第3話 平穏を守るための完全隠蔽
「……よし。データの隔離と暗号化は完了だな」
翌日の早朝。自分の部屋でパソコンの画面を見つめながら、静かに息を吐いた。
昨日の放課後、天宮凛から預かった……いや、半ば脅迫の形で手に入れた彼女の裏アカウントと暴走時の映像データ。
これらは自分の端末のローカルストレージから切り離し、三層の暗号化を施した別ルートのクラウドへ移管した。
心停止時の自動送信シークエンスは解除し、日常的なリスク管理ラインに組み込んで保護する。これで彼女の失態が外部へ流出する恐れはゼロだ。
「契約者への約束は果たす。それがプロの仕事ですからね」
モニターを閉じ、自分は学校へ向かう準備を整えた。
契約は結ばれた。だが——まだ、片付けるべき火種が一つ残っている。
画面の端で点滅する、事前解析データのウィンドウ。
凛の裏アカウントへ執拗に誹謗中傷を送りつけ、彼女を精神的な限界まで煽り立てていたIPアドレスの特定が、すでに完了していた。
◇
「ねえねえ天宮さん! 一昨日の旧校舎の騒ぎ、本当にただの配電盤の事故だったの?」
「ええ、本当よ。心配かけてごめんね」
昼休み、廊下の窓際で同級生たちに囲まれる天宮凛。
一昨日の今日だというのに、彼女はいつもの笑顔で生徒会役員としての顔を演じきっていた。指先のかすかな震えも、今日はもうない。
(……感心しますね。あのメンタルの切り替えの早さは評価できます)
自分の席からその光景を横目で確認しつつ、配膳された給食のコッペパンを口に運ぶ。
約束通り、校内ではお互い完全に赤の他人だ。自分が彼女の方を見ることもなければ、彼女がこちらを意識することもない。
だが、その輪から少し離れた位置で、スマホを片手にニタニタと嫌らしい笑みを浮かべる男子生徒が一人。
二年B組、佐々木。
自称・校内ジャーナリスト。SNSや動画配信サイトで他人のスキャンダルを晒して再生数を稼ぐ悪質ゴシップマニアだ。
自分は制服のポケット越しに、小型端末の画面をチラリと手元で確認する。
校内のフリーWi-Fiを経由してパケットログを照合——佐々木のスマホ端末が今まさに開いている暗号化通信のヘッダー情報と、今朝特定した『誹謗中傷アカウント』のセッションIDが、寸分違わず一致した。
さらに、彼が一昨日の旧校舎付近で手のひらサイズの超静音マイクロドローンをこっそり飛ばし、物陰から隠密撮影した四K動画ファイルを下書き保存している通信ログまで、リアルタイムで手元の画面に吸い出されていく。
(……ビンゴですね。決定的なエビデンスが揃いました)
自分は給食の牛乳を飲み干し、静かに席を立った。
「自分の放課後のゲーム時間を奪おうとする害虫は……早急に駆除するとしますか」
◇
放課後。校舎裏の物置の陰。
「へへっ……ついに撮れたぞ。あの優等生が異能の暴走で泣き叫んでる激レア映像……! これを匿名掲示板と動画サイトに流せば、バズること間違いなしだな……!」
人気のない物置の陰で、佐々木はスマホの画面を覗き込みながら、顔を歪めて悦に浸っていた。
「残念ですが、その動画は一生日の目を浴びることはありませんよ、佐々木くん」
「うわっ!? 誰だ!?」
物陰から静かに姿を現した自分に、佐々木は露骨に不快そうな顔を向けた。
「なんだお前……? びっくりさせんなよ。……確か同じクラスの……誰だっけ? 何の用だよ」
「単刀直入に言います。そのスマホの中にある一昨日の映像データ、および過去にあなたが天宮凛さんの裏アカウントへ送った嫌がらせのDM履歴。……たった今、自分の端末からあなたのストレージと同期クラウドへアクセスし、復元不可の完全フォーマットを実行させてもらいました」
佐々木は一瞬目を見開いたが、慌てて自分のスマホを操作し、青ざめた。
「は……!? な、なんだこれ……!? 動画も、アカウントも……消えて……っ!? ふざけるな、バックアップは別の外部ドライブにも——」
「そちらも、ここへ来る前にご自宅のローカルネットワーク経由でデータを上書き・消去済みです。……まだ何か確認したいログはありますか?」
「な……ななな、なんでそれを……っ!?」
カチリ、と頭の中のスイッチを切り替える。
オドオドとした『気弱なモブ』の気配が霧散し、物置裏の空気が一瞬で凍りついた。
自分はポケットから数枚の印刷された紙を取り出し、佐々木に見せつけた。
「これはあなたが動画サイトで運用している裏アカウントのアクセスログ。そして、過去に他校の女子生徒の個人情報を晒して炎上させた際のIPアドレスの解析結果です。……それと、あなたが先月、親御さんのクレジットカードを勝手に使ってゲームに三十万円課金した明細データですね」
「っ……ふざけるな! 脅迫かよ! お前みたいな無能力者のヒョロガリに、何ができるって——」
激昂した佐々木が自分の胸ぐらを掴もうと手を伸ばした、そのとき。
「——私の『指揮者』に、汚い手で触らないでくださる?」
背後から掛けられた冷ややかに澄んだ声。同時に、佐々木の首筋をチクッと刺すような静電気。
佐々木が悲鳴を上げて振り返ると、そこにはいつのまにか夕日を背にして天宮凛が立っていた。
彼女が細い指先をすっと向けると、大気中の励起現象によって周囲の空間がゆらりと歪み、強烈なオゾン臭とともに極小の過熱プラズマが発生する。単なる電気刺激ではなく、一瞬で物体を分子レベルで分解しかねない熱と圧の前兆。
佐々木の髪の毛がふわりと逆立ち、肌の毛穴が一斉に収縮するような悪寒が物置裏を支配した。
「あ……あ……天宮……さん……!?」
「私の護衛対象に危害を加えようとするなら……容赦はしないわ」
見えない超高温プラズマの圧に晒され、佐々木は恐怖のあまりガタガタと膝を震わせ、その場に尻餅をついた。
「ひ……ひぃいっ……!? なんで……なんで天宮さんが、こんな影薄い奴の……!?」
「交渉成立ですね」
自分は冷徹な笑みを浮かべ、腰を抜かした佐々木を見下ろした。
「全データの完全消去と復元不能化は完了しています。あとは、自分が握っているあなたの社会的致命傷を公表されるか、それとも学園最強の異能で存在ごと蒸発させられるか。……好きな方を選んでください」
「助けてくれぇぇぇっ!! 二度と何もしません! 誰にも言いませんから許してくださいぃぃっ!!」
涙目になった佐々木は、平伏するように地面に頭を擦り付けた。
「……よし。反省の意は確認できました。では佐々木くん、明日は何事もなかったかのように笑顔で登校してくださいね。二度と天宮さんにも、自分にも関わらないように」
脱兎のごとく逃げ出していく佐々木の背中を見送り、自分は小さく息を吐いた。
◇
「……ふぅ。これでミッション完了です」
「お見事ね、影原くん。ううん……『コンダクター』」
凛は纏っていたプラズマの圧を消すと、少し照れくさそうに静かに吐息をついた。
「私の暴走の原因の一つまで綺麗に消してくれるなんて……その、ありがとう。……本当に頼りになるわね」
照れ隠しのように小さく咳払いをすると、彼女はいつもの調子を取り戻すように胸を張った。
「ふふっ、これで私の生徒会役員としての面目も完璧に保たれたわ! 流石は私の選んだ相棒ね!」
「言ったでしょう。自分の平穏な日常を守るためです。これで事故の痕跡も、原因も綺麗に揉み消せました。明日からも平和な学校生活が送れます」
自分は満足げに頷いた。
これで警察の介入も、学校の混乱も防げた。放課後に自宅で心置きなく新作ゲームをプレイする平和が、しっかり担保されたのだ。
「ふふ、頼もしいわ。じゃあ契約通り、これからも私のメンタルケアと護衛、よろしく頼むわね! 相棒!」
バシィッ!!
「ぐほっ……!?」
「あっ……!? ご、ごめんなさい! また嬉しくて加減を……っ!」
(……忘れていた。事故の隠蔽は成功したが……この『学園最強の物理兵器』が自分のバディになったこと自体が、最大の危険リスクなのだと……)
背中に走る激痛に耐えながら、自分は沈みゆく夕日を仰ぎ見るのだった。




