第62話 過去の調査
灰銀色の門の向こう側で私達が目撃した「神々の過去」と、異邦人と現地人が揃わなければ先へ進めないという厳格な仕組み。その驚くべき事実が最北の寒村へと持ち帰られてから、村の空気は少しずつ、しかし確かな熱を帯びて変わり始めていた。
だが、私達に浮かれ気分の暇はない。
世界の歯車が再び動き出した今、私達が真っ先に向き合うべきなのは、未知の遺構の奥底に眠る歴史の真実を調査することであると同時に、足元にある「自分たちのささやかな日常」を絶対に絶やさないという強い意思だった。
「――よし、今日の午前の割り振りはこれでいこう」
村の中心にある広場。木製の大きな掲示板の前で、私は村の自警団や主要な男たちを集めて声を張った。
あれから私達は「深淵の口」の本格的な構造調査を進めるため、大勢での隊を組織することに決めていた。前回は少数精鋭による安全の確認と門の条件の検証が目的だったが、今度は本格的な構造調査と解析を進めるため、大勢での隊を組織する必要がある。
しかし、だからといって村の生命線を疎かにするわけにはいかない。
「北西区画の畑の溝さらいと、冬に向けた越冬作物の収穫はこれまで通り最優先だ。カイ、お前は自警団の半数を率いて村の周辺警備と農作業のサポートに回ってくれ」
「任せてください、ハルさん! 村の胃袋を守るのと、村の安全を固めるのが俺たちの仕事ですからね。調査隊の連中が安心して奥へ行けるよう、ここは完璧に守り抜いてみせますよ」
若手の自警団員であるカイが、頼もしく胸を叩いて頷いた。
村の防衛や畑仕事などの日常的な作業を一切怠らないこと。それが、私達が掲げた大前提のルールだった。どれほど壮大な神の試練や世界の謎が待ち受けていようとも、今日を生きるためのパンや、暖を取るための薪がなければ意味がない。村の男たちも農民たちも、その方針に異を唱える者は一人もいなかった。
「で、だ。肝心の『深淵の口』の調査に向かう部隊の編成だが」
私の言葉に、バノックが腕を組みながら不敵な笑みを浮かべて一歩前に出た。
「そっちは俺とヨハン、レンに任せな。村の防衛に支障が出ねえ範囲で、動かせる屈強な男たちを十人ほど引っ張ってきた。全員、斧や投槍の扱いには自信がある連中だ」
「ああ。今回はコアルームだけじゃなく、途中にあった分岐や小部屋も一つずつ確かめていく。何があるか分からんからな」
ヨハンが槍を肩に担ぎながら頷く。
今回は村の防衛人員をしっかりと残した上で、およそ十五名ほどの調査部隊が編成されることになった。
その時、広場の端からトコトコと足音が響いてきた。
「ハルさん、みんな、お疲れ様です!」
振り返ると、小麦色の豊かな髪を揺らしながらエマが歩いてきていた。彼女の手には、麻布に包まれた大きな木の箱が抱えられている。
「エマ、どうしたんだ?」
「これ、今日の調査隊の皆さんに持っていってもらおうと思って。保存肉の干し肉と、ライ麦の硬質パンを焼き直したものです。奥の空間は冷えるって聞いたから、温かいハーブティーを入れた水筒も持たせました」
エマはそう言って、私にどっしりと重い差し入れの箱を手渡してくれた。その紫紺の瞳には、夫である私だけでなく、村から出撃する全員への深い気遣いと温かな信頼が宿っている。
「ありがとう、エマ。みんな、エマからの差し入れだそうだ」
「おおっ! 女将さん、ありがてえ! あの冷える金属の回廊を歩くとき、温かいお茶と干し肉ほど心強いもんはねえよ!」
バノックが豪快に笑い声を上げ、自警団の男たちも口々に感謝を述べる。
私達は温かい気持ちを抱きながら、最北の雪原を抜け、再び「深淵の口」の巨大な門の前へと向かった。
門の前へ到着すると、私達は手際よく陣形を整えた。
私が端末へ手をかざし、同時に背後にバノックやヨハン、自警団員たちが寄り添う。
――ウィイイイイイイイイイ……ン。
私達の存在が同時に感知されたことで、灰銀色の巨大な門が重い駆動音を響かせて滑らかに左右へと開き始めた。
「おお……! 本当に、門が勝手に開いたぞ……!」
「すげえ……石を積んだわけでもないのに、この滑らかな開き方は何なんだ……」
初めてこの場に訪れた自警団の男たちが、目の前で稼働する超科学の扉を見て圧倒され、息を呑みながらどよめく。
「感心するのは中に入ってからだ。気を抜くなよ、何が出るか分からないからな」
ヨハンの引き締まった声に、男たちがハッと気を取り直し、それぞれ武器を構えて足を踏み入れた。
私達は青い回路がほのかに光る金属回廊へと足を踏み入れた。
やがて私達は、再び円形の巨大な空間——「コアルーム」へとたどり着いた。
中央に鎮座する漆黒のコンソールは、私達が前回触れた時の名残か、微かに青い脈動を繰り返しているように見える。
「二度目とはいえ、やはり圧倒される空間だな……」
バノックが周囲の広大さと、天井まで続く幾何学的なパネルの群れを見上げて、低く呟いた。
同行した自警団の男たちも、神殿を思わせるその異様な空間の前に圧倒され、自然と私語を控えて静まり返っている。
「ハル、どうする? 前回同様、またあの端末を操作するのか?」
ヨハンが槍を構えたまま、中央の台座に視線を向ける。
「ああ。前回は私達だけで過去の記録の概要を見ただけだったが、今回は人数もいる。この部屋の端末から、もう少し詳しいこの遺構の構造や、他の場所についての情報が確認できるはずだ」
私は頷き、皆に見守られながら中央の漆黒のコンソールへと歩み寄った。
天板の窪みにそっと手のひらを重ねる。
――プスン……ッ。
微小な空気の抜ける音と共に、コンソール全体が柔らかな青白い光を放ち始めた。
前回の時のような激しい過去視のホログラムではなく、今回は目の前の半透明な光のパネル群に、無数の細かい図面や、この大陸全体の地図のようなものが次々と描き出されていく。
「おっ……! 何か出てきたぞ……!」
レンが身を乗り出してパネルを覗き込む。
そこに浮かび上がっていたのは、「深淵の口」の地下深くに広がる幾重もの階層構造のマップだった。
「……これって、地図……だな?」
「ああ。恐らくこの正体不明の施設の全体図だな。この光点が、私たちが今居るコアルームなのだろう」
古代語の文字を直接読むことはできないが、コンソールから伝わる視覚的なデータによって、そこに記された意味が私達の頭の中に直感的に理解できた。
(――警告。第3区画:未処理の環境制御データあり。第5区画:旧世代防衛機構、一時休眠中……)
脳裏に響く静かなシステムの声。
それは、この「深淵の口」が単なる遺跡ではなく、今なお稼働を続けながら私達「降臨者」と「現地人」の接触を待っていた、巨大な管理施設のほんの一部分に過ぎないことを物語っていた。
「ハル……どうやら、ここはただの入り口にすぎないみたいだな」
バノックが頼もしい笑みを浮かべる。
「そうですね。だけど、私達は自分たちのペースで進もう。一気に遠くを狙うのではなく、まずはこの『深淵の口』の安全を確保し、村の暮らしと守りを固めるためにこの知識を役立てていくんだ」
「ああ、それがいい。焦って足元を疎かにしちゃ意味がねえからな」
仲間たちが力強く頷き合う。私達はまず、施設全体の地図と階層データをしっかりと記憶と手帳に記録した。
「よし、コアルームで全体像は掴めた。だが、今日はこれで終わりじゃないぞ。ここへ来るまでの回廊の脇に並んでいた、閉ざされた小部屋群を順番に調べていこう。まだ日暮れまでには十分時間がある」
「そうだな。 何があるか、じっくり見て回ろう」
私達はコアルームを後にし、回廊の脇に並んでいたいくつかの金属扉――「小部屋」の調査へと着手した。
最初に向かったのは、回廊の西側に位置する長方形の比較的小さな部屋だった。
私とバノックが扉の脇にあるパネルへ歩み寄ると、コアルーム同様、私達が揃って立つことで静かな効果音と共に金属扉が滑らかにスライドした。
「……部屋の中に明かりが点くぞ」
私達が踏み込むと、天井の細いラインがほのかな白い光を放ち、部屋の中を明るく照らし出した。
そこに並んでいたのは、硬質素材で作られた幾つもの机と、壁一面に設置された棚のような空間。金属や透明なケースのようなものが整頓されて並んでおり、かつてここで古代の人々が何らかの記録や作業を行っていた「研究室」あるいは「執務室」のような雰囲気を感じさせた。
「棚に何か平たい板みたいなのが並んでるな……紙の本じゃなさそうだが、記録の類か?」
レンが棚のケースを覗き込みながら呟く。
「おそらくそうだろうね。すぐには読み解けそうにないが、古代の知識が眠っているのは間違いなさそうだ」
続いて向かい側の部屋の扉を開けると、そこは先ほどよりも一回り広く、巨大な金属筒や密封容器らしき物体が整然と並ぶ「倉庫」のような空間だった。
「これは……物資の保管庫か?」
ヨハンが慎重に金属筒の表面を検分する。
「冷気が漏れてるわけじゃないが、中の気密性は保たれていそうだな。ガラスの隙間から見ると……何か作物の種か、小さな道具の部品らしきものが収められているように見える」
「神々の時代の物資か……。へたに今すぐこじ開けるより、道具を揃えてから本格的に改めた方が良さそうだな」
バノックが大斧を肩に担ぎ直し、慎重に頷く。
さらに奥の小部屋へ進むと、簡素な家具らしきものが配置された「居住区画」と思われる部屋も確認できた。
今回は無理に棚や容器を破るような真似はせず、「どの部屋に何が収められているか」を手帳の地図に細かく書き留めていくにとどめた。研究室跡、備蓄倉庫、居住スペース――かつてここで人々が暮らし、活動していた生活の痕跡と、未だ手つかずの物資が確かにそこに存在しているという認識を、私達は共有した。
「よし、各小部屋の配置と大まかな構造は把握できたな。どの部屋にどんな保管容器があるかも記録できた」
「ああ。中身の精査や持ち出しは、次回道具や準備を整えてからじっくりやるのが確実だな」
ヨハンの言葉に、自警団の男たちも深く頷く。
「よし、それじゃあ次の区画の通路の確認へ移ろう。日暮れまでの時間を有効に使って、まずはこの階層全体の安全と構造を完璧にしていくぞ」
「おう!」
自警団員たちの頼もしい返事が、静かな金属の回廊に響き渡る。
確かな手応えと新たな疑問を胸に抱きながら、私達は「深淵の口」の更なる奥へと、油断なく足を進めていったのだった。




