす家に住んでいようが……家族と一緒に過ごして笑い合う時間は、俺たちと何も変わらなかったんだな」
「ああ……」
バノックが太い腕を組み、深く息を吐き出した。
「俺はてっきり、過去の過剰文明の連中ってのは、力に溺れた傲慢な奴らばかりだと思ってた。だが……ここで暮らしてたのは、俺たちと同じように今日を愛して、家族を守ろうとしてた普通の人たちだったんだな」
部屋の中に、しんとした静寂が流れる。
過剰なエネルギーの消費によって星の資源を食いつぶし、世界を崩壊の淵へと追いやってしまった古代の人々。彼らは決して悪意に満ちた存在ではなかったのだ。日々の暮らしをより豊かに、家族をより幸せにしようと技術を追い求めた結果、ブレーキの利かなくなった文明のシステムに呑み込まれてしまった――。
壁に飾られた三人の笑顔が、無機質な金属の部屋の中で、確かにここに生きていた命の温もりを力強く主張していた。
*
私達はさらに隣の部屋、アンドその奥の区画へと探索を進めた。
居住区画を進むにつれて、私達の目は数々の「未知の技術」の跡を捉えることになった。
ある部屋には、壁面に埋め込まれた垂直のパネルが存在していた。ヨハンが興味深そうに近づくと、パネルの一部が滑らかに開口し、中から冷涼な風と共に、完璧にろ過された清らかな水が微小な器に満たされる仕組みが動いて見せた。
「水が出たぞ……!? 井戸から縄で汲み上げるでもなく、川から運ぶでもなく、壁から直接透き通った水が湧き出すなんて……」
「こっちの部屋の壁板は、手をかざすとほんのり温かくなるぞ。冬の暖炉代わりに、壁全体から部屋を温める仕組みらしい」
バノックが壁に手を当てて目を見開く。
薪を割り、火を起こし、煙の処理に追われ、冷たい井戸から水汲みに汗を流す私達の村の暮らしから見れば、それは魔法や奇跡と何ら変わらない、隔絶した超科学の恩恵だった。
「凄いな……こんな技術が村にあったら、冬の寒さに怯えることも、水汲みの苦労もなくなるかもしれない」
自警団の団員が羨望の混ざった声を漏らす。だが、レンが静かに首を横に振った。
「だけど……彼らはその便利すぎる力と無限に見えたエネルギーを使いすぎて、すべてを大地の底に埋めることになったんだろ? 技術そのものが悪いわけじゃないが、扱う人間の足元が追いついていなきゃ、ただの毒になる」
「……その通りだね、レン」
私は深く頷いた。
便利さを追い求めるあまり、自分たちの生きる大地の資源を枯渇させ、生活の営みそのものを失ってしまった古代の人々。神々――システムが彼らの文明を凍結し、二度目の世界で中世レベルの停滞を選ばせた理由が、この居住区画の残影を見ることで、より生々しい肌感覚として理解できた。
「ハル、こっちの広場みたいな場所に出たぞ」
先頭を行くヨハンの声に導かれ、私達は居住区画の中央に位置する大きなホールへと出た。
そこは、住人たちが集まって歓談したり、食事を共にしていたと思われる共有スペースだった。中央には枯れ果てた土が敷かれた大きな円形の植え込みがあり、かつては色鮮やかな花々や緑が人々の目を楽しませていたことが伺える。
植え込みの縁の金属ベンチに、私はゆっくりと腰を下ろした。
「……何千年前に、ここで誰かがこうして座って、空を見上げたり話をしてたんだろうね」
「そうだな」
バノックが私の隣にどっかりと腰を落とし、ベンチの長さを確かめるように叩いた。
「俺たちが村の集会場で酒を飲んで、今日の畑がどうだったとか、明日の狩りはどうするなんて話してるのと、きっと大して変わらん景色だったはずだ。……技術がどれだけ進もうが、人の喜びや哀しみ、生きるために必要なものってのは、最初から決まってたんだよ」
「……ああ」
ヨハンも植え込みの縁に寄りかかり、遠い目をして天井の静かな光を見上げた。
「ハル。俺はこの場所に来て、過去の歴史を知れてよかったよ。……遠い先祖たちがここで暮らし、そして滅びを避けるためにすべてを封印して、俺たちに未来を託してくれた。そのバトンを、俺たちがどう受け取るか……それが試されてるんだな」
「私たちが守るべきなのは、便利さそのものじゃない」
私は手帳を開き、居住区画で見つけた未知の構造や安全なエリア、そして残された生活の痕跡を丁寧に書き留めていった。
「私たちが守るべきなのは、この村で培ってきた『人と人との絆』と『自分たちの足で立つ日常』だ。その足枷にならない範囲で、この場所の知識や技術を少しずつ、正しく学び取っていこう」
「ハッ……いい答えだ、ハル」
バノックがニヤリと力強い野性的な笑みを浮かべ、私の肩をガツンと叩いた。
「さあ、男たち! 居住区画の安全確認はこれで十分だ。次はさらに奥の区画への通路と、安全な作業ルートの確保に取りかかるぞ! 暗くなる前に村へ戻って、エマの美味いスープを食うためにな!」
「「おーっ!!」」
自警団の男たちが、威勢の良い歓声をあげて応える。
未知の超科学が眠る冷たい金属の遺構の中に、私達が持ち込んだ泥臭くも温かい生きる熱気が、確かに響き渡っていた。
数千年の時を超えて、過去の人々が暮らした痕跡と、今を生きる私達の足音が、静かに交差していく――。




