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第60話 過去の記憶

開かれた灰銀色の重厚な門。その隙間から溢れ出ていた強烈な冷気と圧迫感は、ロックが完全に解除されたことで、まるで潮が引くようにすっと和らいでいった。


「……空気の重みが変わった、か……?」


バノックが大斧を両手で固く握りしめたまま、低い声で呟く。

先ほどまで胸の奥を直接締め付けていたような「魔力」による理不尽な威圧感は姿を消し、代わりに静謐で冷涼な空気が通路を満たしていた。


「あんなに生き物の気配を嫌っていたのに、門が開いた途端に静まり返るなんてな……。まるで、客を招き入れるための館みたいだ」


ヨハンが慎重に槍の穂先を前に向け、足元を確かめるようにして一歩を踏み出す。

レンも私の隣で息を整え、松明の火を前に掲げながら頷いた。後方では、数名の自警団員たちが緊張した面持ちで左右の壁面や天井に警戒の目を光らせている。


「後方も異常なしです、バノックさん……ですが、気味の悪い静けさですね」


「ああ、油断するなよ。行こう、ハル。ここから先が、この『深淵の口』の本番だ」


私たちは無言で頷き合い、整然と陣形を保ちながら門の向こう側へと足を踏み入れた。


内部の構造は、中世の城や天然の洞窟などとは根底から異なっていた。

足元は一切の凹凸もない平坦な漆黒の金属板で覆われており、私たちが進むのに合わせて、壁面に刻まれた細い青いラインが次々と仄かな光を放っていく。非常用の電源か、あるいは侵入者を感知したインフラが自動応答しているかのようだった。


「凄いな……石を積み上げたわけでも、木を組み上げたわけでもない。こんな巨大で継ぎ目のない建物を、どうやって作り上げたんだ……」


レンが手袋越しに壁面へ触れ、感嘆と畏怖の混ざった息を漏らす。

ヨハンもあまりの滑らかさに「傷ひとつ付かん……」と舌を巻いた。後ろの自警団員たちも、見たこともない無機質な金属回廊の光景に息を呑み、固く足並みを揃えて歩みを進めている。


途中に部屋らしき空間や幾つもの分岐が存在したが、徘徊する魔物の姿も、動くセキュリティの気配も存在しなかった。ただ無音の静寂と、冷たい金属の質感がどこまでも続いていく。

暗闇を照らす松明の橙色の光と、壁面を走る淡い青の回路光。二つの異質な光が混ざり合い、私たちの影を滑らかな壁面へと長く引き伸ばしていた。


「……静かすぎるな。まるで時代そのものが、ここで止まっているみたいだ」


バノックの重厚な足音が規則正しく響く。戦闘が起きないことへの安堵と、だからこそ増していく正体不明の緊張感が、全員の呼吸を自然と深く重いものにさせていていた。


「ハル、前方に広い部屋があるぞ」


先頭を行くバノックの声に、私たちは視線を向けた。


開け放たれたアーチ状の曲面を抜けた先には、円形の巨大な空間——「コアルーム」と呼ぶにふさわしい、中央制御室のような部屋が広がっていた。


部屋の中央に鎮座していたのは、滑らかな曲線を描く巨大な漆黒の台座。そしてその周囲を取り囲むように、幾つもの半透明な光のパネルや、幾何学的な端末(コンソール)が佇んでいた。天井は高く、どこか聖域の神殿を思わせる静謐さに満ちている。


「これは……何なんだ? 神殿の祭壇……にしては、いささか無機質すぎるな」


ヨハンや同行した自警団員たちが警戒しながら周囲の安全を確かめるため散開する。

バノックとレンも武器を構えたまま部屋の隅々を見渡すが、やはり敵対的な存在の気配はない。そこにあったのは、ただ数千年の眠りについたかのような圧倒的な静寂だけだった。


私は吸い寄せられるように、中央の漆黒のコンソールへと歩み寄った。

天板の中央には、あらかじめ用意されていたかのように人間の手のひらに似た小さな窪みが刻まれている。導かれるようにそっと手を重ねると、微小な振動と共に中央の台座が一際強く輝き始めた。


「な、なんだ!? 光が……!?」


バノックや自警団員たちの驚愕の声と同時に、部屋全体の明かりがふっと落ち、中央の台座から青白い光の粒子が部屋全体へと一気に広がり移し出された。


それは単なる文字の羅列ではなかった。

光の粒が集まり、空間そのものを塗り替えていく。立体的なホログラム映像が部屋全体を包み込み、まるで私たちが「過去の記憶の只中」に直接立ち会っているかのような、圧巻の過去視の光景だった。


『——警告:過剰文明凍結記録再生——』


脳裏に響く無機質なシステム音声。

それと同時に、私たちの眼前に、雲をはるかに突き抜ける超高層の金属建造物群と、その間を幾重もの光の軌跡を描いて交錯する謎の飛翔体、そして地上を満たす結晶構造の巨大な魔力炉が浮かび上がった。


空には巨大な浮遊都市がいくつも立ち並び、夜をも太陽のように照らす無尽蔵の光。人々は労働から解放され、魔力から生み出された自律機械の手によって何不自由ない繁栄を極めていた。

現地の住人である自警団の誰も見たことがない、まさに「神々の時代」と呼ぶに相応しい超科学と過剰な魔力が融合した輝かしい未来文明の姿。


「な、なんだこの街は……!? 空を……家や街が飛んでいるのか……!?」


ヨハンが息を呑み、自警団の者たちも目を大きく見開いて光の光景を見上げている。


だが、その圧倒的な栄華の景色は、やがて惨劇へと変貌した。

無限に見えた星の魔力と自然資源が底を突き、巨大な魔力炉が激しい亀裂を立てて大爆発を起こす。空に浮かんでいた都市は黒煙を上げて大地へと墜落し、天を衝く高層ビル群は崩壊の連鎖を起こして灰燼に帰していった。

過剰な力によって大地が割れ、空が禍々しい赤紫に染まり、都市が自らの生み出したエネルギーの暴走によって飲み込まれていく凄惨な光景。そして、世界の完全な滅びを避けるため、生き残った古代の人々が苦渋の決断を下し、すべての文明と技術を深く大地の底へと封印し、固く蓋をする悲壮な姿が映し出された。


「くっ……! 先祖たちは……自分たちの手で世界を壊しかけて、すべてを封印したのか……!?」


バノックが顔を歪め、自警団の者たちも圧倒的な惨劇の光景に絶句して身構える。

そして破滅と封印の映像が去った後、最後に空間へ映し出されたのは——私のような異国の姿をした「降臨者」たちがこの世界に降り立ち、現地の人々と手を取り合い、泥に塗れながら共に生きている光景だった。


『——検証記録:外部異世界より初の「降臨者」召喚プログラムを発動——』


『——世界の「再動」に伴い、地上の継承者と共に向き合う試練のシークエンスを開始する——』


光の粒子が静かに収束し、部屋には再び静寂と壁面のラインの明かりだけが戻った。


あまりにも壮大で悲壮な過去の記録。

古代語の文字が読めないバノックも、レンも、ヨハンも、そして自警団員たち全員が、今目の前で繰り広げられた光景の大まかな真実を、その肌と心で直感的に理解していた。


「……そう、だったのか……」


バノックがゆっくりと大斧の石突を床に突き立て、重い息を吐き出した。


「過去に世界は一度滅びかけ……神々はすべてを大地の底に封印した。……そして今、その封印を解いて止まっていた世界を動かすために、神はお前たち『降臨者』を初めてこの世界に呼び寄せたってことか……」


「ああ……」


レンが自らの手袋を見つめ、ゆっくりと私の方を振り返る。


「俺たちが呼ぶところの……『異邦人』であるハルたちがこの世界に現れたのは、ただの気まぐれなんかじゃない。神が初めてこの世界に招き入れた新しい風だったんだな」


「ハル……」


ヨハンが私を見つめた。自警団の仲間たちの瞳にも、かつて外から来た者たちに対して抱いていた微かな恐れや警戒は微塵もなく、ただ深い納得と確かな信頼が宿っていた。


「お前たちが俺たちと一緒に泥まみれになって畑を耕し、薪を割り、寒さに耐えて生き抜いてきた日々……あれもすべて、神の遺した試練の前に立つための、大切な時間だったんだな」


「ヨハンさん……バノックさん、レン、みんな」


私は胸の奥から押し寄せる熱い感情を抱きしめ、集まった調査隊の全員に向かって強く、力強く頷いた。


「私たちが過ごしてきた毎日は、決して無駄じゃありませんでした。神が初めてこの世界に招いてくれた『降臨者』として……そして、この村の大切な『異邦人』として、私たちは逃げずにこの未来に向き合っていかなければならないんです」


「フッ……違和感ねえな」


バノックが太い腕を組み、口元にいつもの頼もしい野性的な笑みを浮かべた。


「どんな大昔の過去があろうが、俺たちが守るものは最初から何一つ変わらん。村と、家族と、みんなで汗を流して築いてきた愛おしい日常だ。神が世界を動かそうってんなら、俺たちは自分たちの足でしっかり地を踏みしめて歩んでいくだけだ」


「ああ! 村へ戻ろう、ハル。ネルソン村長やエマ、みんなに、この世界の本当の姿を伝えなきゃな!」


レンが力強く私の肩を叩き、自警団員たちも力強く頷いてくれた。


過去の記憶の大枠を共有したことで、言葉を超えた私たちの絆はより一層強固なものとなった。

静かに脈動を続けるコアルームを背に、私たちは確かな希望の足取りで、光の射す地上へと引き返していった。

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