第2話 裏方リスクコンサルタント『コンダクター』
朝の教室は、相変わらずくだらない熱気に満ちていた。
「見たか? 昨日の夕方、旧校舎の近くでバチバチすごい音がしたらしいぜ」
「マジ? また異能者の暴走事故か?」
「いや、でも生徒会が『ただの配電盤の故障』って発表しただろ。天宮さんも笑顔で否定してたし」
窓際の席で、自分は教科書に視線を落としたまま、静かに息を潜めていた。
……よし。隠蔽は完璧だな。
警察の介入なし。学校の処分なし。ネット上の噂も、あらかじめ仕込んでおいた自動削除プログラムで拡散前に特定・消去済み。
自分の狙い通り、世界は何事もなかったかのように平穏な日常を紡いでいる。
「……すみません、ちょっと通してください」
プリントを配る委員に気弱な声をかけ、身体を縮めて道を譲る。
どこにでもいる、影の薄い中学二年生。それが表の『影原陸』だ。誰の記憶にも残らず、誰の警戒心も煽らない。この目立たない『保護色』こそが、自分の平穏を守る一番のバリアだった。
廊下の方を見やると、女子生徒たちに囲まれた天宮凛が、いつもの眩しい笑みを浮かべて談笑している。
学園のアイドル。完璧な優等生。
だが、その指先がかすかに震えているのを、自分は見逃さなかった。
まあ、これで終わりだ。関わり合いになることも、二度とない。
——そう思っていた時期が、自分にもありました。
◇
放課後。
日課の屋上へ向かうと、施錠されているはずの鉄扉の鍵が開いていた。眉をひそめつつ、風に当たろうと扉を押す。
ギィ、と重い鉄扉が開いた先。
誰もいないはずの屋上中央に、一人の少女が背を向けて立っていた。
夕日に照らされた綺麗な黒髪が、風に揺れる。
天宮凛だ。
「……あ、あの……天宮さん? ここ、立ち入り禁止じゃ……」
自分はいつもの「気弱なモブ」の演技で、おどおどと身を引こうとした。
しかし、彼女が振り返った瞬間、その目を見て足が止まる。
笑っていない。
学園で見せる偶像の笑みではなく、射抜くような鋭い眼光。
「待っていたわ、影原陸くん。……生徒会の名簿を、片っ端から調べさせてもらったの」
「え? 自分……何かしましたか……?」
「とぼけないで」
じわ、と大気が焦げる独特なオゾン臭が漂い、彼女の周囲の空間が微かに歪む。
黒髪がふわりと立ち上がり、肌をチクチクと刺すような高圧の静電気が屋上全体に満ちていく。超高出力の雷系異能。昨日、旧校舎を吹き飛ばしかけたあの力だ。
「昨日の夕方。暴走しかけた私の前に現れ、わずか十秒で私を無力化した男。……そして、私の暴走の痕跡を防犯カメラからネットの目撃情報まで消し去った、謎のハッカー」
凛が一歩、踏み込んでくる。
「声のトーンを変えていたけれど、立ち振る舞い、匂い、そして緊張したときに右のポケットを探るその癖。誤魔化せると思わないで。……あなたね? 噂の——裏で『コンダクター』なんて名乗っている人は」
無意識の動作で見抜かれたのか。不覚だった。
自分は小さく息を吐いた。
これ以上、気弱な中学生のふりを続けるのは時間の無駄だ。
カチリ、と頭の中でスイッチが切り替わる。
◇
「……ふぅ。学園のアイドル様に屋上で待ち伏せされるなんて、男子なら歓喜するシチュエーションなんですけどね」
自分の口から出たのは、先ほどまでのオドオドした気弱さとはかけ離れた、一切の感情が削ぎ落とされた静かな声だった。
「え……?」
「あいにく自分、校内への『危険物の持ち込み』は校則違反だと思うタイプでして」
自分はゆっくりと屋上のドアを閉め、鍵をかけた。逃げ道を塞ぐためではない。外部の人間を入れないためだ。
「せっかくあなたが『清廉潔白な生徒会役員』のまま今日を終えられたのに、自ら藪蛇をつつきに来るとは感心しませんね、天宮さん」
「な、なによその余裕……! あなた、やっぱり昨日——」
「まあ、怒る前に落ち着いてください。そのピリピリした電撃で自分の前髪が焦げたら、損害賠償を請求しますよ?」
自分は淡々と距離を詰めた。
まだ攻撃の予備動作はない。こちらの腕力は、ただの中二男子だ。しかし、一歩踏み出すごとに、凛の表情から余裕が消えていく。
「あなたの瞳の揺れ、脈拍の速さ、それと……握りしめた拳の微かな震え。わざわざ自分を問い詰めにきた理由はひとつしかありません」
「……なんですって?」
「『助けを求めにきた』……そうですよね?」
ピクッ、と凛の眉が跳ねた。
「『天宮凛』を演じ続けるプレッシャー、親からの期待。積み重なったストレスで異能が暴走し、あわや自滅寸前だった。……違いますか? あなたの端末の検索履歴、『異能 抑制』とか『精神科 秘密厳守』ばかりでしたし」
「っ……! なぜそれを……!」
「自分、お客様のニーズを把握するのが得意でして。……要するにあなたは恐ろしいんです。また暴走して理想の自分を失うのが。だから昨日あなたを見事に制圧し、隠蔽してみせた『コンダクター』に縋りに来た」
「〜〜〜〜っ! 違う、私は……っ!」
凛は激昂し、全身に密度の高い紫電を爆発させるように纏わせた。
一触即発。直撃すれば自分など一瞬で炭と化す。
だが、自分は表情ひとつ変えず、微動だにしなかった。
「どうぞ、遠慮なく黒こげにしてください。もっとも——自分が心停止した瞬間、クラウドからあなたの『恥ずかしい裏アカウントと暴走映像』が全校生徒と警察に一斉送信されますが。……あ、送信キャンセル料は無料ですよ?」
「……くっ……! 最悪の男ね……!」
重圧とともに渦巻いていた電撃が、悔し涙とともに消え去る。
凛は膝から崩れ落ちそうになりながら、自分を睨みつけた。
「脅迫して……私をどうするつもり……?」
「誤解しないでください。自分は脅迫ではなく『ご提案』をしに来たんです」
自分は腰を落とし、彼女の目線に合わせると、親身な面持ちで語りかけた。
「自分はあなたの秘密をバラす趣味もありませんし、世界を救うなんて面倒な野望もありません。ただ……自分の平穏な日常を守りたいだけです」
「平穏……?」
「ええ。あなたが校内で大爆発を起こして警察が来たら、自分まで事情聴取や補習で放課後のゲーム時間が奪われる。それは非常に困るんです」
自分は懐から、一枚の電子契約書が表示されたスマホを取り出して提示した。
「自分は完全な無能力者です。今後、あなたのように暴走するトラブルメーカーが現れた時、いちいち命がけで止めるのはコストに見合わない」
「だから……私に何をしろっていうの?」
「自分の『盾』になってください」
自分は一切の躊躇なく、営業用の笑顔を貼り付けたまま、冷徹に言い放った。
「表では今まで通り『学園のアイドル天宮凛』を演じること。裏では自分が指名したトラブルの護衛および物理的な実行部隊として動くこと。……条件はそれだけです。その代わり、あなたのメンタルケアと異能暴走の隠蔽は、自分が一生保証しましょう。……どうです? 悪くないアフターサービスでしょう?」
「……護衛……私が、あなたの?」
「学園最強のあなたが自分の味方につく。自分にとっても、これ以上の安全保障はありません」
凛は呆然とスマホの画面と、自分の顔を交互に見つめた。
脅迫されているはずなのに。追い詰められているはずなのに。
彼女の瞳に浮かんでいたのは——心の底から救われたような、奇妙な安堵の色だった。
「……ふふ。ほんと、食えない人」
凛は自嘲気味に笑うと、乱れた髪を耳にかけた。
「私を脅していいように使うくせに……『保証する』なんて言われたら、断れないじゃない」
彼女はスマホの画面に自分の指を重ね、電子署名を完了させた。
「契約成立よ、コンダクター。……せいぜい学園最強の護衛に守られる安心感を味わいなさい」
「助かります。では天宮さん、明日からは通常通り『影の薄い同級生』として接してくださいね。校内ではお互い赤の他人のふりを——」
「ええ! 任せて! じゃあさっそく、私の護衛対象として信頼関係を深めましょう!」
バシィッ!!
「ぐはっ……!?」
契約成立の安堵からか、破顔した凛が力任せに自分の背中を叩いた。
強烈な衝撃。肺の空気がすべて吐き出され、自分はその場に膝をついて激しく咳き込んだ。
「えっ!? か、影原くん!? どうしたの!?」
「……あ、あなた……忘れないでください……自分、体育の体力テスト……女子平均以下の、ただのもやし中学生だって……」
「ご、ごめんなさい! 嬉しくて力を加減するの忘れてた……っ! しっかりして影原くん! 死なないで!?」
学園最強の護衛を得た。だが、自分の平穏と生命が脅かされるリスクは……むしろ上がったかもしれない。
契約成立の達成感も束の間。
己の物理的な脆弱さと、バディの無自覚な加減のなさに、自分は夕空を見上げながら深く脱力するのだった。




