第八十三話 分解
【 緋鋼皇國暦1003年 覇竜12年 3月8日 銀狼曜日 0:27 寄宿舎 カフェ 】
ちゃきり。
その音を聞いた者は、何事かと気に留める。
その音を知る者は、戦慄の記憶を思い出す。
その音を向けられた者は、存在を解かれる。
「うっ!?」
ローティの目の前で、その仮面の男は呻いた。背中を仰け反らせ、そのまま上半身を残して、下半身だけが前に進む。ぼろり、と上下に分割された。ごしゃり、と音を立てて腰から上の身体が床に落ちた。どさり、と音を立てて下半身が前に倒れた。
倒れたコップに注がれた砂が、一気に零れ落ちるような音を立てて、男の肉体だったものが細かい塵へと変わり、床に広がった。
「ひっ」
ローティは思わず足を退けた。その塵に触れたくないと、本能が警告をした。
「あ、あ……、ボ、……ス、な……ん、で……?」
仮面の隙間から涙のように塵を流しながら、男の腕も、首も、顔も、頭も、毛髪さえも、塵となって崩れ落ちた。
がしゃりと音を立てて、衣服と装備品が床に落ちた。最後に仮面が床板に転がった。
ローティも、イネヴェアも、その場にいる誰もが言葉を失った。学舎の子供達は、人が殺される場面を見るのは初めてだった。
それに、この死に方は想像すらしていなかった。本当に死んだのかさえ分からない。尊厳も何もない。人が単に消えて、失くなったという事実を、誰も正確に理解できていなかった。
「いやぁ、紳士淑女の皆様。すまないねぇ。部下の教育が足りなかった。この通り、お詫びを申し上げる」
そこに立つのは、赤黒い魔道衣に身を包んだ男だった。
丁重に礼をする頭には、焦げ茶色の髪。左側だけ極端に長く、右側は刈り上げられた短髪だった。ピアスを付けた耳が完全に見えている。
銀色の丸いものに、金色の楔が打ち込まれたような何かのシンボル。何人かの勉強熱心な学生は、そのピアスが何を象徴しているかを理解し、恐れた。
「この通り、無礼者は処罰した」
上げた顔。病的なまでの青白い肌と、欲深そうな金色の目。血色の悪い唇の左端には、環になった薫銀色のピアス。
「い、今のは……」
イネヴェアですら、こんな魔法は見たことがなかった。その場にいたミシェルも、階段を降りる途中で立ち止まっていたマリアンナも、初めて見る光景に絶句していた。
上級生達が言葉を失うのであれば、下級生の中にはクリスの様に、気を失う者が出ても、何ら不思議は無かった。
「おまえ、仲間をなんだと思ってやがる!」
そんな中、この呪文もただの魔力弾も大して区別のつかない男、ローティ・ネモニクトは吠えた。
ちゃきり。
その男が手に持っている得物。杖に似た形状と大きさ。しかし、先端が鋏の様になっていた。柄の長い解剖鋏と言い換えても構わない。その持ち手を握ると、先端部の二枚の刃が閉じられた。
「仲間? 生徒を傷つけるな。そんな簡単な命令も守れない者は、仲間ではない」
男の目が細められた。
「──ゴミ屑だ」
「なんだと……、おまえ、一体何様のつもりだ!」
「これはこれは失礼。申し遅れました」
男は仰々しく左手を己が胸に添え、恭しくお辞儀をして見せた。
「我が名は、マディアラス・ヴネオン。緋鋼に仇なす者」
これは不敬どころの騒ぎではない。明確な意思表明。──反逆者だ。
「そして、あなた達の命を握る者。……さあ、大人しく従って貰いますよ」
男は不敵に微笑んだ。
【 同日 0:14 礼拝堂 祈祷室 】
緋鋼建国神の祭壇は、荘厳であっても装飾過多ではない。緋色を基調として、黒や金色を合わせたシンプルな祭具、その数々が並ぶ。
神々の一柱に加えられているが、緋鋼皇國の初代皇帝であり、神格になる前は人間だった。
それ故か、質実剛健、簡潔明瞭、剛毅朴訥という彼が人間だった時の個性や、色彩の好みは、祭壇においても神格の特徴として表れていた。
アルフォンス・サザーランドは、そんな初代皇帝の祭壇を整理していた。
「先生、こいつの置場所はどこですかね?」
使い方も意味もよく分からない際具を手に、ゴーンズ・ウィリスが尋ねた。
「それは香炉ですから中央に」
アルフォンスの指示は的確だった。
「これは?」
「それは砥石です。刃を置く枕の代わりに使って下さい」
ゴーンズは、言われた通りに並べる。少しずつ祭壇が意味と形を取り戻して行く。
「先生、つかぬことを伺いますが、元は中央にいた神官なんでしょう?」
「12年前の話です」
「それが今や、神聖魔法に加えて、術式魔法まで使える。すげぇもんだ」
アルフォンスは硝子瓶を手に、祭壇の大盃へと、瓶の中身──聖水を高い位置から垂れ流した。ゆっくりと大盃が満たされて行く。
「大したことではありません。どちらも半人前なので──」
その時だった。
建物の外から爆音が聞こえた。それも連続して二つ、それぞれ方向が違った。
!?
「今のは……」
ゴーンズの呟きを耳にしながら、アルフォンスは眼鏡を中指で押し上げた。ほんの少し思案する。
「先ずは状況確認です。ゴーンズさん、正面玄関の方に向かって貰えますか? 私は寄宿舎の方に向かいます」
「任せろ。……ったく、何が爆発しやがったんだ? あの悪戯坊主共じゃあるめえな」
「悪戯。……で、あれば良いのですが」
そう言い残してアルフォンスは礼拝堂を出た。ゴーンズも続く。
二人は祈祷室を出ると、エントランスで二手に別れた。それぞれ渡り廊下を行く。
廊下を出てすぐ、アルフォンスは立ち止まった。
「侵入者?」
アルフォンスの左側、離れた並木の向こう。学院の外壁を乗り越えて、数人の男が学院の敷地内に入り込んでいた。そのシルエットから、武装していると分かった。
戦うか、否か。
先ずは連中の出方を見て、戦力と目的を見極めるのが先だ。アルフォンスは袖口の内側に幾つも設けられた非常に小さな隠しポケット、その一つから透明な爪先程の小さな樹脂を取り出した。その中には一本の睫毛が封じられている。
アルフォンスは目を閉じ、その樹脂を手に言霊を紡ぐ。
「我が姿を、光より退け」
周囲の密接した空気が、ほんの少しだけ揺らぐ。
「影は我を告げず」
次第に揺らぎは大きくなり、アルフォンスを包む。
「眼差しは、我が輪郭を結ばず」
包まれた箇所は、そのまま後ろにある背景を映し出し、やがて全身に。
「────不可視化」
中級術士にとって有り触れた魔法。第二位列術式魔法、不可視化によって、アルフォンスの姿は完全に不可視となった。それでも依然として、歩けば音は鳴るし、触れば分かる。
暫く様子見だな。
アルフォンスは、足音を忍ばせて、彼等が寄宿舎に向かう後に続いた。その侵入者達は皆、仮面を付け、携帯式弩と戦棍を持っている。その数は、ざっと見ただけでも、十人は超えていた。
その男達は寄宿舎の扉を蹴り開けると、次々と中へ入って行った。子供達の悲鳴や怒号が聞こえる。
「おまえら! 双子を探せ!」
自ずから目的を教えてくれるとは有り難い。
アルフォンスは、混乱の中を抜けて走った。途中、何人かの生徒にぶつかったが、今は構っていられない。一階の奥、とある人物の部屋へと向かった。扉は少しだけ開かれていた。扉板を押して部屋に踏み入る。
そこにはマギ皇弟殿下がいた。
この混乱時に、慌てる事なく服を着替えている。しかし、勝手に開いた扉板に気付いて、顔を入口の方へ向けた。
「誰ですか?」
「アルフォンスです。マギ殿下、すぐにマナ殿下に連絡を、学院を脱出します。……連絡、できますよね?」
神話特質能力を持つアルフォンスは、同じく神話特質能力を有する双子の能力について、何一つ知らない。逆もまた然りである。
それでも、アルフォンスは様々な状況証拠から、この双子が何かしらの手段で通じている事を知っていた。マギは、アルフォンスが能力について知っている事実に少し驚いた。しかし、心の何処かで、この先生ならば知っていても不思議はない。……という妙な納得があった。
マギは何度か頷いて、目を閉じた。マナと精神感応で会話をする。希望ではなく予測で、抽象ではなく具体で、理由ではなく指示で、マナとマギは的確に話をした。
「マナ殿下はなんと?」
マナとマギは訓練されている。このまま逃げれば、他の子供達を見捨てる事になると、この双子は重々に承知していた。だが、皇族の生死は国を揺るがす。こんな正体も分からない相手に拉致されるようでは、ヴェナリス皇帝と対峙するのは、夢のまた夢だ。
こんな所で、やられるものか。
二人の意志は固まっていた。
「姉様はすぐに来る。脱出方法は?」
「既に建物は囲まれているでしょう。瞬間移動を使います」
「分かりました。他に連れて行く者は?」
アルフォンスは一瞬だけ迷った。今の自分の力なら、もう一人は連れて運べる。
二人の親戚であるオーレリア・キルシュ。
親友ヴァルク、その弟であるヴァン・ラドーレ。
同じく親友エドワード、その許嫁であるハリエット・ヤクトブレオ。
そして、異世界からの旅人、ミコト・サトー。
公私の区別、友への義理、教師としての役割と責任、緋鋼の未来、世界規模の希少性、考える事は山とある。しかし、考えれば考えるほど、答えは出ない。それに、今から探している暇は無い。
その時、硝子窓が割れる音がした。二階だ。
「まさか、マナ殿下……、飛び降りた?」
「はい。そのまさかです」
アルフォンスは部屋の窓を開け、外を見た。マナが降って来る。
「マナ殿……」
無言で降りて来るマナは、そのまま芝生の上に軟着陸した。飛行術を覚える前に、安全の為に初心者が覚える第一位列術式魔法、羽落術を使っているのだと分かって、心配で声を掛けたものの、それは敵に位置を知らせる事になるかもしれないと、途中で言葉を呑み込んだ。
「急ぎましょう」
マギが窓枠を乗り越えて、寄宿舎の外に出る。アルフォンスも後に続いた。
「まったく、お二人の行動力には脱帽です」
背後から声。
「待て、コラ‼」
武装集団の何人かが、部屋に入って来ていた。
「申し訳ありませんが、構っている暇はないのです」
アルフォンスは、窓枠に片足を掛けて振り返ると、指先を向けて一言だけ。
「眩光!」
閃光が迸り、男達の目を眩ませた。不可視化の効果も終わるが、その隙にアルフォンスも外へと出る。
「いたぞ、双子だ‼」
建物の外側からやって来る男達。新たに外壁の方からやって来る男達もいた。
「アルフォンス先生、早く!」
マギが魔力盾を展開しながら呼んだ。マナは魔力弾を放って敵を寄せ付けない。
「此処を閉じ、彼方を開け」
アルフォンスは、駆け寄りながら詠唱を始める。
「空間の皺よ、我が足もとに折り重なれ」
マギと手を繋ぐ。
「距離は門となり、門は一歩となる」
マナとも手を繋ぐ。
「──瞬間移動!」
これで街まで行ける。……はずだった。
……だが、魔法は発動しなかった。
なん……だと?
アルフォンスが驚愕したその瞬間。
ちゃきり。
何か鋏の音が聞こえたと思った直後。
「先生っ⁉」
「うっ」
アルフォンスは撃ち抜かれていた。




